小説 > もやし > 戦場の霧を晴らすのは > 04

4話:博打


 闇夜の中、一条の光が空気を灼いた。

 月光が薄く照らす街。廃都市と呼ぶにふさわしく、通りに窓ガラスは飛び散り、舗装はひび割れている。そんな中、錆びきったシャッターに引導を渡すかのように爆炎が襲う。ヴィルトゥスの用いる120mm低反動砲、その対戦車榴弾だ。

「ああっ、また逸れやがった!」
「貴女がさっき砲身を歪ませたからでしょう、全く」
「うるさいなぁ、タチャンカのところのダフランは歪んだ砲身を補正するんやぞ。お前もやれ。だいたい歪んでるかすら判らんわこんなもん、いっつも狙っても当たらんやんけ」
「やれやれ、自分の能力不足を当たられても困るんですがねぇ──右、来ますよ」
「よっと」

 ひらりと巨体を翻させ、右手の交差点を滑るように移動するブリリアントの肩から照射されているであろう、見えない光を躱した。左手で何かが割れ、ジュっと何かが蒸発するような音が聞こえる。オディリアはそれを確認しようとしたが、ブリリアントはそれを許さなかった。

「擲弾を確認、後退を」

 泥濘のように脚を阻むアスファルトを蹴飛ばして、ヴィルトゥスは後ろへ跳躍した。瞬間、爆発。空中で炸裂した擲弾の破片が装甲を叩き、右の低圧砲を破壊する。デッドウェイトとなった砲を投げ捨ててオディリアはげんなりした顔になった。

「敵の攻撃は当たって、こっちの攻撃が当たらないんやからなぁ」
「最初に仕留めきればこんなことにはならなかったのですよ。そら、3秒後に正面から飛び出し撃ちが来ます。備えましょうか」

 慌てて盾を正面に向ける。一拍遅れて、滑るように飛び出してきたブリリアントがレーザーを照射した。オディリアは残っていたERAが次々に破壊される音を聞きながら、ヴィルトゥスを左手の廃ビルに突進させる。肩からぶつかり、劣化した鉄筋コンクリートを押しつぶし、そのまま反対側の通りへと抜けた。
 瓦礫を撒き散らし、隣の通りに着地する。先の戦闘でも、今回の戦闘でも訪れていなかった地区だ。舗装は劣化こそしていたが、致命的な破壊はされていなかった──今までは。破砕音とビルの跡を引き連れてヴィルトゥスが降り立った。その巨体はアスファルトを2、3m近く削って止まる。それが契機になったのか、装甲の軋む音はもとより足首のアクチュエータの悲鳴までが鳴り響いた。オディリアは顰め面をした。

「これやばいんちゃう?前に壊したときもこんな感じと違ったか」
「足関節部アクチュエータのうち筋繊維式の2割近くが破断していますねぇ。そのしわ寄せが──右からレーザー──モータ・アクチュエータ部と電磁スイングアーム・アクチュエータ部に寄っているのでしょう」

 説明しながら未来予知じみた指示を出すロットバルトに対し、再び後ろへと跳び、オディリアは肩を落として尋ねる。

「あとどのくらい耐えそうや?」
「労れば30分持つでしょうが──正面──やれやれ、このペースなら10分持つかどうか」
「もうちょっと保つかと思ったんやけどな、まあいい──っと。危な──元から増援が追いつくまで待つ気は無かったんや」

 そう言って再び撃ち込まれたレーザーを回避して見せ、その着弾痕を見て、オディリアは確信する。
 ビルの壁についた着弾痕は、黒く焼け焦げていた。
 そう、溶けるでも貫通するでもなく、単に表面に焼き目を入れただけに留まっているのだ。ニヤリと笑って、盾を横に構える。胴体を挟んで合わせ目を繋いだ、突撃の構えだ。

「まあ、お相手の擲弾は切れたみたいやし、エネルギー切れも近いらしい。被弾覚悟や、突っ込もか」
「初めからそうしていれば良かったのですよ、貴女らしくもない。出力だって、初期のそれでも打ち倒すまでは耐えたでしょうに」

 首を降って皮肉げに言うロットバルト。しかし融けたような山羊の口角は上がり、牙が覗いていた。何かを言いたげなオディリアに、面白がるような口調で続ける。

「まあ、今は良いでしょう……2秒、250m、左。用意」

 ロットバルトの予言を聞き、オディリアは小さく息を吸い込んだ。ヴィルトゥスの壊れかけの筋肉へと電気信号を送り込む。スイングアームの消費電力の増大が、今もなお破断し続ける筋繊維の状況を嫌という程オディリアに通達していた。

「1秒」

 耐えてくれよ、と内心で呟きながら、脚に力を入れた。緊張した繊維が膨らみ、発熱し、さらに電力を呼び込んで行く。吸い込んだ息を思い切り吐き出して、襲い来るGへの覚悟を決める。

