クラフタリアの歴史

@wiki茶番推進委員会に準拠する設定


年度(標準歴/S.E) 事象 備考
1000年頃 出生地不明の民族、「クラフト人」が海の向こうより移住してくる
1600年頃 クラフト人が持ち込んだ先進文明はこの時期頃までに衰退。以後クラフト人と先住民との同化が進む。
2616年頃 ザーティエラ王国の探検家デ・ソリス来訪
2660年代 ザーティエラ王国によるアヌビア大陸南部の植民地化が進む。現在のクラフタリアにあたる地域も植民地になる。
2800年頃 アルゼンチンの自由主義者アルティーガスによる連邦制国家の建設が構想される
2810年頃 五月革命により、ブエノスアイレスが自治を宣言する。ザーティエラ王国の植民地から事実上独立。
2812年頃 この年、パタゴニアに生息していた敵性mob種(クリーパー等)の絶滅が確認される。
2810年代 この頃からブエノスアイレスの中央集権派は海外貿易を独占、国内産業保護を進める内陸部など他地域との対立を深めてゆく。
2814年 アルティーガス、「連邦同盟/Liga Federal」の樹立を宣言。ブエノスアイレスの中央集権派と折り合いの悪かったリトラル三州が参加する。
2816年 この時期、ポルトガル軍クリーパー族残党が大挙して北部より侵攻。連邦同盟は窮地に追い込まれるものの奇跡的にこれを撃退することに成功する
2820年 ブエノスアイレスの中央集権派との関係が急速に悪化。数年後には大規模な武力衝突に発展した。ポルトガル軍侵攻以後、疲弊していた連邦同盟は中央集権派になすすべもなく敗北。事実上の終焉を迎える。
2825年 ブラジル帝国とアルゼンチンの間で戦争勃発。一時的な中央政府が発足。しかし、戦争中に中央集権憲法と、ブエノスアイレスを首都とする首都例が発布され、大きな反発を呼ぶことに
2830年代 分権的な連邦構想は南部で再び支持を拡大。中央集権派の勢力圏に組み込まれた地域からの移民も受け入れつつ、以後勢力を広げていくこととなる。
2831年 連邦派のロサスが中央集権派のラバージェを打倒。事実上全土の支配者となったロサスは全土統一にまい進するも、強固な中央集権派の抵抗にあい頓挫する。
2835年 連邦派の要人が次々と暗殺される事件が発生。ロサスら連邦派はブエノスアイレスから追放される。
2839年 連邦派、この年に南部の都市リバダビアで連邦同盟の復活を宣言。
2842年 地方分権的、土着文化的な性質を持つ国家、南部同盟連邦が発足。
2840年代 中央集権派と連邦派の間での対立緩和が進むが、保護主義・分権を進める連邦派と、自由貿易を押し進める中央集権派とで折り合いがつかず、再び対立を深めたことで統一が絶望的となる。
2852年 連邦派と中央集権派、再び武力衝突。連邦派は事実上敗北し、保護主義・土着主義をある程度維持しつつも市場の開放とヨーロッパ文化の流入を認めざるを得なくなる。
2853年 南部同盟連邦と北部との間の国境が正式に策定される。
2859年 南部同盟連邦独自の軍事組織である同盟陸軍が設立される
2860年 フランス人冒険家と先住民族たちが南部に「パタゴニア王国」を建国、同盟連邦と一時内戦状態となるが、後に協定が結ばれ連邦成立後初の加盟国となる
2863年 同盟海軍が正式に発足する
2870年代以降 南部同盟連邦、当時の政府が市場開放と移民受け入れを進めたことによって、ヨーロッパのみならず、アジア・アフリカ地域からも多数の移民が流入する
2890年代 クリーパー/匠族らによる国家、「ムーシュルーム民主共和国」との間で貿易摩擦を原因とする戦争が勃発。当時、多様な民族・種族で構成された同盟連邦は人々を団結させるため徹底した反ムーシュルーム主義を掲げ、ムーシュルーム側も非人道的な行為によって答えたために、後の時代までの禍根が残ることに
2900年頃 地域全体が急速に近代化する。この時期に南部同盟連邦においてはクラフト人の遺産である「ネザー機関」が発掘され、解析が進められた
2910年代 古代クラフト人の技術再発明によって国民に「クラフト人の末裔」という意識が強まる。初の国民投票によって国名が「クラフタリア同盟連邦」となる。
2920年代 軍組織の中で、ネザー機関搭載飛空艇を運用する空軍が急速に影響力を拡大、同時期に周辺諸国との海軍軍拡競争が並行して行われていたために経済の疲弊が進む。なお陸軍は哀れ予算を最低限まで削られてしまっていた。
2930年代 空軍将校らによる大規模なクーデターが発生。以後数十年間にわたって続く軍政の地盤を固め、空軍の政治的影響力は極めて大きくなった。大量の資本投入によって軍備を支えるための重工業が急速に発達。
2943年 労働党代表にして元空軍大佐のある人物が大統領に就任。年内に労働党は正義党と名を変える
2940年代 「世界同時大戦」の勃発。数年間にも及んだ世界規模の同時多発的戦争はクラフタリアにも無関係とは言えず、フォークランド諸島を巡るカレンテルニア帝国との全面戦争に発展。フォークランドの支配権を確立するもサウスジョージアを失い、クラフタリア本土も少なからず被害を受ける。
2943年 「フエゴ沖海戦」でクラフタリア空軍壊滅。飛空艇はオワコンという認識が広がり、戦争後半には航空機に取って代わられて姿を消すことに。
2949年 ムーシュルーム民主共和国にて、クラフタリア大使が過激派によって爆殺される。ムーシュルーム労働党書記長の「自業自得」宣言で以後、クラフタリアに再び反ムーシュルーム主義が広がる。
2950年 大戦争を経験し、世界平和の尊さを痛感したクラフタリア含む各国によって「国際連盟」が発足する。以後10年間、平和な時代が続く。



