サジュの乱

サジュの乱
画像
時期
7618年1月24日-7620年2月20日
場所
アババ二スタン
戦争の結果
ムスルマーネン=カリフ国の勝利(多分)
交戦勢力
グラニツァ民主共和国
(途中で神聖グラニツァ帝国と改称)
ムスルマーネン=カリフ国
フェーデ警備サービス(7618年4月~7月)・(7619年10月~)
ジャーガルク・シャー国(7619年10月~)
深紅の瞳
戦力
約100万人
(戦闘員は約10~30万と推定)
国際自由軍:約2万人
ムスルマーネン=カリフ国
・アババ二スタン警備隊:約10万人
・カリフ親衛隊:約5万人
フェーデ警備サービス:約2万人
ジャーガルク・シャー国
ジャーガルク陸軍:3個師団(約6万人)
ジャーガルク海軍
超弩級戦艦:2隻
砲艦:2隻
航空巡洋艦:3隻
巡洋艦:6隻
駆逐艦:20隻
水雷艇:10隻
機雷敷設艇:2隻
輸送艦:8隻
クレーン艦:1隻
空中駆逐艦:2隻
戦闘機:52機
ジャーガルク空軍
空中駆逐艦:4隻
戦闘機:80機
爆撃機:40機
襲撃機:80機
偵察機:60機
ジャーガルク白鳥:120羽
約1万人(戦闘員数は不明)
被害者数
戦死:不明
戦傷:不明
戦死:不明
戦傷:不明
戦死:不明
戦傷:不明


・概要

 サジュの乱とは7618年1月24日に始まったアババ二スタンにおける奴隷の反乱である。なおサジュの乱とはムスルマーネン=カリフ国側の呼称であり、サジュという単語はタヴェリア人に対する蔑称であるため、グラニツァ民主共和国側は自由人革命深紅の瞳側は人類種絶滅最終戦争が正しい呼び方であると主張している。

・反乱の流れ


・前史

 ムスルマーネン人達は古来より奴隷等の自由貿易によって利益を得ていたが、7200年代以降高度な航海技術を有するイクファターナ系商人との競争によって、海上貿易では劣勢となり、また清河人民社会主義共和国成立によって陸上交易網も寸断されたため、中継貿易に依存していた同国は苦境に立たされるようになった。
 その様な中、ムスルマーネンは自分たちに都合が良い閉ざされた市場の獲得を目論見、同時期に財政難に陥ったジャーガルク・シャー国よりグラニツァ領土の一部を購入、同地の開発のためヤーディシア各地で奴隷狩り・購入を行い、サトウキビ・ゴム等のプランテーションと鉱山事業を中心として莫大な富を獲得した。
 しかし彼らの繁栄は奴隷たちの犠牲の上に成り立つものであり、奴隷監督官たちは恒常的に仕事のノルマを達成できない奴隷たちを暴行し、使えなくなった奴隷は工場で肉骨粉に加工されていた。*1
 また奴隷による生産活動と奴隷の再生産*2が安定して以降は、奴隷ハンティング剣闘大会等奴隷を用いた娯楽が考案され、その見物を目的として、ムスルマーネン以外からも観光客が集まるようになった。

