第5話:マス・カレイド・スコーピオン ――ページ1
壁に預ける背中さえ、虚脱しきっていた。
理不尽に対する怒りすらなく、普段ならもう少しは周囲を見張っていただろうが、そんな気さえ起きない。
単なる呼吸のつもりだったが、紛れもないため息を吐き出してしまう。
「“休暇を楽しんでたら、職場が爆発してました”――」
向かいに屹立するヘンドリクスへ、力なく嫌味をぶつける。
組んだあぐらの上で、頬杖をつくコアントローの視線は、声以上に粘り気のあるものだった。
「――ジョークで使う言葉だと思っていたよ。僕は」
コアントローの主張は、それに尽きる。
爆弾を積んだドローンによる襲撃から、一日が経つ。手段だけ特殊であるものの、単純すぎるテロ行動をあっさりと受けてしまった。そして甚大な損害を被っている……。
休暇を取っていたコアントローからすれば、冗談でしか使えないはずの言葉がそのまま現実になった不条理に、怒りの一つさえ覚えて当然だろう。
「すまない。もう少し警備を厚くしておくべきだった」
「……」
凝り固まった眉根のしわをほぐすように、額へ手を充てがうヘンドリクス。コアントローから逃げるように、まぶたを重く閉ざした。
多少の跳ねっ返りを求めていたが、そうではなかったことに、また嘆息してしまう。
巌のような頑固ささえ持っているはずの男が、それほどまでに振る舞いから弾力を失っている。意気消沈している姿へ糾弾できるほど、無鉄砲でもなければ、無邪気にもなれなかった。
「しょうがない部分だってあるさ」顔を上げて、両手を頭の後ろに当てる。
視線の先にあったのは、立体映像だ。
いくつもの表示枠が、円筒を形作るように浮かんでいる。だが見える映像は全て似たり寄ったりのものだ。暗く細く汚い道――それこそ人間では通れないような細い通路を、突き進んでいく。
「むしろ、排気ダクトから換気扇を爆弾が通ってくるなんてことを想定した警備って、どうやるのさ?」
昨日のテロ映像を、その場で見ていたのも、そして今に至るまで何度も見返してきたのも、ヘンドリクスだ。
だからこそ不可思議にいち早く気づき、そして解明へ至っている。
ドローンの襲撃は当初、入り口からの襲撃だと思われていた。
だがディサローノが爆発に巻きこまれる前後で、その想定も覆る。
開放していないはずの非常口に、どうやってドローンが侵入し、そして待ち構えていたのか? ――答えはコアントローの告げたそれだった。
「上層階にレーダーを設置して、カメラの台数も――」
「真面目に答えんなバカ」
再三となるため息が漏れた。
冗談さえ対応できないほど、視野が狭くなっている。どんな言葉や事象が来ようと、真正面から受けようとして、しかし結局は対処できずに潰れてしまう……疲れを見せた人間が、そのまま過労へ向かう典型図とさえ言える。
ヘンドリクスは、見事というべきか、その典型図をなぞっていた。
『私からすれば、この状況で軽口を叩ける人間が、不可解だがな』
声と共に、表示枠で象られた円筒の内側に、人のシルエットが浮かび上がった。
細い体を、抱きしめるように脇を占めた、冷たく鋭い印象の女性。
レメゲトン:ストリチナヤ。
「冗談でも言ってないと、やってられないんだよ……それで? お掃除は終わった?」
『当然だ』
突き放すような語句を並べながらも、ストリチナヤは自身の姿と、表示枠を全てかき消した。
次に浮かんだのは立体映像は、カジノ・ヴェンデッタの――コアントローたちが居るビルディングの、透過されたポリゴン映像だ。
樹形図のような赤い線が張り巡らされる。
それが建物全体の排気ダクトであることは、コアントローもヘンドリクスも、既に理解している。
同時に赤い線のいくつかに、光点が灯されることも。
『映像内にあったものを含めて、合計で五十五……これで、敵の爆弾ドローンを全て探し出した』
「時限式の装置はなかった。よほど下手な扱いさえしなければ今日中には回収しきれるな」
ヘンドリクスが光点を見つめながら、喉を呻らせる。
コアントローはすでに、その爆弾の残されている位置を見ることさえ飽きてしまっていた。
