小説 > > テウルメシ ~ロンドン旅情編~

 旧イギリス、ロンドン。
 国家という枠組みが崩壊し、歴史というものがその価値を失っても、この街そのものに誇りを持つ住人たちは、そのあり方を大きく変えようとはしなかった。
 結果としてこの街の大部分には、今でも骨董品と言っても過言ではないような建物が多く立ち並び、独特の景観を保っている。
 そしてこの街はまた、砲声が鳴り止む事のないこの時代にあって、武力ではなくその経済力のみによってクリストファー・ダイナミクスグループの基幹の一つを成す大企業──アリフ&フィリップ・ホールディングスの本拠地でもある。
 その社員を始め、世界中の成り上がりを望む誰もが、いずれここに住む事を夢見る街。常に桁外れの額の金が流れ込み、また吐き出されるこの地には、世界の富の三分の一が存在するとまで言われる程だ。
 世界有数の観光地としても知られ、指折りの億万長者をも唸らせるような超高級製品が店先に並ぶ一方で、通りを二つも外れれば、低所得層でも頑張れば手が届く程度の品々を並べる店が軒を並べている。
 日が暮れても大通りは観光客とそれを呼び込む店員の声で賑わい、深夜でさえ行き交う車のヘッドライトと街灯、ショーウインドウが月よりも明るく街を照らす、眠らぬ街。
 そんな騒々しい町並みの中心部から少しばかり離れ、人影のまばらになった夕飯時の飲食店街を、一人の男が歩いていた。
 色あせてよれた灰色のコートに、くたびれたハンチング帽。極めて地味な風貌の、中年入り口ぐらいの男である。およそ観光客といった雰囲気ではない。
 この街では常にどこかしらの開発工事を行っている事から、その労働者の類であろうか。男は入る店を決めあぐねていたらしく、何件かの店を見回しながら歩いていた。
 しばらくして街頭のスピーカーから流れていたアップテンポの新曲が終わり、5年ほど前の流行歌に切り替わると、男は少しばかり顔をしかめ、まるでその歌声から逃げるように手近な店へと足を踏み入れた。
『麺屋 飛龍亭(Ramen shop HIRYUTEI)』
 店の暖簾にはそのように書かれていた。



 夕食時の店内は結構な賑わいを見せていた。幸いにもカウンター席は空いており、男は案内された席に腰を落ち着けると帽子を取り、おしぼりで手を拭った。
 水を一口だけ飲んでから、紐で綴じられたメニューの表紙を開く。丁寧に装丁された一枚一枚手書きのメニューは、店のこだわりを代弁しているようにも感じられる。
 写真は無く、文字だけでミソ、ショーユといったベーシックなラーメンが書き並べてあり、個性的な一品よりも鍛え上げた基本形で勝負するタイプの店のようだ。
 一通り目を通してしばらく黙考したのち、男は店員を呼び、ショーユラーメンとライス、ギョーザを注文した。
 水を口に運んでから店内をなんとなしに見回せば、中高年の少人数連れが多く、家族連れは少ないように見える。少々高めの価格帯によるものであろうが、常連と思しき彼らの笑顔を見れば味への期待も高まるというものだ。
 と、視線を巡らせているうちに一枚の張り紙に目が止まる。
『当店ではヴェーダ関連技術を用いた食材は使用しておりません』
 ああ、そう言えばあったなそういうの……。というのが男の感想である。ヴェーダが販売していた農畜産物の品種改良は安全性や倫理面に問題があるとして、少し前に一部で結構な騒ぎになったものだ。
 とは言えおそらく実際に問題があったのが半分程度、残りはヴェーダに対するネガティブキャンペーンであろう、というのが男の推測ではあった。
 まあ、客の不安が払拭されるならどうでも良かろう──と無意味な思考を中断する。ちょうど男の頭上に置いてあるために画面の見えないテレビは、今も世界中で行われている企業の小競り合いのニュースを伝えていた。
