聖マラキの預言

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  • 歴代の預言者
    聖書に登場する預言者一覧 前族長時代 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 アダム アダム アーダム アベル — — ケナン — — エノク エノク イドリース ノア ノア ヌーフ — — サーリフ(※シェラ) エベル — フード(※エベル) 注:ケナン(創5 9-14)、シェラ(創10 13)、エベル(創11 14-17) 族長時代 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 アブラハム アブラハム イブラーヒーム — ロト ルート サラ — — — — イスマーイール(イシュマエル) イサク イサク イスハーク ヤコブ ヤコブ ヤアコーブ ヨセフ ヨセフ ユースフ ヨブ ヨブ アイユーブ — — シュアイブ(※エトロ) ビトヤ — — このほか、リベカ、ラケル、レア 注:ビトヤ(歴上4 18) トーラーの預言者 ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 アロン アロン ハールーン...
  • マラキ書
    12小預言書のひとつ。3章からなる。預言の主題は宗教儀式の厳守、及び雑婚の禁止である。 マラキはおそらく「わが使者 (マルマーキー) 」 (3・1) を意味する人名で,あとから付されたものらしい。成立は前5世紀と思われる。内容は4章に分れ,神に対する不義および神への恐れのなさへの批判,契約の履行と律法の遵守の勧告,突然に来る神の裁きについて,そして裁きの前にエリヤが現れて父なる神の心を子供らに伝え,子供らの心を父に向けさせる役目を果すことが各章の主題となっている。 主はイスラエルの民を愛した(1章2節~5節) しかし彼らは犠牲の捧げ方を誤り(1章6節~2章9節) 異教の女をめとり、結婚の契約をないがしろにした(2章10節~16節) 審きの日は近い(2章17節~3章5節) 10分の1税を正しく納めよ(3章6節~12節) 主は悪を行う者を審き、神の名を畏れる者を救う(3章13節~...
  • 終末の預言
    イエスによる終末の預言である。 神殿の崩壊 マルコ13 1-2 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」 マタイ24 1-2 イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」 ルカ21 5-6 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない...
  • 獄中のヨハネの質問
    獄中にいた洗礼者ヨハネの「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」という質問に対し、イエスは「わたしにつまずかない人は幸いである。」と答えた。荒れ野のたとえでイエスは民衆に話しかけている。 マタイ11 2-19 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなた...
  • ペトロのつまずきと弟子たちの離散の預言
    ペトロや他の弟子たちのつまずきの預言 マルコ14 26-31 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。 『わたしは羊飼いを打つ。 すると、羊は散ってしまう』 と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。 マタイ26 31-35 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。 そ...
  • オバデヤ書
    12小預言書の1つ。旧約聖書のなかでもっとも短く、1章21節のみからなる予言の書。筆者は伝統的にオバデヤ(オバデア)という名の人物とされる。 著者 オバデヤとしか書かれていない。 オバデヤ書1節 オバデヤの幻。 しかしヒントはある。オバデヤ1-9節をエレミヤ書49 7-22の並行記述とみる。エレミヤ書のこの箇所はヨヤキン王の第4年(紀元前604年)とされており、したがってオバデヤ11-14節は紀元前586年のネブカドネザルによるエルサレム陥落を指すと看做される。 内容 その内容は、ユダ王国の隣国エドムに対する報復の預言が中心となっている。紀元前587年新バビロニア王国によってエルサレムが陥落し、神殿をはじめ都が破壊されたとき、エドムはユダ王国の苦境に乗じて、略奪を行ったり、逃れる者を撃つなど、隣国としての友好関係を裏切った。これに対する神の審判と、ユダ王国...
  • イエスの洗礼
    洗礼者ヨハネ イエスに先立ち、神は洗礼者ヨハネをヨルダン川へ送られた。人々が洗礼者ヨハネをメシアかもしれないと考え始めたが、洗礼者ヨハネは明確し、真のメシアがやって来ることを述べた。 マルコ1 2-8 預言者イザヤの書にこう書いてある。 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、 あなたの道を準備させよう。 荒れ野で叫ぶ者の声がする。 『主の道を整え、 その道筋をまっすぐにせよ。』」 そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。 「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちも...