・宗教弾圧

 アババ二スタンに連れてこられた奴隷の出自は様々であり、彼らの言語・信仰・文化は多様なものであった。彼らに対してムスルマーネン人達はメトラ教への改宗とメトラ語の使用を強要し、異教徒的な活動を行う奴隷を見かければ直ぐに鞭打ち等を行った。
 具体的な事例を挙げると指で胸の上に円十字を描いた、円十字教徒兎亜人の奴隷は指を切断されたという記録が残っている。しかしメトラ人達はこの様な行動を奴隷に対する懲罰ではなく、むしろ"異教の習慣に染まり地獄へ堕ちかけていた劣等種族に対する慈善活動・教育であると捉えており、前述の事例もムスルマーネン人の間では奴隷主による美談であるとされている。
 しかしムスルマーネン人の積極的な"善行"によっても奴隷たちが故郷より持ち込んだ文化を抹殺することはできず、奴隷化された先住民有翼亜人の文化、ダハーカ人を筆頭としたタヴェリア黒人の文化、円十字白人奴隷の文化等が不均等に混ざり合い、独自の言語や信仰を生み出すこととなる。
 その様な中でダハーカ人奴隷と先住民有翼亜人女性奴隷の子・フ―がメトラ教・円十字教由来である神の下の平等を軸とし、様々な信仰を取り入れたベヨンド・ランメア教を生み出した。同宗教は凡神論的な内容である一方、「神によって与えられた、自己の意思を表明する術*3を有する存在は平等である」という簡潔な教義が奴隷達に受け入れられ、7610年代にはアババ二スタンに居る奴隷の40%がベヨンド・ランメア教信者となった。

・反乱首謀者スポンの生い立ち

 反乱の首謀者であるスポンはダハーカ系奴隷であり、アババ二スタンにおいて7596年に鉱山奴隷の子として生まれた。一般的に労働奴隷は結婚という概念が無く、勤勉な雄奴隷の褒美として雌奴隷との交尾を許していたため*4彼の父親が誰であるかは不明である。
 3歳の頃より労働奴隷として鉱山で働くようになったが、その肉体は強靭であり、体力・筋力・持久力は10歳の奴隷と同じくらいあったと伝えられている。彼が13歳の時に彼の母親が風邪を拗らせ寝込むようになるが、働かない奴隷には餌が与えられないという決まりであったため、彼は鉱物の採掘量が多かった奴隷には余分に餌与えらることを思い出し、始業時間より早く鉱山に入り普段の1.5倍の鉱物を掘りだした。
 終業後彼は自分と母親の分の食糧を持って奴隷小屋に向かったが、そこに母親は居らず、彼女の居場所を監督官に問うと彼は「あれはもう使えないため肉骨紛機械に放り込んで、お前らの餌に混ぜ込んだ」と答えた。激怒したスポンは答えた監督官を含むメトラ人3人を殺害、しかし銃を持った監督難に銃床で殴られ取り押さえられる。
 彼はメトラ法に基づき処刑される予定であったが、彼の強さを見た奴隷主は殺すより、彼の才能を生かして剣闘士にした方が良いと判断し、剣闘士養成所に彼を預けた。同養成所で彼は戦士としての才能を開花させ、14歳の時に試合に出場、20歳以上年上で試合回数は100以上、体重が倍以上ある虎亜人の戦士と戦い勝利、その後彼は何度も戦いに勝ち、アババ二スタン最強の剣闘士としてその名はムスルマーネン本国でも知られるようになった。
 しかし剣闘試合賭博の元締めたちは彼が勝ちすぎて試合が成立しないと嘆くようになり、スポンの持主へ彼を本試合に出場させないようにと交渉、妥協案としてスポンは試合前の"ショー"へ出場することとなった。

・決断

 ショーの内容はスポンが無抵抗な奴隷の子供を追い回し、殺すというものであったが、子供を追い詰め剣を振り上げた瞬間、彼は逃亡を決断、とっさに近くにいたメトラ人司会の方へ振り向き、振り上げた剣を投げつけ司会を殺害、その後、子供と共に会場内を逃げ回り、偶然見つけた他の剣闘奴隷の房を破戒し奴隷達を開放、また会場内で飼育されていた猛獣たちも解き放ち、会場や町が混乱する中、森林地帯へ逃亡した。
 奴隷逃亡の知らせを受けライフルで武装した都市守備隊が奴隷の逃げた森林に向かったが、スポンたちは遮蔽物の多い森林の地形を生かしこれを撃退、また共に逃げた奴隷の中にはヤーディシア大戦従軍者もいたため、鹵獲したライフルを使用できるようになった。その後、逃げてきた町の奴隷を内応させ同都市を占領、反乱成功の知らせを知った各地の奴隷たちが主人の下から逃亡し、反乱軍に参加したため、短期間のうちに彼らの勢力は拡大した。