 買収、ネットワーク攻撃、軍事侵攻──企業や場所が変わるだけで毎日のように繰り返されているお馴染みの報道内容。
 クリストファー・ダイナミクス陣営の筆頭企業のお膝元であるこの街で流れるニュースは当然そちらを贔屓した内容であり、そこで暮らす市民たちも言うまでもなくそちらに肩入れをしている様子である。
 とは言え、例えば今か今かと待っているラーメンの小麦にしてもEAAからの輸入品であり、戦争に用いられている技術はアレクトリスのそれを元にしたものだ。
 片方の手で握手をしながらもう片手で殴り合う、なんとも器用な事だ──などと考えたところで、男は興味を失ったように大欠伸を一つすると、ちびちびと水を飲みながらラーメンが来るのを待つことにした。



 そうして待つことしばし。男の前に一杯のラーメンと、椀に盛られた白飯が運ばれてきた。
 透き通ったスープに浮いた油滴が店内の照明を反射し、まるで丁寧にカットされた琥珀色の宝石のように輝いている。具はメンマに煮卵、チャーシューに刻みネギ、そして焼き海苔といった、極めてベーシックな醤油ラーメンのそれだ。
 香りを嗅げばどこかノスタルジーを感じる醤油の香ばしさに、ほのかな海の匂い。食欲をそそるそれに男は思わず溢れたつばを呑み込む。
 逸る気持ちを抑えつつ、レンゲを手に取りスープを一口。瞬間、彼の曾祖母から受け継いだ極東の血が歓喜した。
 一見シンプルな塩味でありながら複雑な旨味を兼ね備えた醤油は、極東出身者の魂を揺さぶる調味料である。同時に香る海の風味は、鶏ガラの出汁に加えてふんだんに用いられた鰹節や昆布といった魚介系のそれであろう。
 何故、醤油とは大豆由来でありながら、かくも魚介と相性が良いのだろうか。いや、味噌も鰹出汁と合うから大豆が魚介と合うのかもしれぬ──などとどうでもいい事を考えつつ、男は次に焼き海苔へと箸を伸ばした。
 嬉しいことに三枚も入ったそれを、まずは一枚、そのまま口へと運ぶ。ぱり、とした確かな食感と共に芳醇な磯の香りが口中に溢れ、たまらず二枚目を箸で摘み取ると、今度はたっぷりとスープに漬け込んでから口にした。
 その途端、温かいスープによってむしろ主張を増した海苔の香りとやわらかな醤油スープのそれが、相乗効果によって暴力的に吹き荒れる。彼は思わず、自らに極東の血を分け与えてくれた、顔も見たことのない曾祖母に感謝した。
 そして麺だ。麺抜きにラーメンは語れまい。スープの中、黄金色に輝く麺は細くも太くもないオーソドックスなそれだが、箸ですくい上げれば適度に縮れた麺に絡んだスープが滴り落ち、男は辛抱たまらず一気にすすり上げた。
 つるりと口中になだれ込んだ麺はしっかりとした弾力を持っており、モチモチとした歯ごたえがたまらない。
 麺に絡んだスープの量も風味の強さに対して絶妙なバランスを保っており、その影には相当の試行錯誤があったのだろうと感じられた。
 煮玉子には味がよく染みており、半熟になった黄身のとろりと蕩けるような味わいに男は思わず目を瞑って唸りを上げる。
 メンマに箸を伸ばせばコリコリと小気味よい食感が歯に返り、その後に吹き抜けるような独特の香りが、一種の清涼剤のように醤油味に染まった男の舌を癒やす。
 そしてチャーシューだ。一枚しか入っていない分、大きくそこそこに分厚いそれは、箸でつまめば崩れるほどに柔らかい。崩さないよう慎重に口に運べば、頬張った瞬間に肉がほろりとほどけ、暴力的なまでの旨味を口中に解き放つ。
 ──まさに至福。本場の極東でさえもここまでの一品にはなかなか出会えないであろう。それほどのものであった。
 そんな感動とともにグラスの水を一口飲めば、さっぱりと洗い流されるような清々しさとともに、まだこの至福の時間を味わえるという歓喜が身をもたげる。まだそれぞれの要素を一口ずつ味見した程度に過ぎないのだ。