前へ(вперёд)

 ヴィルトゥスは全力で突進した。
 倒れ込むように位置エネルギーを運動エネルギーへと置換しながら、前へ前へと。体を起こすエネルギーすらも惜しんで、1秒のうちに、テウルギアへと運動エネルギーを可能な限り蓄えようと試みる。普段は使わない、使っても意味のないスラスターすら使っての最大加速。血流が下半身に集まろうとする。締め付けられた太腿は流入を拒むが、押し込むように股関節の血管が膨らむのを感じた。
 そして暗くなる視界の中、コントラストだけがハッキリとしたその視界で、ビルの影から飛び出してきたブリリアントと目があった。
 朦朧とした意識の中、とにかくあの敵を押し倒してしまわなければならないという決意だけが、オディリアを動かしていた。

「っ、ぐ、倒れ、ろ゛ッ!」

 ヴィルトゥスに用いられている加速機構全てを用いての突撃、その最終加速。脚部の伸長機構を用いての伸び上がり──即ち、位置エネルギーの再付与。

 浮いて移動する黒曜石。横からの衝撃をまともに受けず、ある程度受け流すその機体に対し、物理的な衝撃を効率よく与える術は何だろうか。一つの回答がある。接地させること。つまり、普通の機体と同じ条件にしてやれば良いのだ。しかしどのようにして接地させようか。オディリアは突撃の開始時に一瞬考えて、簡単な結論を出した。
 自分が上に乗って押し潰せば良いのだ。

 ブリリアントも回避を試みるが、しかし、悲しいことにベースが黒曜石だ。先にその身を助けたホバーにより、ブリリアントは自らヴィルトゥスへと突っ込んで行く。衝突を回避すべく接地して慣性移動を停止し、推進機を起動。出てきた側へと戻ろうとするも、それら一連の動作が始まった頃には既に、ヴィルトゥスはあと数mにまで迫っていた。
 絶望的な質量に押しつぶされるその寸前。避けきれないと判断したブリリアントは、狙いもつけずにチャージを完了していたレーザーを最大出力で発射する。
 肩部の球体を埋め尽くすように並ぶ発振器、その内部で延々と増幅されていたレーザービームが球の中心に向けて照射される。それらを一方向に整えるプリズム、纏める収束レンズ、そして調節する焦点レンズ。その全てを損傷させながらビームは通り抜け、ヴィルトゥスの左盾に命中した。
 しかしレーザーでは止められない。ヴィルトゥスは停止しない。自壊覚悟の出力は確かに盾の第一層を貫通したが、怯むことなく青い血を流しながら進み続け──そして両機は衝突する。接触まで照射を続けていたレーザー砲は衝突の瞬間、プラネタリウムのように光の束を撒き散らした。盾でブリリアントを押し倒すように転げたヴィルトゥスは、組み敷くように両足で腰を挟み込む。
 オディリアの意識がはっきりとしたとき、ブリリアントは抵抗を諦めたように身動きを止めていた。あるいは、気絶したのだろうか。

「……ロットバルト?」
「武装が尽きたようですねぇ。あれだけ大きいものを装備していたのです、携行弾数も減っていたのでしょう。バズーカは保持していますが……砲身の長さが仇となりましたねぇ。憐れなことです」

 嘲るようにペラペラと話すロットバルト。それを聞き流したオディリアは、圧倒的な優位にも関わらずどこか怯えたように、警戒したように、周囲を見渡した。

「なぁ、ロットバルト……何や。何か、嫌な予感がするんやけど」

 言って、黙りこくる。数秒の空白。夜風が砂を運ぶ音がヴィルトゥスの悲鳴に隠れて聞こえてくる。

「……観測系は光学系と音波系しかありませんが、異常はありませんよ?」

 そうか、と呟いて、ブリリアントを倒すべくヴィルトゥスの盾を解いた。コクピットのあるだろう胸部をめがけて右腕を振りかぶる。特に何の感慨もなく、ただ祈りの言葉だけを事務的に口にして、その腕を一息に振り下ろそうとした。その時だった。

「──後ろ!」

 未だ警戒を続けていたロットバルトが、目を見開いて叫んだ。ありえないとでも言いたげな、唖然とした様子だ。オディリアも焦ったが、ロットバルトの驚きようを見て、幾分か落ち着いて思考を巡らせる。何だ、敵か。もし敵なら、ブリリアントを倒していたら攻撃の回避は間に合わない。よしんば回避してもブリリアントによる追撃で死ぬだろう。ブリリアントを盾にする?まさか、間に合うはずがない。
 であれば、博打といこうか。
 オディリアは皮肉げに笑って、腕を勢いよく振り下ろした。
 背後から砲撃音が聞こえる。
最終更新:2019年04月26日 09:10