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第6話:運命に愛された女(ミス・フォーチュン) ――ページ7


 大気を突き破った余波が、砂塵を盛大に巻き上げる。
 静止していれば倒れてしまいかねない前傾姿勢。方向転換など度外視し、直進のみに特化したスラスターの噴射。
 極限に細く造形されたテウルギアの疾駆は、傍から見れば一種の波とさえ見えるほどの進撃と化していた。

 先程までとは、一変した状況。
 背後に追い回されるのではなく……追いかけている。

 爆弾を腹に抱えたドローン。空の色さえ暗く見せるほどの量と密度……蝗の軍勢。
 今度こそ〈ラスティネイル〉は何一つとして、無力化できる術など持ち合わせていない。

 度重なる砂と瓦礫の摩擦に車輪が焼けつこうとも、砂に油を座れた関節部が熱を訴えようとも、苛烈な陽光と度重なる噴出でスラスターが焦げてしまっても……速度を緩めることはない。

「あそこか! あそこにいるんだな!?」
『間違いない』

 切り詰まった問いかけに、いつになく焦燥の混じったバランタインの返事が重なる。
 ディサローノ――〈ラスティネイル〉の……〈オールドファッション〉の、もう一人の使い手が、そこにいる。
 ドローンが向かう先に。

 遥か視界の奥では、黄土色のマゲイアが二機、それぞれの動きを見せている。
 片方は、穏やかな足取りで、距離を離していく。
 他方は、武器を抱え持ったまま徐々に接近してくる。
 どちらが本来倒すべき敵――ボラッド・マイケーエフなのか。今になって判明したところで最早、前へ猛進する思考を走らせるための足枷でしかない。

 急き立てるドランブイの意識に反して、彼の手足は……操縦は、それに追いつかない。
 積み上げられた瓦礫の山を蹴散らし、前へ前へ機体を突き進むためだけに姿勢制御を食い繋ぐ。
 速度とバランスを保ったままにしておくだけで、精一杯。

 出来上がったばかりの、まだ踏み鳴らされていない瓦礫の山だ。その上を減速なく直進するだけでも、本来ならば高等技術に匹敵するだろう。
 それでも、ドランブイの切迫した意識では、追いつけない。

「もっとだ! もっと……!」
『……』

 黙したまま、ドランブイの操縦を掬い上げるバランタイン。
 機体の重量だけを考えれば、肩から先を取り外すことも提案できただろう。だが重心より上にある腕部は、姿勢制御の要となる。

「――速く!」

 着実に距離を詰めている。あと一歩の位置にまで肉薄している。
 だがそれだけでは間に合わない。
 ドローンに追いついただけでは、ほぼ丸腰である〈ラスティネイル〉にできることなどない。ドローンを追い抜かなければ、その先を行うことなどできない。

 まだ残されているはずの……ディサローノを助け出すためには。

 前方――並走しつつも距離を詰めていた敵から飛び出た放物線。
 これ以上の加速は望めない。すでに〈ラスティネイル〉が出し切れる限界点にまで至っている。

 減速という選択は許されない。ただでさえ焦燥が煽り立てる。そんな発想を持つことさえ言語道断だ。
 放物線が、足元の瓦礫へ吸い込まれる。その表面をバウンドした直後に、火球が瞬いた。

 飛散した破片たちが、機体へ群がる。すでに最高速度を出し尽くした機体には、それでさえ一つの驚異となる。
 幾つもの装甲が凹み、剥がれ、圧し曲がった。いくつもの内部装置に支障がもたらされた警告が、コクピット内を真っ赤に染める。
 右脚が、凄惨なまでの損傷を訴えていた。車輪の駆動さえ絶望的となった。

 急減速。慣性に突き飛ばされてつんのめった機体を、一時的な跳躍で転倒だけは回避する。
 だが時間稼ぎでしかない。脚を失った機体が地面に縫い付けられるまでの時間を、スラスターの噴射も合わせた滞空の合間だけ伸ばしたに過ぎない。