 男は思わず身震いしたところで、ちょうど遅れて配膳されてきたギョーザを受け取ると、とめどなく湧き上がる食欲に身を委ねる事にした。



 会計を済ませて店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。最近では珍しい晴れきった夜空ではあるが、夜に負けじと煌々と輝く市街区の明かりによって星はあまりよく見えない。
 それでもこの辺りは街頭がぽつりぽつりと立っているだけで市街に比べれば薄暗く、月明かりが町並みを青白く照らしている。
 ──満足であった。と、男は思い返す。
 本場から遠く離れたこのイギリスで、これほどのラーメンに出会えた事はまさに奇跡と言えよう。ギョーザとライスも申し分の無い品であり、ロンドンに訪れた際は必ずまたここに来る事を男は心に誓った。
 街頭のスピーカーから流されていた音楽もすでに止んでおり、すこしばかり静かになった町並みを男は歩きだす。
 進むに従って飲食店から漏れる音楽や笑い声、看板の明かりが徐々に少なくなり、人気のなくなった路地から更に細い路地へ。途中から恐喝目的で男を尾行していたギャングくずれのごろつきは、角を曲がった直後に男の姿を見失った。
 そうして男は寂れた倉庫区画の外れ、なんともボロ臭い貸し倉庫にたどり着くと、ごく自然に鍵を開けて中へと入っていった。
 その中は外観の印象とそう変わらず、ともにコンクリートが打放しの壁や床にはところどころにカビが生えており、劣化によって剥がれかけている部分もある。
 正面のシャッターはかろうじてまともに動作するものの、サビが浮いておりそう長くは保たないだろう。
 そんなボロい倉庫の中心には、酷く場違いな黒い巨人が鎮座していた。
 立ち上がれば8メートル程度になるであろう巨体は光沢の無い黒い装甲で覆われており、全体的に突起を持たずのっぺりとした形状も相まって、機械というよりは人形のような印象を受ける。
 鋭い爪を備えた両手だけが金属質の剣呑な光を放っているが、それ以外に武器らしい武器を用意してある様子もない。
 テウルギア、《木偶(ムーオウ)》──それがこの機体の名である。
『おっかえりー!かわいい相棒を置いてけぼりにして自分だけ美味しいものを食べてくるとか、酷いテウルゴスも居たものだね!君もそう思わない?』
《木偶》の前でその無表情を見上げていた男に対し、唐突に声がかけられる。それもその無表情の巨人から、酷く場違いな、底抜けに明るい声だ。男はそれに驚く素振りも見せずに肩をすくめてみせた。
「いや、お前を連れて行ったら絶対に静かにしていられないだろう。それに納入の度にデタラメになる人工筋肉のバランス取りは誰がするんだよ。」
『うー、どケチー!いいじゃんかさー。相棒もたまにはいろいろシッチャカメッチャカになろうよー。』
「退廃的な上に享楽的に過ぎるんだよお前は……。とりあえず文句は中で聞いてやるから外部スピーカーは切れ。」
 呆れたように頭を抱えた男は、巨人に対し身振りでコックピットハッチを開くように指示すると、その中へと潜り込む。
 ハッチを閉じれば正面モニターに《木偶》の視界が表示され、メインコンソールに珍妙な格好の少年が飛び込んできた。画面にぶつかってヒビが入るエフェクト付きだ。
「お前、また無駄なエフェクトを買い込んで……」
『酷っ!もうちょっとウケてくれても良くない!?』
 ため息混じりの責めるような視線を向ける男に食って掛かる少年は、死神のような衣装を身にまとっている。
 但し、黒いボロ布の下には普通にシャツと半ズボンを着用しているし、鎌は酷く作り物っぽいし、頭のドクロはやたら丸くて可愛らしい。半ズボンもショタ属性の強化を狙って穿いているに違いない。
 なるほど確かに、外見はいかにも愛らしい黒髪の美少年である。但しその人格は、徹底的に人をからかって楽しむ面倒なクソガキであった。
