スルガの人物

スルガの人物一覧

藩主とその周辺

今川ユーナ

スルガの藩主。朱金の姫と呼ばれる。詳細は個別ページ

アンナマリア・レーセ

藩主秘書官兼護衛。ラパルナ族。詳細は個別ページ

ネイ王子

ハダカンボ王国からの留学生。ハダカンボ11世の甥。スルガ大学の国際政治学部に入学予定。現在はその前提として語学(韓語、スルガ語、ジャーガルク語、アトリオン語)とシンファナ史を学んでいる。衣装はユーナ藩主が見繕った。現皇王を簒奪者と見ている旧王妃派の輩に担がれており、正統な王はネイの血統だけとして反乱を画策されている。本人は皇王との対立を望んでおらず、それを危惧したハダカンボ11世はスルガに留学生として受け入れてもらう。ハダカンボ11世はネイを後継者として教育したいと考え7616年にスルガに送り出したが、同年ハダカンボ11世に実子マルルダシ王子が生まれる。

政府要人

蒼識アローン

スルガ家老。スルガの実質的支配者であり、冷笑派の長老的存在。詳細は個別ページ

斉藤ダガタール

参謀総長。スルガ分離独立の立役者。慎重な戦略を用いて目的を達成する。帝政時代の軍事教育所東学堂卒。ジャーガルク=礼戦争にも従軍した。礼王朝滅亡時から動乱の時代に備えており、中原共和国の崩壊時にはいち早く行動に出た。清河赤軍との戦闘に於いても勝利に貢献した。

外交官

【令和姉妹】
令和ミレーラ、令和ミランダ。スルガの駐アトリオン大使とその主席秘書官。スルガ大学・国際関係学科の一期生であり首席卒業者。永遠原の廻船問屋の娘であり、郷土の英雄。
姉ミレーラは抜群の記憶力を、妹ミランダは読心じみた共感力を持つ。ノンポリ(無派閥)。
その能力を発揮し外務省のフォンタニエ経済協力局員を四年務め、大使に抜擢される。


【羽柴ペトロナ】
スルガ・駐リンディスヴァート大使。スルガ大学・国際関係学科の一期生。水面院の貸し本屋の娘。
大学卒業後外務省に入省。二年務めたのち大使候補としてリンディスヴァートのエクメーネ大学に留学。卒業と同時に大使に任命された。大貴族の子弟相手にも物怖じしない社交的な性格で、学友からはスルガの平民姫と呼称された。
貴族社会のリンディスにあって、そつなく泳いでいる(様に見える)アトリオンの駐リンディス大使クレア・マリーには同じ平民として親近感を持っている。


【上杉カルメン】
スルガ・駐ザルバチ大使。スルガ大学・国際関係学科の一期生。
着任早々に同胞やホワイトヒューマンブラザーズの関連事件への邦人保護対応に追われた。背の低さと童顔からマフィアに舐められ、大使館に銃弾を撃ち込まれるなどの脅迫を受ける。これによりザルバチのみ駐在武官が増員された。
愛犬家で犬を三匹飼っている。
在ザルバチ・スルガ大使公邸占拠事件に巻き込まれ、現在人質になっている。


【朝比奈カルロータ】
スルガ・駐ソフィア大使。スルガ大学・国際関係学科の一期生。
朝比奈家は礼王朝時代から今川家に仕える名家であり、現在でも父醍樹郡の農協を支配している。王党派。
基本的に温和なスルガナデシコで、感情を剥き出しにする様な振る舞いは一切見られない。
クローヴィス王からの印象は悪くないが、経験の少なさと性格のせいか、外交官としては嗅覚が効かない場面も多く見られ、ピエール・デュカスには毎回良いようにあしらわれている。
定期的にソフィアの政治情勢を本国に伝えている。レポートの枕詞は「ソフィア情勢は複雑怪奇」。


【長曽我部ベアトリス】
スルガ・駐ヤード帝国大使。民間人登用の大使であり、玄武財閥のヤード交易部門の長。
ヤード帝国の朱雀家とのコネクションを買われて登用された。既婚者で三児の母。
公私混合気味に玄武財閥に都合の良い外交を推進しているが、二国間の貿易規模の拡大は達成できている。


