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第6話:運命に愛された女(ミス・フォーチュン) ――ページ5


 コクピットに乗り込んだドランブイを迎えたのは、シートに残された熱と、ハッチが閉じた瞬間の暗闇だった。

「……」

 操縦桿を握り締める。
 自分ではなく、残された汗と熱の感触。だというのに不思議と湧いてくる力は、今までの躍起な対抗心から来る、爆発のような瞬間的な熱ではない。

 充足と興奮が、手から血中を駆け巡り、体に撹拌する。
 ディサローノとのやり取りの間――何を思っていたか……数分と経っていないはずなのに、もう覚えていない。

 だが気に留めることなどない。

『ようこそドランブイ。〈古めかしい杯(オールドファッション)〉へ』

 鷹揚にして泰然。レメゲトンであるバランタインの声は、一定のテンポと調和を持って弛まない。
 すぐさま内部のあらゆる画面と表示系に光を灯し、レーダーの一部分にアイコンを置いた。

いつもの(・・・・)なら、すぐそこまでディサローノが運んで――』

 しかしバランタインは声を止めた。
 内部のカメラを通して浮かぶドランブイの顔だ。今まで見せていた不機嫌さ……子供のように身勝手な無愛想さが、見えない。

『――何か、良いことがあったな?』
「頼まれたんだ。初めて。ディサローノから」

 静穏さの奥で煮えたぎる、抑えきれない高揚が声を震わせる。

 操縦桿が動かされた。だがまだ機体を立ち上げていないことを把握し、それを誤動作として封殺するバランタイン。
 浮ついた意識を呼び戻すべく、声をかけた。

『なるほど。だから良い顔をしているのか』
「良い顔? 俺が?」
『そうとも。責任を背負った顔だ。その重さを知って、そのために立ち上がれる、男の顔だ』

 重たいアルコールのように、舌が痺れる。どこまでも落ち着き払った素振りで覆われた、強烈な思いが、熱となって腹の底に宿っていく。
 強く息を吐く。熱を逃がすように。

『ドランブイ。お前もやっと、一人前になったな(・・・・・・・・)
「はっ……はは……は」

 馬鹿にしてんのか――いつもならそう、ひねくれた言葉で一蹴しただろう。
 だができない。しようとさえ思えない。

 溢れた嗚咽は、決して悲しみではない。
 それどころか、吹きこぼれるような笑い声ばかりが、コクピットを残響する。
 胸の奥にある熱は、体を脈動する激情は……それを裏付けるように、呼応している。

 虚しいまでの空回りを繰り返し……。

「そっか。俺が欲しかったのは、これ(・・)だったのか」

 ヘッドギアを被る。砂原の熱波を受けても消えない、独特の湿っぽい体温の残滓。
 勝負を続けてきたディサローノから受け継いだもの。

 広がりきった熱は、しかし体を焦がさない。
 手に足に籠められた力は、嫌悪を振り回した後にくる荒んだ空虚さに駆られた衝動ではない。
 程よく、それでいて際限ない、充足がもたらす躍動。

 ――〈オールドファッション〉が立ち上がる。
 背中・腰・腕・脚――あらゆる装甲がスライドして隙間を作り、排熱口を見せる。
 弱点を増やしているにも等しい。ただでさえ最低限度の表面装甲しか持ち合わせていないにも関わらず、それがない部分を作るとなれば、無防備にも敵からの攻撃を誘いこむ場所をわざわざ用意しているに等しい。

 だからこそ、この機体は夜間での行動を主としていた。
 排熱口が多く、装甲そのものも薄いために、それを悟られないよう動き回れる夜闇に紛れるために。

 空を覆い尽くしていた黒雲が晴れる。眩い陽射しが画面を真っ白に照らし――レンズが絞られると共に、透き通った青い空と、乾ききった黄土色の大地という二色の景色を取り戻す。

 すぐ近くに転がった、部品――バランタインの告げた“いつもの”を拾い上げて、腰部に括りつけられたのを確認する。
 それは図太い円柱だ。砲たる口もなく、ミサイルを放つには、腰という、背中と腕がどうしても邪魔になりかねない箇所を正位置としている。
 先端に持ち手があることだけが、一つの特異な形状。

