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レイル・ロマネスク/当那一天来临(その日が来た時には)

ゴトンゴトン、ゴトンゴトン……落ち着いたピアノソナタと、レールの継ぎ目を踏み越える微かな音とのアンサンブルが残り僅かな旅情と到着への期待を静かに演出する。決して明るすぎない間接照明と、リュミエール・クロノワールのもので統一された艶のある黒檀やマホガニーの調度品が、暖かみのある白の壁紙が、半ばまでワインを湛えたクリスタルデキャンタが、摩天楼の一棟一棟から放たれる煌めきを受けて纏った気品と美しさをさらに強める。
凡そ国際列車に似つかわしくない広さと豪華さを備えたコンパートメントの一室には、昼下がりの麗らかな日差しが差し込んでいた。
『乗客の皆様、大変お待たせ致しました。間もなく上海に到着致します。現地の気温は21℃、この列車は二番線に入線致します。
尚、当初の運行計画を変更し、この列車は上海止まりとなります。ご了承下さい。
本日も、『アジア・エクスプレス』をご利用頂きありがとうございました。技仙公司鉄路部一同、皆様のまたのご利用をお待ち致しております』
短いジングルが流れた後、最優等列車の運行を司る可憐な機巧少女の声が定刻通りの到着を知らせる。
「やっぱりこの景色を見ると、とても落ち着くわ。漸く上海に帰ってきたのね」
「ああ、我らが輝けるクロノワールの領地だね。いつ見ても、ここより美しい場所など存在しないと確信するよ」
ネイビーのドレスに身を包んだ美女が嬉しそうに微笑み、トランクの中を改める。えくぼが嬉しそうに窪み、胸のブローチとアンバーの瞳が日差しを受けて煌めく。それを見た仕立てのいいストライプのスーツに身を包んだ美男も同意と共に微笑んだ。
彼らは共にアレクトリスの美を以て任じるリュミエール・クロノワールの貴族である。遠く離れた同じ基幹企業、テーフイッシュ(TFS)への出向を終え、旅行がてら長旅を承知で敢えて列車の帰着を選択したのだった。
「デリーの町並みもエキゾチックで勿論素晴らしかったわ。人はまちまちだけど、彼らの作り出すものは精巧で緻密……でも」
「あの乳と香辛料のつんとする香りはどうも……だろう?」
「ええ。聞きあきたと思うでしょうけど、あまり長居はしたくなかったの」
「後はアリョーナの待つ我が家へ帰るだけさ。彼らのお祈りに付き合う事もなく、ね」
彼は妻に向けて微笑みながら、金の縁取りが施された鏡の前でネクタイを整える。窓の外では摩天楼を前に何本もの線路が合流、交差し、ターミナルへの到着が近い事を知らせていた。
「あの子が心配だわ、フランク。またドジをしてなければいいのだけれど」
「相変わらずの心配性だな、ベアは。婆やもいるんだし、きっとうまくやっているよ」
彼らの心は一足早く麗しの我が家へと飛んでいた。ドジっ子の使用人、アリョーナの愛くるしい笑顔が彼らの心に浮かぶ。前の任地、旧モンゴルで奉公に出された時はどうしたものかと思ったが、今では大切なメイドの一員として健気に働いている。
部屋全体に僅かな減速の重力がかかる。フランクは文字盤から㎚単位で組まれた内部機構が覗くTFS製の懐中時計を開き、時刻を改めた。列車は僅かな遅れもなく二番線に滑り込むようだ。形に見えない技仙公司の美徳に、フランクは改めて密かな感心を覚えた。融通の聞かない態度は気に食わなかったが、確かな仕事ぶりはその裏返しだと思えば腹を立てる気にはならない。
「それにしても、昨夜の『ムーンライト☆スタジオ』には驚いたわ。外交員の貴方も知らなかったのでしょう、フランク?」
「勿論さ。明後日からまた忙しくなりそうだよ……ごめんよベア。ハネムーンは延期になりそうだ」
