神の存在証明

神の存在証明は以下の4つに大きく分類される。
  1. 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。
  2. 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。
  3. 宇宙論的証明:因果律に従って原因の、原因の、原因の・・・と遡っていくと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
  4. 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。

ここでは、有名な神学者による神の存在証明や、それに類似した逸話などを載せていく。

アンセルムス(Anselmus Cantuariensis)

1033-1109年、イタリア
中世ヨーロッパの神学者、哲学者、カンタベリー大司教(1093-1109年)。

神の存在を理性的に証明できるとした初めての人。
アンセルムスの演繹法(1078)として知られる。
神の存在の本体論(存在論)的証明である。

ver.1
(1) 存在が在る以上、最高の存在がなければならぬはず。
 ∵ 存在はそれ自身を存在させるものを必要とするから。
(2) 最高の存在は、自らの内に存在をも含む。
 ∵ 最高の存在とは自分の存在を規定する。
(3) したがって、最高の存在、神は存在する。

ver.2
定義: 神は、それよりも大なるものが可能でない対象である。
仮定1: 神は、理解において存在する。
仮定2: 神は、事実において存在する可能性がある。(可能性)
仮定3: もし任意の対象が、理解においてのみ存在し、事実において存在する可能性があれば、その対象は、それ自身よりも大なる可能性がある。
背理4: 神は、理解においてのみ存在すると仮定する。
背理5: 神は、神自身よりも大なる可能性がある。  (・・仮定3より)
背理6: 神は、神自身よりも大なるものが可能な対象となる。
背理7: それよりも大なるものが可能でない対象が、それよりも大なるものが可能な対象となる。 (・・定義に矛盾)
背理8: 神は、理解においてのみ存在することはない。
結論: 神は、事実において存在しなければならない。(必然性)


トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)

1225-1274年、イタリア
中世ヨーロッパの神学者、哲学者、ドミニコ会士

神の存在のそれまでの証明を定式化した人。
アクィナスの帰納法として知られる。
創造論的証明である。

ver.1
(1) 動いている物はそれを動かす原因がある。
(2) 宇宙は動いている。宇宙を最初に動かしたものがあるはずである。
(3) それが、神であり、よって神は存在する。

ver.2
仮定1: すべての結果には、原因がある。
仮定2: 因果関係は、無限に連鎖しない。
結論: 因果関係の最初に、第一原因(神)が存在しなければならない。


コペルニクス(Nicolaus Copernicus)

1473-1543年、ポーランド
天文学者、カトリック司祭

コペルニクスはカトリックの司祭であったが、同時に新プラトン主義という思想が影響を与えていた。
新プラトン主義では純精神的なものを理想とする。すなわち、数学的な調和性・単純さである。
地動説に基づいたプトレマイオスの体系は非常に難解であり、神がこのように数学的に美しくない体系を創り上げたとはコペルニクスには信じられなかった。
そこで、太陽を中心とした体系であれば惑星の運動が非常に単純に説明できることに気づいたコペルニクスは地動説を提唱するに至った。


ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)

1564-1642年、イタリア
物理学者、天文学者

天体観測に望遠鏡を導入し、木星の衛星の発見や、金星の満ち欠け及び大きさの変化を発見したことで、コペルニクスの地動説を確信し、自身の著作の中でも地動説について言及するに至った。
また、自由落下を観察し、速度、慣性系、振り子の開拓的研究も行った。

ガリレイが地動説を唱え、それを理由にカトリック教会から有罪判決を受けたことはかなり有名である。このことから、当時地動説を唱えるものはすべて異端とされ、それによって科学の発展が阻害されたと考えられてきた。しかし現在では、ガリレイが神父たちよりもキリスト教の本質をよく理解し、科学的な言葉でそれを説いていたために快く思われず、でっちあげの偽裁判で有罪判決を受けたのではないかと指摘されている。

ガリレイは、神は「自然現象」と「聖書」という二重の方法で啓示を行っているという"Two Book Theory"を唱えていた。これはガリレイ本人の言葉で「神は『聖書』の尊いお言葉の中だけではなく、それ以上に、自然の諸効果の中に、すぐれてそのお姿を現し給うのであります」と説明されている。詳細は自然科学との関連を参照。


デカルト(René Descartes)

1596-1650年、フランス
哲学者、数学者、合理主義哲学の祖、近世哲学の祖

神の存在の合理主義的証明
(1) 我々人間は不完全な存在である。
(2) その完全でない人間が完全なるものの(神の)存在を認識できる。
(3) それは、完全なる神が存在するからである。

