ハンムラビ法典

ハンムラビ法典(英語: Code of Hammurabi)は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。アッカド語が使用され、楔形文字で記されている。

タリオの法

「目には目で、歯には歯で(タリオの法)」との記述は、ハンムラビ法典196・197条にあるとされる。旧約聖書、新約聖書の各福音書にも同様の記述がある。しばしば「目には目を、歯には歯を」と訳されるが、195条に子がその父を打ったときは、その手を切られる、205条に奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られるといった条項もあり、「目には目を」が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。

ハンムラビ法典の趣旨は犯罪に対して厳罰を加えることを主目的にしてはいない。財産の保障なども含まれており、奴隷階級であっても一定の権利を認め、条件によっては奴隷解放を認める条文が存在し、女性の権利(女性の側から離婚する権利や夫と死別した寡婦を擁護する条文)が含まれている。後世のセム系民族の慣習(=イスラエル人など)では女性の権利はかなり制限されるのでかなり異例だが、これは女性の地位が高かったシュメール文明の影響との意見がある。

聖書とハンムラビ法典の関係

モーセの律法書のもとになったとみなす学者もいるが、内容的に大きく異なる。 ハンムラビ法典の「目には目」と旧約聖書出エジプト記21章、レビ記24章、申命記19章における「目には目」の律法が似ているため、その関係がよく取り上げられるが、その詳細は異なる。ハンムラビ法典は上述のように、身分の違いによってその刑罰が異なるのに対し、聖書律法は身分の違いによる刑罰の軽重はない(ただし自らの奴隷に対する場合は異なる)。また、聖書の律法は、神と家族間に対する罪など、倫理的な罪はそれと比べて重い処罰が課せられ、物品等の損害など商業的罪に関してはそれと比べ軽い罪が課せられている。

ハンムラビ法典第196-201条
第196条 もし彼(上層自由人)がほかの人(上層自由人)の目を損なったならば、彼は彼の目を損なわなければならない。
第197条 もし彼(上層自由人)がほかの人(上層自由人)の骨を折ったならば、彼は彼の骨を折らなければならない。
第198条 もし彼がほかの人(一般層自由人)の目を損なったか、骨を折ったならば、彼は銀1マナ(約500グラム)を支払わなければならない。
第199条 もし彼がほかの人の奴隷の目を損なったか、骨を折ったならば、彼はその(奴隷の)値段の半額を払わなければならない。
第200条 もし彼(上層自由人)がほかの人(上層自由人)の歯を折ったならば、彼は彼の歯を折らなければならない。
第201条 もし彼がほかの人(一般自由人)の歯を折ったならば、彼は銀三分の一マナ(約167グラム)をし原なわなければならない。

出エジプト21:22-27(契約の書)
人々がけんかをして、妊娠している女を打ち、流産させた場合は、もしその他の損傷がなくても、その女の主人が要求する賠償を支払わねばならない。仲裁者の裁定に従ってそれを支払わねばならない。
もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。
人が自分の男奴隷あるいは女奴隷の目を打って、目がつぶれた場合、その目の償いとして、その者を自由にして去らせねばならない。
もし、自分の男奴隷あるいは女奴隷の歯を折った場合、その歯の償いとして、その者を自由に去らせねばならない。

レビ記24:17-20(神聖法典)
人を打ち殺した者はだれであっても、必ず死刑に処せられる。
家畜を打ち殺す者は、その償いをする。命には命をもって償う。
人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。

申命記19:21(申命記法典)
あなたは憐れみをかけてはならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いなければならない。
最終更新:2017年02月28日 08:03