「構わないわ。お仕事ですもの」
申し訳なさそうな顔をするフランクに、ベア……ベアトリスは慈愛を湛えた微笑みを向ける。それを見たフランクの表情はさらに複雑さを増した。
昨夜、突如として放送された衝撃のスペシャル・プログラムがフランクの脳裏に蘇る。CDグループの基幹、コラ社の社長が捕虜として確保されたという耳を疑う放送の後、彼の所属する外交部門のメーリングリストは矢継ぎ早に業務連絡が飛び交い、困惑と動揺がチャットを沸かせた。勿論フランクも例外ではない。目前の休暇とハネムーンを潰されたやり場のない怒りで彼の堪忍袋は俄に暖まっていた。
「もう少し後にしてくれれば良かったものを……ん?」
彼らが暮らした車両が特別規格のホームに滑り込んだのをフランクは一瞥すると、目を剥いた。各家出迎えの使用人で犇めくはずの幅広のホームを埋め尽くすのは、一面の鉄色と迷彩。彼は己の目を、次いで列車のトラブルを疑った。


「一体どういう事なの、フランク?なんでこんな事に?」
「僕が聞きたいよ。取り敢えず荷物を纏めてくれ」
一体何が起こってる。困惑したベアの声を背に受けて、フランクはコンパートメントの外を伺う。華美ながら落ち着きも備えた内装の廊下が色褪せて見えるのは気のせいか。別のコンパートメントからも動揺した客が顔を覗かせている。
「どういう事なのですか、これは?貴方は何かご存知で?」
「いえ、全く!」
そうこうしている内に、落ち着いたBGMを押し退けるようにしてどかどかと軍靴を鳴らすデジタル迷彩の野戦服に身を包み、長筒を引っ提げた一団が二階建て客車へと踏み込んできた。
「おい、君!こいつは一体どういう事だ!」
フランクは困惑と怒りを胸に指揮官とおぼしき大柄な男に詰め寄る。
「昨夜の事態を受けて非常事態宣言が発令されました。二社間の非常事態に関する条項に則り、この列車は只今を以て技仙公司海兵隊が徴発致します」
怒りを露にするフランクの鼻先に訛りの抜けない無感情な公用語がピシャリとぶつけられ、彼の顔から僅かに血の気が引く。改めて男と向き合うと、能面の様な無表情と馴れないガンオイルと装備類の放つつんとした僅かな臭いが彼の神経を逆撫でする。フランクも高身長の部類に入る男だったが、目の前の彼はフランクをして見上げる必要があるほどの体躯を持っていた。
任務に忠実なのだろう、その瞳はフランクではないどこか遠くを見ている様に感じられた。余計に気に食わない。彼は自身の堪忍袋がさらに暖まるのを感じた。
「どこでお降りになる予定ですか?遅れて振替輸送の便が参りますので、そちらをご利用下さい」
彼の奥に視線をやると、やはり同様の混乱が巻き起こっている。それを知ってか知らずか、目の前の兵士の切り出された砂岩のようなあばた面と、黒曜石を思わせる瞳は全く変わらない。
「僕達は上海で降りるから問題ない。しかし他の客はどうなる?不躾に過ぎるとは思わないのか?」
彼らも一時的とは言えクロノワール領に居を構える人間だが、生まれからしてフランク達とは天と地ほどの差がある。曲がりなりにも貴族階級に生を受けた美しい自分達が、いいとこ戦士階級の下人共に見下され、高圧的に下車を命じられる。TFSでも味わうことの無かった屈辱感が、彼には我慢ならなかった。
「任務ですので、ご了承下さい」
それしか言えんのか、木偶の坊め。喉まで出かかった罵倒を辛うじて引っ込め、彼は踵を返してコンパートメントに戻る。
「ベアトリス、出るぞ。早く帰ろう」
「ご協力ありがとうございます」
彼女の返答も聞かず、トランクを持って客室を出ようとする。同時に投げられた無感情な返答への怒りが、フランクの頭で沸点に近づく。妻を先に出させると、客車のドアへ向かう前に巨漢の兵士に向かって吐き捨てる。
