Beautiful!

暖簾を潜り赤提灯から路上へと出たその男は冬の夜の空気に身体を身震いさせた。
しかし本当は寒さなどで震えたのではなく、これは不思議なことに今し方この男の中で世界の認識が変わったのだった。

逡巡したのは秒の半分。傍目には全くそうと気づかせないそぶりで男は路を歩き始める。
着古した背広を纏った禿頭の中年男性である。
歳で言えばもう老人と言ってさしつかえないが、肌の表面から発する活力がそれを阻んでいた。
背はそれほどに高くはなく身体は横に幅があり襟元は実に苦しそうだ。
一見すれば肥満。飲み屋から鼻の頭を赤くして出てきた様を見れば不健康だとそう思う者もいるだろう。

だが、見る者が見れば全く逆の印象を男は持っている。
太い首には全くの弛みがない。張った腹は硬く、足音はこの男が見かけ以上に重いことを知らせてくれる。
潰れた鼻も丸まった耳も生来のものではない特徴を持ち、なによりがグローブのように丸く膨れ上がった拳だ。

男は暗がりへと進む角を曲がりながらにぃと笑った。右目には黒の眼帯。

彼は空手家であった。名前を“愚地独歩”という。


 *


まばらな街灯が辛うじて夜から人を守っている細い路地。
人気も消え、ここいらがちょうどいいかと思ったところで独歩はおもむろに振り向いた。
背後。いつからそこにいたかも判然としない眼前のそれに独歩は驚く。驚く、というよりも怪訝な顔をした。

「…………アンタ、なのかい?」

英霊――そう言うからにはどんなものが現れるかと思いきや、独歩の前にいるのは貧相極まりない老人だったのだ。
そこらのホームレスとなんら変わらない襤褸の風体。
歳は独歩の倍はとっているように見える。体の嵩は半分もないだろう。まるで鶏がらのように痩せた体躯。
目つきだけが異様で、ギラギラとした視線をこちらへと投げかけてくる。

「その、“サーヴァント”だっていう……?」

独歩は不思議に思った。何故か、この男とどこがで会ったことがあるような気がする。
目を細め仔細に観察した。格闘技の達人だろうか? 例えば膂力を必要としない柔術や合気道、はたまた暗器術。
そうではない。格闘技でも武器術でもない。それはわかる。だが、何かを一生続けた身体だとは判別がつく。

明らかに殴られて潰れた鼻。これは関係ないか。
では首に浮かんだ瘤はどうだ? なにに従事すればあんな首になるのだ。
襤褸の裾から見せる両手はどちらも猛禽のように節が浮いている。
手。打撃?――否。組技?―否。いや、そうではない。それは、この手が生み出すのは――。

「そうか、……こ、“こう”だ」

独歩は身体を捻りながら右腕を上に、左腕を心臓を守るように前に水平にと構える。
どちらの掌も握らず、さりとて伸ばしきらず、生まれたての赤子のような自然の形で。そして僅かに腰を落とし、右足を半歩下げる。
それは、空手で言うところの“天地上下”の構えに酷似していた。
だが、真ではない。

「ほう」

初めて目の前の老人が声を漏らした。

「俺ァ、アンタのことを知ってるぜ。見たことがある。この……“キリスト”を描いた人だ」

その構え(ポーズ)――正しく言うならば“最後の審判”。

「その後、像も見た。あの有名なヤツだ。英雄の……。俺ァどれもこれも気にいって、柄にもなく売店で画集を買ったんだよ」

だから知っていたのだ。
それは独歩が若かりし頃の記憶だった。まだ神心会を立ち上げる前も前の話。
地下闘技場の闘士として実績を積み上げる傍ら、強いヤツの話を聞けば誰彼構わず相手を選ばず道場破りをしていた頃のこと。
偶々、前を通りかかった美術館。
独歩はその芸術家の名前は知らなかったが、ポスターに描かれた男の筋肉を見て気まぐれに入場券を買ったのだった。