 さらなる加速のための推進剤さえ、望めない。
 ドランブイの視線はそれでも、前へ向けられていた。
 高度が上がったことで途端に広がった景色――青空の中へ放り出されたような、清々しい青い眩さ。広がり続ける黄土色の地平線……前方で飛翔する、黒々しいドローンの群れ。

 その下――瓦礫の隙間に転がる白い車両。その隣に、見えた。
 こちらを見上げる三人の姿。不安に歪みきった表情のシャトーとコアントロー。
 そして、頑としてこちらを見据えるディサローノ。

「――ッ!」

 ――しかし次の瞬間には見えなくなってしまう。
 間に割り入った黄土色。先程まで並走していたはずの敵影。

 ドランブイの前に、立ちはだかった。
 落下を始める〈ラスティネイル〉を――スラスターに任せて、強引に前へ飛ばす。

『おい、ドランブイ!』

 それは自殺行為だ。
 ただでさえ超重量を誇る巨大な構造物だ。単なる落下を支えるには、現状の脚では覚束ない。
 今のタイミングで噴射させてしまえば、着地した時の衝撃を誤魔化すには間に合わなくなる。

 それでも立ち塞がる敵へ、踏み切った。

「邪魔すんなぁぁあぁああっ!!」

 衝撃が、ドランブイさえ突き上げる。玩具のようにコクピット内を暴れ回る体を、ベルトが締めつけた。
 すでに機能を失いかけた右脚が、敵の装甲もろとも粉々にひしゃげ、潰れて……今度こそ形さえ喪失する。
 それでも相殺しきれなかった勢いに、前へ倒れていく……。

 目まぐるしく変わり続ける視界に、意識さえきりもみさせても、ドランブイは見失っていなかった。

「まだ……やりきって、ねえんだ!」

 両腕を振りかざし、地面へ叩きつけた。全重量と残された落下の勢いを、両手の拳だけで封殺する。
 砂が噴水のように巻き上がる中で……反動が、機体を跳ね起こした(・・・・・・)

 再三繰り返された警笛が、今度は両腕が挽き潰れて破断したことを伝える。

「せっかく頼まれたんだ」

 砂を全身に纏い、ひしゃげた手を肘から垂らし……片足だけとなった〈ラスティネイル〉が、それでも立ち上がる。
 転倒する寸前を、信じられないほどのバランス感覚で保ち続けている。

 しかしまだ間に合っていない。
 三人を目と鼻の先に望んでおきながら、まだその間にはドローンがいる。
 車輪を回した。底をつきかけた推進剤を、それでも絞り出させる。

 ディサローノたちが見上げる中で、前へ踏み出す。
 誰に届くとも知らず、誰に向けているとも構わず――掠れた喉で、決死の叫びをあげる。

「だから最後までだ……こんなところで終わってたまるか!」

 頭上にいたドローンの群れが、ディサローノたちへ殺到する。

 その寸前だった。
 視界に、黄土色が巻き起こった。

 砂に打たれた三人が、身を庇っていた。
 吹き荒れた風が、機体を撫でつけている。

 テウルギアほどの重量であれば、向かい風にさえ感じられない程度でしかない風。
 だが、ドローンほど小さな飛翔体を阻むには、充分過ぎる風。

 風に散っていくドローンたちを尻目に、〈ラスティネイル〉が前のめりに倒れる。
 肩から地面へ着くように、コクピットを開きながら。

 落下の衝撃に舞い上がった風が、コクピットにまで襲い来る。
 口いっぱいに入る砂を噛み締め、ヘッドギアのバイザーに纏わりつく砂を拭いながら、声を迸らせる。

「早く乗――」

 叫びきるよりも、それは早かった。
 三人もの人間が、瞬く間にコクピットへ飛び入る。まともな体勢など気にしている余裕さえない……自分の体を、コクピットに詰め込むことだけを考えた動きだった。
 体当たりで奥まで突き飛ばされたドランブイが、次に覚えたのは圧迫感。そして「閉じろ」と誰かが叫んだ声。真っ暗に暗転する、狭い空間。

