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第3話:宿命は廻る(ルーレット・サーキット) ――ページ6


 いくつもの追加装甲が焼け落ちた。全身の至る箇所が悲鳴を上げて、真っ赤な警告音がコクピット内を飛び交う。

 残された装甲と武装を確認して、肩部の小型ミサイルを放っておいて正解だったとディサローノは唾を飲みこむ。いくら小型とはいえ爆弾だ。誘爆が起これば、〈ゴッドマザー〉の原型が残っていたかさえ危うい。

『まずい。これで多数を相手取れば……』

 残されたのは手足の追加装甲と、腕に仕込まれた短剣(ダガー)のみ。その刃渡りは腕よりも短い程度でしかない。

「問題ないわ」

 焦燥に震えたストリチナヤの声に対して、ディサローノのそれは好対照なほど穏やかだ。
 先程まで空を覆い尽くしていたドローンの群れも一掃されている。

 ここぞとばかりにスラスターを噴出する。重苦しいまでに全身を覆っていた追加装甲がなくなった〈ゴッドマザー〉の跳躍は、ふわりと宙へ浮かび上がるように身軽なものだった。

「ボラッド・マイケーエフは近くにいる。テウルギア規模の戦闘があるとわかっていて、こんな街中。生身でいる方がおかしいわ。レーダーを……あら」

 街全体ほどではなくとも、俯瞰できるほどの高度まで上がった段階で、気づく。
 レーダー上を埋め尽くすノイズ。時折光点が覗くような気がするも、しかしすぐに見えなくなる。

 追いかけて、ストリチナヤの乾いた声が、顔色を伺うように耳奥を撫でる。

『すまない。宛てにはならんだろう……レーダー機能ならば、シャトーたちと連絡を――』
「駄目。今日は一人でやりきるって決めたの」

 依然変わらない語調の強さは、頑として譲らない意志の強ささえ覗かせる。
 逸る感情が、ストリチナヤを焦らせる。

『だが!』
「流石にそこの線引きはわかっているわ……まだ、それだけじゃないってだけ」

 改めてレーダーから視界を外して、画面を注視する。思わず操縦桿を握る手に力が籠もったことを、ストリチナヤは察知してしまっているだろう。

 今のディサローノが自分の自覚以上に、強情になっていることを。
 そうして自分の感情に踊らされていることが一番愚かだと、ディサローノでさえわかりきっていることだ。

『シャトーはオペレーターだ。戦況を俯瞰してくれる。きっと協力さえ仰げば……』
「シャトーがいたら、八回もドローンに踊らされることはなかったわ。きっと二、三回目あたりで気づいてくれた」

 ストリチナヤの言葉は忠告ではなく、説得に変わっていた。
 だがそれを遮り、ねじ伏せるようにディサローノは言葉を放つ。そんなことはわかりきっている、と言わんばかりに。

「でも久々に、一人で全部やりきるってことをやりたいの」

 ……シャトーとドランブイは今頃、トレーラーで何をしているだろうかと、空想へ耽ってしまいそうになる。

 息の合う関係であり、気の置けない仲だとも思っているシャトーにさえ、ディサローノは一つの嘘をついた。

 ドランブイが突っかかってくるのは、いつものことだ。あしらうぐらい造作もないことだった。
 だが先日はできなかった。表情と言葉の温度を極端に低くするための、感情を調整するためのバルブが壊れていた。
 シャトーにはそのことを伝えなかった……いや、壊れかける瞬間を見たから、わかってくれるだろうと口を噤んでしまった。

『それは何のためだ? 自分のためか?』

 鍍金の女王。フェオドラ・ジノーヴィエヴナ・シャムシュロファ――思い出すだけ虫唾の走る顔だ。
 ……結局、感情の統御と整理がついていなかったのは自分だ。今になってもそうなってしまうのならば、まだ壊れたままかもしれないと嘆息した。

「どんなことでも、最終的には自分のためよ」

 気怠い声が、思わずこぼれ出る。宙に浮かべたままの機体を一度降ろして、身構えていたはずの敵機を呆気なく短剣で切り捨てた。

 早くこの話題を切り上げたいとばかりに、隠れ潜んでいる敵を……標的を探す。

「誰かのためは、見返りのため……そうじゃないかしら?」
『そこに同意を求めるな。それこそ強情(エゴ)だ』

 強情――真っ先に思い浮かんだ顔は、ドランブイのものだ。やたらと噛みつく躍起な態度。反抗的な言葉尻……つくづく典型的な不良じみた印象を抱きこそすれ、しかし嫌悪感があるわけではない。
 だが先日の自分に、ドランブイは今頃、何を思っているだろうか。先日以後、露骨に挙動がおかしいことだけはわかっている。