「いいか、何処の生まれか知らないが態度には気を付けろ。それと体を洗え。何の悪臭にしろ臭くてかなわんぞ」
「心に留めておきます。我々の鉄と血の上に成り立つ上澄みだけ(・・)を謳歌なさる貴族様のお言葉ですからな」
「貴様!」
フランクは溜まりに溜まったやり場のない怒りが堪忍袋の緒を切った音を感じた。白い顔にさっと赤みが差し、握り直された手からトランクが床に落ちる。しかし目の前が赤く染まるままに振り上げた拳は、彼の砂岩の様な黄色い顔を殴り付ける寸前でデジタル迷彩のグローブに止められる。
満身の力を込めた手首が、上腕が、ミシミシと軋む。かつてボクシングに打ち込んだ学生時代から全く衰えない一撃を容易く握りしめた兵士は、顔を紅潮させた喧嘩っ早い貴族の子息の耳元で嫌味たっぷりに囁いた。
「随分と活発でいらっしゃいますな。一体何方のお陰でこんな事態になってらっしゃるか今一度お考えになって頂きたい……そちらも心中お察しします。ですからその情熱は是非ともご職務へ向けて下さい」
そう言うと彼は余裕たっぷりに手を放す。フランクはキッと彼を睨んで、トランクを持ち直すと足早に客車を後にした。
「もうちょいにこやかに接してやれよ。スマイル講習受けただろ?」
「俺は十分お行儀良くしてやったさ」
彼は振り替えって戦友に皮肉な笑みを浮かべると、夫妻のいたコンパートメントに踏み込んだ。
「しかし臨時措置とは言え、こんな豪華な客車で移動できるとはな!」
「これから奴らのために死にに行くんだ、これ位の役得があっても罰は当たらねえさ」
完全装備で膨れ上がった背嚢と突撃銃を下ろすと胸ポケットから煙草を取り出す。彼は装甲車両のそれとは全く違う最高級のソファーの感触を暫し楽しむ事にした。


「25中隊乗車。第一海兵師団、乗車完了しました」
「良し。乗客は」
「全員下車しています」
「思ったより早かったな。もっとゴネるかと思ったが」
「所詮は文民、こんなものでしょう」
不満たらたらの上級市民達をかき分け、デジタル迷彩の野戦服の上に化繊のコートを羽織った一団がホームを歩む。どれも壮年に達した男達の足取りは一糸の乱れもなく、威厳を感じさせる面持ちとその口元は一様に引き締められている。数々の激戦を最前線で制してきた彼らの眼光もまた一様に、獲物を睥睨する鷹のように鋭い。
戦闘を行く初老の将校が腕時計に目をやる。襟元に縫い付けられた黄色い階級章は、二本の赤線に大きな一ツ星--師団長に任ぜられる少将を表していた。
「車両と重装備の用意は」
「現在貨物ターミナルで貨車に搭載中です。1600には完了とのこと」
「よろしい」
少将は右後ろでインカムとタブレット端末を忙しなく操作する大校達を、それから客車に目立たないように、だがしっかりと刻印された『突放禁止』の表示を一瞥すると、視線を前に戻した。
彼らの視界を大きく占領し時折微かな排気音を発するのは、勝利の名を冠したSGS3型原子力機関車。鉄道の華、栄えある最優等特急を牽引し、やがて優美な流線型の外装を複合装甲という戦装束によろうであろう技仙公司が誇る最大最強のモンスターマシンは、麗らかな午後の日差しを浴びてその巨体をシックな臙脂に輝かせていた。


まず彼の目に飛び込んだのは、一面に映し出された外界の景色と列車の各種状態を表す画面。思ったよりも広いな……少将の脳裏を素朴な感想がよぎる。ホームから臙脂色の機関車に乗り込んだ少将達を迎えたのは、壁一面の有機ディスプレイと二つのコンソールと三人分の椅子、そして直立不動で敬礼する三人の機関士だった。
「劉少将、この度はよろしくお願いいたします」