  • アブラハムの宗教
    一般的には、アブラハムを共通の祖先とみなすユダヤ教、キリスト教、イスラム教を包括する名称である。 イスラム教では、イスラム教を除くユダヤ教とキリスト教を「啓典の民」と呼ぶ。 なお、アブラハムの宗教以外でも、最後の審判などの思想にゾロアスター教が関わっていたり、イエス・キリストの思想に仏教の思想が影響しているという学説もあり、キリスト教と関連の深い宗教は多数に及ぶ。 啓典の民 イスラム教において、本来は同じ啓典(聖書、クルアーン)を元に成立するキリスト教徒、ユダヤ教徒、サービア教徒のみを指し、それ以外の異教徒には改宗を迫る(強制改宗)のが原則であった。 しかし、イスラーム国家の拡張に伴い、強硬な姿勢は維持できなくなる。そのため、時代と地域によって若干の異同はあるが、実質的にイスラーム国家の支配領域に住むほぼ全ての異教徒を指して啓典の民と呼ぶようになっていった。 グ...
  • ハガイ書
    12小預言書の10番目に位置する。全2章で構成される。伝統的に、著者は、バビロン捕囚後の最初の預言者ハガイであるとされる。 ダリウス1世(在位前522~前486)治世の紀元前520年8月から12月中ごろまでエルサレムで活動したバビロン捕囚後の預言者ハガイの預言を集めたもの。わずか2章の分量であるが、各段落に日付があり、ハガイの預言活動を正確に伝えている。それは、ペルシア支配の弱体化にメシア時代の到来を予知したハガイが、ゼカリヤといっしょにエルサレムの神殿建築を再開させ、サマリア人を排除した神殿宗教と犠牲の捧げ物を求め、ダビデの子孫ゼルバベルのメシア支配を預言したものである。 著者 著者は不明だが、預言者ハガイが前520年に受けた預言である。 ハガイ1 1 ダレイオス王の第二年六月一日に、主の言葉が預言者ハガイを通して、ユダの総督シェアルティエルの子ゼルバベルと大祭司...
  • ハバクク書
    12小預言書の8番目の預言書。3章からなる。 著者 著者は不明だが、ハバククの預言である。 紀元前630年ごろに地中海沿いのパレスチナ一帯を席巻したスクテア人(スキタイ人)の来襲が影響している。 カルデア、すなわちバビロニアが脅威として描かれていることから、ユダ王国の末期に書かれたと推測する見解がある。エホヤキム王の治下、紀元前609年から紀元前598年が、ひとつの可能性として想定されうる。エルサレムがバビロニアに攻略されるのは紀元前598年である。バビロニアの残酷さは直接的な生々しさをもって描かれている。 内容 この書の前半(1~2章)は預言で,後半(3章)は詩歌(ハバククの祈り)である。 預言の部分は、エレミヤの初期の預言と似ており、カルデア人の恐るべき略奪を描く。これはエレミヤの場合と同様、騎馬民族スクテア(スキタイ)の活動を指すものであろう。これは横暴な者に対...
  • イザヤ書
    著者 アモツの子イザヤによる。 イザヤ書1 1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。 イザヤの活動時期は、ウジヤ=アザルヤ1年(アダム歴3140年)~アザルヤ52年(アダム歴3191年)に始まりで、ヒゼキヤ1年(アダム歴3220-21年)~ヒゼキヤ29年(アダム歴3249年頃)の間と考えられる。 実際の歴史に換算すると、紀元前8世紀(紀元前700年代)頃と考えられる。 内容 ただし、実際の内容は以下のように分類される。 1.第一イザヤ:BC740~690年頃のエルサレムでの預言(1-39章) 終りの時代のイスラエル(1-5章) イザヤの召命(6章) アッシリアによる侵略と回復1(7-12章) 諸外国の滅亡(13-23章)(※ただしバビロンに関する預言は第二イザヤか?)...