「すげぇな……光栄だぜ」

目の前にいる男。この英霊の名は――ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ。
天使の名を持つ、芸術史上、“最強”の男である。

 *


「……しかしアンタ。いや先生だ。その、先生は戦えるのかい?」

当然の疑問だ。本の中だけでしか語られないような偉人と出会えたことは喜ばしい。だが事はそれだけではない。
これは聖杯戦争であり、マスターとサーヴァントは二人三脚でこの闘争を戦い抜かなくていけないのだ。

「服を脱げ」
「へ?」

その返答に独歩は間の抜けた声を出してしまった。ミケランジェロはそんな独歩をじっと見つめているだけ。
有無を言わさぬ迫力に気圧され、独歩は冬の夜の下、するすると服を脱ぎ始める。
背広を脱ぎ畳んで路上に置く。シャツを開き、ベルトを抜き取り、ズボンを下ろしてそれらも先に倣わせる。

「下穿きもだ」
「ストリップをしろってか」

軽口を叩きつつも独歩は厭わない。命令のままに褌すらも脱ぎ地面に置いた。

「どうでェ……まだ現役だ」

逸物も露に裸の姿を自身ありげに見せびらかす独歩。この寒さの中であるというのに鳥肌のひとつも立ってはいない。
だがミケランジェロとはいうとそんな独歩に言葉を返すこともなくまんじりと睨みつけ、不意に手を伸ばしてきた。
ここにあるのは石だとばかりに、困惑する独歩に構うことなくべたべたと肉に手を這わせる。
厚い胸板から肩から腕へ、腹も背中も尻も、太ももから膝と脛、とうとう足の爪先までしげしげと観察した。

「“これ”はどうした?」

また不意に今度は左腕を取り独歩に迫る。これとは、左手首にぐるりと回った薄い傷跡のことだ。

「ああ、そいつは一度スパッと――」
「縫い直したというのか……」

かつて脱獄した死刑囚を相手に“なんでもあり”をした際に独歩はこの左手首を切り落とされたことがある。
再接合されたそれにミケランジェロは舌を巻いていた。
実はミケランジェロは人体の解剖に通じている。石の中から掘り出した人物の数より生の人体を刻んだ方がよほど多い。
だがこれは当時の最先端を行く芸術家なら当然のことだ。人体を正確に知るには実際に人体を解剖(バラ)すしかない。
つまり、だからこそこの現代医術をもってしても難を極める再接合手術――その異様さを彼は理解できるのだ。

「臭うな」

その左手に潰れた鼻を近づけるとミケランジェロは犬のようにくんかと鼻を鳴らす。
独歩としてはさて手を洗ったのはいつぶりだろうと思うところだったが、その心配は的外れだった。

「獰猛な獣を殺したな。……四足、……牙を持ち、襲う、……襲わせた…………獅子か?」

独歩は彼の嗅覚にぞっとしながら答える。

「いいや、虎だ。似たようなもんかもしれねぇが……」

それは謙遜だ。獅子と虎とでは全く違う。虎と立ち向かう方が獅子を殺すよりも比較にならない危険が伴う。
ミケランジェロは独歩の答えにはじめて喜びの感情を顔に表した。笑ってはいないが独歩にはそう感じられた。

「ここにいいのがいる――掘り起こしてやろう!」

言うなりミケランジェロは両腕を上げる。いつの間にかにその手にはノミと槌が握られていた。

「こっ……こいつはぁ……!?」

独歩の声には驚きと、それ以上の喜びに満ちていた。
身体に、四肢の隅々までに力が漲っているのだ。

痛めに痛め、この齢まで酷使してきた己の身体。いくら常に今が全盛期だと虚勢を張ってもその実、衰えは否定できない。
老練する技術と老いさらばえる身体。技術と経験が身体の衰えを誤魔化しきれなくなった時、武術家は終わる。
それは人間である以上の宿命であり、独歩にしても遠からず予感していることであった。