「ご苦労。短い間だが、こちらこそよろしく頼む……おお、君が」
「はい、レールロイドのSGS3-1です。宜しくお願い致します」
兵役には向かないであろう、海兵達に比べれば線の細い者揃いの機関士の中で、一際小さい少女が一歩前へ進む。マスコンやレバー、制御盤が配置されたコンソールに並ぶ程の身長。黒の特注乗務服を着込んだレールロイド、藍蘋が堂に入った凛々しい敬礼で応える。白磁の様な肌や、尋常なヒトでは有り得ない真紅に金を散らした瞳は美しいが、その肢体はやはり小さく華奢で、女児という言葉が相応しい。
「あの『紅色女皇』に任務で世話になるとは光栄だ。同乗するだけだが目的地まで宜しく頼むよ」
「その名で呼ばれるのは好きません。型番でお願いします」
「そうなのか、済まんな……ではその通りに」
少将は頭を下げて謝意を表すと、帽子を被り直す。帽子の下から短く刈り揃えられた白髪が老いても尚矍鑠とした印象を強めた。
「この後の運行計画を聞きたい。上海の貨物ターミナルで我々の重装備を載せた後、ウランバートルまで直行すると聞いているが」
「畏まりました」
そう言うと藍蘋は、機関室のディスプレイに地図に時間を重ね合わせた画面を表示する。黒のブレザーと赤いネクタイが印象的な乗務服に身を包んだ機関士の一人が、説明を引き継いだ。
「本車は種別G03からR00に変更され、1610に上海ターミナルに到着して貨車を連結、1620に出発。ウランバートルへの到着は明朝0530を予定しています。第一海兵師団の皆様はウランバートルで下車、その後本車輌はウランバートル機関区で改装作業に入ります」
「道中の懸念などは」
少将の双眸がより鋭く細められる。説明を引き継いだ機関士はその視線を正面から受け止め、力強く頷いた。
「全くありません。運行司令部は動員計画に基づいて臨時ダイヤを施行中ですが、当列車は最優先扱いです。必ず定刻通りに到着して見せます」
「それが聞きたかった!宜しく頼む」
「勿論です」
少将以下の第一海兵師団司令部と三人の機関士が敬礼を交わす。相応の訓練を受けたのだろう、黒い乗務服に身を包んだ藍蘋と機関士達は本職のそれに劣らない一糸乱れぬ敬礼を返した。


四人は少将達が機関室を退出し、その自動ドアが閉まるまで敬礼を崩さなかった。ディスプレイは旅客でごった返す見慣れた上海駅の光景を映し、液体鉛冷却材や炉心の温度を表示する原子炉制御盤には異常一つない。だが存在感があったからか、彼らが去った後の機関室はいつもよりやけに広く感じた。
「マジの実戦か。胸が熱いな」
「まさか本当に装甲列車を牽いて戦場に出られるなんてな。俺達、身体検査落ちたのに」
「すげえ……少将だぜ、少将!俺ら敬礼されちゃったよ」
退出を見届けた二人の機関士は敬礼を解き、興奮した様子で話し出す。一旦こうなってしまえば、まるで子供ね。視界に投影される機能表示を横目で見た藍蘋は特注誂えのフリルとスカートを翻して、無邪気にはしゃぐ彼らに向き直る。
「さあ、休憩は終わり。現在時刻は1557なのよ、分かっていて?」
「もうそんな時間か、やばいな」
「そうよ、やばいのよ。始めましょう」
「そうだな、始めよう」
にこやかに雑談をしていた二人は一様に表情を引き締め、各自のコンソールに戻る。藍蘋も機関室の中央、一段高い位置にある椅子にぽすんと座って帽子を被り直した。
「現在時刻……1558、発車定時まで120。走行装置回路、冷却完了。予圧開始」
コンソールに取り付けられた制御盤の上を白い手袋を嵌めた両手が飛び回り、各種機能を表示するモニターの一つ一つが指差確認で協調される。その向こうでは機関車の膂力そのものである超電導仕様の動力回路が目覚めるために限界まで圧力をかけられ、その源となる原子炉では鉛の血潮が、増えつつあるプルトニウムの死の熱を受け止めている。