@wiki世界における歴史の概略


~クラフタリアの歴史のおさらい(便乗)~

クラフタリア成立までの歴史は、世界線(「クラフタリア」戦記シリーズの世界・旧茶番委員会・の世界・現行の@wiki世界)によって異なりますが、ここでは@wiki世界における歴史を簡潔に述べます
遥か昔、現在のクラフタリアにあたる地域を含む南米及び中米には、「クラフト人」と呼ばれる高い創造性と身体能力を特徴とする古代人種が、高度な文明を築いていたと言われています
しかしある時、年代を特定可能な遺跡が見つかっていないので正確な時期は不明ですが、クラフト人は忽然と姿を消してしまいました

クラフト人はクラフタリア含むいくつかの新大陸国家の人々の先祖であるとも言われていますが、詳細は未だ謎に包まれており、考古学等の分野では今も研究と調査が続けられています
ともあれ、世界最高水準とも言われたクラフト人の文明は消滅し、以後は先進地域の座を欧州やアジアに受けわたし、長きにわたって世界の辺境としての歴史を歩むことになりました
特にクラフタリアは周辺の舞羅やクラフティンといった国々と比べても自然環境が厳しく、近世までは南米南端の最貧国でもありました

統一歴前450年頃には世界を股にかけて貿易を行う欧州諸国とファーストコンタクトが発生、幾度かの衝突を経るも欧州諸国の軍事力には敵わず、長い間植民地としての立場に甘んじることとなります
しかし統一歴前70年頃にはクラフタリア全土や周辺諸国で独立戦争が勃発、大きな犠牲を払うも最終的には欧州諸国の軍を退けて独立に成功することとなりました
それからしばらくの間、独立後の国家の在り方を巡り少なくない内紛が起きるも、統一歴前60年頃、クラフタリア地域では連邦同盟(クラフタリア連邦派/リガ・フェデラル)が主導権を握ります

独立に何とか成功したとはいえ、当時のクラフタリアはまだまだ欧州諸国程の先進文明を有さず、経済力や産業の面でも大きく劣後していました
統一歴前40年ごろには貿易の自由化が推し進められましたが、クラフタリアの工業製品は品質でも価格でも外国製品に太刀打ちできず、国内産業は壊滅的打撃を受けてしまいます
以後もしばらくは自由貿易・自由競争路線を継続しましたが、これは後世の歴史家から「長期間に渡り、クラフタリアが南米最貧国であった要因のひとつ」と評価されています

平行して、欧州諸国の資本流入も続きます。これにより統一歴前30年ごろから急速な経済成長が実現したものの、貧富の格差も大きくなってしまいました
また、モノカルチャーとまでは言わないものの、特定の品目の輸出のみに依存する当時のクラフタリア経済の構造は不安定であり、高い成長率とは裏腹にクラフタリア経済は大きな問題を抱えることとなります

