聖母の被昇天

元来は正教会の生神女就寝が6世紀ごろに西方に伝わったものである。

聖書には対応する記述がなく、伝承に基盤を持つ。その伝承によれば、マリアはその晩年をエルサレムで、天国に入ることを望みつつ平穏に暮らしていたが、ある日、己の死が数日後に迫ったことを悟り、望みがかなう日が近いことを知って喜び、家を片付け、持ち物を施して、死の訪れを待った。ただ、彼女が子とも友とも慕うイエスの直弟子たち、十二使徒が宣教の旅にいて会えないことが残念に思われた。ところがその日エルサレムにトマスを除くすべての使徒たちが戻ってきたのである。マリアは喜び、悲しむ使徒たちを慰め、みなに別れを告げて平穏に眠りについた。三日後トマスが到着し、使徒たちとともに墓を訪れたところ、そこに葬られたはずのマリアの身体はすでになく、天より現れたマリアが、己が天の生命に遷されたことを告げた。使徒たちは歓喜し、マリアを賛美した。
おそらくエルサレムで祝われるようになったのが始まりである。4世紀の文献には見えず、西方では最初1月に祝われたと文献に残る。6世紀初めから7世紀にかけて、8月15日に定着した。

「聖母の被昇天」はこれとは違い、マリアの死を「就寝」「眠りにつく」のではなく、原世の肉体でそのまま天にあげられたとはみなす。

1950年、当時のローマ教皇ピオ12世のエクス・カテドラ宣言によって正式に教義とされた

クルアーンの記述

イスラム教の聖典であるクルアーンには聖母の被昇天とみなされる記述がある。

クルアーン23:50
またわれ〔主〕は、マルヤムの子〔イエス〕とその母〔マリア〕を印となし、両人を泉の涌き出る安静な丘の上に住まわせた。
最終更新:2018年02月12日 10:33