「まあお前の報酬をお前がどう使おうと勝手だが、俺にそういう反応を期待するのは無駄だと思うぞ?」
『くっ、いつかギャハハハと言わせてやる……!』
 それに対してジト目以外の表情を向けないこの男も、そういう意味ではおあつらえ向きのパートナーなのかもしれない。少年も悔しそうな事を言いつつ、実際のところはこんなやりとりを楽しんでいるフシがある。
「まあ、土産話は後でしてやるから、とりあえず今は予定の時間まで寝させろ。」
『食っちゃ寝すると牛になるぞー?』
「……寝させろ。な?」
『あっ、はい。おやすみなさい……』
 今更ではあるが、彼らの事を紹介しよう。
 少年は『死神くん』などと名乗る、《木偶》のレメゲトン。
 男は『レメゲトン殺し』と呼ばれる、《木偶》のテウルゴス。
 ──共に、己の名を捨てた者たちである。



 深夜。
 倉庫区画にある道路脇、似たようなトレーラーが複数並んで停められている車列の中。その一台に動きがあった。
 荷台に被せられたシートの中から低く唸るような電子音が響くと、続いてシートを留めていたワイヤーが弾け飛ぶように解放され、その中に隠されていた巨体がその身を起こす。
 身にまとっていたシートを脱ぎ捨てるように放り捨て、その姿をあらわにするのは真紅の装甲を纏ったテウルギア。
 全高9メートルとテウルギアにしては小柄な部類であるが、それはトレーラーなどでの移送──転じて都市などへ潜入して活動する事を主眼に作られたが故だ。
 とは言え、この機体に関しては見るものが見れば一様に首をかしげるであろう。
 意味もなく後から溶接したようなゴテゴテとした装飾が付いていたり、テラテラとした下品な赤い装甲には塗りムラがあったり──つまり、全体的に素人くさいのである。
 それは外観に限ったことではなく、トレーラーから降り立った機体が多少よろついたように見えたのもおそらく気の所為ではない。駆動音は無駄に大きく、干渉した膝関節の装甲が嫌な音を立てて変形したりしている。
 そんなあからさまにハンドメイドじみた機体であっても、この機体は紛れもなくテウルギアであった。つまり、レメゲトンを搭載しているのだ。
『同志、やはり最後の増加装甲は余計だったのではないだろうか?』
「……同志よ。革命のための闘争には少しでも長く戦い続けるための装甲が何よりも重要なのだ。」
 おそらくレメゲトンの演算能力が無ければまともに歩かせることすら困難だったであろうその機体は、彼の尽力もあって体勢を立て直すと中心市街の方角を向き、最短コースを妨げる建物の壁を前にその右腕を大きく振り上げる。
「まあ、この程度の事は偉大なる革命の前には小事である!同志よ、今宵こそ堕落した拝金主義者の巣窟に鉄槌を下し、真に平等たる世界への第一歩を踏み出すのだ!」
『おお、偉大なる共産主義に栄光あれ!これは理想社会の実現に向けた革命的闘争である……!』
 そうして決断的に突き上げられた腕は言葉とともに眼前の壁へと振り下ろされ──ギシリ、という音とともに途中で止まった。
「な……!?」
 直後、深夜の倉庫街にまるで鋼鉄の悲鳴のような音が響き渡る。ワイヤーで拘束され、致命的な隙をさらした真紅の機体のコックピットを、装甲の隙間を縫って突き込まれた黒い異形の腕が貫いていた。
「……レメゲトンも共産主義とかハマるものなのか?」
『人間がハマるんだからレメゲトンもハマるんじゃない?僕は興味ないけど。』
 緊張感のない会話とともに漆黒の腕が引き抜かれると、制御を失った真紅の機体はそのバランスの悪さを証明するかのように、轟音を立てて崩れ落ちる。
「成功しても失敗してもテロの実行そのものが目的なんだから、テロリストってのは楽でいいよな……」
『世間的には僕らもきっと大差ないと思われてるよ?』
「……まあ、その辺りは俺達だけ理解できてれば構わんさ。目的は達したし、とっとと帰るぞ。」