 爆発が、コクピットの外から外殻を何度も叩きつけた。
 耳を通して頭にまで鳴り渡る爆音の反響。一向に収まらない爆轟の振動。

 テウルギアのコクピットは、砂漠で瓦礫に隠れるよりは、爆弾の脅威に怯えずに済む。
 だがそれは、完全に守ってくれる保証がされたわけではない。

 誰かが、ドランブイの腕を痛いほどに、怯えるような震えと共に握り締めていた。
 歯を食いしばり、ただ塞ぐことのできない耳と体に雪崩れこむ爆音に、ひたすら耐えることしか、できることはない。

 奥歯に鉄の味を覚えた頃になって、ようやく、静けさが訪れる。

『……終わった、ようだな』

 安堵と憔悴で気の抜けたバランタインの声が、ひどく懐かしいと錯覚される。
 真っ暗だった空間に光が染み入ったかと思えば、焼けた鉄の臭いと熱気が、鼻孔を焦がす。

「臭いな。だから爆弾は嫌いなんだよ」
「しょうがない。今回は、生きていただけ良かった……と」

 声を聞いてようやく、最初にコアントローが外へ出て、次にシャトーだと判別できた。
 最奥のドランブイが深呼吸と共に、残されたもう一人へ顔を向ける。

 とはいえ、ヘッドギアに浴びた砂を拭えていないままだ。突き刺すように明るい外と対比して、暗いコクピット内では、表情はおろか、シルエットさえ判然としない。

 だが、爆炎を凌いでいる間、ずっと腕を握り締められていた。
 その手は力こそ入っていないものの、未だ、添えられたままだ。

 それでも最初に浮かんだのは、嬉しさでも誇らしさでもない。
 砂よりも苦い感情を、乾いた舌の上で転がす。

「すまねえ。俺……やれなかった」

 頼まれたことを、ドランブイは投げ出した。
 ボラッド・マイケーエフを倒せと、ディサローノは言った。

 事態が悪化する前……ディサローノへドローンが向けられるよりも早く、ドランブイがそれを成功させれば、未然に防ぐことはできたはずだ。
 しかしドランブイの至らなさが、失態が、これほどの状況を招いたのだ、と。

 こぼれそうな涙を砂まみれのバイザーに隠して、ドランブイは顔を背ける。

 すでに〈ラスティネイル〉は、原型さえ留めていないだろう。コクピットがちゃんと残っているだけでも奇跡に等しい。
 今から、逃げ出した最後の一機を追いかけることもできない。

「やりきれなかった。せっかく、頼んでくれたのに」

 感情だけはまだ喉の奥でとぐろを巻いているのに、やり直すことさえできない未熟さが、発散させることさえできない息苦しさが、悔しかった。

「何言ってんの」

 意外にも、あっけらかんとした鷹揚さと共に、ヘッドギアを引き剥がされる。
 砂と汗でべとべとに汚れた顔を見てか、ディサローノが小さく笑った。

「あんたは仕事をやった。私のできる限界以上を。だからあんたの分の仕事を、ちゃんとやった」

 くしゃくしゃと頭をかき撫でられて……すぐに手は離れる。
 言われた内容がわからなくて――いや、その言われた理由がわからなくて、ドランブイは顔を上げた。

「失敗、したんだぞ? 俺……」
「確かにツメは甘かったかもね」

 力ない声に、ディサローノは声を張り上げた。
 どこか機嫌が良さそうな明るささえ称えて、日差しを浴びるはにかみが、これ以上ないほどに眩しかった。
 でもね、と優しく撫でるような声と共に、ドランブイへ差し伸べられる手。

「――ドランブイ、よくやったわ(・・・・・・)
「……ッ」

 今度こそ溢れた涙をこらえきれなかった。だがそれを隠すよりも先に、ディサローノの手を握り返す。

 戦闘を経た疲れなど感じられないまでに、ほだされていた。
 それにさえ気づかないほど、明朗で軽やかに、彼の心は、浮き足だっていた。
最終更新:2019年05月15日 10:33