旧約と新約

旧約の契約締結

エジプトを脱出したモーセが、シナイ山で神と交わした契約である。
このとき神から授けられたのが十戒である。

神から十戒を受け取ったときのことが出エジプト記に書かれている(出20:3-17)
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。

モーセが死の直前に語ったことをまとめた書である申命記にも十戒は繰り返し書かれている。(申命記5:7-21)
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。
あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない。

以上の十戒と、ここでは省略するが契約の書の二つにより、モーセとユダヤの民は生贄を主に捧げ、契約を結んだ。これを守ることが神と人との契約だった。これが旧約である。(出24:3-8)
モーセは(シナイ山より)戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。
モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」

なお、ユダヤ教では十戒だけでなく、非常に細かい戒律である律法が定められている。これを記述した書が、モーセ五書の第3書であるレビ記である。レビとはユダヤ人の中でも祭司を担当するレビ族のことであり、モーセもレビ族である。

新約の契約締結

神の子イエスによる新しい契約である。最後の晩餐にてイエスが宣言している。(ルカ22:20)
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

「わたしの血」とは、この翌日にイエスが処刑されて死ぬことを意味する。「神の子」の血を以て、人間は神と新たな契約を結んだ。これが新約である。(ヨハネ19:28-30)
この後(十字架の上でイエスが母マリア等に語りかけた後)、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

新約の時代では、一般的に旧約で定められた律法を守る必要はない。とされている。
少なくともパウロはそのように解釈した。(ロマ7:6)
しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

律法となるべきなのは、すなわち守るべき教えはキリストそのものであるとも述べている。(ロマ10:4)
キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。

なお、律法とイエス・キリストの教えの関係は律法の完成で扱う。

新約でも守られるべき十戒

しかしながら、律法の細かい規定は別として、戒律の基本である十戒については、新約の時代でも守るべき事項があることをイエスが訴えている。また、単に守るべきだけではなく、旧約時代よりも発展した内容となっている。

総論

マルコ7:21-23
中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。

マタイ15:18-20
しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。

これらは、十戒の6番目から10番目の規定と一致する。
十戒 イエスの禁止事項
6 殺してはならない。 殺意
7 姦淫してはならない。 みだらな行い、姦淫、好色
8 盗んではならない。 盗み
9 人に関して偽証してはならない。 偽証・詐欺
10 隣人の物を欲してはならない。 貪欲、ねたみ
- (十戒には該当しない) 悪意、悪口、傲慢、無分別
特に倫理的な規定に限った場合、旧約の時代よりも厳しくなっているとも言える。

第5戒:父と母を敬え

出エジプト20:12
あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

申命記5:16
あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。
マルコ7:9-13
更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」

第6戒:殺してはならない

マタイ5:21-27
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。
あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」

第7戒:姦淫してはならない

マタイ5:27-30
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」

マタイ5:31-32
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」


高等批評

ここ20章には二つの記事が並行して出ている。「1-2節+9-11節」と「3-8節」という構図である。同2節は、3-8節を飛び越えて直接9節へつながる。
10節には「エロヒーム」とあり、3-8節には「ヤハウェ」が用いられていることから、次のような説が多い。
J資料:3-8説
E資料:1-2節+9-11節

最終更新:2018年01月03日 10:53