小説 > 在田 > 流転と疑惑のミス・フォーチュン > 35

第6話:運命に愛された女(ミス・フォーチュン) ――ページ4



 時間は遡る――――…………。


 乾いた青空と突き刺すような眩しい日差しで、ドランブイの額には汗が浮いていた。

 だが今は、全く別の熱に、汗を流している。
 風と砂に顔を叩かれながら、見上げれば、目に入る赤。街の至るところから吹き上がる紅蓮。そこにあるもの全てを焼き尽くす灼熱。
 たった数秒間の間で、頭の上に黒煙が膨らんだ。雲煙が暗澹とした陰を作り出している。

 自分より二回りは体の小さいコアントローにしがみつきながら、柔らかい砂を蹴飛ばすバイクの振動に揺られていた。

 たどり着いて早々に、踏み出した足が砂に取られる。脚から力を奪う砂に負けじと、大股に踏み出す姿は、砂を蹴飛ばして遊ぶようにも見えただろう。
 歩くことさえ覚束ないことに苛立ちを覚えて、奥歯を噛み締めた。

 ドランブイの背中を、コアントローがつまらなさそうに見つめ、顔を上げる。

 〈ゴッドファーザー〉
 本来ならばいくつもの外殻装甲を着込んだ、鈍重なシルエットを持つ機体であった。

 だが今、片膝をついて頭を降ろす姿は……線が細く、華奢だ。
 機体のあちこちこべりついた煤が、暗雲の陰にいても目に着く。

 ドランブイも同じように、見上げていた。
 どれほどの爆炎を浴びれば、そうにまでなるのだろうと思いを巡らせながら。
 何度、あの日の烈火を思い出しているのだろうか、と。

 不意に、〈ゴッドファーザー〉の胸部から音が聞こえた。
 空気の抜ける音だ。内部の空気を保つために満たされた酸素が排出されて、胸部の装甲が開かれる。

 ふと胸の位置に飛んできたものを、受け止める。高度があったにも関わらず、柔らかな放物線を描いていたからか。

 ヘッドギアだと気づいた時には、目の前にディサローノが降りてきていた。
 昇降用のワイヤーに足をかけて、砂に足を取られていることを感じさせないほど軽やかな歩調で、近づいてくる。

 艷やかであった金髪が、汗で貼りついている。

「弱気ばっかり見せないで」
「違ぇよ」

 自分がどんな顔をしていたのか……ディサローノが吹き出してようやく思い知った。
 すぐ近くまで歩み寄ってきた姿こそ、今までの彼女と変わらない。

 勝ち気さに釣り上がった口元。負けを見ない自信を讃えた眉。真っ直ぐでどこまでも強靭な意志を訴える眼。
 爆発に巻き込まれたことなど、すでに忘れ去ったか、乗り越えたか。

「だったら自信を被って。始める前から沈んでちゃ――」

 顔のあたりまで伸ばされた手に、思わず仰け反った。
 ヘッドギアを抱えていなければ、掴めるほどには緩慢な動きだったが、そうしなかっただろう。

 今のように、怖気づいて逃げるような……。

「何? 尻込みしてんの?」
「っ――そうじゃねえ!」

 一歩、後ろ足を砂に沈めた後で、顔が暑くなった。
 ドランブイが退いた分を踏み出し、上体を乗り出すように、距離を詰めるディサローノの目は、悪戯っぽく細められている。

 ――ドランブイの頭に見えたのは、数日前の、涙を拭き取られた瞬間だった。

 ディサローノが爆発に煽られた直後の……最も、心身ともに弱りきっているはずの出来事だ。
 いくらディサローノが一枚も二枚も上手であろうと、胸の内に、男がという矜持を、未だに持っている。

 怒りも悲しみも出し切って、減衰しきった姿を隠していた――というつもりが、隠す素振りごと見抜かれた。
 不必要に、あるいは必要以上に、それを見透かされ慰められたことが、恥に思えた。

