人間の死後

キリスト教では、死後人間は最後の審判で裁かれるとされているが、そこまでの経過の解釈には、「ハデス」「ゲヘナ」「パラダイス」の解釈の違いにより、複数の説が存在する。

用語

私裁判と公裁判

ルカ16:19-31の金持ちとラザロのたとえは、ハデスのことを表していると考えられている。しかし、最後の審判とは明らかに異なる文脈であることから、これを「私裁判」の根拠とすることが多い。

また、以下の下りも最後の審判とは異なるため、「私裁判」の結果として「地獄」へ捉えられた例と考えられる。

2ペトロ2;4
神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄(タルタロス)に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。

ユダ6-7
一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。
ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。

シェオル

シェオル(שאול, Sheol)は、ヘブライ語の音訳であり、新改訳聖書では「黄泉」、新共同訳聖書では「陰府(よみ)」と訳されている。
  • 旧約聖書時代は多くの場合、シェオルは死人のいる所であり、墓を意味した。(創世記37章35節、42章38節、サムエル記第一2章6節、列王記第一2章6節、ヨブ記14章13節)
  • 天と対照的な所低い暗いところ。(民数記16章30節、33節、ヨブ記11章8節、詩篇139篇8節)
  • 悪人の住むところ。(詩篇9篇17節、箴言23章14節)

ハデス(Ἅιδης)

伝統的解釈では死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。
  • 使徒言行録2章27節、31節では、詩篇16篇10節のシェオルがハデスと訳されている。これは、死後の世界をさしており、肉体的な死と神の最後の審判との間の中間状態を指している言葉である。

詩編16:10
あなたはわたしの魂を陰府(シェオル)に渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
使徒2:27
あなたは、わたしの魂を陰府(ハデス)に捨てておかず、
あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしておかれない。

  • ペトロの手紙二2章4節でギリシャ語タルタロス(Ταρταροωσας)が「ゲヘナに引き渡す」と訳されていることから、タルタロスはハデスに含まれているか同一概念であり、ハデスとゲヘナが異なる概念である根拠とされる。
  • 使徒言行録2章25節-31節でペテロは死とハデスを同義語として用いている。
  • マタイによる福音書11章23節では、カファルナウムがハデスに落とされるとイエス・キリストが発言している。これは、シェオルが地下にあるというユダヤ人の概念に関係がある。
  • マタイによる福音書16章18節では、ハデスは教会の敵であり、サタンの本拠地であり、サタンと同義語に用いられている。
ルカによる福音書16章19節-31節の金持ちとラザロの話は、ハデスで金持ちが苦しんでいる記述から、ハデスが苦しみの場所であることを表している。ラザロと金持ちがお互いに行き来できない別々の場所にいたということから、ハデスが二つに分けられている可能性を示唆している。

マタイ16:18
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府(ハデス)の力もこれに対抗できない。

ゲヘナ(γεεννα)

ゲヘナ(Gehenna)は、ヒンノムの谷を意味するヘブライ語のゲーヒンノーム(גי(א)-הינום)を語源とするギリシア語ゲエンナ(γεεννα)に由来する語。イスラム教では、ジャハンナム(jahannam)と呼ばれている。その谷は古代エルサレム市の南端にあり、聖書ではヨシュア記15章8節に最初に言及されている。
伝統的解釈では最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所であるとされる。
  • 永遠の滅びの場所の根拠とされる(マタイ 5:22、マルコ 9:48)
  • イエスはこれを「永遠の火」と表現している。

マタイ18:8
(イエスは言った)
もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。
両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。

マタイ25:41
(イエスは言った)
それから、王は左側にいる人たちにも言う。
『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。

  • パウロは、イエス・キリストが再臨したとき、神を信じない者、イエスの教えに従わない者が、かぎりなき永遠の刑罰を受けると記している。(第二テサロニケ1:7-1:9)
  • 黙示録の「火の池」はゲヘナを意味していると考えられている。(黙示録20:10, 20:15, 21:8)

イエスが「永遠の火」と語っていることから、苦しみも永遠に続くと主流派の教会(カトリック、正教会など)では考えている。
一方、エホバの証人では、ここで語られる「永遠の火」は象徴的な意味であり、永遠に魂が消滅することをイエスは「永遠の火」と語ったと捉えているため、実在の火ではないと考える。

パラダイス

ルカによる福音書23:43でイエスがともに十字架に架けられた罪人に悔い改めた彼はイエスとともに"paradise"に入ると述べている。このパラダイスが天国に含まれるのかハデスに含まれるのかは教派により解釈がわかれる。


死後の世界

ユダヤ教の考え方

ユダヤ教では死後の世界は想定していなかった。
口寄せ女によりサムエルを呼び起こした記述から、死者の魂は黄泉(シェオル)で意識のない状態で存在していると考えていたようである。
終末の日に、裁き主なる神が直接人間の歴史に介入し,イスラエルとすべての民族を裁き、神の国を始めると信じていた。
キリスト教の興隆以降、メシア(救世主)が降臨した後、すべての死者が墓から蘇り、神が各人の功績に応じて審判し、「正しき者には祝福する天国の永遠の生命を与え、その他の者には地獄の刑罰を与える」という思想が芽生えた。

プロテスタントの多数派の考え方

プロテスタントでは、ハデスを黄泉と考え、ゲヘナを地獄と考える。
死後、人間の魂は私裁判により「天国」と「黄泉(ハデス)=冥府(タルタロス)」に振り分けられる。
そこで終末を待ち、最後の審判で肉体が蘇ると、「天国」と「地獄(ゲヘナ)」に最終的に振り分けられる。

カトリックの考え方

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カトリックでは、ハデスとゲヘナを地獄と考え、それとは別に「煉獄」という概念を導入する。
死後、人間の魂は私裁判により「天国」と「煉獄(プルガトリオ)」と「地獄」に振り分けられる。
「煉獄」に行った魂は、浄化されれば「天国」へ行ける。
そこで終末を待ち、最後の審判で肉体が蘇ると、「天国」と「地獄」に最終的に振り分けられる。

正教会の考え方

正教会では、パラダイスとハデスを黄泉と考え、ゲヘナを地獄と考える。
死後、人間の魂は私裁判により、黄泉(ハデス)の中にある「楽園(パラダイス)」と「冥府(タルタロス)」に振り分けられる。
そこで終末を待ち、最後の審判で肉体が蘇ると、「天国」と「地獄(ゲヘナ)」に最終的に振り分けられる。

エホバの証人の考え方

エホバの証人では、ハデスを黄泉と考え、ゲヘナを語源通りの「ゲヘナ(罪人の死体処理場)」と考える
死後、人間の魂は私裁判により「天国」と「黄泉(ハデス)」に振り分けられる。
そこで終末を待ち、最後の審判で肉体が蘇ると、「天国」に行くか「魂の消滅(ゲヘナ)」が起こるかに最終的に振り分けられる。

イスラム教の考え方

イスラム教では、バルザフ(Barzakh, 障壁)という黄泉がある。(クルアーン23:99-100参照)
死後、人間の魂は皆 黄泉(バルザフ)に行くが、天使ムンカルとナキールによる私裁判により予審を受ける。
予審の結果で天国行きとなれば快楽に満たされ、地獄行きとなれば苦痛に満たされる。
そこで終末を待ち、最後の審判で肉体が蘇ると、「天国」と「地獄」に最終的に振り分けられる。


最終更新:2020年09月29日 17:56