「二次冷却系、復水器、共に問題なし。原子炉システム準備完了(オールグリーン)
「ATS確認。解除ヨシ」
「原子炉出力12%、冷却材温度第二領域で共に安定。発電機待機出力から増加、10秒後20%で安定」
「キャパシタ充電完了まで80。予圧チャンバー内の圧力と温度はそれぞれ13MPa、290K。走行モーター及び電力回路、予圧完了まで15」
それぞれ原子力発電機と走行を担当する機関士が交互に出発前の歓呼を行うのを一段高い椅子から見届けて、藍蘋は一つ深呼吸をして無骨な懐中時計を眺める。全ての駅を発車する前に行われるこの儀式は、どんな時でも僅かな間で緊張と期待を高めてくれる。
『二番線から、回送列車が発車致します。危険ですので、黄色い線の内側までお下がり下さい。尚この列車にはお乗りになれません、ご注意ください』
機関車の外から、くぐもった発車のアナウンスが届く。発車時刻は目前だ。椅子から垂らした地面に付かない足をピンと伸ばし、華奢な矮躯から声を歓呼の声を張り上げる。
「客車ドア閉鎖、確認!」
「客車ドア閉鎖確認。車掌室からのシグナル確認」
「定時確認!ブレーキ戻せ!」
「定時確認ブレーキ戻せ!」
機関士がディスプレイとモニターを指差確認すると、ブレーキレバーを力強く戻した。藍蘋の小さく柔らかな掌からはみ出しそうな大きさの、鉄色の懐中時計。『技仙公司鉄路部 勝利S3-1』とだけ刻印されたベージュの質素な文字盤の上で、短針が頂上を指して固まる。同時に外界を広く映すディスプレイで、前面に映っていた信号の表示が青に変わるのを藍蘋は見逃さなかった。
「信号確認!進行!モーター起動!」
「進行ヨシ!超電導回路起動!」
「超電導回路起動、了解!」
「相転移確認!超電導回路及びモーター起動ヨシ!」
機関車(ベヒモス)の巨躯に力が行き渡る。キャパシターに回路が接続され、インバーターが甲高く泣き叫ぶ。室温のまま加圧され電気抵抗が排除された回路に莫大な電力が供給され、同じ室温超電導の電磁石が組み合さった特級のモーターが唸りを上げる。
「タイフォン鳴らせ!二番線、出発進行!制限50!」
「出発進行、制限50!タイフォン鳴らせ!」
藍蘋の細腕が映し出された信号と速度標識を力強く指さすと、偽の汽笛が一際強く甲高く鳴り響き、出陣への行進を高らかに歌い上げた。
「上海定発。次の停車駅は上海貨物駅、第2閉塞進行」
巨大な機関車が下肢からトルクの唸りと余剰の圧搾空気を吐き出し、兵士達を乗せてゆっくりと動き出す。ホームを出て、分岐器を渡って連絡線へと進入する。特別仕様の軌道を踏み締めて、少し離れた貨物駅へ。
運転士と藍蘋はディスプレイ越しに隅々まで目をこらし、あらゆる表示を見落とす事なく指差歓呼を行いマスコンを操作する。白い手袋を嵌めた機関士の指は制御盤とモニターを忙しく行き来し、曲を繋ぐDJよろしく原子炉と動力回路を繋いでいく。変わらない光景だが、三人の胸にはいつもとは違う高鳴りと緊張がこみ上げていた。
妹達と轡を並べて戦場に出るという本来ならあり得ざる状況。不謹慎ながら夢のような事態に、藍蘋は高揚を覚えていた。
自分を産んだ公司に本来の任務で恩返しができるという昂り。まだ見ぬ戦場への憧憬。彼女の思いはウランバートルの機関区を越え、やがて向かう長城へと機関車(からだ)を越えて加速していく。
例え台枠が砕け散り、動輪と超電導モーターが爆発しても。原子炉を射抜かれ、鉛とプルトニウムの血潮を敵地に撒き散らしても。この走行装置の制御を『後進』に入れることなど決して有り得ない。私は、忠誠を誓った公司の為に最期まで戦い続ける!