デカルトの仮言三段論法肯定式
仮定1: 神は完全である。
仮定2: もし神が完全であれば、神は存在する。
結論: ゆえに、神は存在する。


アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)

1601-1680年、ドイツ
数学、哲学、物理学、天文学、言語学、地質学、医学、聖書学、博物学、東洋研究などの多分野で専門的な著作を数多く残した

17世紀のドイツ出身の学者、イエズス会司祭。幅広い分野で優れた業績を残し、しばしばダビンチと並び称されるほどの人物である。ヒエログリフの科学的研究と読解に取り組んだパイオニアとしても有名。また伝染病がなんらかの微小生物によって引き起こされるという考えをはじめて実証的に示し、その説にもとづいた予防法を提案した。

以下はしばしばニュートンの逸話として語られている神の存在論証であるが、このやり取りに触れた最も古い資料は1800年代初めのものであり、それによればニュートンではなく、キルヒャーの逸話とされている。

彼は太陽系の模型を上手な機械工に作らせた。その太陽系模型は、惑星を表す球体が実物そっくりに連動しながら軌道上を回るように作られていた。
ある日、1人の無神論者の友人が彼を訪ねた。友人は模型を見るとすぐにそれを操作し、その動きの見事さに感嘆の声を上げた、「誰が作ったのかね?」。彼は答えた。「誰が作ったのでもないさ!」無神論者は言い返した。「君はきっと、私のことを愚か者だと考えているのだろう。もちろん、誰かが作ったのに違いないが、その人は天才だな。」彼はその友人に言った。「これは、君もその法則を知っている、遥かに壮大な体系のごく単純な模型に過ぎないものだ。私はこの単なるおもちゃが設計者や製作者なしに存在することを君に納得させることができない。それなのに、君は、この模型の原型である偉大な体系が設計者も製作者もなしに存在するようになったと信じている、と言うのだ!」その友人は神の存在を認めるようになった。


パスカル(Blaise Pascal)

1623-1662年、フランス
哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家

「人間は考える葦である」という言葉で知られる。パスカルの三角形、パスカルの原理、パスカルの定理などの発見で知られる。

神の存在の実在論的証明(確率論的証明)
パスカルの賭けとして知られる。
(1) 神が存在するか、しないかは、確率から言えば二分の一。
(2) 神が存在しないとすると、その利益は0。存在すれば、その利益は∞。
(3) その時の期待値は、存在する方は、0.5×∞=∞、存在しない方は、0.5×0=0となり、したがって私は、存在する方に賭ける。


スピノザ(Baruch De Spinoza)

1632-1677年、オランダ
哲学者。

スピノザの根本思想は「汎神論」の一形態である。
スピノザは神とは「自然」であるとし、自然の存在は自明であり、そうとすれば神の存在も自明となると主張した。
このような思想は、伝統的なキリスト教の人格的な神の概念と根本的に対立するものであるが、スピノザは従来の神の概念は哲学的に排除されるものであり、絶対者は純粋な存在性にあるとした。
精神(思惟実体)と物質(延長実体)の二実体論を提示したデカルトの思想では、精神と物体が調和している根拠が不明であるにもかかわらず、現に精神と物体の調和性が存在することは、両者の仲介者としての「神の存在」の証明であるとスピノザは主張した。

理神論的証明
(1) 定義
 神とは、全ての物の究極原因で、自らはなんらの原因のもたない存在者である。
(2) 定理
 自らにおいて存在し、自らによって解され、絶対無限の実有である神は唯一である。
(3) 定理
 自然における万物は、神あるいは属性の表われであり、神=自然である。


ニュートン(Isaac Newton)

1643-1727年、イングランド
自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者

絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『プリンキピア』一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている。(一方で、ニュートンの万有引力の研究により、神でなくとも物体の初速と位置さえわかれば物体の運動と未来の位置が予測できるようになったことから、神の存在に対する疑念が大きくなったのは事実である。)

ニュートンは生涯を通じてキリスト教研究にも打ち込んでいた。その結果は、1690年頃に執筆された『ダニエル書と聖ヨハネの黙示録の預言についての研究』と、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』にまとめられた。この中でニュートンは、聖書や伝説にある出来事の年代確定に天文学手法を導入しながらキリスト教的歴史観である普遍史をプロテスタント的史観で再構築し、また「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を解釈した独自の終末論を展開している。

ニュートンは、キリスト教研究の中でカトリックを激しく攻撃している。「ヨハネの黙示録」解釈では、神に楯突く側である「大淫婦」を世俗に堕落したローマ教皇だと断罪した。またアタナシウスら正統派教父をも批判し、三位一体説はヒエロニムスによる改竄だと主張し事実上否定している。


ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz)

1646-1716年、ドイツ

ライプニッツによる神の存在証明は、バートランド・ラッセルによれば、四つのパターンに分類できる。一つ目は本体論的証明、二つ目は宇宙論的証明、三つ目は永遠の真理よりする証明、そして四つ目は予定調和よりする証明であり、これはモナド論と密接な関連がある。

ライプニッツは二進法を考案したが、どんな数も0と1の連なりとして書き表せることから、これを無からの創造、つまり、「1(神)」と「0(無)」のみからの宇宙の創造に見立てた。またライプニッツは、虚数iは、二進法の「1(神)」と「0(無)」の中間のようなものであり、虚数iを聖霊になぞらえた。どちらも形がなく、実態があるかないかの存在であるからだ。


グイド・グランディ神父(Luigi Guido Grandi)

1671-1742年、イタリア
数学者、哲学者、神父

1と-1を互いに無限に足し合わせると0になる。
1-1+1-1+1-1+...=(1-1)+(1-1)+(1-1)+...=0+0+0+...=0

しかし、この和は次のようにも求められる。
1-1+1-1+1-1+...=1+(-1+1)+(-1+1)+(-1+1)+...=1+0+0+0+...=1

このように、無限にゼロが続く数列の和は0であり1でもある。
したがって、神は無(0)から宇宙(1)を創造しうる。

なお、このような級数をグランディ級数と呼ぶ。グランディ級数は発散級数である。

カントール(Georg Cantor)

1845-1918年、ドイツ
数学者。素朴集合論の確立者

説明の前に「濃度」の説明をしたい。有限集合Aのについて、Aの濃度|A|はAの要素の個数に等しい。例えば、A={2,3,5}であれば、Aの濃度|A|=3である。いわば濃度は集合の大きさである。

カントールは、有理数Qの濃度|Q|=ℵ0(加算集合)であることを証明したが、無理数(R-Q)の集合の濃度|R-Q|=ℵ1(不加算集合)であり、ℵ1がℵ0よりも大きいことを証明した。(ちなみに2^[ℵ0]は、実数Rの無限大である「連続体無限c」に等しい(c=2^[ℵ0])と推測されているが、証明不可能であることがポール・コーエンにより、ゲーデルの不完全性定理を用いて示された。)

※定義より、可算濃度をもつ集合は自然数全体との間に一対一対応を付けることができ、これによって 1, 2, 3, … と順番に数えていくことができるため可算無限集合と呼ばれる。自然数全体、整数全体、偶数全体、奇数全体、有理数全体はいずれも可算無限集合である。有限集合と可算無限集合をあわせて可算集合ℵ0と呼ぶ。不加算濃度とは、1, 2, 3, … と順番をつけても数えられない集合であり、このことは実際に無理数のリストを作ってみればすぐに証明可能である。カントールは不可算濃度が2^[ℵ0]として表せることも証明した。

また、可算無限ℵ0は超限数の中で最小である。これらのことから、カントールは、可算濃度ℵ0と、実数全体の集合である不可算濃度2^[ℵ0]の間に超限数はなく、すなわちℵ0の次に大きな超限数は2^[ℵ0]だと考えていた。これを連続体仮説という。つまり、2^ℵ0は二番目の超限数ℵ1だと考えたのである。(しかしこれは、その後証明できないことがわかった。)

このようにして、カントールは、無限大(超限数)が無限個あり、それぞれが他の無限大に潜んでいると考えた。つまり、ℵ0はℵ1より小さく、ℵ1はℵ2より小さく、ℵ2はℵ3より小さく…。この連鎖の頂点には、他の無限大すべてを飲み込む究極の無限大があり、それは、あらゆる理解を超える無限、すなわち「神」であると考えた。

一方で、自然数を拡張した概念を順序数と呼び、すべての有限順序数からなる集合{0, 1, 2,...}をω(あるいはω0)と呼ぶ。このとき、ωの濃度|ω|=ℵ0である。

アインシュタイン

1879-1955年、ドイツ(ユダヤ人)
理論物理学者。一般相対性理論と光子の研究で知られる。

アインシュタインは聖書の神を信じていなかったものの、宗教観自体は持っていた。
「私はユダヤ人ですが、ユダヤの教えを実践している訳ではありません。確かに子供の頃は信仰心が厚く、学校に行くときには、ユダヤの歌を口ずさんでいたほどです。しかしその頃初めて科学の本を読み、私は宗教から遠ざかりました。ところが時を経るとともにある事実に気づくようになりました。それはあらゆるものの背後にある何かです。それは科学などを通じて間接的にしか垣間見られない秩序があると言う事です。そしてこれは宗教にも通じます。その意味で私は宗教的な人間でもあるのです。」

