小説 > 在田 > 流転と疑惑のミス・フォーチュン > 26

第4話:(ミス)幸運(フォーチュン) ――ページ6


 周囲を取り囲む鉄骨の山を跳ね除けた。
 飛び散って、床にヒビを作り、ひしゃげて甲高い音を打ち鳴らすそれらを一瞥することもなく、ドランブイは機体を駆る。

 まだ整備の途中だったのだろう、装甲の隙間から伸びるケーブルさえも、動かすがままに引き千切った。
 ワイヤーにぶら下げられた武装の一つを、まともに見ることさえなく掴み取る。

 足先の固定具を、振り上げた勢いのままに投げ飛ばす。外を阻むシャッターに激突して、その形を歪ませた。
 足には追加装甲が何一つ着けられていない。足裏を成す最外殻さえ、無限軌道を設えた内殻さえない。車輪だけの足先――至難を極める二点だけで、直立させていた。

 〈オールドファッション〉――その最も軽装備かつ、最高速力を実現する一側面(バリエーション)――〈ラスティネイル〉を、その車輪(ホイール)を、瞬く間に加速させる。

『待て、ドランブイ!』

 慌てた静止を跳ね除けて、機体は一気に加速する。
 形を歪めたシャッターが開ききる間も待たず、加速に任せて前進した。

 薄いアルミシートを裂くような音を撒き散らして、シャッターに巨大な風穴を後に残す。
 夜に呑まれた街並みへ、巨大な人型のシルエットが躍り出た。

「――見つけた!」

 装甲さえまともに閉じられていない機体が、夜闇を駆け抜ける。
 それは二足歩行による走行とは決して言えない。車輪の回転速度を最高まで上げ、そして背部のスラスターを盛大に噴出した、あまりにも強引すぎる前進だ。

 無策で無謀極まりないはずの直進――バランスを崩す寸前の一線を、辛うじて保ち続ける、危険極まりない疾走だ。
 一瞬のミスが、そのまま足元の街を破壊することへ直結する。甚大なリスクがあるにも関わらず、それを眼中に収めず――遥か遠くへ見えた敵影へ肉薄することにのみ、全神経を注ぐ。

 地面を切り裂く車輪に、砂塵さえ遅れた尾を引く。風さえ切り裂いた。吹き荒れた暴風が街中を駆け巡る。十数メートルという巨大な鋼鉄の塊ができる芸当には思えないほどであった。

 手に持った武器が何であるかを、その時になってようやく確認する。
 それは〈ラスティネイル〉が――ドランブイが使い慣れている武器だった。だが同時に絶望が首筋を掴んだ。その余りに舌打ちさえした。
 ジェムショット――粘液弾を放ち、敵の動きを制限するだけのものだ。まともに損害を与えられるものでは、断じてない。

 それでも撃った。決して弾速の速い武器ではない。放物線を描いた粘液が、標的の肩へこべりつく。
 だがそれだけで始終した。背を向けた敵影を、留めることさえ敵わない。

「逃がすかッ――!」

 更なる加速へ、ドランブイがスラスターの出力を上げた瞬間だった。
 爆発にも似た刹那の衝撃が、背を一気に押し出す。機体が浮揚していると気づくまで、そう時間はかからなかった。

 目と鼻の先に、敵はいる。それまでの加速を重ねた浮揚――それによる滑空(・・)で、体当たり程度なら可能にさせられる……。
 だが鳴り響く警告音が、彼の頭蓋を叩き起こした。

「推進剤が!」

 再びスラスターの噴射を望もうにも、しかし次の加速は起きない。
 整備点検のために、推進剤を抜いていたことなど知るはずもなかった。だが、残りが少ないことを確認しないまま猛加速を繰り返してた自分を悔やむ時間さえ、残されていない。

 慣性のままに跳躍していた〈ラスティネイル〉が、重力に落とされていく。
 落下の衝撃を緩和する分さえ、もはや残されていない。

 今できる着地の手段は、その細く尖った車輪を地面に突き立てる他に、ない。
 そうすれば、完全に止まってしまう。

「待っ」

 今度は、敵がスラスターを噴射する番だった。加速したところで、〈ラスティネイル〉とは比べることさえ可笑しいほど緩慢で、ノロマな動きだ。
 だがそれを追う術は、ない。

 ――衝撃が、機体を襲った。
 二本の足先を地面に突き立て、めくり返しながら、二条の足跡が尾を引く。

 それでも吸収しきれない衝突が、コクピットを揺さぶった。それぞれの関節に埋め込まれた衝撃吸収材を粉にして撒き散らす。

「クっソおぉ!」

 ……コクピットの中を暴れ回っていた体を起こして、再び機体へ意識を巡らせる。
 だが既に、敵の姿は、最初に飛び出した時よりも離れた場所にまで、霞み消えようとしていた。

『もう駄目だドランブイ。燃料さえもう少ないんだ』
「だけど! ――」

 バランタインの諫言を跳ね除けようとして……しかし言葉は、そこで止まってしまう。

 怒りに飲まれていた理性が、ようやく自分の現状を認識させた。

 本来なら乗っているべきだった人間が、ここにいないことまでも。

「――ディサローノが……ディサローノが!」

『戻りなさいドランブイ!』

 通信から飛び込んできたシャトーの声に、頬を叩かれたような錯覚さえ覚えた。

『あいつらはこぞって退散している。手際があまりにも良すぎるの……このまま追いかけても、何もできない』

 力任せに、機体を動かした。埋もれた足先を地面から蹴り上げて、纏わりついた土を回転で振り払う。
 やっと立ち上がった〈ラスティネイル〉のカメラもレーダーも、敵影を見つけることさえできなくなっていた。

「でも、行かなきゃ……ディサローノがッ!!」
『そんなことはわかってる!』

 再びの罵声が、耳朶を打った。今度こそ、胸ぐらを掴まれるような衝撃となって、彼の頭を揺さぶる。

『敵は退散した。それで終わり』

 急に冷め、優しいものに切り替わるのを感じた。衝動的な感情を抑えこみ、どうにか諭そうと震わせていることさえも。

『今は、避難と鎮火が最優先――だから』

 ……思わず、口走っていたことを思い出す。
 ディサローノが、爆発に巻き込まれた。それだけのことだと思っていた。
 予備であると自分に言い聞かせていたはずなのに、本来あるべき姿が失われたと錯覚したその瞬間……。

 ドランブイの思考を支配していたのは激憤だ。

「……」

 なぜ、よりにもよって自分が怒っていたのか……その衝動に飲まれていた理由さえ、わからない。
 腹の底から、ぽっかりと何かが抜け落ちている感覚があった。つい数分前まで蟠っていたはずの、重く暗くドロドロした何かが、綺麗さっぱりなくなっている。

 今度はそのことが、強烈な違和感に思えた。それがなくなることが嬉しいはずだと思っていたのに。だがそうではないことを思い知った。

『――とにかく、戻ってきて。ドランブイ。お願い』

 空虚に乾ききった抜け殻のような体を、シャトーのしがみつくような声がしわくちゃに握りしめた。
最終更新:2019年03月12日 13:24