『はいはい、それじゃぽちっとなー。』
 気の抜ける掛け声とともに、《木偶》のバックパックからこれまた黒い気球が展開する。その展張に合わせて勢いよく地を蹴ると、漆黒の機体は一気にその高度を上げてゆき、やがて夜空の闇へと溶けて見えなくなった。



「おっすー。捜査の進展はどんな感じ?」
 早朝のロンドン。警察車両によって封鎖され、集まった野次馬によって一際騒々しい倉庫街の一角に、気の抜けた場違いな声が響く。
「あん?誰だ民間人通した奴は!減給すんぞ!──って、なんでアンタが来てるんですかね……。」
 あからさまに警察関係者のものではないその挨拶に、声をかけられた刑事は怒鳴りながら振り向いたが、その人物の顔を見たとたんに彼は呆れた様子で肩を落とした。
「いやほら、一応僕ここで一番偉いし?」
「だから一番偉い人がこんなとこにホイホイ来ないでくださいよ……。」
 金髪に端麗な容姿、その若さにはミスマッチな浮世離れした雰囲気。溢れ出る王子様オーラを隠そうともしないその男は、このロンドンを本拠地とするアリフ&フィリップ・ホールディングスのCEO、アルバート・フィリップその人である。
「だってテウルギアだよテウルギア!直接見る機会なんてそう無いからね!あ、これ差し入れ。皆で食べてね?」
 一点の邪気もないニコニコとした笑顔で答えると、両手に下げていた菓子の紙袋を近くの警官に渡し、刑事の元へと歩いてゆく。
 なお、その紙袋は一介の警官が口にする機会など人生に一度有るか無いかというレベルの、ロンドン有数の高級店のものである。
「贈賄になりそうなんでそういうの困るんですがね……まあいいか。解ってるだろうなお前ら、証拠は残すなよ?」
 硬直する部下を尻目に頭をバリバリと掻いた刑事は、この場で腹の中に仕舞っちまえ、と紙袋を渡して指示するとアルバートへと向き直った。
「……とは言え、まあ状況的に下手人は見当付いてるんですけどねえ。」
「まあ、どう見ても『レメゲトン殺し』の手口だよねえ。」
 深夜の破壊音で通報が入り、駆けつけた警官が目にしたのが、コックピットを貫かれて擱座した所属不明の赤い機体である。証拠の隠滅を防ぐためマゲイアまで持ち出して即座に封鎖線が張られ、既にあらかたの検分が済んでいた。
 始めはマゲイアかと思われていた不明機にはレメゲトンを搭載していた痕跡が見つかり、テウルギアであることが判明。
 その破壊の痕から、同様の手口で数多のテウルギアを葬ってきた『レメゲトン殺し』を連想するのはそう難しい事ではなかった。
「どっちかっつーと問題なのは被害者の方ですかね。」
「完全に真っ赤っ赤だもんねえ……。」
 この色から連想されるものはそう多くはない。ましてここは資本主義経済の中心地であり、非武装の都市だ。そんな場所に全身真っ赤な機動兵器とくれば、どんな思想の持ち主で、何をする気だったのかは想像に難くない。
「いくら都市攻撃用の小型機とは言え、こんなところまでテロリストの侵入を許すとは……ああクソ、情けない……。」
「手引きした連中が居るのは間違いないだろうし、企業クラスで偽装されたら警察での対処は厳しいと思うよ?」
 バリバリと頭を掻きむしる刑事に対し、アルバートは苦笑しながら慰めを口にして、次いで変わらぬ口調で今後の方針を指示する。だが、その内容は聞くものが聞けば青ざめるようなものだ。
「まあ、ひとまずこいつの部品、トレーラー、侵入経路……なんでもいいから、ありとあらゆる痕跡を洗い出してくれ。金なら『幾らでも』使っていいよ。
 口の固い奴は札束で引っ叩いて、なんとしてでも一番後ろで胡座かいてる連中を引きずり出そう。」
「幾らでも、ですか。気前が良いのは大歓迎ですよ……ボスが言うとシャレになりませんがね。」
 その指示の意味に苦笑する刑事に、経済界の怪物はその声音を変えず、それでいて怖気のするような笑みを浮かべる。
