イエスの最後の一週間

曜日(ローマの暦)で区分けした日程表

曜日はローマの暦から来ているが、ローマの暦では、現在と同じく、一日は深夜に始まり深夜に終わる。

なお、ベタニヤとエルサレム城内の簡易図は以下の通り。

共観福音書

1日目昼:エルサレム入城(マルコ11:1-10)
1日目夕:ベタニア-イチジクを呪う(マルコ11:11)
2日目昼:エルサレム(マルコ11:12-18)
2日目夕:都の外(マルコ11:19)
3日目朝:枯れたイチジク(マルコ11:25)
3日目昼:エルサレム(マルコ11:26-13:37)
ニサン月13日昼:ベタニア(マルコ14:1-11)
ニサン月14日昼:過越の食事の準備(マルコ14:12-16)
ニサン月14日夕:過越の食事=最後の晩餐(マルコ14:17-31)
ニサン月15日晩:ゲツセマネでの逮捕(マルコ14:32-52)
ニサン月15日明方:大祭司の尋問(マルコ14:53-72)
ニサン月15日朝:ピラトの元へ(マルコ15:1-24)
ニサン月15日第3時:十字架への張り付け(マルコ15:25-32)
ニサン月15日第6時:全地が暗くなる(マルコ15:33)
ニサン月15日第9時:イエスの死(マルコ15:34-41)
ニサン月15日夕:埋葬される(マルコ15:42-47)
ニサン月16日:安息日
ニサン月17日夜:香料の購入(マルコ16:1)
ニサン月17日朝:墓石の移動(マルコ16:2-8)

ヨハネ福音書

ニサン月9日昼:ベタニア(ヨハネ12:1-11)
ニサン月10日昼:エルサレム入城(ヨハネ12:12-19)
日付不明:エルサレム(ヨハネ12:20-50)
過越祭の前(13日)夕:最後の晩餐(ヨハネ13:1-14:31)
過越の準備の日(14日)晩:ゲツセマネでの逮捕(ヨハネ18:1-12)
過越の準備の日(14日)未明:大祭司の尋問(ヨハネ18:13-27)
過越の準備の日(14日)明方:ピラトの元へ(ヨハネ18:28-40)
過越の準備の日(14日)第6時:イエスの裁判(ヨハネ19:1-17)
過越の準備の日(14日)第6時以降:十字架への張り付けと死(ヨハネ19:18-30)
過越の準備の日(14日)夕:埋葬される(ヨハネ19:31-42)
大いなる安息日(15日):過越祭
週明けの日(16日)朝:墓石の移動(ヨハネ20:1-10)

なお、時刻の数え方は、ユダヤ式とローマ式が存在した。ユダヤ式は日の出から数え始め、ローマ式は真夜中から数え始めた。たとえば第6時とは、ユダヤ式では午前6時から6時間後の午後0時を意味するが、ローマ式では午前0時から6時間後の午前6時を意味する。

最後の晩餐の日付問題

このチャートはイエスの処刑日をニサン月14日として作られている。

共観福音書

マルコ福音書では、最後の晩餐の日は「除酵祭の第一日」で「過越の小羊を屠る日」とある。ルカ福音書でも両者が同じ日であると書かれている。

マルコ14:12
除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日
ルカ22:7
過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。

しかしレビ記には、この日付について次の記述があり、「主の過越」と「主の除酵祭の初日」は異なる日である。

レビ記23:5-8
第一の月の十四日の夕暮れが主の過越である。同じ月の十五日は主の除酵祭である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる。初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。七日の間、燃やして主にささげる献げ物を続けて、七日目に聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。

これは、ユダヤ人の暦が特殊なものだったことが関係していると考えられる。ユダヤ人の暦では、一日は日没から始まり、次の日没で終わった。つまり、これは14日の日没前に過越を行い、日没後に15日となって除酵祭になるということである。

しかし、福音書はいずれも異邦人のためにギリシャ語で書かれており、ヘレニズム文化では一日は日の出から始まった。マルコ福音書著者はこれを考慮し、敢えてヘレニズム文化の1日の数え方を採用して「過越の小羊を屠る日(14日昼)」を「除酵祭の第一日(15日夜から)」と同じ日であると記述したものと思われる。これはルカ福音書も同じである。

同じ部分がマタイ福音書では単純に「除酵祭の第一日」となっている。

マタイ26:17
除酵祭の第一日に

これはマタイ福音書はユダヤ人のために書かれたものであり、読み手は「過越の小羊を屠る日(14日昼)」が厳密に「除酵祭の第一日(15日夜から)」の前日だということを知っているからである。しかし、マタイ福音書の記述では結局、「過越の食事の準備(14日昼)」が「除酵祭の第一日(15日夜から)」と同じ日になっていることから、マルコ福音書と同じく朝から晩までを一日として記述していることになる。

したがって、最後の晩餐にまつわる一連の出来事は、「過越の小羊を屠る日」であるニサンの月(1月)の14日午後から「除酵祭の第一日」であるニサンの月(1月)の15日日没後までの出来事と考えられる。しかし、後述するように「ニサンの月の15日で金曜日」という日付は現在のユダヤ歴の計算方法ではこの時期には存在していない。このことから、福音書の記述が正しいとすれば、当時の暦の決め方が現在とは異なっていた可能性が考えられる。

ヨハネ福音書

ヨハネ福音書に関しては、単に「過越祭の前」としかなく、晩餐の準備がニサンの13日か14日か、すなわち最後の晩餐がニサンの月の14日か15日かは不明である。

ヨハネ13:1
過越祭の前のことである

しかし、同福音書の18:28や19:14の記述から、イエスが処刑された日こそがニサンの月の14日(過越祭の準備の日)だったことになる。

ヨハネ18:28
人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
ヨハネ19:14
それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。

これをまとめると、イエスが処刑されたのは「ニサンの月の14日の金曜日」となる。これは「イエスが神の子羊として過越の日に捧げられる」というヨハネ福音書の哲学によるもので、イエスの磔刑と死がいずれも午後になっているのもそのためである。ただし、現在のユダヤ暦の算出方法で計算すると、紀元27-35年頃の暦では、33年に14日の金曜日となる。(西暦33年4月3日は、ユダヤ歴3793年ニサン月14日となり、この日は金曜日である)

ヨハネの日付の矛盾の解消

しかしながらヨハネ福音書と共観福音書に矛盾が無いと考える人たちもいる。その主張をいくつか紹介する。

①共観福音書の言う「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」はガリラヤでは主流であったエッセネ派の暦での話であり、これはニサン月14日に当たる。

②ヨハネ福音書でいうところの「過越の準備の日」というのは、正確には「過越で、翌日の安息日のための準備の日」というい意味である。したがってヨハネ福音書の記述でも、イエスの処刑日はニサン月15日である。

その他にも様々な説明で無矛盾を説明するものもある。

「三日三晩」の預言未成就問題

イエスはマタイ12:40で「三日三晩、土の中にいる」と預言しているが、実際には磔刑にされた金曜日から復活の日曜日までの間には、1日目の夕、2日目(安息日)の夜と昼、3日目(週明け)夜と朝 となり、三日三晩は経っていない。伝統的な解釈では、金曜日から日曜日までは三日であるとの意味として説明される。

実際に三日三晩だったと説明する人たちは、イエスは14日の夕に埋葬され、15日夜から17日(安息日)昼まで実際に墓の中で過ごし、週明けである18日の夜に復活したという解釈を取る。
最終更新:2018年01月30日 11:12