三位一体

キリスト教で、父(神)子(キリスト)聖霊の三位は、唯一の神が三つの姿となって現れたもので、元来は一体であるとする教理。キリスト教の根幹的教義の一つ。
父(PATER, Father)と子(FILIUS, Son)と精霊(SPIRITUS SANCTUS, Spirit)はいずれも神(DEUS, God)であるが、父と子と精霊は異なる存在と考える。

三位一体論の歴史

初期の全地公会議にて議論となっている。第1ニカイア公会議(第一全地公会、325年)の頃から第1コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会、381年)の頃にかけて、「イエスは神聖ではあるが、あくまで「父」の被造物たる「子」である」とするアリウス派を斥けこうした三位一体論の定式が整理されていった。ただし、論争はこの二つの公会議が終わった後もなお続いていた。

三位一体論におけるキリストの位置づけ

キリストは人でありながら神である、というのが三位一体論の基本的な考え方である。しかし、キリストがイエスとして地上に存在する以前には人ではなかったのは明らかである。そのため、三位一体論では、キリストはもともとは人の形を持たない存在であったが、降臨によってイエスという人の肉体を持ち、そのまま昇天し、現在では人の肉体を有する存在になったと考える。

三位一体論の問題点

父と子と聖霊、という表現は聖書の中にある。

マタイ28:18-20
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

しかし、三位一体は、聖書のどこにも根拠がない。原始キリスト教徒たちは「聖霊」という言葉を主の別表現として使っていた。だから主と聖霊は同じ物を意味する。しかしイエスは全く別なのであって、この三者が同質であるということはない。

ヨハネの手紙一はかつて三位一体の論拠とされた。
天において証言する者は、父・みことば・聖霊の三つです。この三者は一致しています。
地において証言する者は、霊と水と血です。この三者は一致しています。

しかし、後の研究で、ヨハネ一5:7-8は、4世紀頃に教父が欄外に書いた注釈が本文に紛れ込んだものだと分かった。それで、現在の聖書では次のように訂正された。(ヨハネ一5:7-8)
証言する者は、霊と水と血です。この三者は一致しています。

よって、聖書内には三位一体の根拠はなくなったのである。これはコンマ・ヨハンネウム問題(ヨハネ章句問題)として有名である。
最終更新:2020年10月06日 14:27