悪霊論

悪霊論は神学の一部門であり、悪霊に関する研究である。これは天使論に密接に関連しており、サタンとその悪霊(悪魔)について、彼らが何者であり、どのように人間を攻撃するかといったことを研究する。

サタンの登場場面

キリスト教では、旧約聖書の『創世記』3:1-15、『第一歴代誌』21:1、『ヨブ記』1:6-12、2:1-7、『ゼカリヤ書』3:1-2に悪魔としてのサタンが登場していると解釈される。

新約聖書にもサタンは多く出てきており、マタイ4:1-11、ルカ10:18、19、ヨハネ13:2、27、第一ペテロ5:8、黙示録12章、13:1-4、20:1-3、7-10などがある。 ヨハネの黙示録12:9、20:2ではイヴを誘惑した蛇を「年を経た蛇」と呼んでいて、サタンと同一視している。

サタンの意味

一般名詞としてのサタン

旧約聖書においては、古い時期においても既に"サタン(ヘブライ語:שטן)" の表記が見受けられる。ただしその意味は現在の「サタン」とは異なり、単なる普通名詞の一つであり、「敵」「裏切り者」「訴訟相手」であった。つまり、旧約聖書の古い段階においては、「サタン」は単に「悪い人」を意味する言葉だった。

例えば列王記上5:18では(神に)「敵対する者」、サムエル記下19:23では(ダビデ王に)「敵対する者」という意味で使われている。神あるいは神の信奉者の敵がサタンなのである。
しかし、詩編109:6では神に敵対する悪人を糾弾し「訴える者」に「サタン」の語が与えらている。ここでは神の敵がサタンなのではなく、その敵を攻撃する者がサタンとなっている。
さらに、民数記22:22では神がバラムの行く手を塞ぐために遣わした御使いに対して「サタン(=妨げる者)」という言葉が使われている。ここでは神の敵対者ではなく、神の使者に対して「サタン」が使われている。このように、サタンが普通名詞の一つであったことが分かる。

固有名詞となったサタン

旧約聖書の新しい段階になると、定冠詞が付き "השטן (英語:the satan)" となり、固有名詞として使用されるようになる。例えば、ヨブ記2:1-2では明らかに一つの存在の固有名詞として使われているのが分かる。

ただしこのサタンは決して「神の敵対者」ではない。それどころか神に仕える天の議会の一員である。その役目は人間を見張ることであり、確かに人間に災いにもたらしはするが、それはあくまでも神が了解した範囲内での行動である。つまりヨブに皮膚病の苦しみを与えるのも、ヨブの神に対する信仰や忠誠心を確認するためであり、「神に敵対するサタン」が悪さを働いているわけではない。つまり、この段階でもない、旧約聖書では世界は「唯一神による一元論の原理で成り立っている」のである。人間に善を施すのも、悪をもたらすのもすべて神の意志であり、悪の勢力が善である神に戦いを挑むという構図は存在しない。

悪魔としてのサタン

一元論で成り立っていた旧約聖書に、善と悪との二元論的発想がもたらされたのは紀元前587年頃のバビロン捕囚がきっかけであったと言われる。バビロン捕囚とは新バビロニアの王ネブカドネザル2世によってユダヤ教徒がエルサレムからバビロニアの地に強制移住させられ、70年に渡って捕囚生活を送ったことを言う。この時代にユダヤ教徒たちは現地の文化の影響を受けたが、その中に善悪二元論の立場を取るバビロニア神話や、特にペルシャ(現在のイラン)から発祥したゾロアスター教からの影響があると言われる。つまりバビロン捕囚の時代以降、サタンが神の敵として扱われ始めたのである。

このサタンの変化に関しては、「サムエル記」から「歴代誌」への間に起こった記述の変更を指摘することができる。サムエル記下24:1には「主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった。主は、『イスラエルとユダの人口を数えよ』とダビデを誘われた」とあるのに対し、歴代誌上21:1には「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った」とある。つまり「神の怒りがイスラエルに向けられた」から「神に敵対するサタンがイスラエルに災いをもたらそうとした」という意味に変わったのだ。