レールの継ぎ目を踏み越える規則的な音が微かに響く。なし崩し的な動員という非常時にあっても、それぞれの思いを乗せて目的地に向かうという鉄道の本分は変わることは無かった。


『金 嘉世 機関士へのインタビュー』
(記者がレコーダーのスイッチを入れる。両者会釈。)
ーー乗務で忙しい中、本日はありがとうございます。
「いえいえ。こちらこそ休憩時間に合わせてもらってありがとうございます。私の様な裏方にお話が来ることはありませんから、嬉しいです」
ーー金機関士は、事変の時は装甲列車の運用にあたったと聞きました。突然の事だったそうですね。
「はい。運行司令部から聞かされた時は驚きました。丁度我々は特急を運転していた所ですから」
ーー寝耳に水だったと。相当の混乱があったのでは?
「種別変更の指令が来たときは大混乱でしたよ。丁度香港を発車して数時間経った所だったんですが、機関車も船も無くなったから上海で海兵隊の皆さんを乗せるって聞いてね。この編成で足りるのかと」
ーー実際はどうでしたか?『アジア・エクスプレス』の乗客は貴族階級や豪商が多い事で有名ですが……
「そういう意味ではあまり混乱は無かったと思います。何せあの情勢ですからね」
ーーなるほど。実際に戦場に出ることは無かったんですよね?
「はい、戦線に投入される前に終わってしまいましたからね。機関士としては嬉しい反面、少し残念でもあります」
ーー残念、ですか。
「私は兵役の健康診断で落とされたので。ミリタリーは好きだったんですが、何分病弱で……」
ーー装甲列車の中で事態の終結を聞いたと伺いました。その時は……
「やっと念願のフル編成で出発進行ってときに、停戦命令です。また戸惑いましたよ。一体何がしたかったんだよってね」
ーー悔しかった?
「そりゃあもう!折角遺書まで書いて必死で覚悟を決めようとしたのに、これじゃあ肩透かしです……いやまあ、戦争が起きなかったのはいい事なんですがね……」
ーー今も戦場で装甲列車を牽きたいですか?
「いえ、私には旅客乗務の方が向いているようです。軍用列車よりも遥かに気を遣いますが、戦場に行ける体でもありませんから--失礼」
(金機関士、激しく咳きこむと鞄から吸入薬を取り出すと口に当てる。暫くの間。)
ーーお大事になさってください。
「いえ、こちらこそインタビューの途中にすみません。他には何かありますか?」
ーーいえ、大丈夫です。貴重なお時間を割いてくださってありがとうございます。これは粗品です。
「ああ、わざわざありがとうございます!こちらからは我が社のパンフレットしかどうぞ」
ーー今日はありがとうございました。貴方の運転する列車に是非乗りたいです。
「従業員一同、心から待ってますよ。出来上がった番組、私も楽しみにしてます」
(記者、レコーダーを止める)

  • 設定解説
技仙公司鉄路部・SGS3型原子力機関車
全長137.5m、総重量675t、最高速度320km/h、発電機定格出力2.5GW(機関出力26万馬力)、定格引張力25GNを誇る世界最大級の機関車の一つ。
軌間6390mmの特別軌道が敷かれた中華横断鉄道本線、アレクトリスを始めとした他社に乗り入れする専用貨客連絡線、『長城』に付随して建設された要塞線でのみ運用される。
余りに巨大であり、特殊な路線で限られた任務にのみ運行される関係上、この型の全機関車に運行司令部とデータリンクを結んだ管理・運行支援AI、『レールロイド』が機関車と対になる形で配備されている。
専用の鉛冷却高速炉を搭載し、発電所並みの発電能力を誇る。これは燃料と炉が一体で長サイクル、一括取り替えによる廃炉といった特徴を持ったバッテリー炉として設計されている。
北京第27機関車廠、ウランバートル第19機関車廠、カシュガル第36機関車廠で合計10両が建造され、それぞれ任務に就いている。

主な任務は中華横断鉄道での貨物輸送と要塞間連絡線での装甲列車の運用である。
中華横断鉄道及び他社連絡線では圧倒的なサイズとパワーを活かし、上中下4段2列積み貨車(オクタブルスタックカー)の700両編成、実に11200TEUという超々重編成貨物列車を引いて専用の非電化路線(技仙公司でも長距離列車を含む全線電化は遠い。電化が完了しているのは北京やウルムチ、ウランバートルといった大都市圏だけである)を220km/hで爆走する光景が見られている。