「そう、幾らでも、だとも。僕らを、この街を、資本主義というものを敵に回した事を後悔させてやろうじゃないか。」
「了解です、ボス。」
 事実上のトップからの命令を真顔の敬礼で拝領し、刑事は手元の端末で忙しく部下に指示を回しだした。



 慌ただしく警官が駆け回る中、ふと緊張感のない顔に戻った若社長はポンと手を叩くと、世間話でもするかのように刑事に話題を振った。
「それはそうと、今回『彼ら』には危ない所を救われた形になるよねえ。」
「あー、狙ってやったのかどうかは兎も角、我々からすればそうなりますなあ……。」
「あはは、まあ結果的には街は無事だったんだから、そう苦り切った顔しないでよ。」
 慌ただしく動き出した部下を尻目に端末を腰のホルダーにしまうと、刑事は苦虫を噛み潰したような顔で答え、ふと浮かんだ疑問をアルバートへと投げかけた。
「……そういや、結局連中どういう基準で標的選んでるんでしょうね?確かランカーとか陣営とか無差別だったと思いますが。」
「ああ、それなら仮設はあったんだけど、今回のでほぼ確信したかな。」
「……というのは?」
 刑事としては答えを期待しての疑問ではなかったが、アルバートには見当がついていたらしい。解答を促され、彼はその考えを口にした。
「『レメゲトン殺し』がレメゲトンを『殺す』ことではなく、レメゲトンを『減らす』事を目的にしているならば……多分だけど、狙われるのはテウルギアと戦わないテウルギアだ。」
 ある意味で非常にシンプルなその答えに刑事は一瞬虚を突かれたものの、即座に納得する。
「……ああ、テウルギア同士で闘うならレメゲトンは減るわけですか。データは……まあ、あるんでしょうな。」
 アルバートのテウルギアオタクぶりはロンドンっ子には非常に有名だ。戦歴などのデータについてはオラクルボードに載っていない情報までをも網羅しており、無論『レメゲトン殺し』についてのものも然りである。
「そう考えると、うちのグスタフ君たちも狙われる前にテウルギア戦をさせておいた方がいいかもなあ……」
 アルバートはそんな事を呟きながら、A&Fの用心棒にして貴重な直接戦力である、オタク仲間のテウルゴスと恋愛脳なレメゲトンのコンビを思い浮かべる。
 彼らのテウルギア・ナイトバードは底なしの運用コストを垂れ流して動く怪物級の機体ではあるが、彼らの戦闘経験と『レメゲトン殺し』の経歴を比べれば油断は出来ない相手だ。
 その辺の三下を数機潰すだけで敵に回さずに済むならば、そうした方が無難であろう。彼らの実戦経験にもなる。
 A&Fの資金力が無ければまともに運用できないナイトバードの馬鹿げた性能であれば、相手によほどの腕か機体性能のどちらかが無い限りは一方的な蹂躙劇となる。
 今回の件に関わった連中への仕返しに連れて行くのもスッキリしていいかもなあ、などと若社長は爽やかな微笑みの裏でドス黒いことを考えていた。彼もまた、イギリスっ子なのである。
「その表情を見るに碌でもないこと考えてるところ申し訳ないんですがボス、お迎えが来てますよ?」
 笑顔で報復の算段を立てるアルバートに軽く引きつつ、刑事はいつの間にかその後ろに立っていた小柄な眼鏡の女性を指差してみせる。
 途端、振り向くまでもなくアルバートの表情が一転して引きつったものとなり、そのあからさまな反応を見た刑事は苦笑を浮かべた。
「お迎えに上がりました。社長、いい加減仕事に戻ってもらいますよ。」
「い、嫌だ!さして面白くもないオッサンばっかり集まった重役会議とか嫌だ!」
「さして面白くもないオッサンばっかり集めたのは社長じゃないですか。」
「あいつら仕事の能力は確かなんだよねえ!さして面白くもないけど!」
 自由過ぎるアルバートに唯一言うことを聞かせられる事から、社長室の良心とも呼ばれる敏腕秘書、フランシスカ・オータム。