また、外典の知恵の書には邪悪な存在が神に対して自立していく様が見て取れる。例えば、2:24には「悪魔のねたみのために、死がこの世に入った」とある。この書のオリジナルはギリシャ語であり、「悪魔」と訳されている元のギリシア語は「διαβόλου (diabolou)」である。この箇所のヴルガータ聖書のラテン語訳で「diaboli」、英語で「the devil」、フランス語で「le diable」となった。

このように、単なる「敵」を意味する普通名詞であった「サタン」という語が、邪悪な存在の固有名詞と変化していったのである。

なお、後期ユダヤ教の外典や偽典には、別の名前で呼ばれるサタンがいくつか存在することを言い添えておく。例えば、サタナエル、マステマやアスモダイといった名を挙げることができる。

堕天使ルシフェル

サタンやその手下の悪霊たちは、天使が堕天したものと考えられている。
堕天使として広く知られるのはルシフェル(ルシファー、「明けの明星」の意味)であるが、ルシフェルはサタンと同一視されている。かつてルシフェルは神の元にある輝かしい天使であったとされるが、ある時、その慢心のために陰府へ落された。歴史書にはないが、イザヤ書とエゼキエル書に書かれている。

エゼキエル28:12-17
「人の子よ、ティルスの王(=悪魔)に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。
主なる神はこう言われる。
お前はあるべき姿を印章としたものであり
知恵に満ち、美しさの極みである。
お前は神の園であるエデンにいた。
あらゆる宝石がお前を包んでいた。
ルビー、黄玉、紫水晶
かんらん石、縞めのう、碧玉
サファイア、ざくろ石、エメラルド。
それらは金で作られた留め金で
お前に着けられていた。
それらはお前が創造された日に整えられた。
わたしはお前を
翼を広げて覆うケルブ(=ケルビム)として造った。
お前は神の聖なる山にいて
火の石の間を歩いていた。
お前が創造された日から
お前の歩みは無垢であったが
ついに不正がお前の中に
見いだされるようになった。
お前の取り引きが盛んになると
お前の中に不法が満ち
罪を犯すようになった。
そこで、わたしはお前を神の山から追い出し
翼で覆うケルブであるお前を
火の石の間から滅ぼした。
お前の心は美しさのゆえに高慢となり
栄華のゆえに知恵を堕落させた。
わたしはお前を地の上に投げ落とし
王たちの前で見せ物とした。

なお、ルシフェル(羅:Lucifer)の名は、4世紀末にヒエロニムスがヴルガータに訳した際、ヘブライ語の「明けの明星」を意味する言葉 הֵילֵל(hêlēl、イザヤ14:12)に、ラテン語の"lucifer"を当てたことから名付けられた名前である。ただし、イザヤ書の記述については、直接的にはバビロンの王を比喩した言葉であり、地上のバビロンの王の堕落と天上の天使の堕天を重ねあわせた表現として理解されている。したがって、リベラル派ではこれを堕天使の説明とは考えない場合もある。

イザヤ14:12-15
ああ、お前は天から落ちた
明けの明星(=lucifer)、曙の子よ。
お前は地に投げ落とされた
もろもろの国を倒した者よ。
かつて、お前は心に思った。
「わたしは天に上り
王座を神の星よりも高く据え
神々の集う北の果ての山に座し
雲の頂に登って
いと高き者のようになろう」と。
しかし、お前は陰府に落とされた
墓穴の底に。

サタンの誕生時期

いつサタンが生まれたかということについては議論があるが、創世記第1章では、「空」を創造した二日目のみ、神が「良しとされた」と言わない。
このことから、この日(この時期)に天使の反乱がおき、サタンが生まれたと解釈されることもある。


最終更新:2020年09月25日 12:22