『よしドランブイ。あとはどうするか、もうわかっているな?』
「やりきるだけだ」

 足先の車輪が、猛回転と共に砂塵を巻き上げた。
 にわかに屈んだ機体が、前へ踏み出す――遥か前方にあるかと思えた瓦礫の山。その中央へ。

 建物だった灰色の残骸が立ち並ぶ中で、砂漠迷彩の黄色はむしろ、浮き上がって見えた。

 ――腰の円柱から、それを引き抜いた。たちまちに溢れ返る陽炎が、速度に遅れて尾を引く。
 灼熱そのものを練り上げた、細い針のような刀身。
 ヒート・レイピア。

 円柱の内側で生成された超高熱を纏った炎剣を携えて、疾駆する。
 敵の腕が動いたと思った時には、放物線を描いて飛来するものが視えていた。

 まだ隠し持っていたのか、それともディサローノの起こした爆撃返し(・・・・)から運良く逃れた得物か。マインスロアーによって投射された炸薬の塊であることなどは、考えるよりも先に理解する。
 わかりきって、それでも加速させた。スラスターによる噴射炎が、更に盛大な陽炎と化して彼を追走する。

 砂粒さえ熱に浮かされ、ふわふわと漂うような空気を突き破って、後塵を拝ませる。
 決して去来する砲弾が遅いわけではない。直線軌道であれば、回避を思いつく前に被弾しているだろう。
 だが装甲のほとんどを捨て去った機体が発揮する、爆発的なまでの膂力が勝っていた。

 放物線の内側を、くぐり抜けた。

 敵からすれば信じられない光景だろう。
 機体も弾道も、本来なら命中するはずが、軌道は変わっていないのに全く違う結果を辿ってしまう。

 その次に、敵が砲撃する暇さえ与えない。
 炎剣が、黄土色の装甲を貫いた。塗装が蒸発し、瞬く間に溶解した装甲と内殻が、コクピット内の全てを焼き尽くした。

 かつてない速度による激突。瓦礫に下半身を埋もれても衝撃を殺しきれなかった敵機が、その勢いだけで上下に断裂され、瓦礫の上を転がる。

 ……それでさえ、既に〈最期の爪痕(ラスティネイル)〉が炎剣を抜き取った後だった。

『ディサローノならやらない手段だ。リスクが大きい』
「ディサローノなら、な。だけど俺は違う」

 呆れと焦りを、意気で跳ね除ける。
 断じてたわむことのない意地を垣間見たバランタインが、ほくそ笑んだ。

『そうだ。お前はディサローノではない。予備でさえない。完全に違う』

 返すよりも早く、〈ラスティネイル〉は猛進する。
 空に見えたドローン群。テウルギアからすれば羽虫に等しい大きさでも、あまりにも数が多い。
 爆弾の炎には無防備極まりない排熱口を全身に潜めている〈ラスティネイル〉には、天敵とさえ言える蝗の群れを一瞥し、ドランブイは叫ぶ。

「振り切る!」
『つくづく、無茶をする』
「いーんだよ今は。無茶しなきゃ、追いつけない」

 轟然と回転速度を上げる車輪が、足元の瓦礫を蹴散らした。
 テウルギアという巨大構造物に対して、二本の足という不安定な足回り。それでいて接地面積がさらに少ない車輪という足先。砂とコンクリート片しかない、覚束ない足元。
 躓き、転び、倒れる――その全てを承知の上で、踏み抜いて突き進むための、疾走。

 走り続けることのみが、存在意義だ。
 武装も装甲も削ぎ落とした、あまりにも極端に速度を追求した形態(フォルム)

 蝗たちの追走を背中に――次なる黄土色の標的へ駆け抜ける。

 ――敵の構えた火炎放射器が、炎を吹き上げる。
 肉薄する〈ラスティネイル〉の到来を待ち、手をこまねいている紅蓮へ――。

 跳躍。
 勢いのままに宙をきりもみする巨体。塗装が泡立ち、鋼が焦がされる。
 コクピット内に警笛が轟き、表示系のあらゆる箇所が真っ赤な悲鳴をあげた。

 それでも、その奥で立ち尽くすのみの敵機へ――全重量と最大加速を費やした、足先を突き刺す。
 衝突。コクピット部分がそのまま大きな穴となるほどひしゃげても慣性を殺しきれない上半分が、歪に仰け反る。