「そうね。我儘(エゴ)を通したいの」
『随分と、粋がっているな』

 ドランブイに見せてしまった激情の顔は、感情のバルブを制御しきれなかった自らの甘さが原因だ。
 普段こそ完璧に制御できていた自分が、フェオドラというキッカケごときで制御を見失ってしまうと、教えてしまったようなものだ。

 自分が弱い存在だと――その程度で感情が揺らいでしまうほど弱々しい人間だと。そう教えてしまった気がして……そう思った瞬間に、涙がこらえきれなかった。弱い姿を見せてしまった自分が許せなかった。

 今でも腹の底から、喉元を引っ張られるような重さを感じる。後悔と羞恥が、息さえ詰まりそうな重さとなって胸を締めつける。

「……強い私が、まだ強いままなんだと確認したい」

 それこそが、最たる理由だった。
 弱みを見せないことこそが、強さという自信の土台へ繋がっていた。だからこそ弱みを見せてしまった瞬間に、土台が音を立てて崩れ落ちるような不安に、足が震えるような寒気を覚えてしまう。

 自分が本当に、(・・・・)[強い人間}なのか? と。
 だからこそ、強い自分のふりをし続ける。本当にそうであった時の去勢のため、あるいは安心のために。

『君は充分、強いさ。現にまだ生き残っている』

 ――気づけば〈ゴッドマザー〉の手中には、敵からぶん取った爆弾投射機が握り締められていた。

 感傷と雑談に耽っていても、敵がそれを知っているわけではない。そしてそんな面を、ディサローノが見せるはずもない。
 一切の間断なく、容赦なく、感情さえなく、ディサローノは淡々と爆弾をばら撒く。

「ありがと。だったら私は、強い自分でいなくちゃね」――せめて、ドランブイの前だけでも。そう言いかけて、やめた。

 周囲にあった建物たちが、音を立てて崩れていく。立ちこめる砂煙で、視界が黄土色に染まる。
 その奥に揺らめいたシルエットを、決して見逃さなかった。

 スラスターの噴出で、一気に距離を詰める。テウルギアという巨大な物体が動くだけで、渦巻く砂煙などすぐさま吹き飛ばせる。

 黄土色の機体が浮かび上がる。他の機体郡と同じように見えるが、決定的に違うとわかりきった部分もあった。
 手持ちの武器が何もない。それだけでなく、それだけは挙動が不自然だ。明らかにこちらから距離を置こうとする挙動があった。砂煙に隠れて逃げようと、忍び足になって。

「――見つけた」

 声から温度が一気に抜けていくのが、自分でもわかる。
 一瞬に肉薄して、間合いを詰めた。

 構造は他のマゲイアたちと同じようだと判断が及んだ瞬間に、短剣を腕から覗かせる。無限軌道を走らせた勢いに任せて敵の足を払い、倒れかけた敵へ覆い被さるように陣取る。
 コクピットハッチの開閉部……その隙間へ短剣を差し込んで、力任せに剥ぎ取る。

 中から覗いた姿で、確信が揺るぎないものだったと息を飲んだ。
 頭を覆うヘッドギアに覆われていようと、その形相を隠しきれたわけではない。

「……ボラッド・マイケーエフ」

 東西戦争にいたはずの男。一度死んだはずの男。だが確かに眼前で操縦桿を握り、驚愕に口を開いて、ディサローノを見上げている。

「悪いけど、あんたの顔は残しとかないといけないの」

 言うが早いが、短剣が、コクピットの奥へねじこまれていた。
 男の体に詰まっていた血がコクピット内に飛び散り、ヘッドギアさえ覆う……その寸前に見えた、苦痛の形相さえ赤に塗り潰される。

 ……ふっと肩にこもっていた力が抜けていく。胸の奥に張り詰めていた緊張の糸がほぐれて、虚脱に息を吐く。
 ようやく忌々しい依頼が終わったのだと実感した瞬間に、操縦桿を握る手にさえ力が入らなくなっていた。

 いつの間にか、ストリチナヤが回線を繋げていたと気づいたのは、ヘンドリクスの声が聞こえたからだ。

『俺だ。静かになったが、終わったのか?』
「ええ。おかげさまでね」

 憔悴の色を見せまいと、出ない力を振り絞って声を張る。

 ……声を張ることにばかり注力して、ディサローノは気づけなかった。いや気づいたところで、何も思わなかっただろう。

 絶命した男の乗っていた機体。そこから、一つのドローンが飛び去っていくことに。
最終更新:2019年02月10日 12:42