統一歴0年頃になると、主要な輸出品目である食肉や銀などの価格が世界的に下落し、それらの輸出に依存していたクラフタリア経済は大打撃を受けることとなりました
この時期のクラフタリアは正真正銘の南米最貧国であったとされ、以後の数十年はその立て直しに奔走せざるを得なくなります
その際に行われたのが、様々な産業やインフラ、サービス等の国有化でした。さらに財をため込んでいた富裕層から徹底的に徴税し、経済立て直しのための財源を確保することに何とか成功します

同時に当時の政府の強権化が進行、次第に独裁政権の様相を呈してくることになります。
これらの政策は貧困層や中間層からは強い支持を集めたものの、富裕層からの反感を買い、彼らの国外脱出を促す結果へと繋がってしまいました
統一歴20年頃、経済が再び安定を取り戻すと、当時の政府は所得税の減税等富裕層の優遇措置を行うなど、富の国外流出を抑えるべく方針を転換することになります

なおこの時期から、世界各地で工業化に成功した列強国同士の戦乱が頻発するようになり、南米でも幾度かの衝突が発生していますが、統一歴80年代までクラフタリアは戦乱と無縁の時を過ごします
その間のクラフタリアは、政治的・経済的にも安定期に入ります。周辺の舞羅やクラフティン同様親ヒトラント/HEIWA路線を取ったことで、同国の強大な軍事力の庇護のもと、安定した社会を実現したのです
一方経済面では、新自由主義政策を進めた自由経済党(以下 自由党)が盤石の体制を築き、GDP換算年率10%近い急速な経済成長を実現します。貧富の格差は広がりましたが、今につながる産業基盤はこの時期に出来たと言ってよいでしょう

統一歴82年、欧州諸国が領有権を主張するマルビナス/フォークランド諸島において、実効支配を進めたクラフタリア軍とそれに反発した欧州諸国軍との間で大規模な戦争が勃発
クラフタリア軍は欧州諸国軍を上回る損害を出すも、対艦ミサイルでの空母撃沈等戦果を重ね、その戦力を無力化し辛うじて勝利を収めることとなります
この時期以降、軍事面ではヒトラントとの協調をさらに推し進め、統一歴107年のMTO成立へとつながることとなりました

内政面では、統一歴82年の戦争の戦費による財政危機もあって90年頃に新自由主義路線は行き詰まり、貧困層や中間層の反発によって、保護主義的政策を採る保守国民党(以下 国民党)が与党の座に就きます
保守国民党はそれまでの緩やかな親ヒトラント路線から、特に軍事面で徹底的に同国へと依存する方針を選択、クラフタリアの歴史上もっともヒトラントに接近していた時代と言えるでしょう
そして統一歴82年以降、クラフタリアが直接戦災に見舞われることは長らくありませんでしたが、隣国で大規模かつ長期の戦争「舞蔵戦争」が勃発。この戦争はクラフタリアにも大きな影響を与えることとなります

「舞蔵戦争」において隣国の舞羅とクラフティンはともに国境を閉鎖しました。それは仕方のないことですが、両国との貿易に食料の一部品目(野菜等)を依存していたクラフタリアの食糧事情は急激に悪化しました
さらに、国内での自給率が300%を優に超えていた食肉類に関しても、動物に与える飼料の輸入が滞ったことで、生産がままならなくなります。しかも舞蔵戦争は長期化、数年にわたり継続します
深刻な食糧危機に陥ったクラフタリアですが、ヒトラント等の友好国が救いの手を差し伸べることはありませんでした。戦乱に明け暮れる同国は、大国と言えど他国へ食糧支援を行う余裕がなかったのです

結果、数十人のクラフタリア人が餓死するという、先進国にあるまじき事態が発生してしまいます。共産圏諸国からの支援で戦争開始後2年以内に食糧問題は解決しますが、この出来事は大きな禍根を残しました
一方、クラフタリア政府はヒトラントとの友好路線継続を選択し、新たな機構の構想が関係各国の間で進められることとなります

統一歴107年、新たな機構であるMTO(マッスルヘッド条約機構)が成立します。この組織はヒトラントやクラフタリア、その他当時の有力な軍事大国によって構成されていました
現在のOFCの原型ともいえる組織ですが、経済成長を背景に軍備を急速に増強させたクラフタリア軍は、加盟予定だったクラフティン等の軍とともに、南米におけるMTOの中核戦力となっていました
しかしこのMTO、単純な軍事力では世界最強の機構であったにもかかわらず、比較的短期間で瓦解することとなってしまいます