  • エレミヤ書
    52章からなる。36章には、ヨヤキム(エホヤキム)王の第4年(紀元前605年)に、エレミヤが書記バルクに言葉を書き取らせたが、その巻物は王により焼かれてしまったので別の巻物に再び書いたとされており、これが『エレミヤ書』の成立と何らかの関連を持っていることが推測される。本文はヘブライ語で伝達されたものと七十人訳聖書との間に多少の相違がある エルサレム,ユダ,諸国民に対する審きと救済の預言,自身の受難記など。 著者 冒頭の記載によれば、アダム歴3320年(紀元前628年)~アダム歴3361年(紀元前587年)の預言である。 エレミヤ書1 1-3 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの...
  • ゼファニヤ書
    12小預言書の中では9番目に位置する。伝統的にゼファニヤが筆者とされる。紀元前7世紀後半ないしそれ以降に成立した。 神の世界審判の時としての恐るべき「主(しゅ)の日」の到来が全体を貫くテーマで、神の怒りが迫っていることを告げ、悔い改めを求めている。紀元前630年ごろに地中海沿いのパレスチナ一帯を席巻したスクテア人(スキタイ人)の来襲に、神の審判を感じ取ったのであろうといわれている。審判はユダのみならず、周辺諸国(ペリシテ、モアブ、アンモン、エチオピア、アッシリア)をも含むとする普遍的な立場が示されている。 『ゼファニヤ書』は短い書ながら、滅びの預言と救済の預言の双方を備え、典型的な預言書の体裁を整えている。『ゼファニヤ書』は『旧約聖書』中、神の怒りの日、「主の大いなる日」のもっとも精細に富む描写を含み、かつ、この怒りの日を生き延びた者たちとの和解と救済についても記している。...
  • 小預言書
    ホセア書 [3155年以前-3221年(BC727)以後(前8世紀)] ヨエル書 [不明] アモス書 [3140年-3154年] オバデヤ書 [3343(BC605)年頃-BC587頃] ヨナ書 [前8世紀頃] ミカ書 [3206年(BC742)以前-3221年(BC727)以後] ナホム書 [BC663年-BC612年] ハバクク書 [BC630頃-BC598頃] ゼファニヤ書 [BC630頃-3338年(BC609)] ハガイ書 [BC520] ゼカリヤ書 [BC520] マラキ書 [前5世紀?] 恐らくこれらの文書は、それぞれ独立に、ユダ王国およびイスラエル王国の末期から、両王国滅亡後、バビロン捕囚のあと、紀元前2、3世紀頃までに書かれた。どの文書も比較的短く(最も長い『ホセア書』と『ゼカリヤ書』で14章)、神の怒りとその罰としての滅び、和解と復興などの主題が現れる文書が多い。
  • 見る目は「幸い」
    ルカ10 23-24 それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。 「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 マタイ13 16-17 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。 はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
  • 旧約聖書正典
    ユダヤ教およびキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書、詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。全39巻。 39巻が正典であることは、ヤムニア会議で決定された。 モーセ五書創世記 出エジプト記 レビ記 民数記 申命記 歴史書ヨシュア記 士師記 ルツ記 サムエル記 列王記 歴代誌 エズラ記 ネヘミヤ記 エステル記 知恵文学ヨブ記 詩篇 箴言 コヘレトの言葉(伝導の書) 雅歌 大預言書イザヤ書 エレミヤ書 哀歌 エゼキエル書 ダニエル書 小預言書ホセア書 ヨエル書 アモス書 オバデヤ書 ヨナ書 ミカ...