・グラニツァ民主共和国成立

 奴隷反乱の情報は瞬く間にアババ二スタン全土へ広まり、奴隷だけではなく奴隷と自由人のハーフであるムラート知識人の多くも反乱に賛同した。その中の一人である二アート・アリビエはアババ二スタンからの避難を勧める父に対して「正義が成されようとしている時に、なぜ義に奉ずることが出来る者がそれに背を向けるのですか」と返答、有り金を叩いて武器を購入し反乱軍へ参加した。
 彼は奴隷反乱のままでは未来は無いと主張、国際的な支持を得るためには反乱勢力から交渉可能な民主的集団に転身しなければならないとスポン達、古参の反乱軍上層部を説得し7618年3月12日にグラニツァ民主共和国造成を宣言、同時に奴隷制の永久廃止、信仰の自由、自由意志保有者平等・主権在自由意志保有者・自由意志保有者による民主的統治を掲げた憲法を発布、国際社会の支持を集めようとした。

・聖戦宣言

 一方、危険人物としてアババ二スタン内の森林地帯で逃亡生活を送っていたベヨンド・ランメア教開祖フーも反乱軍に参加、各地の奴隷たちに同宗教信者のネットワークを用い反乱参加を呼びかけたため、アババ二スタン北部の奴隷は殆ど反乱に参加、ムスルマーネンはアババ二スタン全土の約50%に対して統治能力を喪失した。

・海外からの支援

 アババ二スタン誕生以来、同地から逃亡する奴隷は陸海両方の経路で存在したが、陸路の場合国境で捕まるか運良く逃げれてもジャングルで遭難し、北のインティ帝国へ到達する前に餓死する場合が多く、また海路では殆どの者が貧弱な筏で逃げようとして遭難しサメの餌になるか餓死した。
 その一方でカナロア立憲王政アーカルソン=リペルニア領グラニツァの人権活動家達が同地の奴隷制に反発し、逃亡奴隷の援助を行っており、中でもファン・ザルドン大佐は私財を投じて奴隷を逃亡させる組織である南北輸送線を結成し、時には国境警備兵を買収、時には船舶を用いて多くの奴隷を逃亡させてきた。
 そして奴隷反乱勃発後、ザルドン大佐は志願者を集め義勇軍組織である国際自由軍を結成し、グラニツァ民主共和国軍へ参加した。同軍は比較的装備が近代化されており、またヤーディシア大戦従軍者も多かったため、戦闘能力が高く、共和国軍最精鋭部隊となった。

・深紅の瞳誕生

 一方アババ二スタン北東部の兎亜人牧場において同牧場の秘書奴隷であった兎亜人グルイが奴隷主とその家族を毒殺、同牧場の亜人奴隷達を集めて、自身の反人類種思想を説き、賛同者を集め深紅の瞳を結成、その事を知ったグラニツァ民主共和国は協力を呼びかけた。
 しかしグルイは「我々の目的は人類種撲滅であり、貴様らも抹殺対象だ!!メトラ人に復讐した後貴様らも殺す!!我々は死を恐れない!!私一人で貴様ら十人を殺せれば本望だ!!人類種は自身の罪を悔いて死ね!!」と返答、以後両者は何度かの小競り合いのを行った。