その原因は、加盟国間で機構の方針を巡り対立が激化したことにありました。各加盟国が強大であるがゆえに、自国が主導権を握ろうと奔走した結果、纏まりが失われてしまったのです
顕著な事例は、統一歴112年のクラフタリアとカレンテルニアの間で発生した「サウスジョージア危機」です。両国が領有権を争うサウスジョージア諸島で、武力衝突が発生しました
クラフタリアは砲撃戦で巡洋戦艦を一隻喪失するも、カレンテルニアの戦艦を潜水艦の雷撃で撃沈。戦闘のさらなる大規模化は外交努力によって避けられましたが、両国の対立は決定的なものとなってしまいます

これを一つの要因として統一歴115年までにMTOは瓦解しますが、一方でクラフタリア国内にも大きな変化がもたらされることになりました。
経済面では統一歴前から90年頃まで続いた新自由主義政策が行き詰まり、その方針を転換した保守国民党は親ヒトラント路線の外交が飢餓と戦争を招く結果に終わってしまいます
統一歴110年代、保守国民党への風当たりが強くなる中、当時の自由経済党党首スティーブ・ペルソンは歴史に残る重大な決断を下すこととなりました

それは「自由党による新自由主義路線否定」でした。これによってクラフタリアにおける新自由主義の命脈は断たれ、自由党は保守国民党と同様の保護主義・社会保障重視の内政と、反ヒトラント外交を展開することとなります
国民党に比べ、経済に詳しい議員を多く擁する自由党の経済政策はより優れたものであり、方針が被ったうえ実際の政策はお世辞にも上手いとは言えなかった保守国民党は議席を大きく減少させ、以後長きにわたり二番手に甘んじることになりました
自由党は統一歴90年頃までの新自由主義政策を「額面上の成長率は大きかったが、失業率や貧富の格差の増大、物価の高騰によって豊かになったとは言えなかった」として、これを反面教師とした各種政策を実行します

統一歴110年代の中ごろ、クラフタリアは内需及び周辺国との貿易を主軸とする代わり、旧MTO加盟国との貿易を縮小、特定の産業への集中投資をやめ、幅広い分野への投資を推し進めました
これにより額面上の経済成長率は大きく低下(統一歴80年から100年のGDP成長率は年平均5-7%だったのに対し、統一歴110年から130年までのGDP成長率は年平均1.5-2%)したものの、失業や物価高騰の抑止に成功し、社会保障制度も充実します
この時期、他国に後れを取っていた自動車やロボット、あるいはすでに先進的地位にあった造船や航空機などの工業分野の発展は著しく、クラフタリアの実質的な国力は大きく増大したと言えます

方針転換後の自由党の政策は多くの面で成功をおさめ、クラフタリアが世界有数の大国に成長する要因であったと言っても間違いないでしょう
一方で統一歴120年代以降は経済成長率の更なる低下や貿易赤字の増大など、幾つかの問題点が指摘され、経済アナリストの間では自由党の政策の批判点として槍玉に挙げられるようになります
とはいえ、国民の支持を一貫して受け続けていることも確かで、統一歴160年代に至っても自由党は与党であり続けていることがその証拠であると言えます

外交面では、クラフティンを始めとした新大陸の自由主義国家との関係を重視、経済面だけでなく軍事面でも協力関係を構築し、統一歴120年代前半には嘗てのMTOに匹敵する一大勢力が構築されることとなります
そして統一歴124年、民主主義国家による国際組織CELTO「セントラルシティ自由主義条約機構」がクラフタリア首都セントラル・シティでの各国代表による調印を経て成立しました
CELTOは以後勢力を拡大し続けますが、それに伴って他勢力との摩擦も次第に大きくなっていきます

統一歴130年代にCELTOはニューイングランド事変やイットリカン内戦へと介入したほか、CELTOに反発した軍事国家による国際機構「オストロアジア連邦共同体(以下 OFC)」に対しても強硬な姿勢で臨み、同機構との対立は激化していきました
統一歴140年頃になるとクラフタリアは親OFC勢力に政府中枢を掌握されたグランタイア合衆国と衝突(クラフタリア・グランタイア戦争)、さらには大西洋でもレグルス帝国や伊勢神皇国、安勢国にアストリア聖国などOFC加盟国との対立が顕著となります
なお後世の歴史家の多くはこの時期を「統一歴2世紀において、クラフタリアの国際社会での影響力が最も大きかった時期である」としています