  • イスラム教
    唯一絶対の神アッラー(アラビア語で「神(deity)」を意味する一般名詞である"ilāh"に定冠詞(the)である"al-"をつけた形の"al-lāh")を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされる預言書クルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。 イスラム教はアラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれ、神がアラビア語をもって人類に下したとされるクルアーンを啓典とする宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビア語を起源とする語である。 イスラム教の教典(聖典)としてすべてのムスリムが認め、従うのは、アラビア語で「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)唯ひとつである。クルアーン(コーラン)はムハンマドが最後の予言者として語った内容が、ムハンマドおよび...
  • 知恵の言葉
    Q資料の31番。 ルカ11 45-52 そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。 イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。 あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。 こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。 だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』 こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカル...
  • エジプトへの逃避
    東方の三博士らが帰った後、養父ヨセフは天使のお告げを夢で聞き、エジプトへ逃げた。(マタイ2 13-15) 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 その後、ヘロデが幼児を殺害したことが書かれている。(マタイ2 16-18) さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の...
  • 洗礼者ヨハネの投獄と宣教の開始
    ヨハネの逮捕に伴い、イエスはナザレを離れ、ガリラヤへ帰った。まずナザレへ戻り、それからカファルナウムへ移動している。 マルコ1 14-15 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 マタイ4 12-17 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 「ゼブルンの地とナフタリの地、 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、 異邦人のガリラヤ、 暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ...
  • キリストの死と復活の預言
    一回目の予告 マルコ8 31-9 1 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たち に教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。 すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな...
  • ヨナ書
    12小預言書の5番目に位置する。 4章からなる。内容は預言者のヨナと神のやりとりが中心になっているが、ヨナが大きな魚に飲まれる話が有名。著者は不明。異邦人を主人公としているルツ記と同じように、イスラエルの民の選民思想・特権意識を否定しており、当時のユダヤ人には驚くべき内容であった。 なお、ヨナ書は小預言書に含まれているものの、内容は「物語」であり、他の預言書とは異なる。 著者 著者は不明だが、主人公はアミッタイの子ヨナである。 ヨナは列王記下14 25に現れ、ヤロブアム2世の治世で活動した預言者である。 ニネベの悔い改めについて触れていることから、アッシリア滅亡の前612年よりは確実に前である。 恐らくは前8世紀に書かれたと考えられる。 内容 前半(1~2章):ヨナ自身の悔い改めの物語(ヨナの祈り) 後半(3~4章):ヨナの宣教によってニネベの人々が悔い改めた...
  • ナホム書
    12小預言書の7番目に位置する。全3章から構成される。著者はナホムという名の人物とされる。 預言の主題はニネベの陥落とアッシリアへの裁きである。 著者 著者は不明だが、ナホムに下された預言である。 成立時期は、ナホム書3章8~10節に、エジプトのテーベの滅亡が記されているので、紀元前663年より後であり、また同書2章にニネベの陥落が預言されているので、ニネベが陥落した紀元前612年より前である。 内容 『ナホム書』は3章から成っており、前半部分はアッシリアからユダを解放した神への詩である。後半からはチグリス川沿いに位置するニネベの滅びを告げる預言である。ナホムの厳しい預言は『ヨナ書』と比較されることも多い。 1章12~2章1と3の断片的預言はそれより10年以上もさかのぼるものとされている。この部分を別にして、1章の「いろは歌」と2章は、罰すべきは罰する恵みの神の...
  • 福音書
    福音書(希 ευαγγέλιον, ラテン語 Evangelium)は、イエス・キリストの言行録である。通常は新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)を意味する。その他にトマスによる福音書やペトロによる福音書などがあるが、正典として認められなかった外典文書である。 マタイによる福音書 [65-70年頃] マルコによる福音書 [70-75年頃] ルカによる福音書 [80-85年頃] ヨハネによる福音書 [90-100年頃] うち、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書は記述が並列することから、共観福音書と呼ばれる。 内容 以下の時系列は、基本的には最も古いマルコ福音書の記載を中心に進めるものとする。 1.誕生の次第、幼年時代 (マタイ1 18-2章)(ルカ1 5-2章) ...
