第4話:失・幸運 ――ページ4
冷めた照明の白色が伸びる地下道に、どたばたと忙しない足音が響いている。
一向に着慣れないスーツに引っ張られながら、革靴を強引に前へ押し出していた。汗でシャツが纏わりつくのも構わず、腕を振る。
「どういうことだよ!? 奴らを倒しんたんじゃねぇのか?」
『今考えるべきは、そこではない』
「ああそうかよ!」
ドランブイの叫び声が、人気のない廊下を反響した。インカムに囁くバランタインでさえ、普段の落ち着きが鳴りを潜めて、急かしている。
いくつもの鋼鉄の扉を横切り、ドランブイが息を切らす。
スタッフでさえまともに足を踏み入れることの少ない場所だ。滅多に使うことのない道具を詰め込んだ倉庫、あるいは建物の設備を管理する機材が並ぶ空間だ。
ドランブイが走っているのも同様に、地下通路に用があるわけではない。
目的地である格納庫――同じ建物の中でも、オフィスとは対極に位置する場所への最短路だからだ。
『ディサローノはホールの中だ。間に合うかどうかわからない』
バランタインがドランブイへ話しているのも、一刻も早く〈オールドファッション〉を稼働させるために過ぎない。
カジノに有事が起こった際、戦い抜ける心得を持ったスタッフは少なくない。そのための装備ならば、地上階に保管してあるのだから、大抵のことはそれでいなせてしまうだろう。
だがヴェンデッタ・ウニオーネが誇る最大戦力は、たった一機のテウルギアである〈オールドファッション〉に他ならない。
だからこそそれを動かせる二人のテウルゴスは、一目散にその場へ向かう必要がある。
ディサローノとドランブイ。そのどちらかが。
「知ってるさ! だから俺が走ってんだ!」
重苦しいドアを開け放ち……立ちはだかる階段を目に、呆れとも奮起ともつかない吐気に、呼吸を震わせる。
ホールでどんなことが広げられているのか……知る由もないが、この階段ほど黙り込んでいるわけではないだろう。
すっかり荒くなった呼吸と、上下する肩をなだめるように、足を伸ばす。
誰もいないとわかりきっているからか、喚き散らすような叫びをあげた。
「どうせ俺は予備さ! そんぐらいはやってやるよ!」
何を言っているのか、自覚はなかった。だが思っていることをそのままに、言い放ったはずだ。
それはドランブイが、常々思っていることだった。
片や、ヴェンデッタだけでなくEAAグループ全体でも指折りの天才。そして片や無名にも等しい若造。
ずっと、胸中で蟠っていたことだ。
何をとってもディサローノが勝り、ドランブイは劣る。どちらかが優先されるならば、ディサローノが間違いなく選ばれ、そして自分は選ばれず残される。
比べられる余地さえない。だからこそ自分は予備でしかない――と。
『……予備、か。そう卑下するな。お前にしかできないことはある』
「はっ――」
短く切り上げた呼吸と合わせて、階段を登りきったドランブイが、もたれかかるように扉をこじ開ける。
……油臭さに染まった独特の空気が、鼻をつく。
同じ建物にカジノがあるとは思えないほど、壁面に巡る鉄筋がより無機質な無骨さを思わせる。
見上げるほどの高い天井から、眩い照明が降り注ぐ。
だが床には、いくつもの影が横たわっていた。天井や、壁から伸びるクレーンから釣られたワイヤーの先で、無数の銃や装甲板がぶらぶらと揺れている。
「ディサローノは、まだなのか」
『まだホールに居る。非常口の人集りがひどい』
バランタインの返答を聞き流しながら、その裏で本当に待っているのは誰なのかを、決めつけてしまう。
……中心まで駆け寄り、見上げる。
広大な空間に積み上げられた鉄骨の内側――それ自体が一つの建造物かのように、高く聳える姿があった。
テウルギア〈オールドファッション〉――先日の戦闘を終えて、整備の真っ最中だった機体だ。
追加装甲は全て外され、あまつさえ本体部分の装甲さえ取り除かれて、中身の機械が露出している部分さえある。
「俺が、やるのか」
本来ここにいるべきは自分ではなく、ディサローノなのだ。そう口にしてしまう前に、梯子へ手をかけた。
息切れする体を鞭打ち、鉄骨の山をよじ登っていく。
不意に、鉄骨がガタガタと音を立てて揺れた。一度、立て続けに二度。
爆弾を持ったドローンが入り込んでいることは、ヘンドリクスの号令で知っていた。
それが爆発したのだろうと悟って、にわかに怯んだ心と、強張って固くなった体を動かす。
開かれたコクピットを見つめて、内側で画面が光を灯しているのを確認した。その奥で、バランタインが腕を組んで待っているのも。
ハッチへ足をかけると同時に、三度目となる揺れが鉄骨を揺らした。
構わずコクピットまで体をねじ込ませて、座席に背を預ける。
それまで走り続けていたせいか、体全体を震わす脈動を感じながらも、ドランブイは手元の計器を一瞥していく。
感じていたのは達成感でも疲労感でもなく、疎外感だった。
ここに座るべき本来の人物は、来ていないぞ……と。そうであった方が良かったのだろう。
だが座っているのは自分だ。非の打ち所がない傑物ではない。庸劣な自分だと。
カジノが……自分の居場所が文字通り燃えているにも関わらず、そんなことで浮足立っている自分がいることを、どこか当然のものだと思い始めていた。
『……よく、来てくれた。ドランブイ。どうやら、ディサローノは来れないようだ』
苦虫を噛み潰したような淀んだ声が、彼を出迎えた。
そのちっとも嬉しそうではない声こそが、ささくれだった胸を逆撫でするようで、皮肉まみれに突き返すことしか、考えられない。
「悪かったな、ディサローノじゃなくて」
『やめろドランブイ』
バランタインの声は短いものだった。本来の鷹揚さなど微塵も感じられないほど、切迫し……激しい憤怒が滲んでいた。
気圧される鈍重な声に、二の句が継げないまま、止まってしまう。
『外に、先日と同じ敵影を確認した――』
バランタインの言葉が、ヘンドリクスのように感情を押し殺したものへ変貌する。機械的に情報を伝えるものへ。
瞬く間にハッチが閉じ、真っ暗になったコクピットを画面の光が満たす。
次々に切り替わる表示枠の中で、レーダーが敵を意味する赤いアイコンを並べた。
『――お前がやるんだ』
「何を怒ってるんだよ。ただ、ディサローノがやった方が、早いし良い結果も出せるって……」
『ディサローノは来れないと言ったぞ!』
激憤が、声となってコクピット内に――ドランブイの頭に反響する。
……やっかみを散らしていたことを、そう強く諌める性格ではないはずだったはずだ。
大人の余裕とでも言うべきか。何があろうとも、穏やかに落ち着き払っているのがバランタインの性格だとさえ思っていた。怒気を見ることさえ、初めてだ。
叱責を浴びせられたことなどよりも、それに対する懐疑が肩にのしかかる。
だが、次に浴びせられた言葉で、悟る。
走り続けて火照った体が、一瞬で冷めていくのを感じた。
『――ちょうど今の爆発だ。ディサローノが巻き込まれた』
最終更新:2019年03月12日 13:14