 頭一つほど小さな女性に襟首を捕まれ、子供のように駄々をこねながら近くに停めてあった車まで引きずられてゆく最高経営責任者の姿に、警官隊の間には微妙な沈黙が流れた。
「済みません、うちの馬鹿社長がご迷惑をおかけ致しました。それでは皆様、捜査の方、よろしくお願いしますね。」
「お、おう。まあこっちは任せといてくれ。」
 愛らしい笑顔でナチュラルに馬鹿社長と口にしたフランシスカに刑事は少し引きつつも、後部座席にアルバートを詰め込んで発進する車を、後ろで手を振る警官隊とともに見送った。



「で、息抜きは済みましたか?社長。」
「済んでないって言っても見逃してくれないよね……?」
「それはもう当然かと。」
 死んだ目で後部座席に横たわるアルバートと、その頭を膝に乗せて穏やかに微笑むフランシスカ。ちらと目をやったルームミラーでそれを見た運転手は、うちの社長爆発すればいいのに、と思ったものの、顔色一つ変えはしない。
「今回の事件で各方面に少なからず影響が出ていますから、早急に対応を協議しなければばなりません。」
「そうは言っても、あいつら有能だからとっくに対応してると思うよ?」
「それでも報告は必要ですからね?ていうか貴方も馬鹿じゃないんですし、解ってて言ってますよね?サボりたいだけですよね?」
「うう、社長なのに!社長なのに……!」
 幼馴染な可愛い系美人秘書のタイトスカートに顔を埋めて嘆く若社長(イケメン)。
 経営者には経営者の悩みがあるのだ──運転手はそう理解しながらも、うちの社長不能になればいいのに、と心の底から思った。勿論、顔色一つ変えずに、である。彼はプロなのだ。
「……そう言えば、彼らにはこの街を楽しんでもらえただろうかねえ。」
「彼ら、と言いますと……ああ、『レメゲトン殺し』ですか。折角なので観光でも楽しんで頂けたら良いのですけれどね。」
 唐突に話題を切り替えたアルバートであるが、フランシスカは説教は十分と判断し、それに乗る事にした。
「折角ロンドンまで来たのに、テウルギア一機壊して終わり、では味気ないからね。」
「とは言え、そんな物騒な二つ名が付いている人がショッピングを楽しむというのも想像がつかないのですが……」
 そう言われてアルバートは、顔も知らぬ殺し屋が、メインストリートで買い物を楽しむ光景を想像し、五秒で諦めた。
「……まあ、受けた恩を放って置くほど困窮してもいないし、今後彼らが困るような状況があればA&Fとしてそれとなく支援してあげるとしようか。」
「お金出すしか出来ませんけどね?」
「おや、A&Fの社長秘書である君でも知らないのかい?お金があれば大体のことは出来るんだよ?」
 そう言って若社長がようやくフランシスカの膝から身を起こすと、タイミングを図ったように車が巨大なビルの正面に付けられた。
 ドアマンによって開かれたドアから降り立ったアルバートの姿は、まさに威風堂々とした、若き帝王のそれである。……強いて言えば、髪型が少し崩れていたが。
「それじゃあ、仕事をしようか。」
「はい社長。」
 そう言って、彼らは彼らの戦場へと戻っていく。そして、どこか遠い空の上でも──



──ズズズズズッ
『ちょ、普通テウルギアの操縦席でカップ麺食べる!?』
「仕方ないだろ、この回収機狭いんだよ……うーむ、やっぱり本物食った後だと美味くないな……」
『どうでもいいし、あーもう!!また汁飛んだ!!』
 ……彼らもまた彼らの、次の戦場へと向かうのだろう。後日、唐突に匿名で振り込まれた巨額の資金によって『レメゲトン殺し』の食生活は大幅に改善される事になるが、それはまた別のお話。



                                                                          書いた人 樽
最終更新:2018年06月25日 20:10