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第4話:(ミス)幸運(フォーチュン) ――ページ3


 ハンドルを払い、ホイールが回転を始める。

 照明の反射光が煌めく中で、それぞれのプレイヤーがチップを握りしめる。
 その視線を通して、気を張り巡らせようと押し黙るプレイヤーたちの動向を、悟った。

 ディサローノの背中にある大きなディスプレイには、それまでの経過がずらりと並んでいる。過去のディサローノが打ち出してきた出目と、それによる勝敗の確率。
 一見してバラバラに散った数字の羅列を舐めるようにじっくり見つめている。どこかに偶然の偏りを導き出さんと、黙している口の裏側で、統計を炙り出さんと舌が揺れ動いている。

 そしてディサローノ自身を伺うべく寄せられた、熱の籠もった鋭い眼光。
 燻ぶる炎が行き場を求めるように、ディサローノの腰へ、胸へ、肩へ、腕へ、手へ、指へ、白球へ――焼きつくような炎の手を伸ばしてくる。

 それらを一斉に浴びながらも、ディサローノの動きは狂わず淀まず緩まず、絶え間なく穏やかな静謐だ。
 愛想の良い笑顔(ポーカーフェイス)はしかし、それ以上を一切汲み取らせまいと築きあげた堅牢な壁でもある。

 ディサローノのかざした指先。一センチ程度しかない白球へと視線が密集して、沈黙が訪れる。
 一歩でもテーブルを離れれば、カジノという空間が作る喧騒が鼓膜を打つだろう。

 音を遮るものなどないはずなのに、テーブルを埋め尽くしているのは静寂だ。
 外縁に放たれた白球が軽快な音を立て、それが打ち砕かれる。

 今や誰もが、転がり続ける白球の動向を見守っていた。
 ディサローノがベルを鳴らした。男たちの手が、重く力強く、乱さないよう繕った静けさを伴って、動き始める。

 数字盤をチップが踊るようだった。
 あるチップはマスの中。あるいはマスを跨ぐ。複数枠(アウトサイド)に積み上げられ、でなければ色とりどりのチップがマスの上へ密集する。

 白球の動向に、落ち着くポケットに――自分の勝ちを賭けて、男たちはチップを踊らせる。

 祈りを籠めて数字を決める。想いを委ねて手を伸ばす。願いを載せてチップを積む。
 炎が燃え移ったような熱気が、数字盤から立ち上った。肌を焦がさんばかりの灼熱が降り掛かってくる。

 ただのプラスチックの塊でしかないチップに、ありとあらゆる情念が宿った瞬間だった。
 夢望、欲望、希望。そのために金を使い、勝利を掴み取るべく、運命を託されたチップが盤面へ立ち並ぶ。

「――ここまで(ノー・モア・ベット)

 ベルを鳴らし、燃え上がった火柱から一気に熱を抜いた。
 だが残火は冷めやまない。チップを出すための判断が、枚数を積むための勇気が、まだ男たちに立ち籠めている。

 内側に沸き立つ蛮勇さと愚鈍さを、盤面や過去の数字と睨み合うことで抑制する。
 理性と狂気の狭間を、男たちの意識と心が何度となく往来した摩擦とエネルギーは、そう簡単に消えることはない。

 その瞬間を、ディサローノは黙って見下ろしているだけではない。

 彼女自身もまた、勝負をしている一人なのだ。
 身を焼かれるような熱を放つ男たちに晒されている。それでも冷厳さと鋭敏さを損なわず、誰か一人ではない、このゲームそのものへの勝利へ身を投じている。

 白球がピンに跳ねられ、予想を裏切られた絶望も。ポケットの壁に阻まれ、理想を掠めて始終した失望も。
 目に見えない紅蓮が、内に揺らめく緋焔が、目の眩むような陽炎が……身を焼いてしまう。

 だからこそ最後に明け渡される勝利が、これ以上ないほど愛おしい。

 その煌めきこそ、情念の炎に身を焦がしてこそ……勝負なのだと。

「――赤の21」

 ついに、白球の収まったポケットと同じ数字を、指差す。
 男たちが、安堵と歓喜と失意を織り交ぜて、声をあげた。

「おめでとうございます」

 盤面の燃えカスたちを一気に集めて、託された配当を素早く配る。一切の緩慢さを見せない、熟練された技術による早業でもあった。
 ものの三十秒と立たないうちに、チップはそれぞれの手元へ収まり、停止したホイールから白球までもを回収し終える。

 そして背中のボードに新しい結果が並び、ゲームが完結した。

 だが立ち消えない思念が、新たな火種を生んでいる。
 所詮それは感覚でしかない。だが、燃えるような一瞬を共有しているのなら、それを否定できるはずがないと確信もしていた。

「とても良いゲームでした――でも、まだ、始まったばかり」

 再び、プレイヤーたちを見渡した。
 背中のディスプレイに載せられた結果を、新しい過程にするべく、次なる勝負へ挑むべく――。

 火種に油をくべるべく、再びディサローノの手がハンドルへ伸びた。

「――次なる成果を、お祈りします」

 ハンドルを払うのと、水を差されるのは同時だった。

『随分と嬉しそうにゲームをしているな』

 ヘンドリクスの言葉だ。最初の一ゲーム目とはいえ、珍しいまでの敗北を喫したことへの注意喚起だ。

 ――わかっている、とインカムを指ではじく。
 そのために、プレイヤーたちを逃さないよう視線を浴びせて、次のゲームへの時間を食い繋いだのだから。

『まあ、先の件は片付いたんだ。
 あのテログループだって、トップに死なれてすぐ動けはしないだろう。
 鍍金の女王もあれから音沙汰なしだ。しばらくはゆっくりできるはず――』

 ――せっかく忘れようとしていたことを掘り返された苛立ちが、別の炎を描かせる。
 ヘンドリクスの言葉が長くなる前に、カメラから牽制するべく顔を上げようとした時だった。

 突然の、くぐもった爆音と振動。
 短い悲鳴が、そこここで噴き出す。

 テウルギアに載っている時以外で滅多に味わうことのない衝撃が、フロアごと、テーブルを揺らした。
 天井から下がった照明が揺れ、その光に揺れ動く光に流されるようなどよめきが場内を満たす。

 直後。全体へ向けて放たれたヘンドリクスのつんざくような号令が、耳朶を打った。

『入り口付近で爆発を確認した。火元はドローン(・・・・)だ。
 どこかから飛んできたドローンが入り口で爆発した!
 避難だ! 非常口の扉を開けろ! まだ多数のドローンが入ってきている!』
最終更新:2019年03月03日 12:56