  • 世界宗教の比較
    比較 項目 仏教(Buddhism) ヒンドゥー教(Hinduism) ユダヤ教(Judaism) キリスト教(Christianity) イスラム教(Islam) 開祖(教祖) ゴータマ・シッダッタ〔釈迦〕 なし なし(モーセ?) イエス・キリスト ムハンマド 発祥年代 紀元前6~5世紀(釈迦の誕生) 紀元前5-4世紀頃(バラモン教の衰退) 紀元前10世紀頃 紀元30年頃(イエスが活動する) 610年(ムハンマドが啓示をうける) 主要地域 東南アジア、東アジア、チベット インド周囲 ユダヤ人共同体 ヨーロッパ、南北アメリカ 西南アジア、東南アジア、アフリカ おおよその人口 4億人 9億人 1300万人 22億人 15億人 母宗教 バラモン教 バラモン教 - ユダヤ教 ユダヤ教・キリスト教 教典 仏教経典 ヴェーダ? 旧約聖書 旧約聖書・新約聖書 クルアーン 象徴 仏像 オーム(アウム)...
  • イザヤの殉教と昇天
    イザヤの殉教、イザヤの幻、イザヤの昇天の3部から成る初期キリスト教の書。第1部は前1世紀初めヘブライ語またはアラム語で書かれ、第2~3部は紀元100年頃キリスト教徒の手でギリシア語で書かれたが、原文はない。現在ギリシア語、ラテン語、コプト語、古代スラブ語写本の断片がある。 内容 イザヤが偽預言者バルキラによって、王ヒゼキヤに無実の罪で訴えられ、のこぎりで引かれて殉教死を遂げる物語である。第1部はマナセ王下のイザヤの殉教を語り、第2部はイザヤの預言、キリスト教会の建設、終末時の反キリストの出現、最後の審判を述べる。 第3部は新約聖書の外典であり、イザヤが昇天して、7つの天を見たこと、イエスの受肉、十字架の死、黄泉降下と復活を語っている。
  • ホセア書
    旧約聖書の 12小預言書中の第1書。預言者として神に召されたホセアに対する神の試練と、その試練に耐えて不義の妻を許したホセアが、主を捨て、バールを礼拝し、宗教的にも道徳的にも腐敗したイスラエルの人々に、不義に対する神の罰と悔い改めによる罪のゆるしについて説くことが主たる内容。 著者 『ホセア書』に同時代人として挙げられている王の名はイスラエル王国・ユダ王国末期のものであり、これを信ずるなら紀元前8世紀末の人物である。預言者イザヤの父ホセアと同一人物と思われる。 ホセア書は、預言者ホセアが聞いた主の言葉である。『ホセア書』に同時代人として挙げられている王の名はイスラエル王国・ユダ王国末期のものであり、預言期間がウジヤの治世からヒゼキヤの治世にまで及ぶことが主張される。これを信ずるなら紀元前8世紀末の人物である。(ホセア書1 1) ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキ...
  • 受胎告知
    受胎告知と処女懐妊はマタイ福音書とルカ福音書のみに記述された逸話である。天使ガブリエルが処女マリアを訪問し、聖霊によって男の子を身ごもることを告げる。 マリアへの受胎告知 ルカ福音書では、天使ガブリエルが母マリアに、ナザレに現れて告げる。(ルカ1 25-38) (洗礼者ヨハネの受胎後)六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉...
  • ミカ書
    12小預言書の6番目に位置する。著者は伝承では紀元前8世紀の預言者ミカに帰される。 著者 本書の著者とされる預言者ミカは、ミカ書1章1節によれば、モレシェト出身で、預言者イザヤと同時代人である。(ミカ1 1) ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである。 したがって、アダム歴3206年(BC742)以前からアダム歴3221年(BC728-27)以後である。 その活動は、主として、出身地モレシェトの圧政に苦しんでいる人々のためになされた。 ミカの活動は旧約聖書・エレミヤ書26章17~18節にも記載されている。 構成 『ミカ書』は7章からなる。このうち、現代の高等批評的研究では、ミカが実際に著したのは、1 1~2 11と3 1~12と言われている。彼は1~3章で,主が...
