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第6話:運命に愛された女(ミス・フォーチュン) ――ページ3


 音を立てて、街が崩壊していく。
 思わず彼の口から漏れ出たのは、言葉ではなく、声にすら至らない、掠れた悲鳴だった。

「あ……あぁ……!」

 彼は爆弾を作って生きてきた。
 どの種類の爆弾を作り、どこにどう設置すれば、どの範囲で爆発させられるか……そして悟られないようにするためにはどう工夫をすればいいのか。そればかりを考えてきた。

 生まれ育った街さえ戦争に捨てさせられ、生きるための手段は、戦争のための道具に成り下がることだった。
 感情など記憶の果てに埋もれて、人格は風化しきっている。

 黙して待ち続けて、時が来たその瞬間だけ、それまでの鬱屈を晴らしてくれるような、盛大な炎を巻き上げる。
 作り上げた爆弾が、自分の声と腕に変わって、そこにあった全てを屠る瞬間だけが、彼に残された全てだ。

 燃え盛る炎の煌めきこそが、彼の生きてきた証だ。
 そのために費やされる材料と時間と労力こそが、彼の人生だ。
 爆弾こそが彼自身であり、彼自身こそが爆弾だった。

「俺が、俺たち(・・・)が……ッ」

 かつてアラル海と呼ばれていた街が、そこにはあったはずだ。
 既に街としての活気が失われても、しかし面影だけは辛うじて残っていた場所だ。

 下にはまだ海だった頃の地下水が流れている。砂漠地帯の中央に取り残されておきながら、地面から滲む潮臭さがその証左だ。
 建てられたビルディングの数々。文字通りの砂上の楼閣。ほとんどが傾斜し始めていても、しかし倒れていないことが奇跡的でさえあった。

 全てを効率的に爆破させられるよう、至る箇所へ爆弾を仕掛けていたはずだ。何者をも相手取ろうと、マゲイア十数機に加えて、百を超えるドローン、そして多種多様を極める爆発物の数々……。
 その計算までもが、全ての努力が……一つ一つに籠めてきた、彼の分身たち一切合切が、瓦礫の下へ埋もれてしまった。

 目から溢れる滂沱の涙は、彼の想いではない。
 彼の分身が、その役目を果たせないまま潰えてしまった嘆きだ。

『まだだ、安心しろ』

 手元にあった通信機から、声が届いた。……ボラッド・マイケーエフ、そう呼ばれている男の声だ。
 それを思い出してすぐに、自分自身もボラッド・マイケーエフであったことを思い出す。

 “ドレイクの不発弾”と呼ばれた男。それこそが爆弾となった彼の、残された自我を保つための(よすが)だった。

『まだ俺たち(・・・)は残っている』

 また別の声がした。それも、ボラッド・マイケーエフという名前を持つ男の声だ。

 誰も彼もが、爆弾を作ることができる。
 そして、燃え盛る炎に魅了された者たちだ。
 自分の手が、作り出すそれが、全てを吹き飛ばして真っ赤な炎に変えてくれる瞬間を、待ち望む者たち。

『ドローンもある。活きている俺たち(・・・)だってある』

 また別の声。それも、ボラッド・マイケーエフを名乗る声だ。その声に限っては、人間のそれではない。電子疑似人格のものだ。
 彼が、ボラッドたちに――“マス・カレイド・スコーピオン”に、テウルギアをもたらし、ドローンの操縦という高度な技術力をくれた。