【織田アベラルド】
スルガ・駐ハダカンボ大使。シンガ内乱時代は馬賊をやっていたという大馬鹿者。実際は軍閥間の情報収集を行っていた。シンハの統一以降はスルガに戻り、人材不足から外交官として抜擢される。ハダカンボへの赴任は個人的武勇を買われてのこと。
第3次ハダカンボ=ザルバチ戦争(ダハーカ戦争)では身分を隠して一兵卒として参加している。


【吉良ツクヨミ】
生年:7591年
スルガの駐ジャーガルク大使、今川氏の本家(元々今川氏は吉良氏の分家であったが、吉良氏は家格の高さに武力が伴わず、家運は低迷して今川氏に隷属)である吉良氏出身、幼いころより聡明で、文武両道の秀才として名高かった。父親は下級官吏で熱心な親藩主派だったが、息子のツクヨミは冷笑派に通じ、大学卒業後は新進気鋭の若手御家人として王党派を無視し最悪クーデターを引き起こしてでもスルガの藩主制廃止すべきと強く主張した。しかし藩主制に関して王党派含め様々な人と対話すべきとする冷笑派主流と決定的に対立し議会で孤立、それに対しアローンはツクヨミに様々な経験をさせ見識を広めさせようとジャーガルク大使に任命、しかし当のツクヨミ本人はアローンの策謀で大使に左遷されたと思っている。近年では自由主義的資本主義に疑念を抱き、モーリス主義やファシズム関連の書籍を個人で輸入し研究している。今川ユーナの事を淫乱な暗君としか見ていない、
「ヤード帝国終身独裁官のように優秀な王がリーダーシップを発揮し、全ての問題を解決できるなら短期的に君主制は共和制に勝る、君主に実務能力が無くとも道徳的でかつ議会制民主主義や立憲制など実務を執り行う制度が整備されているならば国の重心として君主制が維持されるのは良いことだ、だが王に実務能力・道徳が存在しないなら君主は国民の財産を浪費する遺物であり、即刻廃位すべきだ。

【伊達アニセト】【最上サルバドール】
スルガ・駐フォンタニエ大使と首席秘書官。スルガ大学・国際関係学科の一期生。同期の絢爛な女性外交官たちに紛れて誤解されることもあるが、二人とも男性。
若いながら非凡な能力を備えた外交官たちであり、28歳で大使(とその秘書官)に赴任している。
アニセトは臆病なラパルナ族に恐怖心を感じさせないよう振る舞い、視線の高さを合わせるために膝を付くことも多い。「母親の様な兄」。
リンディスヴァートのヴァイセンベルク大使とは笑顔で握手しながら足の踏み合いをしているのをミシェル伯爵に目撃されており、外交辞令ですとサルバドールにフォローされている。
サルバドールは幾分クールであり、突き放した言動を行うことが多いが、その実は当事者に最善の結果になるように努力を尽くす。いわゆる善人である。

【尼子ペルペトゥア(あまご)】
スルガ・駐フィルモア大使。スルガ大学・国際関係学科卒。
父醍樹の寄生地主の四女。家は裕福だが自力で稼ぐことを要求された。カノミス語の教師になるつもりで進学し、進学先で新聞配達のアルバイトを行っていたが、売り物である新聞を精読していくうちに政治の道を志した。
スルガ大学は外交官育成計画として「法学・経済・国際法・外国語二か国語のできる人材」を募集していた。これは趣味としてカノミス語やアトリオン語の新聞を読んでいた彼女にとっては有利だった。彼女は高校生のまま大学の図書館に籠もり、猛勉強の末に合格した。
あまり感情を表に出さず社交的ではない性格だが、不思議と友人は多く、また容姿と美声は有用な武器となった。
卒業後外務省に入省してからはカノミス大使館職員、フィルモア大使館職員を3年づつ務め、7616年にフィルモア大使に任命された。

【大友ナディア】【龍造寺パウリーナ】
スルガ・駐シンファナ=タンクレート共和国連合大使と首席秘書官。スルガ大学・国際関係学科の一期生。
同期の中では非常な上昇志向で野心家ペア。学生時代から二人でつるんでいた。
外交官としてはもとより策謀家としての才覚にも優れており、表立っては敵を作らず、敵対者を策略を駆使して対処する。玄武財閥の玄武スカンヤなどの組織外の人脈も持つ。
対神河の情報部を数年務めた後、「敵の敵は味方」という間柄の共和国連合の大使という難職に投入された。