・最盛期~終焉

 サジュの乱によってアババ二スタンの大半を支配した反乱軍は勢いに任せて、アババ二スタンの中心都市アババ市を攻略、元々軽装の現地警備隊*5は連戦連敗が続き、北部国境地帯と南部プレコルドンナ道付近へ押し込まれた。
 反乱軍の首謀者スポンはアババ市攻略後、同市をスポン市と改め、グラニツァ皇帝を名乗り、神聖グラニツァ帝国の建国を宣言、しかしアババ二スタンの産業はサトウキビ・コーヒー豆・カカオ・ゴム・熱帯果実・タバコ等を中心としたプランテーション農業であり、穀物の多くを近隣のジャーガルク植民地(プレコルドンナ道)からの輸入に頼っていたため、反乱中の貿易中断・自国経済圏への介入を恐れたジャーガルク海軍による海上封鎖によって食糧が不足、更に共産系反乱軍深紅の瞳等、スポンを敵視する反乱軍がスポン派の反乱軍と衝突、神聖グラニツァ帝国内部でもメトラを国教とし、ムスルマーネンに奴隷以外の財産をなるべく返還し講和しようとする派(二アート派)、飽くまで武装闘争により完全独立を目指そうとする派(フー派)が対立した。
 この様な中でスポンは農地などの一部利権を返還する代わりにムスルマーネンと和睦しようという二アート派の意見を採用し、仲介者としてジャーガルクと接触、自派の勢力減少*6を恐れたフー派の将軍は講和を潰すためジャーガルク領プレコルドンナ道の白人農場を襲撃、同軍による侵攻はライフル装備の警察と現地農民によって撃退されたが、農場主を含む数名が殺害(クナン村の虐殺)、自国領を攻撃されメンツを潰されたジャーガルク側は激怒し、傍観を止め反乱軍討伐を決定、フェーデ社にも依頼し、またムスルマーネンの警備隊・カリフ親衛隊の再建&強化支援を開始した。
 フェーデ社の奴隷軍団は依頼後北部の都市攻略を開始、洗脳教育によって訓練された少年奴隷達は爆薬を抱え反乱軍の簡易な防衛陣地を次々と破壊、狂信的なフェーデ社少年兵の攻撃に反乱軍側は怯み、次々と拠点が陥落、更に同時期ジャーガルク軍の揚陸部隊がアババ二スタンの東海岸から上陸、まともな防衛陣地の無い砂浜を悠々と進軍し、圧倒的な火力*7で敵を殲滅、鉄道線を確保しプレコルドンナ道からの兵站を確保、北部の警備隊・フェーデ側にも支援を行えるようにした。
 一方西海岸からは増強された植民地警備隊(士官はジャーガルク人・メトラ人半々で兵士は奴隷)とカリフ親衛隊(奴隷の軍隊)が艦砲射撃の支援の下に上陸、アババ市を奪還し、反乱軍は海への出口を失い包囲される形となった。
 更にジャーガルク軍は宣撫工作として「反乱軍内の白人は奴隷から解放する。」・「有色・亜人奴隷は今すぐ投稿するなら罪には問わず農場奴隷に戻してやる。」と宣言、識字率が高く反乱軍内で士官・下士官の割合が高かった白人たちが次々と投稿したため反乱軍内でモラルハザードが発生、それに続いて殆どの奴隷は不利を悟り投降、頑強に抵抗を続けていた深紅の瞳もカリフ親衛隊の猛攻により壊滅し、リーダーのグルイは逃亡した。
 その後、スポン率いる反乱軍残党約2000人は最後の拠点に集まったがジャーガルク軍・フェーデ社警備隊・植民地警備隊・カリフ親衛隊に包囲され、糧食も付き最後の突撃を行ったが火砲により殲滅されスポンは戦死、フーはジャーガルク軍に捕縛されたがムスルマーネンに引き渡され、ムスルマーネン本国で支柱引き回しの後カリフの前で罵倒され、凌遅刑に処された。

・各国・各勢力の動向


ジャーガルク・シャー国の対応

 反乱勃発直後、ムスルマーネン=カリフ国は宗主国のジャーガルク政府に対し、反乱鎮圧を要請、ジャーガルク側も要請に応えるつもりであったが、鎮圧の手法を巡りムスルマーネンとジャーガルクは対立、*8
 最終的にジャーガルクは「今回の事件は飽くまでムスルマーネン=カリフ国の内政問題であり、同国との条約にある軍を用いて保護すべき外圧では無いため、諸外国からの内政干渉が無い限り我々も干渉しない」と宣言、同時に「これは保護国内の内紛であるためわが国は介入しない、しかしもし貴国が銃弾一発でも反乱側に支援すれば、ムスルマーネンへの内政干渉として反乱軍を即座に鎮圧し、返す刀で貴国へ宣戦布告する。」と通達した。
 そして一時はムスルマーネンと奴隷反乱軍の仲介に動こうとしていたが、クナン事件により、奴隷反乱との和解は不可能であると判断し、融和政策から方針を変更し軍を派遣して、奴隷反乱の鎮圧に尽力、東部海岸からの強襲作戦と続く鉄道線制圧、西部海岸における艦砲射撃による上陸支援で活躍した。

