ティーラ・プリズム

聖書の以下の部分を証明していると考えられている。
列王記下18:14-16
ユダの王ヒゼキヤはラキシュのアッシリア王のところに人をやって言った。「私は罪を犯しました。私のところから引き揚げて下さい。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから」そこで、アッシリアの王は銀300タランと、金30タラントを、ユダの王ヒゼキヤに要求した。ヒゼキヤは主の宮と王宮の宝物倉にある銀を全部渡した。

列王記下19:32-34
アッシリアの王について、主はこうおおせられる。彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾を持ってせまらず、砦を築いてこれを攻めることもない。彼はもと来た道から引き返し、この町に入らない。

内容

「ティーラー・プリズム」
ユダヤ人ヒゼキヤに関していえば、私は彼の46の城壁のある町々とそれらを囲む無数の小さな村落を包囲し征服した。私は戦利品として、そこからあらゆる階層の20万150人、男女、馬、らば、ろば、らくだ、牛、羊を連れてきて、数え上げた。彼自身(ヒゼキヤ)は、私が王都エルサレムに篭(かご)の中の鳥のように閉じこめた。私は彼を見張り所で取り囲み、誰も彼の町に出入りが出来ないようにした。... 彼(ヒゼキア)は私のところに、私の王都ニネヴェに、金30タラント、銀800タラント、最良のアンチモニー、巨大な赤い石の塊、象牙の装飾の寝台、象牙装飾の肘掛椅子、象の皮革、象の牙、黒檀、つげ材、あらゆる種類の高価な財宝、そして彼の娘たち、宮殿の婦人たち、男女の歌い手を献上してきた。彼は貢ぎ物を払い、敬意を表するために彼の使者を送った。
このように、アッシリアは南ユダ王国を征服する寸前に至ったものの、なぜか撤退している。

この直接の理由は「ティーラー・プリズム」には残念ながら見つからないが、ヘロドトスはアッシリアのエジプト侵攻の失敗について、以下のように述べている。(ヘロドトス「歴史」2巻)
ある夜,おびただしい数の野ねずみがアッシリア人の陣営に群がり,彼らの矢筒や弓や盾の取っ手をむさぼり食った
このことから、アッシリアはペストの急速な感染を受けて戦闘続行が不可能な状況に追い込まれ、撤退したと考えられる。

最終更新:2017年03月16日 08:56