イエスの誕生日

イエスの誕生年

マタイ福音書による計算(前6頃-前4年)

マタイ福音書2章に登場する、イエス誕生当時のユダヤの「ヘロデ王」の在位は、紀元前37年~紀元前4年であることが他の史料からわかった(マタイ14章ほかに登場する「領主ヘロデ」は別人)。したがって、イエスの誕生は紀元前4年より昔である。

マタイ2:1-7
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
マタイ2:16
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

「ヘロデ王」はマギたち(占星術の学者たち)から「星の現れた時期を確かめた」上で、メシア(キリスト)が誕生すると預言されていた町ベツレヘムの「2歳以下の男児」を皆殺しにした。ということは、「マギ」がエルサレムに来たのは、イエス誕生の直後~2年後の幅があると考えられる。
マギたちがいつベツレヘムにやって来たのかは不明だが、仮にヘロデ王の亡くなった紀元前4年だとすると、イエスの誕生は紀元前6年以降~前4年ということになる。

ルカ福音書による計算①(紀元6-7年)

ルカ2章によるとイエス誕生当時、「皇帝アウグストゥス(在位期間は紀元前31~紀元14年)から全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウス(クィリーニウス)がシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」と記録されている。

ルカ2:1-2
そのころ(預言者・洗礼者ヨハネが生まれた頃)、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

キリニウス(Census of Quirinius)は皇帝の信頼厚く、 軍人としても官僚としても有能だったようである。紀元前12年にローマの最高位の要職にあたる執政官(2人)の一人に選ばれている。 キリニウスは紀元前5~3年に小アジア(現在のトルコ)を平定してそこの総督になり、その後も東方の地域に関わりをもっていたようである。そして紀元6年にユダヤ(ユダ・サマリア・イドマヤ地方)の領主アルケラオスが失政により追放となり、ユダヤ地方がローマの属州となると、ただちにキリニウスがシリアの総督に任命されている。その任期は紀元6-7年であった。

シリア総督キリニウスがガリラヤの人口調査をしたことが歴史家ヨセフスによって記録されている。これは、キリニウスがシリア州の総督であった紀元6年に、その在任中にローマから派遣された初代ユダヤ総督コポニウスとともに 人口調査を行ったときのことを示している。

『ユダヤ古代史』第17巻13:5
キリニウスは、カエサルに派遣され、シリヤにいる人々の財産について記録した。

なお、これは使徒言行録5章37の人口調査(「住民登録」と同じ単語)と同じ事象を指すと考えられる。これは、この人口調査の際、それを不満としてガリラヤで暴動が起きていることをについて触れたものである。

使徒5:35-39
(ファリサイ派に属するガマリエルという人が)それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たち(ペトロとほかの使徒たち)の取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」

したがって、この説明が正しければ、イエスの誕生は紀元6-7年ということになる。

ルカ福音書による計算②(前2年頃)

ルカ3:1-2
皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。

ティベリウスの在位は紀元14-37年であるから、その治世15年は紀元28年である。つまり洗礼者ヨハネの活動は紀元28年からということになる。

ルカ3:23
イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。

そして、イエスが宣教を始めたのもほぼ同じ時期であるから、イエスは紀元28年頃に30歳だったと考えられる。するとイエスが生まれたのは紀元前2年頃ということとなる。

計算の矛盾

しかし、今説明したように、ルカ福音書の説明は明らかに矛盾している。
キリニウスの任期は紀元6-7年であるから、それではイエスの誕生年に矛盾が現れてしまう。属州になるとき国勢調査が行われるという通例(この例では、ユダヤが属州になっている)からして、ヨセフスが間違っているとも考えられない。したがって、この人口調査とは別に「キリニウスの最初の住民登録」が行われたときのことだとルカが言っているのだとすれば、それはいつか。

  • ある説によれば、シリア総督はサトゥルニウス(Saturninus、BC9/8-BC6)、ヴァルス(Varus、BC6-BC4)、その後任でキリニウス(BC3-BC2)と続き、サトゥルニウスが始めた人口調査をキリニウスが完成させたのだという。
  • またある説は、のちにアンテオケでローマの文書の断片が発見され、それによると、キリニウスは総督になる前の 紀元前10年-前7年の間(※紀元前9-前6年との説もある)、軍司令官としてシリアに駐在していたことが判明したということである。この説では、アウグストゥス治世は人口調査を紀元前28年紀元前8年紀元後14年の3回おこなっていることから、ルカは「(のちのシリア総督である)キリニウスが(軍事指揮官として)シリアにいた紀元前8年に発令された人口調査の調査中にイエスは誕生した」と書いているのではないかと推測されるのである。
  • ルカの記述を信用すると、多くの矛盾を抱えることから、単にルカの誤解によるものだろうとの見方もあり、多くの学者はこの説を採用している。ただし、人口調査自体は事実だとすれば、それは少なくとも紀元前8年以降ということになる。