 だからボラッド・マイケーエフを名乗ることができるようになった。

『俺たちは不滅さ。だろう?』

 通信機からの声は、もはやどのボラッド・マイケーエフなのかすら、わからない。
 だが声の一つ一つが、ボラッド・マイケーエフの発言であることに変わりはない。

 ボラッド・マイケーエフとは自分自身のことだ。
 だからこそ言葉は、他人からの励ましではなくなる。自分へ言い聞かせるための奮起であり、喚呼だ。

 この瞬間において、男たちの超然人格は、磨り減った個体としての人格を凌駕する。
 ……彼ら全員が、既に、ボラッド・マイケーエフとして生きているのだから。

「ああ、そうだ。まだ俺たちは居る」

 男にとってボラッド・マイケーエフとは自分のことであり、彼らだ。

『ここにも、あそこにも』

 彼らと自分にとって、爆弾は自分たちの分身だ。

『なら、まだ炎を上げられる』

 爆炎こそが、ボラッド・マイケーエフたる象徴だ。

『何度でも焼けばいい』

 一回きりの爆発だけではない。作れば作るだけ、分身を増やせば増やすだけ、その爆炎の数は増えていく。

『何度でも蘇ればいい』

 作る者たちが居る限り、それは決して潰えない。

 男が居るのは、テウルギアやマゲイアと比べればちっぽけな、バンの運転席だ。
 レメゲトンの演算性能では間に合わないドローンの操縦を、彼がまかなっていた。
 すでに組み上げられたロジックパターンを送信するための装置を、位置を変え、敵の位置に合わせてロジックそのものを切り替えることが役目だ。

 ドローンが燃やされ、街に仕掛けていた爆弾さえ潰され……憔悴しきっていたはずの精神は、いつの間にか活気を取り戻していた。
 つるりとした禿頭を撫でて、唇が邪悪な笑みに歪む。

 どのボラッド・マイケーエフが言い出したものだったか覚えていない蠍の名前。
 テウルギア〈デスストーカー〉はまだ稼働状態にあるとわかったのは、見上げた空に、再びドローンが見えたからだ。

 空を埋め尽くしていた黒煙が晴れ、あたりに立ち籠めていた砂塵も凪いだ。
 遥か遠く……街を崩落させた張本人が、建物の隙間越しに見えた。

「まだ、奴がいる」『だがテウルギア一機だ』『EAAランク15位』「ディサローノ」『あれだけの火力を出し切った』『ライフルだって捨てたさ』「もう丸腰」『もう、何もできやしないさ』

 男の声に、他のボラッド・マイケーエフが呼応する。その一言一言が耳に入る度に、男の背中を優しく叩かれるような勇気が湧いた。希望が見えた。

 男と、男たちと、レメゲトンの声が、重なる。タイミングもリズムも完璧に重なった、一つの声となる。
 言葉の調律が、それを通って繋がり合う意志が、彼の活力へ変わっていく。

『焼けばいい。今までのように、これからも……!』

 先程まで涙を流していた目に、力が宿る。血が迸って、テウルギアを睨む。
 テウルギア〈ゴッドファーザー〉……すでに装甲の大半もなくなり、武装もなくなったはずの機体。

「ディサローノ……お前ももうじき燃える。あの時燃え残った分を、今!」

 だがまだ、ボラッド・マイケーエフたちは生きている。その名があり続ける限り、彼らは絶望しない。

 その瞬間だった。
 爆発にも似た轟音が、車内を反響する。
 後部のドアが吹っ飛んだのだと気づいたのは、それが背中を通り過ぎた後、反対側のドアにまで突き刺さり、歪にひしゃげているのを見届けた時だ。
 ドローンのロジックパターンを詰め込んでいた装置だった破片が、ドアに引き裂かれて飛散している。

 ようやく、ドアのあった箇所に突き出ている、一つの握り拳が、目に映った。

「随分と建てつけが甘いね。車ごと吹っ飛ばそうとしたのに(・・・・・・・・・・・・・・)

 気楽そうな女の声。
 電撃器か――グローブから電光と火花を散らしたそれが引っ込む。

「しょうがないでしょ。こんなボロ車なら」

 何が起こっているのかを理解するよりも早く……。
 男の額に銃口があてられ、ようやくボラッドは、その姿を――顔を見上げる。

「なッ……なぜ」

 背中を怖気が駆け抜け、肌が泡立つ。数秒としないうちに脂汗が浮き上がり、こめかみを嫌らしく伝う。
 先程までの希望など夢か嘘のように、男の意識を支配していたのは、焦燥だった。

「なぜ、ここに……!?」
「なぜ? ひどい言い様。わざわざ来てあげたのよ。感謝して欲しいぐらい」

 男の声に、鷹揚と答えたディサローノの顔に、喜色が浮かぶ。
 だが声色は、完全なまでの拒絶と抑圧に、凍てついたものだ。
最終更新:2019年04月19日 14:10