第6話:運命に愛された女 ――ページ1
外から雪崩れ込む轟音を聞き流し、インカムを耳につける。
尻目に見上げた画面の向こう――大半を塗り潰している黄土色の砂塵と、不意に火線が突出することばかりしか見えない。
――テウルギア〈オールドファッション〉から送られてくる映像だ。
「本当に、大丈夫なのか? いつもより被弾しているんじゃ……」
「要らない心配ばかりしている場合じゃないよ」
開かれた背中を叩かれて軽快な音が響いた。顔を動かしてみれば、防弾ベストに身を包んだコアントローが視界に入る。
奇抜なオレンジ色の髪をヘルメットで潰し、口元には防塵にマスクが当てられている。これから戦争に出向く兵士のそれと何ら変わらない出で立ち。その間で、ぱっちり開かれた丸い目の無垢なあどけなさと、全体の小柄さが、不格好な子供の遊びにさえ見えてしまう。
「でも俺は」
「ディサローノが大丈夫だって言ったんだ。心配する要素がどこにあるんだい?」
子供っぽい純粋さを装った、たどたどしいようにも聞き取れる口調。一切の不快さを与えず懐へ忍び入るために、計算され尽くした無防備さ。
何も持っていないとアピールするばかりに手を開いたコアントローの目は、獲物を探し求めて目を凝らす猛獣と同じ色をしている。
まだトレーラーの中だというのに、すでに意識は戦場を駆け回っているのだろう。
「そんな部分は……ねえよ。ねえさ」
それを思い返すだけで、意識が遠退いてしまいそうだった。目を回す前に視線を反らした。口の中に危うく反芻されていた砂の味を吐き捨てるように答える。
「だったら杞憂でしょ? それとも妄想かな?
どっちにしろロクなものじゃないから、さっさと捨てなよ」
ディサローノは、誰よりも早く戦い始めていた。
カジノ・ヴェンデッタが誇る最大にして最高の戦力――テウルギア〈オールドファッション〉のバリエーションである〈ゴッドファザー〉を駆り、たった一人で、二度目となる廃都市での戦いを、繰り広げている。
その光景を画面越しに……やや離れた位置に停めさせられたトレーラーの中で、ドランブイたちはそれを尻目に見ていた。
「僕たちはもう、敵の領土に踏み込んでいる。そうでしょ?」
廃都市アラル――以前もディサローノが戦った場所であり、標的であるボラッド・マイケーエフが居るとされていた場所。
一度、ディサローノの侵入と攻撃を許した敵が、次も同じように居座っていられるはずもない。
最悪もぬけの空となっていることさえ考えられた。そのまま見失ってしまうことを。
そうではなかったことに、安堵する間さえない。
「ああ。そう、だけどよ……」
違う結果が――街の手前に敷かれた地雷の爆発が、トレーラーを襲ったのだ。
足回りを固めていたモノでなければ――あるいは地雷の炸薬量が少なかったためなのか――運転席に座っていたドランブイの足がなくなっていたのは、一つの幸運と言えた。
しばらく経ったにも関わらず、突き上げてくる衝撃が背骨に残り続けて、氷のように白い冷気を撹拌している。
凍てつくような不安が、ずっと体の内側を渦巻いていた。
「確かに、いつもより被弾率は上がっているわ」
奥からシャトーの声が聞こえた。
普段なら画面の前に立っているはずが……コアントローと同じ服装に身を包んでいた。
オペレーターという役目がする服装には、到底思えない。あるいはコアントローよりも重装備だ。長いライフルを背中にぶら下げている。顔の下まで紐を緩めてある防塵マスクとゴーグルを被ってしまえば、傍目からは女性であるとさえわからない。
「でもディサローノが何も言ってこないってことは、それだけで大丈夫ってこと」
手に括り付けている、一際巨大なグローブを強く握り込んだ。バチンと空気の弾けるような音と共に、真っ白な電光が瞬く。
安心したように息を吐いて、改めて画面を見上げるシャトーにつられて、ドランブイもそうした。
「大丈夫って、それこそどこに根拠があるんだよ?」
「ないよ。強いて、彼女がそうだから、ってだけ」
相変わらず画面は黄土色に塗れている。うっすらと建物らしき瓦礫も見えるが、同じように敵らしき鉄の塊も見える。
どっちが瓦礫で、敵影なのか、ドランブイには見分けがつかない。
それでも飛び交う炎が、砂塵を飛ばして新しい砂塵と黒煙を吹く。その度に忙しなく移動を繰り返すばかりだ。こちらからの発砲など散漫な程度でしかない。……明らかに、有利な状況を作れるほどの攻撃をしていない。
「じゃあ心配するのは違うのか」
「違うんだよ、これがさ」
息を飲んで画面を見つめたドランブイの背中が、再び叩かれる。
コアントローの顔が、肩のすぐ横にあった。
普段、カジノで流暢で闊達な言葉と共にトランプゲームを進めている無邪気なフリをした目が、画面とドランブイの顔を往復した。
「不安になる要素はない。でも安心できる根拠もない。
これは“ハイ・ロー”だ。どっちに賭ける?」
「てめっ……」
切迫した状況を画面越しに見ておきながら、遊んでいるような言葉に思わず怒気を溢した。
しかし決して遊んでいるわけではないと思い至って、脱力に嘆息した。
「……ディサローノが死ぬわけない」
当然そんな根拠はない。だが身を刻むような切望が、その答えを選ばずにはいられない理由になる。
今、誰よりも戦地にいるのはディサローノだ。
いくらテウルギアという強大な力と堅牢な装甲に身を守られていようと、多大の敵と、無数の爆弾に囲まれている。いつ灰燼に帰すかもわからない。
だが、そうであって欲しいという祈りが――願望だけが、ドランブイにとっての希望であり、真実だ。
そこまでわかっていたのか、あるいはドランブイの声がそこまで滲んでしまったのか……コアントローが、白い歯を見せて、綺麗な笑顔を作った。
「良い答えだな。そういうことだよ」
すぐに回れ右をして、去っていく。
『コアントローもシャトーも、準備が終わったな。後はドランブイ、お前だけだ』
別のトレーラーに乗るヘンドリクスの声が、インカムから聞こえた。
シャトーとコアントローの耳にも、同じく届いているのだろう。ちらりと目がすれ違った。
『今回はディサローノ主導だが、それだけではない。
お前も要だ。俺たちはバックアップに徹する』
「なんでまた、俺なんかに」
『ディサローノに直接聞くんだな。俺が言うのは野暮だ』
「野暮?」
ヘンドリクスの咳払いを聞き流し、何を慌てたか、シャトーが投げつけてきた防弾ベストを受け取る。
急げ・準備しろ、と急き立てる唇の動きを、読み取った。
『ともかく、お前はお前のやるべきことをやれ。
カジノを襲撃された時に、お前が果たせなかったものだ。今度こそやり遂げろ』
「わかっている」
重苦しいベストを、パイロットスーツの上に羽織って、キツく締める。
まともに使えもしない拳銃をベルトのホルダーに差し込んだ。
先程まで渦巻いていた、背骨の凍えを振り切った。
……ディサローノが爆発に巻き込まれた時、我を失うまでに激昂していたのは紛れもなく自分だ。
その時の、烈火の如き思いが膨れ上がっていく。
寒さなど感じている場合ではない。
そう言い聞かせるように、足を踏み出した。
「今度こそ、やってやる」
最終更新:2019年04月19日 13:54