自然科学との関連

聖書と自然科学の矛盾

聖書を科学的に読むことがおかしいことについては、キリスト教神学では昔から気づいていた。古代の教父オリゲネス(185-254年)やアウグスティヌス(354-430年)は、創世記 1 章の一日目に光が現われて昼と夜が生じたことと、太陽、月、星が四日目に造られたこととの間に矛盾のあることを指摘している。彼らは、創造の「一日」を文字どおりではなく、比喩的に解釈していたのである。

このような背景から、アウグスティヌスは非キリスト教徒が持つ自然界についての知識を、キリスト教徒が聖書を元に否定することで聖書そのものまで嘲笑されることを懸念し、学問上の知識と矛盾する場合には聖書を象徴的に解釈することをすすめた。

キリスト教と近代科学

17世紀に生きる人々にとって、自然についての「知」が、神の御業や計画についての「知」に連なるという前提は、自明のことであった。すなわち、17世紀に誕生した近代科学は、キリスト教と密接な関係にあったのである。リン・ホワイト(Lynn Townsend White Jr.)は「近代的な西欧科学はキリスト教の母体のなかで鋳造された」と表現している。

例えば、キリスト教会によって宗教裁判にかけられたガリレオ・ガリレイは、神やキリスト教を否定して科学を唱えたのではない。むしろその反対であり、ガリレイは、「神は『聖書』の尊いお言葉の中だけではなく、それ以上に、自然の諸効果の中に、すぐれてそのお姿を現わし給うのであります」と語っている。このように、神は『聖書』と『自然』という二つの方法で啓示を行っているとする考え方を"Two Book Theory"と呼ぶ。

アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツは、神と自然の関係について激しく論争している。「神は常にどこにおいても自然に働きかけている」と考えるニュートンは、「全知・全能なる神の所産である自然は、神の介入による手直しを一切必要としない」と考えるライプニッツから、「神の御業に関して奇妙な見解を示している」と非難された。

ニュートンを擁護するブレーズ・パスカルは、ライプニッツの考えを踏襲したルネ・デカルトに対して、「デカルトを赦すことはできない。彼はその哲学体系のなかで、できれば神なしですませたいと考えたはずだ」と非難した。

1687年にニュートンが発表した著作名は『自然哲学の数学的諸原理』なのであって、『自然科学の数学的諸原理』ではなかった。17世紀において、現在で言うところの「科学的な探求」を行っていた人は、自身のことを自然哲学者と呼んでいたのである。さらに、ニュートンが「自然哲学の根幹というのは、神の属性や神と自然界の関係を探求することなのだ」とはっきりと述べているとおり、そもそも神のことを知り神と自然の関係を知るために自然哲学をしていたのである。そのニュートンに「あなたは"宗教"と"科学"にどのように折り合いをつけたのですか」と問うことは本末転倒である。

リン・ホワイトの言うように、近代西欧科学はキリスト教を母体として生まれたものなのである。

キリスト教と自然科学との対立

しかしながら、キリスト教は自然科学と思想的に対立するものがある。



最終更新:2017年10月08日 14:22
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