 ここまで来て、またそれを繰り返されると思って――ドランブイを退かせた。
 やりきると決めていた。その覚悟を持って、ここまでいたはずなのに。

 真っ赤になったドランブイの耳の端と、真横に反らされた視線から、一連の流れを読み取ったディサローノが、上唇を舐める。
 からかい甲斐に溢れた――可愛げだと。

 だが一笑に付すほど、傲慢にはなれなかった。
 ドランブイだけ――今まで他人に見せてきた顔の中で、経緯はどうあれ、涙を見せてしまった自分を、恥じていたこともあるのだから。

 彼よりも多くの経験を積んで、彼より多くの他人を相手取り、彼よりも圧倒的な強さを持っている――その自覚があるからこそ。
 強い自分として振る舞い続け……いつしか挫けてしまうことも知っているから。

「あんただけが頼りなの」

 はっと顔を上げたドランブイに……今度はディサローノが目を背ける番だった。

 何しろ、今まで避けてきた――見せようとしてこなかった顔を、見せるのだから。
 それは弱さだ。強い自分という仮面を被り、万能の強さという一張羅で着飾った自分の、隠しきったとしても消えない、弱い自分そのものだ。

「私にできるのは、ここまでだった」

 街を焼き払おうと、まだ目標を達成できた確証はない。むしろできていない確信さえある。
 ディサローノがどれほど強くても、個人ができる限界は凌駕できない。

「……あんた、私の借りを勝手に、背負おうとしてたじゃない」

 ドランブイの意志を焚きつけるのは、歴然と差をつけた強者として君臨するディサローノへの対抗心だけではない。

 もしそうならば、ディサローノが耳をそばだてていると知らない時に、彼女へ謝罪などしない。涙を流し、嗚咽に肩を震わせるなど、決してありえない。
 他人を完全に理解したいなどという、傍若無人な願望を抱くはずがない。

 ――それを断言されたところで、本人は否定するだろうが。

「だから今度はしっかり、あんたにお願いしてあげる」

 つくづく弱い本音を見せるのは苦手だと、自分を嘲笑いたくなる。その滑稽な姿を馬鹿にさえするだろう。
 不器用な顔を見せている。不格好な表情で、彼を見上げる。

 見下ろしてくるドランブイでさえ、どこか心配げに口元を歪ませていた。

「お、おい……ディサローノ……」
「あんたしか頼りにできる奴がいないのよ。同じテウルゴスが」

 本来ならそうさせることを許さない。そんな反応をさせないために振る舞ってきた。
 だが今はそうではないと自分に言い聞かせる。

 恥を上塗りしていると頭のどこかから声が聞こえても。
 それを堪えるために、握った拳が真っ白になっていても。
 プライドだと思っていた傲慢との軋轢で、涙が滲んできても。

「――私の代わりに(・・・・・・)鏡を全部ぶっ壊してきて(・・・・・・・・・・・)

 一度、驚きに息を呑んだドランブイ。
 だがすぐさま鋭くなった目と、引き締まった口元――変貌を遂げた表情でさえ、一つの達成感に繋がった。

「やってやる」

 溢れんばかりのやっかみに染まった野蛮さではない。

 無謀さと勇敢さを履き違えず、自信に満ちた顔。
 決意と覚悟が、今度こそ固まった表情(カオ)だ。

「やり遂げて見せる。必ず」
「……それでこそ“満足の証(ドランブイ)”よ」

 これ以上の言葉は、ディサローノの口から出ることはなかった。
 逃げ出すことを隠すべくゆっくり歩を進めて、顔を見せないように後ろ手だけを振る。

 その先にはコアントローと、シャトーがバイクに跨ったまま、じっと待っている。
 目元を拭ったディサローノを見ておきながら、しかし何も言わなかった。

 背中にあったライフルを受け取って、後ろに座る。
 シャトーが口を開いたのは、砂を蹴散らし、バイクを加速させた後のことだった。

「さ、残りの鏡はどこ?」
最終更新:2019年05月02日 13:36