  • ペトロの説教
    聖霊降臨を受け、人々が「酒をに酔っているに違いない」などとさまざまな噂をしていたときに、ペトロが始めた演説である。ペトロは、聖霊降臨の様子を、ヨエルの預言のことだと説明した。 使徒2 14-21 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 『神は言われる。終わりの時に、 わたしの霊をすべての人に注ぐ。 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、 若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、 そのときには、わたしの霊を注ぐ。 すると、彼らは預言する。 上では、天に...
  • 定めの七十週
    以下の預言のことである。 ダニエル書9 21-26 こうして訴え祈っていると、先の幻で見た者、すなわちガブリエルが飛んで来て近づき、わたしに触れた。それは夕べの献げ物のころのことであった。 彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。 お前の民と聖なる都に対して 七十週が定められている。 それが過ぎると逆らいは終わり 罪は封じられ、不義は償われる。 とこしえの正義が到来し 幻と預言は封じられ 最も聖なる者に油が注がれる。 これを知り、目覚めよ。 エルサレム復興と再建についての 御言葉が出されてから 油注がれた君の到来まで 七週あり、また、六十二週あって 危機のうちに広場と堀は再...
  • エゼキエル書
    著者は預言者エゼキエルに帰せられている。彼は預言者エレミヤよりやや年下であり、エレミヤがほぼエルサレムで預言活動を行ったのに対し、バビロンの地において捕囚民の精神的指導者として預言活動を行ったと考えられる。他の預言書と比較して、はるかに整然と構成されているように見えるが、この構成が預言者自身によるのか、それとも後代の編集者によるのかが問題とされている。 著者 著者はエゼキエルであり、第1次バビロン捕囚後の5年目、つまり紀元前594年頃から27年目の前571年に及ぶ神の言葉である。エゼキエル書の中の「第何年」という記述は主に第1次バビロン捕囚後からの年数であるが、初めに出てくる「第三十年」というのは、おそらくエゼキエル本人の年齢のことではないかと思われる。すなわちエゼキエルは紀元前624年生まれであると推測される。 エゼキエル書1 1-3 第三十年の四月五日のことである。わた...
  • 東方の三博士
    イエスが生まれてからしばらく経ってからのことだと推定される。マタイ福音書のみが述べている。(マタイ2 1-11) イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、...
  • イエスの宮きよめと教え
    イエスはエルサレム神殿の中で物を売り買いしていた人たちに激高し追い出した。 マルコ11 15-19 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。 『わたしの家は、すべての国の人の 祈りの家と呼ばれるべきである。』 ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしてしまった。」 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。 マタイ21 12-17 それから、イエスは神殿の境内...
  • 原罪論と贖罪論
    キリスト教では、「原罪」と、キリストによる「十字架の上の罪の贖い」が重要な教義だが、これはパウロにより提唱されたものである。 キリスト教では、すべての人は、アダム(一人の人)の犯した罪である「原罪」を受け継いでいるため、罪人だと考える。 ローマの信徒への手紙5 12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 しかしながら、神であり人であるイエス・キリストが十字架の上で、人に代わって処刑されたことで、その罪は赦されたと考える。 ローマの信徒への手紙5 8-9 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とさ...
  • 洗礼者ヨハネの誕生
    洗礼者ヨハネはエリザベトから生まれた。八日後に割礼を行ったとき、「ヨハネ」は口がきけなくなっていたザカリアは突然言葉を話せるようになった。 ルカ1 57-66 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの...