トゥガ国の反応

トゥガ国は当初反乱を好意的に捉えていたものの、現在は「ムスルマーネンもグラニツァ民主共和国も殺生は止めようね、」とだけ主張している。

ピスカ・ハウイカウサイ部族連合の反応

調停者ウィリリ・シンシーは「ムスルマーネンとグラニツァ民主共和国が和解し、賢い決断を下すことを願っている」と発言した。

フェーデ警備サービスの対応

 ムスルマーネンはフェーデ警備サービスに反乱鎮圧を依頼し、同社は反乱軍への攻撃を開始、一時的に反乱軍の本拠地を制圧するが、契約金の支払いを反故にされたため同社の領地(イクター)へ撤退、以後ムスルマーネン政府への租税支払いを拒否、社籍をジャーガルクへ変更し事実上の独立勢力となり、その後、ジャーガルク側の依頼で奴隷反乱に参加し北部制圧で活躍した。

清河人民社会主義共和国の対応

 反乱当初は「虐げられた人民の解放闘争に参加し、彼らを指導しなければならない」と主張し、介入の姿勢を見せていたが、アババ二スタンが余りにも遠方である事もあり、ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約締結後は発言を控えている。

・主な武装勢力


・【反ムスルマーネン勢力】


・グラニツァ民主共和国

 元剣闘士奴隷率いる同地最大の武装勢力、アババ二スタン北部を支配しており、奴隷制の永久廃止、信仰の自由、自由意志保有者平等・主権在自由意志保有者・自由意志保有者による民主的統治を掲げている。

・深紅の瞳

 兎亜人であるグルイが率いる勢力、アババ二スタン北東部を支配し、亜人による亜人の為の共産主義国家成立を目標としている。また人類種こそが亜人の敵であり、彼らを完全に滅ぼさなければならないと主張し、グラニツァ民主共和国も敵視しており、その一方で亜人種が指導者である清河と友好関係を築くべきとしている。

「兎亜人は非力である一方、美しく人類種に好かれるため、その特性を生かし一羽十殺理論により、暗殺・自爆テロを主任務とすべきである。」

「資本主義は人類種がヤーディシアの全生命を搾取するために生み出した暴力装置であり、対抗手段は共産主義のみである。」

「私有財産制・利子・契約、これらの理論を生み出したことこそが人類の罪であり、贖う手段は死のみである。」

                        ー深紅の瞳総司令官グルイ

・【中立勢力】


フェーデ警備サービス


・反乱の影響

 ムスルマーネンではその後奴隷プランテーションの反乱リスクが考慮されるようになり、社会学的に奴隷を分断する方法、奴隷の洗脳教育やロボトミーによる感情破戒が積極的に研究されるようになった。
 一方で戦役で活躍したフェーデ社・カリフ親衛隊の発言力は拡大し、特にカリフ親衛隊は終戦後も武威によって予算と人員を拡充し、各地のムスルマーネン経済圏で防衛線力として存在感を増していき、またジャーガルク軍はこの戦役で莫大な予算を使用したため、積極的な軍事力の行使を控えるようになり、北限戦争ソフィア内戦への対応が消極的となった。