「ようやく損害の精算ができるわけだ。ぶっ壊されたり燃えたりびしょ濡れになったアレコレの修繕費がバカにならない……と。しばらく、オーナーと会いたくないね」
「俺もだ。だが、問題はそこではない」
一瞬の目配せが、ストリチナヤへ向かう。
カルヴァドスと違い、ストリチナヤは勤勉だと印象していた。バランタインほどの人当たりの良さは、ディサローノ以外に見せないものの、しかし実直に作業をこなしてくれる。
そのストリチナヤでさえ億劫さを見せたのは、ディサローノのことも絡んでいるからだろう。
『問題は、この騒動が何であるかだ』
一つの表示枠が浮かび、その中で真っ赤な炎が膨らんだ。
先日の、監視カメラの映像だ。
ヘンドリクスとコアントローが、互いの目を見合わせる。
ストリチナヤの問いかけに答えるためには、状況を確認しておくべきだと。表情だけでなく、気持ちまで引き締めた。
「ディサローノはこの間、ボラッド・マイケーエフを殺した」
「そして今回の爆破。手口は一緒……」
言いながらコアントローは、いくつもの理由を模索する――ボラッド・マイケーエフは爆弾魔だった。マス・カレイド・スコーピオンという組織を率いる存在だった。
――トップを殺された組織が、どんな理由を得て、あの騒動を起こしたか?
内容によっては被害を受けたとはいえ、企業として何も行動をしないことが最善である可能性さえ出てくる。
それを読み解くのも、現場で身を以て体験した者と、最も客観的でいられる者、そして敵側の視点に立てる者が必要になる。
「新しい頭役ができた報復かな?」コアントローが顎に手を当てる「ギャング紛いならよくある話だけど」
ギャング、マフィア……そう呼ばれる者たちが何を考えているのか、コアントローは熟知しているつもりだった。何しろヴェンデッタ・ウニオーネがその組織である側面を持っているのだ。
組織を動かす頭役が、たとえ他薦から選ばれたとしても、それまでの部下たちから信頼されてないことはままある。
そのために慣例化されている儀式の一つが、以前の顔役を殺した人物への報復という成果を作り出すことだ。
復讐という大義名分が手に入るため、最初の標的として申し分ない。一個人としては堆積した鬱屈を晴らし、義理を通すことができる頭役を信用しやすくなる。
「ないわけではないが……CD系の、エクステック社の息がかかっている組織だろう。おいそれとできる行動ではない」
ヘンドリクスの反論は的を射ている、とコアントローは唇を舐めた。
組織そのものがより大きな枠組みの下請けであるならば、命令からは逃れられないだろう。報復という手段は、組織の中で完結する儀式に過ぎない。真の成功へと達し、その成果を献上することで上層に一目置かれるという想定がない限り、メリットは限りなく乏しい。
「んじゃああれかな? 『これ以上俺たちに手を出すな』ってメッセージとか」
『可能性は高いが、違うだろう』
口を挟んだのはストリチナヤだった。あらゆる箇所に設置された監視カメラの映像を、飛ばし飛ばしで再生していた表示枠が、ある瞬間を捉えて止まっている。
『私たちはどうやら、前提を間違えていたようだ』
「どういうことだ」
ヘンドリクスが頭を傾げた。応じるように表示枠が一段と大きくなって、二人の前へ掲げられる。
それは爆発された瞬間の映像だ。ディサローノがいたルーレットの台が見える。照明が消えて暗くなった画面の中で、炎に照らされた幾ばくかの、驚愕に歪んだ表情が浮かび上がっていた。
その中の……一つ。スプリンクラーの雨を浴びて濡れそぼった顔が、クローズアップされた。
「……!」
思わず、コアントローの顔も愕然に歪んだ。ヘンドリクスも同じ顔をして、思わず互いを見合わせていた。
見知ったものだ。帽子を被っているが、見間違えるはずもない。
いるはずのない人間だ。
「夢でも見てんのか?」
以前にも見た、鷲鼻。細く釣り上がった口の端。悪者そのものの顔。
紛れもなく“ドレイクの不発弾”と呼ばれた男のものだ。
CD領における東西戦争で、既に死んでいたはずの男。
そしてつい先日に、ディサローノが殺したはずの男。
「――ボラッド・マイケーエフ」
最終更新:2019年04月02日 13:41