パウロ書簡

パウロ書簡とはキリスト教の聖書正典である新約聖書に収められた27文書の中でパウロが執筆したと聖書中に書かれてある文書のことで、すべて書簡の形式をとっていることから、こう呼ばれる。オリジナルはギリシア語で書かれていた。


これらにヘブライ人への手紙を加えることもある。

13書簡のいくつかについては一般に広く使われる呼称がある。

内容による分類

四大書簡

次の4書は規模も大きく内容も充実していることから、「四大書簡」と呼ばれる。

獄中書簡

次の4書はパウロが逮捕・収監されたなかで執筆したとしているので、「獄中書簡」と呼ばれる。

牧会書簡

次の3書はパウロが教会のあり方のついて指示しているので「牧会書簡」と呼ばれる。
なお高等批評では、この3書は真筆性が極めて低いとされる。
  • テモテへの手紙一
  • テモテへの手紙二
  • テトスへの手紙

高等批評による分類

高等批評によれば、真筆性が高いものと低いものに区分することができる。

真性パウロ書簡(極めて真筆性の高いもの)


執筆順は、テサロニケ1(使徒18:1-5)→コリント1→コリント2→ローマ・ガラテヤ(使徒20:2-3)→フィレモン・フィリピ(獄中)

第二パウロ書簡(偽名書簡)

一般に、パウロ本人の作と考えられていないもの。ただし、その中でも真筆性が考慮できるものと、まったく考えられないものに分けられる。

真筆性がやや高いもの

偽名書簡だとすると、コロサイ書は80年代、テニサロケⅡは90年代と推定される。

真筆性がやや低いもの

偽名書簡だとすると、エフェソ書は100年代と推定される。

極めて真筆性の低いもの

これらは牧会書簡と同じものである。
  • テモテへの手紙一
  • テモテへの手紙二
  • テトスへの手紙
これらは2世紀に書かれたと推定される。(ただし、この中でもテモテへの手紙一は、クレメンスの第一の手紙に引用されている箇所があることから、挿入や加筆がなされる前の原書簡はより早い時期に存在した可能性もある)

なぜパウロはイエスの生涯について語らないのか

パウロ書簡の内、イエスの生涯について語ったのは、最後の晩餐についてのみで、他には一切触れていない。

コリントⅠ11:23-26
わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです

その上、イエスについて語らないことを正当化している節さえ見える。

コリントⅡ5:13-17
わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。
なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

パウロの理屈では、生きている人間の目的は、自分たちの代わりに死んで復活した(精神の)キリストのために生きることなのだから、肉として生きていた生前のイエスを知る必要はない、ということになる。しかしそれはさすがにおかしいと言える。

そこで、いくつかの理由が考えられる。

1.イエスについての情報がほとんどなかった

パウロは確かにイエスの直弟子ではなく、生前のイエスには会っていない。しかし、エルサレム教会は、イエスの言動を知っていた人が多いはずである。

2.実在のイエスを知る弟子たちへのライバル意識

イエスの残像を言葉にして宣教している弟子たちや、偉大なる師匠の言葉として宣教している弟子たちに比べ、パウロは実在のイエスを知らないために、ライバル意識として神の子イエス像を宣教の論理とした可能性がある。またパウロのテリトリーは異邦人地域であり、イエスその人として宣教するよりも、神の子としてのイエスの方が宣教しやすかった可能性がある。

3.他の教派と論議するため、イエス・キリスト論を強調する必要があった

パウロと違う教派のキリスト教があり、その教派との論議をするために、パウロのイエス・キリスト論が強く打ち出される必要があり、イエスその人の言動はパウロの宣教においてはあまり意味をなさなかった可能性がある。

4.パウロが生前のイエスを拒絶した

パウロにとって、イエスは神の子でありキリストでなければならなかった。しかし、実在のイエスは、たとえば政治的グループの一員である熱心党員を十二使徒に入れたり、「ユダヤ人の王」としてローマから処刑されるなどという事実があり、これらはパウロ書簡の後にまとめられたと考えられる福音書が触れていなかった「政治的リーダーとしてのイエス」が存在した可能性を示している。その場合、パウロは「宗教的リーダー」としてだけでなく、「政治的リーダー」としての側面を知っていた可能性があり、それがパウロの思想に合わなかったため、パウロは語ることを拒否した可能性がある。



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最終更新:2017年08月02日 11:14