聖書の年表(普遍史)

聖書が叙述する内容に基づき構成された世界史。天地創造から最後の審判まで、未来も含む有限の時間軸と、空間的には全世界を含んでいる。

過去の計算結果

Jose ben Halafta[2世紀] (3761 BC: ユダヤ紀元[Anno Mundi])
Bede[c.673-735] (3952 BC)
Joseph Justus Scaliger[1540-1609] (3949 BC)
ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)[1571-1630] (3992 BC)
ジェームズ・アッシャー(James Ussher)[1581-1656] (4004 BC, October 23)
アイザック・ニュートン(Isaac Newton)[1642-1726/27] (c. 4000 BC)

アッシャー(Ussher)の年表

  1. 天地創造からアブラハムの移住までは、マソラ本文を用いて2082年と計算する(BC4004-BC1922)。
  2. アブラハムの移住からソロモンの神殿建築までは、アブラハムがハランを出発してからの30年と、イスラエル民族への迫害の400年と、出エジプトからソロモンの治世4年目の神殿建築までは480年である(列王記上6章)であることから計910年と計算する(BC1922-BC1012)。
  3. 神殿建築からバビロン捕囚までは、単純に加算すると430年になるが、アッシャーはこれを424年と計算し、かつバビロン捕囚をBC588と同定した(BC1012-BC588)。
  4. 以上の計算より、天地創造の年は前4004年である。ところで、天地創造の第1日は日曜日であり、ユダヤ歴は秋に始まる。そのことから、天地創造の第1日は秋分の日に最も近い日曜日であると考えた。ケプラーの『ルドルフ表(tabulae Rudolphinae, 1627)』に基づけば、前4004年の秋分は10月25日火曜日(グレゴリオ暦:9月23日)である。こうして天地創造の日を10月23日日曜日(グレゴリオ暦:9月21日)と定めた。(なお、実際の秋分の日は10月23日当日だったと後の計算で明らかとなっている。)

聖書の年表の作成

このwikiでは、管理人が独自に計算したものを用いることにする。

計算方法

聖書には、出来事がいつ起きたのかを推定するための情報が散在している。こういった具体的な年数を伴った情報は、主にP資料によると考えられている。

以下では、「アダム歴」という概念を用いる。天地創造後X年目をアダム歴X年の定義する。
すなわちアダムが生まれたのをアダム歴0年とする。

なお、ノアの洪水に関する逸話を除き、原則的に暦は出エジプトの時点を1月として始まる。そこまでの暦年はアダムが生まれてから何年たったかという数え方をしているが、出エジプト以降は起点が異なるため、ここではアダム歴出エジプトを2453年を1年と定義して計算していく。


年表作製上の問題点

聖書の年表はいくつかの点で二重の意味にとれる点があり、研究者により年表には誤差ができる。
  • アルパクサデが生まれた年が「セム100歳の年(-2)」か、「大洪水の年の2年後(+0)」か。
  • アブラム(アブラハム)が「テラ70歳の年に生まれた(+0)」か、「テラ死亡時に75歳だった(+60)」か。
  • 「出エジプトから主の宮建設まで450年」か「士師時代が410年」か。
  • 分裂王朝時代の年数を「即位した年号で数える(-4?)」か「在位年数で数える」か。
  • アッシリア捕囚(BC722)からバビロン捕囚(BC587)までの期間は、史実に基づくと135年だが、ヒゼキヤの1年目からゼデキヤの11年目までの在位年数は139年であることから、聖書にあるようにゼデキヤの6年目をアッシリア捕囚とするとその間の期間は134年6ヶ月となり、6ヶ月分足りなくなる。したがってここの計算方法は複雑になる。

このどの条件で計算するかにより、天地創造の年は2^4=16通りに変わる。(さらに、マソラ本文を用いるか、七十人訳聖書を用いるかでも変わるが、今回はマソラ本文を考える)
今回は、「大洪水の年の2年後」、「テラ70歳の年に生まれた」、「出エジプトから主の宮建設まで450年」、「即位した年号で数える」という換算方法で計算した。


聖書の年表

聖書の年表(オリジナル)(Excel)
※以前はネットクラウドサービスに保存していましたが、アクセス権の問題があり、atwikiに直接保存することになりました。

創世記の年表

アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)、ヨセフなど。
アダム歴0年~2309年に該当する。
天地創造からアブラハムの移住までは、2023年と計算する。