ハイゼンベルクの不確定性定理

1927年にヴェルナー・ハイゼンベルクは、ある粒子の位置をより正確に決定する程、その運動量を正確に知ることができなくなり、逆もまた同様である、と述べた。

位置の標準偏差Δxと運動量の標準偏差Δpを結び付ける不等式は1927年にアール・ヘッセ・ケナードによって、1928年にヘルマン・ワイルによって導出された。

粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができない、という、この原理による結果に対し、それは“元々決まっていないからだ”と考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈である。しかし、この解釈は、ユダヤ教徒やキリスト教徒ではなかったが創造主を信じていたアインシュタインには耐えがたいものだった。

アルベルト・アインシュタインは反対し、“決まってはいるが人間にはわからないだけ”という「隠れた変数理論」を唱えた。この際にアインシュタインの言葉として有名な「神はサイコロを振らない(独: Der Alte würfelt nicht.)」が、1926年12月にマックス・ボルンに送られた手紙の中で使われている。しかしその後、ベルの不等式に従い、隠れた変数理論を支持しない結果が得られている。

これにより、「神は全知である」というのは誤りだということになった。

ゲーデルの不完全性定理

数学基礎論における重要な定理で、クルト・ゲーデルが1930年に証明したものである。

ある自然数論において、
1)第1不完全性原理
 「ある矛盾の無い理論体系の中に、
  肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」
2)第2不完全性原理
 「ある理論体系に矛盾が無いとしても、
  その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、
  その理論体系の中で証明できない」

これは要するに、「数学理論は不完全であり、決して完全にはなりえないこと」ということを意味している。自然数論では、必ず始めに定義をする必要があるが、その定義が正しいかどうかを証明することができないからである。

グリムの定理(1991)

ゲーデルの不完全性定理から、次のような驚くべき定理が導かれる。
神が、もし、すべての真理を知っているならば、自然数論も知っているはずである。 しかし、不完全性定理により、ゲーデル命題Gについては 矛盾を犯すことなく その真理を決定できないことになる。 したがって、自然数論を「すべての真理」に含める場合、以下のようになる。

定義: すべての真理を知る無矛盾な存在を”神”と呼ぶ。
グリムの定理: この定義において、”神”は存在しない。

これにより、ゲーデルの不確定性定理に続いて、「神は全治である」ことが否定された。

しかし、これにはパトリック・グリム(ニューユーク州立大・哲学者)の但し書きがあって、次の通りである。
この定理が否定するのは、”人間理性によって理解可能な神”であり、”神の知識は、単純に無限であることを超えなければならない。それは、いかなる形式的な考察からも、本質的に認識不可能な知識でなければならない。

超弦理論

物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。

物質の基本的谷を大きさを点として考える場合、点におけるエネルギーが無限大になってしまうという、看過不能な欠点があった。それを説明する最も良い方法が、物質の最少単位を極小の輪と考える超弦理論なのである。

超弦理論には5つのバージョンがあり、この5つの超弦理論は理論の整合性のため10次元時空が必要である。空間の3次元(縦、横、高さ)に時間を加えた4次元が、我々の認識する次元数である。我々が認識できない残りの6次元は、量子レベルでコンパクト化され、小さなエネルギーでは観測できないとされる。分かりやすく説明すると、現時点では5~10までの次元は10の33乗分の1cmの内部という極小の空間に収められているとされていて、現在の人間が観測することは不可能とされている。

なお、この余剰次元はカラビ・ヤウ多様体という形状をしていると予測されている。この図は、それを3次元空間に投影したものである。

ちなみに、何故6次元が小さな世界に収まり4次元が認識可能な領域の存在するのかは判明していない。これを解決する考えが膜理論(M理論)であり、我々の4次元宇宙は、5次元以上の高度な空間に膜のように浮いているのではないか、というものである。M理論では、さらに1次元加わった11次元が必要とされる。膜宇宙同士が衝突すると、新たな宇宙が生まれる可能性も指摘されている。

この事実は、次の聖書の聖句が事実の可能性を示している。

イザヤ書41:10
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。

4次元の世界の住民である人間には神は見えないが、隠された高次の6次元(M理論では7次元)からは低次に住む我々を見ることはたやすいのである。隠された6次元は、量子レベルでコンパクト化されているが、この世のどこにでも存在するのである。



参考


最終更新:2020年09月27日 20:42