フレゴンの日食記事

ヒエロニムス『年代記』には、少アジアの年代記記者フレゴン(Phlegon)が西暦32年頃に大日食があったことを記録したことが引用されている。

しかしながら、第202回のオリンピック大会の第4年目(紀元32/33年)、日食が起こった。それは古今未曾有の大日食であった。昼の第6時(正午)、昼は深い夜へと変わり、星が見えるほどとなった。また、ビテニア(Bithynia)に起こった地震でニケヤ(Nicaea)の町の多くの建物が倒壊した。これらのことは前述の人物〔フレゴン〕による。


この時期に起こっている日食は、西暦29年11月24日のみであり、小アジアでの発生時刻も午前中である。また、エルサレムからは皆既日食にはならない。そもそも、イエスの磔刑は過越祭の日であるから満月であり、日食は怒らない。

このことから、フレゴンの観測した「大日食」の正体は不明であるが、少なくともヒエロニムスはこれをイエスの磔刑の日に起きた「太陽が光の輝きを失った」現象だと考えている。


最終更新:2018年01月29日 12:27
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