出エジプト記からヨシュア記までの年表

レビ、コハテ、アムラム、ミリアム、アロン、モーセ、ヨシュア、カレブ。
アダム歴2190年頃~2500年代に該当する。

士師時代の年表

オテニエル、エフド、エボラとバラク、ギデオン、アビメレク、エフタ、サムソン、エリ、サムエルなど。
アダム歴2500年代~2800年代に該当する。

王国時代の年表

サウル、ダビデ、ソロモン、ユダ王国、イスラエル王国
アダム歴2933年~3361年(BC587年)に該当する。
神殿建築からバビロン捕囚までは428年と計算する。

アッシリア捕囚後の年表

トビト、トビア
BC722年(アダム歴3224年)~BC612年(アダム歴3334年)

バビロン捕囚後の年表

ゼルバベル、ネヘミヤ、エズラ、ネヘミヤ
BC539年(アダム歴3407年)~

中間時代の年表

マカバイ記

新約時代の年表

ヨハネ、イエス、パウロ
BC5年(アダム歴3944年)~

アウグスティヌスの普遍史

古代的な普遍史は、アウグスティヌス(354-430)の著作『神の国』にて完成された。彼は、歴史とは原罪を背負い死を免れなくなった人類が、神の導きに従いつつ正しい発展を遂げ、改めて永遠の平和が実現した「神の国」に生きるまでの道筋という意味づけを行った。これは「救済史観」と呼ばれる。
この救済史観についてアウグスティヌスは、アベルとその子孫に始まる神の愛に基づく「神の国」と、弟を殺したカインに始まる欲や傲慢などに支配される自己愛に基づく「地上の国」の二つの原理が混在しせめぎ合いながら過去の歴史は刻まれたという論を展開した。そして段階を踏みながら人類は発展し、最終的に救済がもたらされると説明した。この発展段階は、神が6日で天地を創造した聖書記述になぞらえた6期の発展段階が置かれ、7期目が安息の期、そして第8期には永遠なる「神の国」成就を当てた。


区分 始まりの出来事 終わりの出来事 天地創造
第1期 幼年期 アダム生誕 大洪水 1日目
第2期 少年期 大洪水 アブラハム 2日目
第3期 成年期 アブラハム ダビデ 3日目
第4期 ダビデ バビロン捕囚 4日目
第5期 バビロン捕囚 キリスト生誕 5日目
第6期 老年期 キリスト生誕 最後の審判 6日目
第7期 安息日 7日目
第8期 永遠の第8日
このような時代的骨格を据え、アウグスティヌスは諸民族の歴史を聖書記述の枠組みの中に嵌め込み、普遍史体系を成立させた。その考えはエウセビオスの思想を継承している。大洪水以前は巨人も存在する世界だったが彼らは滅び、その後各民族に連なる歴史が始まった。ギリシア史はシュキオン王から始まり、プロメーテウスやヘーラクレースなど神話上の存在までが実在した人物として描かれている。

アウグスティヌスは、「神の国」の発展と並行する「地上の国」の歴史も叙述し、ふたつの国を相関させることで、普遍史を体系化した。彼は基本的にエウセビオスの四世界帝国論を踏襲しつつ、第一帝国アッシリアと第四帝国ローマをことさら重視する論を展開した。歴史の段階がアブラハムの登場によって成年期に進んだ時と同じく「地上の国」もアッシリアが成立し、キリスト生誕によって老年期に至った時もアウグストゥスによるローマ帝国が建国される。これら出来事の同時発生こそが、神の計画を証明すると主張した。第二・第三帝国についてアウグスティヌスは、それぞれメディアを含めたペルシアと、マケドニアを充てているが、これらは重視するふたつの帝国の仲立ちをした、付加物のようなものと述べている(18章-2)。このようにアウグスティヌスはエウセビオスと同様に聖書の記述内容を読み替えてカルデア(新バビロニア)を無視する解釈を行った。(ダニエル書を参照)


リンク

Wikipedia:士師記
聖書の年表(エベル-30(※計算忘れ?), 南6アハジヤ-1, 南13ヒゼキヤ-1, 南14マナセ-1, 南15アモン-1, 南16ヨシヤ-1, 南18ヨヤキム-1, 南19ヨヤキン-1, 計-37)

最終更新:2021年10月23日 11:29