 抱え持っていた火炎放射器の先端ごと。その炎さえも、真っ直ぐ上を向くように……。
 ドランブイの背中を追いかけていた蝗たちが、炎に焼かれていくつもの火球を散らしていく。

 砂と瓦礫だらけの大地を、勢いのまま、手足をすぼめた機体が転がる。頭、背中、腰……ぐるりと一転した後で再び立ち上がって、再び車輪を回す。
 ほぼ全身に渡る関節部が軋み、再びアラートが鳴り渡る。

『……まさかな』

 バランタインの驚愕は、声色に表れていた。
 強引極まりない稼働――それも、人間でさえ柔軟さが求められる前転運動をやってのけたのだ。
 本来なら四肢の衝撃吸収材が破断してもおかしくない。関節部が疲弊している程度で済んだことこそが、驚異的とも呼べる所業だった。

 にわかには信じられない速度と方向転換……あるいはコクピット内を乱雑にシェイクされているに等しい運動の連続。
 それでも混乱することなく姿勢制御を続けられる、圧倒的なバランス感覚。

 当然レメゲトンであるバランタインだ。ドランブイの理想としているイメージを具現化させた。
 だが補いきれない部分があった。本来ならレメゲトンがカバーするべき領分にまで、ドランブイの意識が張り巡らされている。

 その技量によって、取り立てて戦績へ繋がりはしないだろう。
 事実として銃を使わせても、バランタインによる補正がなければまともに中たらない。
 戦い方に対する認識も甘い。今も、敵の攻撃へただ突っ込むような動きをしただけにすぎない。傍から見れば無謀と揶揄されて当然の動きだ。

 だが運動性能を第一とする機体と、これほどまでに相性の良い身体感覚は、そうありはしない。

「あと二機!」

 その自覚を確認する暇さえない。周囲を見渡し、レーダーとも見比べたドランブイの声は、驚愕に口を開いたままだったバランタインの感覚を呼び戻した。
 大半のマゲイアたちは、ディサローノが街ごと葬った。
 背丈のある建物すらも姿を消した以上、視界を遮って隠れ潜むための場所さえ少ない。

 残された敵だけが、ドランブイが壊すべき鏡の全てだ。
 敵影は同じ出で立ちだ。ディサローノが焼き払ったものも、ドランブイが蹴り潰したものも、今残されている二機も。

『どちらが(ボラッド)か……』
「どっちも、か」

 燃えたぎる炎を宿していたはずのヒート・レイピアが、風と砂に晒されて熱を失い、元の黒色を覗かせている。
 敵の装甲を溶断させるほどの灼熱は、もう残されていなかった。

 巨大な円柱の鞘へ仕舞う。今度こそ武器と呼べるものは何一つない。それでも足を踏み出した。

 爆弾を仕掛けていた街そのものを壊され、マゲイアも大半を失い、ドローンまでも焼き払われ……敵こそ、消耗しきっていることは明白。
 今こそ好機だ。

 焚きつけられた情熱が燃え尽きてしまう前に。
 無謀を極める操縦の連続で〈錆びた釘(ラスティネイル)〉が摩耗しきる前に。

 ……またもや、敵のドローンが地上を飛び立つ――残された二機から。街の至る箇所に埋もれた、残骸たちから。
 しかし今度は、ディサローノの時のように空へ並ぶわけではない。かといって〈ラスティネイル〉へ向かうわけではなく――別方向へ。

 いつになく切迫したバランタインに、顔を上げた。

『走れ。追いかけろ(・・・・・)!』
「なんだ、あっち側に何が――」
『――ディサローノだ!』

 途端に、息が詰まる。

『奴ら、隠れていたボラッド・マイケーエフごと自爆させる気だ』
最終更新:2019年05月02日 13:44