トラ転8 > 資料 > 石原さんと永田さん

4324 名前:隔壁内の名無しさん[sage] 投稿日:2016/06/06(月) 20:48:04.62 ID:A/fn+8hD
永田鉄山と石原莞爾の一番の違いは次の大戦をどう見てるかというとこ
乱暴に言ってしまえば政府による統制がどうのこうのは枝葉末節でしかない

『昭和陸軍全史1』
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/39894
満州事変当時、永田は陸軍省軍事課長、石原は関東軍作戦参謀。関東軍参謀として石原が現地で
満州事変を推進し、永田は陸軍中央の一夕会系幕僚とともに、石原ら関東軍の動きを支援した。
満州事変期の二人の関係はそのようなものだった。

永田は、次期世界大戦が不可避であり、日本もそれに否応なく巻き込まれると判断していた。
そして次期大戦は、ドイツ周辺から起こる可能性が大だとみていた。
その場合、戦争は必ず国家総力戦となり、それに対処するには国家総動員と、戦時自給自足のための不足軍需資源確保が必須だと考えていた。
永田は、その不足資源を中国大陸ことに満州・華北・華中に求めようとした。
そして、国家総動員の準備と計画を整えるとともに、まず現に日本の特殊権益が蓄積されている満州の確保に向かうべきだとの意見だった。

石原は、20世紀後半期に日米間で世界最終戦争が行われるとの強い信念をもっていた。
そして、その世界最終戦争に向けて日本はアジアを統括する地位に立つ必要があり、そのためには中国に対する政治的指導権を確立しなければならないと考えていた。
それには、まず満蒙の完全な政治的掌握を必須とするとの判断から、満州事変に着手する。
満州の掌握と中国本土への志向性では、両者は共通していた。

だが、永田の次期世界大戦不可避論に対して、石原は20世紀後半期の世界最終戦争以前の戦争は世界戦争とはならず、
欧州大戦に止まると判断していた。したがって石原は、日本はそれに介入するより、その間にアジアでの地歩を固めるべきだとの意見だった。

はっきり言ってしまうと、満州事変までは永田と石原が見てる方向は全く同じだよ
だけど、
永田は次の欧州大戦で日本が巻き込まれると思ってるけど、
石原は次の欧州大戦に日本が巻き込まれると思ってない

石原の方が遠いとこを見てる(遠い将来の冷戦構造を予知してる)けど、
永田の方が広い視野(近い将来の日米戦争を予測してる)を持ってる
この二人のギャップを甘粕が埋めるように動けば良いんだと思う

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最終更新:2016年07月24日 18:35