また、それぞれトップナンバー・ラストナンバーである1号機「毛沢東号」及び10号機「周恩来号」は、特別車両としてウランバートル/ウルムチ/ウラジオストク/ハルビン~(上海・ハノイ経由)~デリー/ベンガルール/ラサ間で運行されているグループ内横断特急列車『アジア・エクスプレス』の運行に充てられており、リュミエール・クロノワール製の優美な外装に身を包み、リュミエール・クロノワール(アメノウズメ)からレールロイド用の義体が送られた事でも有名である。同社製の客車を牽引する豪華特急で有名な両機であるが、コラ-リュミエール事変においては貨物列車で運用されていた他の機関車と同じく外装を交換して装甲列車として運用された。

また、本来の任務である要塞線での運用は、新型ユニットである『29式装甲列車』とセットで運用された。
29式はこの型とセットでの運用を主眼に置いて開発されたものであり、SGS3型からの潤沢な電気供給を前提に重武装が施されている。
進行方向→に対して
警戒車-火砲車(1)-装甲化テウルギア貨車(多数)-装甲化貨車(多数)-UAV車-火砲車(3)-VLS車(1)-電源車-(機関車)-機関車-通信車-通信車-指揮車-VLS車(2)-VLS車(1)-VLS車(1)-火砲車(3)-火砲車(2)-火砲車(1)-警戒車  →
という編成であり、前方に兵装を寄せて配置されている。また運行間全力射撃が可能であるよう求められており、通信能力の向上・その他各車両間での連絡(行き来)についても改良がなされている。
速力は平地において200km/hである。

各種兵装車両には小型の推進用補機及びブレーキ装置が搭載される。
+ 武装の内訳は以下
警戒車(衝角、127mm連装レールガン二門、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)前側方への射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
火砲車1(25.4cm連装レールガン二門、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)砲は砲塔形式で全周射界を持つ。弾数300発。CIWSは前側方に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
火砲車2(25.4cm連装レールガン二門、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)砲は砲塔形式で全周射界を持つ。弾数300発。CIWSは前側方に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
火砲車3(25.4cm連装レールガン二門、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)砲は砲塔形式で全周射界を持つ。弾数300発。CIWSは前側方に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
VLS車1(汎用VLS128セル、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)全周に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
VLS車2(大型ミサイル用VLS20セル、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)全周に射界を持ち、高射可能。弾数5,000
指揮車(レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)全周に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
通信車(各種通信、電子戦装置、レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)全周に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
機関車 なし
電源車 なし
UAV車(J-49DT6機、カタパルト、レーザーCIWS二門)側後方に射界を持ち、高射可能。
装甲化貨車各種(レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)全周に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
電源車(レーザーCIWS二門、30mmCIWS二門)全周に射界を持ち、高射可能。弾数5,000発
最終更新:2020年02月10日 21:47