  • 至福とわざわい
    Q資料の3番。 マタイ福音書では「山上の説教」に、ルカ福音書では「平地の説教」にそれぞれある。 貧しいものは幸いだという点ではほぼ同じ内容だが、その解釈に違いがある。 マタイ福音書では「心の貧しい者」という意味に変わっている。 ルカ福音書では文字通り「貧しい者」が幸いという意味だが、富んでいるものは不幸だという話も加わっている。 マタイ5 3-12 「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。 柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。 心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。 平和を実現する人々は、幸いである、 ...
  • いちじくの木の教え
    終末の預言をイエスが行った際の譬え話である。終末が訪れる徴候について話している。 マルコ13 28-31 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 マタイ24 32-35 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅び...
  • 狭い門
    天の国に入れるひとが少ないことのたとえ。 マタイ7 13-14 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 ルカ13 22-30 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わた...
  • ヨエル書
    旧約聖書の12小預言書の一書。著作年代は不明である。バビロン捕囚より以前か以後かすら、学者によって意見が分かれる。前半の1~2章は大軍になぞらえられたイナゴの害を描き、預言者的人物が民に悔い改めを迫る。断食と祈りのあとで、神の救いの約束と感謝が語られている。 執筆年代 執筆年代にはいくつか説がある。 1.捕囚以前説(フリーマン、ヤング、アーチャー等が説いている) BC830年ごろ(ヨアシュ王の時代)にユダ王国で執筆された。(理由は以下のとおり) (1) アモス書にヨエルの文体の影響が見られるので、アモス書より前に書かれた。 (2) 文体が捕囚後の預言書の文体と異なる。 (3) 王ではなく、祭司や長老が出てくるのは、ヨアシュ王が幼少であったため、摂政を必要としていたからではないか。 2.捕囚以後説(ファイファー、トライヴァー等が説いている) BC350年ごろ~BC...
  • ユダの自殺
    マタイ27 3-10 そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。 祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 「彼らは銀貨三十枚を取った。 それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。 主がわたしにお命じになったように、彼らはこの...
  • ペトロの姑をいやす
    ここでは、弟子シモン・ペトロの姑を癒す話が載っている。マルコ福音書とルカ福音書では、この出来事がきっかけでイエスの名声が広がったと書いており、それゆえ、「悪霊につかれた男をいやす」→「ペトロの姑をいやす」→「ガリラヤでの最初の宣教旅行」の順だが、マタイ福音書ではこれらの逸話は書かれておらず、「ガリラヤでの最初の宣教旅行」→「山上の説教」→「ペトロの姑をいやす」という順番になっている。 マルコ1 29-34 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエ...
  • イエスのたとえ話
    たとえを用いて話す理由 イエスは自らがたとえを用いて話す理由を、イザヤ書が語るように、人々が理解できないように話しているからだと説明した。しかしながら、イエスのたとえはシンプルでありながら、印象深く忘れ難いイメージとメッセージ性を持っており、単純でありながら、その主要な教えとなっている。 マルコ4 10-12 イエスがひとりになられたとき、十二人と、イエスの周りにいた人たちとが、たとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、 『彼らが見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、理解できず、 こうして、立ち帰って赦されることがない』 ようになるためである。」 マタイ13 10-17 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しに...
  • 占いとキリスト教
    キリスト教では、一般的に占いは強く忌み嫌われる。 この占いには、手相、占星術、タロットなどが含まれる。 旧約での占いの禁止 ユダヤ教の戒律を定めたレビ記には次のようにある。(レビ記19 26) あなたたちは血を含んだ肉を食べてはならない。占いや呪術を行ってはならない。 民数記では、モアブ人の王バラクは、その頃アモリ人を撃退したイスラエル人を占い師であるバラムに呪わせようとするが、そのバラムは神より信託を受け、イスラエルには占いは存在しないことを語った。(民数記23 23) ヤコブのうちにまじないはなく イスラエルのうちに占いはない。神はその働きを時に応じてヤコブに告げ イスラエルに示される。 申命記では、「占い」は他の神を信じることと同一視され、禁じられることをモーセが告げる。(申命記13 1-10) あなたたちは、わたしが命じることをす...
