大洪水の否定論

ダ・ヴィンチによる疑義

山で海の化石が見つかる原因は、ノアの洪水によるものだという聖書説が、18世紀まで主流の考え方だった。他にも、山で見つかる化石は、大地の造形力が生み出し損ねた自然失敗説や、星の神秘的な力が大地に作用して創造したという星辰崇拝説などがありました。

ダ・ヴィンチはこれらの迷信に惑わされることなく、実際に山に赴き、自分の目で見て調査をした。そして、ダ・ヴィンチは、化石が何層もの層に埋もれていることを発見した。もし、洪水が化石を海から山に運んだのであれば、それらの化石は一つの層から全て発見されるはずである。なぜなら聖書にはノアの洪水が何度も起こったとは書かれておらず、一回しか書かれていないためである。ところが調査をしてみると、幾重にもわたる層から貝の化石が出土した。
また、ダ・ヴィンチは、ある断崖の粘土質のところに貝の層があることを発見した。もし、貝殻が洪水の濁流によって運ばれたのであれば、その柔らかい粘土質のところにバラバラに入り混じっているはずである。ところが、実際は秩序正しい地層をなしていた。
その他、色んな角度から地質学的に検証した結果、山で化石が見つかるのは、海底が何らかの作用で隆起したからであると結論づけた。

ダ・ヴィンチは大洪水について次のように書き残している。(アトランティコ手稿)
ここに一つの疑惑が生じる。すなわち、ノアの時代に襲来する大洪水は普遍的なものであったかどうかということである。
ここでは、以下述べるようないくつかの理由によって、否であるようだ。・・・

他国の歴史との矛盾

中国の歴史書が伝わるにつれて、ノアの方舟より前から中国文明が存在し、しかもノアの方舟の後も何事もなかったかのように存続していることがわかってきた。これにより、ノアの方舟の歴史的な根拠も崩されることとなった。(詳細は「聖書の年表中国の歴史」を参照)

メソポタミアの洪水

19世紀になり、メソポタミア文明の残した碑文の解析が進み、聖書に書かれている大洪水そっくりの逸話が、旧約聖書の成立よりも千年以上も前に存在したことが明らかとなった。これにより、聖書の大洪水の逸話はメソポタミア神話を元にして書かれたものである可能性が指摘された。(詳細は「メソポタミア神話」を参照)
この、メソポタミアの人々が体験した大洪水の記録は、20世紀に入り、考古学的に証明されることとなった。(詳細は「メソポタミアの洪水」を参照)

参考

最終更新:2017年07月10日 23:00