したがって、イエスが生まれたのは前4年頃だと考えられる。


イエスの誕生月・誕生日

ルカ福音書による計算(8-9月頃)

ルカ福音書によれば、イエスが生まれた時、羊飼いらは放牧していたと書かれている。

ルカ2:8-17
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

しかし、羊の放牧は冬には行わない。イスラエル地域で羊の放牧がおこなわれるのは4月から9月までの間である。したがって、イエスの誕生日もこの時期の間ということになる。

また、ルカ福音書によればヨハネの父、ザカリヤは祭司職のアビヤの組で、神殿奉仕順番は第8組であった。(ルカ1:5)

「奉仕の順番は、種なしパンの祭りの後に開始された。荒野での会見の幕屋は、第1月の第1日目に建て上げられた(出エジプト記40:17)とあるが、種なしパンの祭りとは過越祭のことであり、これは第1月(ニサンの月)の21日まで続く。したがって神殿奉仕の第1組は22日から、つまり第4週から始まることになる。
祭司は、アルファベット順に24の組に別れ、神殿の様々な仕事を、順番に受け持っていた。神殿の仕事は年に2回、1週間ずつまわってきた。アビヤの組は第8組であるから、その奉仕週は第11週(シバンの月の第12-18日)と第35週である(キシュレーヴの月の第3-9日)。
したがってエリザベトが受胎したのは第12週(シバンの月の第19-25日、グレゴリオ暦の5-6月頃)か第36週(キシュレーヴの月の第10-16日、グレゴリオ暦の11-12月頃)である。その38週後が出産にあたるはずなので、これはグレゴリオ暦での2-3月頃か8-9月頃になる。
マリアが身ごもったのはエリザベトが6ヶ月目だったころなので、グレゴリオ暦の11-12月か5-6月頃である。そのさらに38週後が出産にあたるはずなので、グレゴリオ暦の8-9月か2-3月頃である。

以上のことから、イエスの誕生月はグレゴリオ暦の8-9月頃で、洗礼者ヨハネの誕生月は半年早い2-3月頃と言える。

ヨハネ福音書による推察(仮庵祭、9月頃)

「仮庵(σκηνη)」の動詞形「仮に宿る(σκηνω)」は、ヨハネ福音書においてイエスの受肉を表す言葉として使用されている。

ヨハネ1:14
また、ロゴスは肉体となり、わたしたちの間に仮に宿られた(εσκηνωσεν)。

このことはイエスが生まれたのが仮庵祭の時期であることを意味しているとの説がある。仮庵祭は9月頃に祝われるため、ルカ福音書で求められた8-9月頃という結果と矛盾しない。

ベツレヘムの星にまつわる天文現象による計算

木星と土星の3連会合(前7年9月15日、D・ヒューズの説)

1993年9月15日にイギリスの天文学者D・ヒューズが発表した説である。聖書に現れるベツレヘムの星を、紀元前7年の木星と土星の3連会合と同定し、かつ仮庵の祭りの時期を考慮すると、紀元前7年9月15日になるとされた。

木星と土星と火星の3重合による超新星(前6年2月頃、ケプラーの説)

ケプラーは、紀元前7年の木星と土星の3連続の合に続く紀元前6年の木星と土星と火星の三重合を想定し、この影響で表れた超新星がベツレヘムの星だと考えた。(なお、現在の天文学ではこの説は完全に否定されている)

紀元前2年の木星と金星の合(前2年6月17日)

ベツレヘム星とは紀元前2年6月17日の木星と金星が重なり明るく見えた現象であり、キリストの生まれは紀元前2年6月17日だという説がある。

紀元前5年と前4年の星

後漢書によれば紀元前5年の3月に、高麗の三国史記によれば紀元前4年の3月31日に、それぞれやぎ座の方角に天体が現れたと記述されている。両者の現象には1年の間隔が見られるものの、時期的には近く、方角も非常に近いので同一の現象ではないかと考えられている。

紀元前12年のハレー彗星説

紀元前12年に現れたハレー彗星がベツレヘムの星とするものである。たとえば14世紀初頭の画家ジョットは、1301年のハレー彗星接近を見て、これをベツレヘムの星とみなして絵画を書いている。
しかし、当時彗星は災いの象徴だった。しかも年代に大きくずれがあり、これをベツレヘムの星と同定するのは難しいものがある。


最終更新:2018年02月06日 20:44
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