  • ベネディクトゥス・ドミヌス・デウス
    ベネディクトゥス・ドミヌス・デウス (Benedictus Dominus Deus) 「主なる神をたたえよ」は、キリスト教聖歌の1つ。ラテン語詞文の冒頭をもってこのように呼ぶ。 原文(ラテン語) Benedictus Dominus, Deus Israel, quia visitavit et fecit redemptionem plebi suae et erexit cornu salutis nobis in domo David pueri sui, sicut locutus est per os sanctorum, qui a saeculo sunt, prophetarum eius, salutem ex inimicis nostris et de manu omnium, qui oderunt nos; ad faciendam mi...
  • アニュス・デイ
    「アニュス・デイ」はラテン語で「神の小羊」。平和を祈る賛歌。ヨハネ福音書1 29に基づき、これを拡充したもの。通常は「我らに(nobis)平安を」となっているが、レクイエムで用いられるものは「彼らに(eis)平安を」に変えられている。 原文(ラテン語) 通常のミサで用いられるもの Agnus dei, qui tollis peccata mundi miserere nobis. Agnus dei, qui tollis peccata mundi miserere nobis. Agnus dei, qui tollis peccata mundi dona nobis pacem. レクイエム(死者のためのミサ)で用いられるもの Agnus Dei, qui tollis peccata mundi dona eis requiem. Agn...
  • 失われた書
    聖書内に登場するものの、現在にまで伝わっていない書物の一覧。 全てで12冊である。 旧約聖書 主の戦いの書 民数記21 14に現れる。 民数記21 14-15 スファのワヘブとアルノン川の支流。 それらの支流はアルの定住地に流れ下り、モアブの国境に及ぶ。 イスラエルの文学史上重要な役割を果したものと思われるが、民数記の記事からその内容を判断することは難しい。おそらく、カナン先住民との戦いにおいてイスラエルのためになされた神の力強い救いのみわざを記録した文書であったと思われる。年代はわからないが、イスラエルの最古の文書の一つであったことは確かである。 ヤシャルの書 ヨシュア記10 13、サムエル記下1 18に現れる。 ヨシュア10 13 日はとどまり 月は動きをやめた 民が敵を打ち破るまで サムエル下1 19-27「弓」...
  • 大預言書
    預言者のうち、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルによる預言を記した書物である。 なお、タナハ(ヘブライ語聖書)では大予言書はイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書のみであり、哀歌とダニエル書は諸書にあたる。 イザヤ書 [3191年以前~3220年以後(前8世紀)] エレミヤ書 [3320年(BC628)~3361年(BC587)] 哀歌 [3355年(BC587)頃] エゼキエル書 [3355年(BC593)~3377年(BC571)] ダニエル書 [前606年~前537年]
  • 他の宗教との比較
    キリスト教との関連などから考えていく。 より広範なものとしては、他の神話との関係を参照。 宗教の分類 宗教の系統 宗教には大きく分けて三つの源流があり、①アブラハムの宗教、②アーリア人の宗教(インド宗教)、③東アジアの宗教 である。ここではこれらに、④神秘主義 を加える。 ①アラビアの多神教→メソポタミア神話→ウガリット神話→ユダヤ教→キリスト教、イスラム教(→シク教) ②インド・ヨーロッパの祖多神教→インド・イラン神話(→ゾロアスター教)、ギリシャ神話(→ローマ神話)、バルト神話、スラブ神話、ゲルマン神話(→北欧神話)、ケルト神話 ②サンスクリットの多神教→ジャイナ教、ヒンドゥー教(→シク教)、〔上座部〕仏教(→大乗仏教) 宗教の特性 同じ系統の宗教であっても、教義が相いれないことはある。ここでは、宗教の特性ごとに分類する。 1....
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