統一歴140年代、軍事力を飛躍的に増大させたOFC諸国とクラフタリアはじめCELTO加盟国は世界各地で軍事衝突を繰り返します。クラフタリア近辺においては、統一歴139年に勃発した「南大西洋戦争」が典型的な事例です
南大西洋戦争において、クラフタリアは他のCELTO加盟国と共に伊勢神・アストリア・安勢と対峙、統一歴141年にはフォークランド諸島沖で大規模な艦隊決戦が発生、クラフタリア海軍は戦艦2隻を喪失しました
続いて大西洋中央、北大西洋でも大規模な艦隊戦及び航空戦が発生します。南大西洋戦争においてCELTOとOFCの両陣営の海軍戦力は甚大な被害を受け、同戦争で巨大戦艦が活躍したこともあって各国の建艦競争が激化していきました

続いて統一歴144年、OFC加盟国の一つであるレグルス帝国が周辺国に侵攻したことに端を発した戦争「レグルス戦争」が勃発します。この戦争はOFCを除く世界中の勢力がレグルス帝国と交戦する、史上最大級の大戦争となります
クラフタリアは序盤こそ海軍のみを投入しましたが、戦争末期からは航空戦力を大々的に投入し、レグルス本土空爆にも参加しています
なおこの戦争は長期化し、末期にはレグルス軍が核兵器300発を自国領内で起爆するなどしたことで、参戦各国の軍に甚大な被害をもたらしました。この戦争によってレグルス帝国は文字通り消滅、戦後の勢力図は大きく変化しました

統一歴140年代初頭には軍事力でCELTOを圧倒し、国際社会で強い影響力を持っていた宿敵OFCも、140年代後半になると拡張主義が限界を迎え、レグルス帝国や伊勢神皇国等加盟国の体制崩壊や消失が相次ぐようになります
世界最強を誇っていた巨大戦艦群を始めとした強大な軍備の維持費も国家財政を圧迫し、経済破綻する国が続出。一方のCELTOは軍備こそ劣ったものの経済・外交面で弱ったOFCを追い詰めます
統一歴140年代は間違いなく「CELTO・OFCの二大機構による世界の二分化」の時代でしたが、その結末は華々しい大戦争ではなく、経済破綻と国家消失による弱体化によって、CELTOの勝利がもたらされたのでした

一方のCELTOも、安泰とはいきません。統一歴150年、それまで蜜月関係だったシェラルド帝国との間で紛争が勃発、間もなくシェラルド軍による伝説的な奇襲・上陸作戦が実施され、クラフタリアは首都を敵国軍に占領されてしまいます
最終的には両国間で講和条約が結ばれたものの、クラフタリアにとってこの戦争は敗北に等しい結果となります。以後、シェラルドを始めとした欧州勢力の脅威は増大し、OFCと並ぶクラフタリア・CELTOの宿敵となっていくのでした
翌151年には「第二次低地戦争」が勃発、友好国ヴァルキアがシェラルドの攻撃を受けたことで、クラフタリア軍は遂にクラフティン・イットリカン・蒼星・北連軍と共に欧州へ侵攻、欧州大陸を舞台に大規模な戦闘が展開します
なおこの際、シェラルドを民主共和制国家へ作り変えるという「トリコロール・プラン」が実行へ移されましたが、同国内部での政治的主導権を握ることは出来ず、「トリコロール・プラン」は失敗に終わりました

統一歴150年以降、クラフタリアの経済政策にも変化が生じます。自由経済党による長期政権が続いていますが、統一歴140年頃から急拡大したシェラルドとの貿易は同国の侵攻が発生した150年以降、ほぼ0となりました
代わりにCELTO加盟国及び共産圏諸国との貿易額がますます増加し、特定国家との貿易及び内需に依存する経済構造が顕著となります
さらに統一歴150年のシェラルド侵攻終了後、親シェラルド派が舞羅南部へ亡命し「パタゴニア頭脳王国」を建国、翌151年以降舞羅の影響下で頭脳主義にも傾倒し、クラフタリアとの対立を深めていく事となりました

統一歴150年から151年は情勢が大きく動いた年でしたが、それから数年間は短い小康期間へ突入します
しかしこの世界で平和が続くはずもありません。統一歴155年、クラフタリアの同盟国の北連ことスィヴェールヌイ諸島共和国がシェラルド率いるフランス連邦軍の全面侵攻を受けます
同盟統合軍も参戦、北連含む同盟国軍との連携でフランス連邦軍に大打撃を与えるも、最終的には北連全土がフランス連邦によって支配下に置かれ、ここに北連という国は消滅することとなったのでした

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最終更新:2022年08月09日 22:34