【佐竹アブラーン】
スルガ・駐インティ大使。アーカルソン・リニス大学法学部卒。 男性。
落ち着いた物腰やわらかなスルガ男性。冷笑派の若手であり、蒼識アローンやリチャード・マクダウェルの薫陶を受けている。
名家の出であり、投資によって給料以上の収入を得ている。贅沢で快適な暮らしを愛する浪費家だが、いざという時のために国外に偽名で口座を作り貯金しておくというしっかりした面もある。
在フィルモア大使のペルペトゥアとは定期的に会合を行っているが、会合場所が毎回観光名所であったりもする。


民間人

玄武スカンヤ

玄武財閥参照。

外国人

ソマリ

ハダカンボ駐スルガ大使。
モフモフ族出身。猫系亜人。ネイのお供として赴任。武芸は得意ではないため武人を尊ぶハダカンボ本国では冷遇されている。

ヴィヴィアンヌ・フォンタニエ

駐スルガ・フォンタニエ辺境伯国大使。
現辺境伯ミシェルの姉。ヤード帝国によるフォンタニエの占領期にスルガに亡命し、そのまま任期無しの大使に就任した。裏表の無い明快な性格で十五年以上の任期を持つため、スルガ側からは「副伯爵殿下」と信頼されている。大使館は古いスルガ建築の大きな屋敷であり、お月見会などが催されることもある。

エーリヒ・ハインツ・アイヒベルク

リンディスヴァート制憲諸邦同盟の駐スルガ大使。
巨大商人連合であるリエナ同盟の盟主ともいえるリエナ市長を父に持つ。

朱雀小鞠

リントヴルム朝ヤード帝国の駐スルガ大使。狐人。

リチャード・マクダウェル

駐スルガ大使。法学博士(リニス大学)。スルガ人の期待するアトリオン人イメージを崩さぬ教養ある紳士で、スルガ独立以前から外務省で清河政策に携わり、スルガ独立後はアトリオン=スルガ同盟の成立を主導してきた。
彼も天文学の学識と学究的性格を持った典型的アトリオン貴族で、彼の場合はその関心は西方の社会と文化に向かっている。本来の専門は比較法学であるが、しばしばその分析手法は社会人類学的と言われる。冷笑派にとってはアトリオン法学のスルガにおける紹介者の一人でもある。
【影の実力者/Gray Eminence】【偏見ある知識人/BIASED INTELLECTUAL】【端麗/Attractive】【明敏/Quick】【社交家/Socializer】【盤戯の達人/Game Master】【学者/Scholar】【慈善/Charitable】【忍耐/Patient】【社交的/Gregarious】【冷笑的/Cynical】

ピドズリ・リスタイ

年齢:86歳
役職:駐スルガ大使
最終学歴:リニス大学
 7530年に将軍八旗兵士の家に生まれる。新しく誕生した洋式学校を首席で卒業後、外務省に入省、直ぐに官費でリニス大学に入学して法学を学び、卒業後は古典や韓文にも精通していたため、対礼帝国外交を担うようになる。
 ジャーガルク・礼戦争前夜には、親礼帝国派外交官の中心人物として、ジャーガルクが礼帝国に妥協して開戦を避けるべきと主張し、新聞各社は彼を売国奴として非難した。(一説ではジャーガルクが敗戦した場合の保険として、わざと彼に親礼帝国外交官を演じさせたという説もある。)
 戦争終結後は戦前の言動により一時期閑職に左遷されたが、7601年に中原に人脈があるという理由で、対中原外交担当の一人となる。他の職員が動乱で混乱する中原の軍閥をいくつか支援し、ジャーガルクの傀儡緩衝政権を打ち立てようと画策する中、独自に入手した情報より大演習程度の戦闘しかできない軍閥に支援すべきではないと主張、さらに唯一政権運営がまともなスルガ藩へ使節を送り、関係構築を試みた。
 中原の軍閥内戦終了後、彼の予想どうり軍閥は全て崩壊し、社会主義勢力の清河とスルガのみとなったため、その功績により駐スルガ大使となる。
 個人的にスルガ政府関係者と対談することが多く、また散歩と写真撮影が趣味で大使となった今でも様々な場所に出かけることが多い。

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最終更新:2019年05月26日 22:47