・主要人物

グラニツァ民主共和国
二アート・アリビエ 7601年  メトラ人男性とイクファターナ系奴隷の子、父親はムスエルマーネン立憲民主主義党の元メンバーであり、開明的な人物であったため母子共に解放奴隷として自由人となる。父の属する立憲民主主義党がムスルマーネン本国で弾圧されるようになったため、家族で捜査の及びにくいアババ二スタンへ移住、現在は学生として同地で勉学に励んでいる。
父親の蔵書を読むのが趣味で、特にムスエルマーネン立憲民主主義党創立者ザイーブ・カラホ著「経典と啓蒙」アラ・サザーウ著「神に近づく為に」が愛読書で、神の下に全ての自由意志を有する生命が平等で同じ人権を共有する真のメトラ国家を建設すべきという思想を有すようになっており、弱冠17歳でメトラ人奴隷主に対する反乱の理論的指導者となる。
スポン 7596年  元はアババ二スタン内の銀鉱山で使役されていたダハーカ系サジュ奴隷、母親をメトラ人の奴隷監督官に強姦して殺されたため反抗、数名のメトラ人を瞬殺した後捕縛されるが、鉱山主に見込まれて奴隷剣闘士となる。奴隷解放と自由で平等な国家を新大陸に建設するため反乱を引き起こす。
フー 7593年  ダハーカ人奴隷と先住民有翼亜人女性奴隷の子、母親は先住民の間で元々信仰されていた精霊信仰のシャーマンであり、父と母から教えられた民間療法や神話に円十字教やメトラ教の教義を加え、新たな宗教ベヨンド・ランメア教を生み出し、信仰によって奴隷や現地の混血児たちを団結させムスル人奴隷主への反乱を信仰・精神面から支援している。
ファン・ザルドン 7580年 フィルモア人で海外からの義勇軍である国際自由軍の司令官、同国の大地主出身で熱烈な民主主義の信奉者でありヤーディシア大戦への従軍経験がある。
偶然出会った逃亡奴隷を保護した事を切っ掛けに奴隷逃亡支援活動を開始し、反乱勃発後は自由と民主主義の為武器を取った。
深紅の瞳
グルイ 半陽性 7592年  兎亜人であり元は兎亜人牧場の秘書であったが、偶然手に入れたモーリス主義の本に共鳴、奴隷反乱でアババ二スタンが混乱する中、奴隷主家族と人類種奴隷の食事に農薬を混入させ殺害、同牧場の亜人を集め深紅の瞳を結成した。ちなみに反君主主義者であり辺境伯家を「山奥に籠って人民を搾取している。」と非難している。

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最終更新:2020年05月14日 17:37

*1 なおこのような行為に対してムスルマーネン人達は「奴隷が主上に与えられた身分と職業に反抗し奴隷主から逃れようとするのは病気であり、鞭打ち等の肉刑こそが有効な治療法である。」「体の弱い奴隷の血統が淘汰されることにより、奴隷たちは野生の劣等種族から勤勉で生産活動に適した品種に改良できる。」として好意的に捉えていた。

*2 つまり奴隷同士を交配し、奴隷を生ませること

*3 つまり言葉

*4 勤勉な奴隷の血統を増やすことにより、労働奴隷の品種改良を図っていた。

*5 ムスルマーネンの は現地の防衛隊を補助とし、 ・ が主として担う計画であったが、両者の協力が得られなかったので、計画は破城した。

*6 二アートはメトラ信者であり、独立後の神聖グラニツァ帝国は信仰の自由を保障しつつも旧宗主国ムスルマーネンとの関係を維持するため、メトラを国教としようとしていた一方、フー派は主に新興宗教であるベヨンド・ランメア教信者であったため、メトラ国教化による独立後、同宗教が抑圧されるのではと恐れていた。

*7 ジャーガルク軍は近接支援機や戦車を多数導入した一方、前線から遠かった等の理由もあり、反乱軍側には火砲・火器が無く、装備は竹槍程度であった。

*8 ジャーガルク側は元自由人・白人等一部の奴隷を開放すると宣言し、反乱の是非を巡って奴隷が対立するよう煽るべきとしたが、ムスルマーネン側は拒絶、又ムスルマーネンが財産(奴隷)を傷つけず捕縛するよう要請して、ジャーガルク軍を激怒させた。