「おっ、ほ……ほほっ。こいつはすげェ……」

それが今は全く違う。まるで時計を逆回ししたかのように全身は瑞々しい力を取り戻していた。
間違いなく、身体能力としては全盛期だったと胸を張って言える時期のものに――いや、それより遥かに。

「戦うのは“お前”だ」

今更ながらの回答に独歩は頷く。

「そうかいそうかい、そいつはありがてェ。元々、人の後ろからあれやこれやと指図するのは性分じゃなかったんだ」

理解が生まれる。ミケランジェロは闘士を強くする英霊なのだ。
独歩の、全盛期の力と極まった空手の技術で最強の相手と戦いたいという願望を実現する唯一の英霊。

「そいつを寄越せ」
「へ?」

ミケランジェロは独歩の左手の甲に浮かんだ虎の文様――令呪を指差している。

「仕事を完遂するには貴様自信の魔力(もの)だけでは到底足りん。それも、俺に全部寄越せ」
「するってぇと……?」

ミケランジェロが頷けば独歩は躊躇しなかった。
サーヴァントを使役するマスターとしては暴挙中の暴挙であったが、独歩は、ミケランジェロですらそれに構う人間ではなかった。

そしてそれから5分後、ただの寒々しい路上の上に新しい英傑が誕生していた。
誰もが夢見る。誰よりも彼が夢見ていた――史上最強の愚地独歩。

文字通りに空を切る正拳。縮み力を溜め、勢いよく開放する、まるで鉄でできた発条のような筋肉。
空手家人生の中で受けたありとあらゆる傷の痛みが今は全く感じられない。
自然と笑みが零れ、実際に笑いも止まらなかった。
だが、傍らに立つミケランジェロはまだ不満げだ。

「“完成”にはまだかかる」

かつて、神話に語られる英雄ヘラクレスは獅子を退治すると続けざまに試練を超え、最後には12の功業を成したという。

「全てを平らげろ」

そうすればと、ミケランジェロは言う。

「俺がお前の中に“いる”テオゲネス(武神)を掘り起こしてやる」





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【クラス】 キャスター
【真名】 ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ
【出典】 史実(16世紀イタリア)
【性別】 男
【属性】 秩序・善
【ステータス】 筋力:D  耐久:D  敏捷:D  魔力:A  幸運:B  宝具:A

【クラススキル】
 陣地作成:A
 偉大なる建築家としての“側面”も持つミケランジェロからすれば工房を超える神殿を形成することも容易い。
 ただし、完璧を目指すがあまりにその形成速度は極めて遅い。

 道具作成:B
 ミケランジェロの生み出したものはただそれだけで神秘と呼ぶに相応しい。

【保有スキル】
 【芸術の終着点(ベルラ・マニエラ)】:EX
 芸術という人間の所業を完結させたミケランジェロにおいては、その全てが正答とされる。
 このスキルを保有する者は、ありとあらゆる判定が必要とされる場面において実際の可能性の有無を無視して成功する。

【宝具】
 【真の芸術作品は神が与える完成の影にすぎない(ラ・ベラ・アルテ)】
 ランク:A  種別:対物宝具  レンジ:1  最大補足:1
 神こそが真なる美を持つ1であれば、その写し身たる人間の最大限に美を追求した姿もまた同じく1であることは疑いがない。
 つまり、故に、人間の持つ美の極致。鍛え上げられた筋肉美こそが真の芸術なのである。
 英霊となったミケランジェロは
 もはや物質(マテリアル)非物質(アストラル)の区別なしに、そこに内在する可能性を芸術作品として掘り起こすことができる。
 そのモノの内に英傑がいればそれを、竜がいればそれを発現させることができるのである。
 ただし、その可能性の強さによって完成するまでに必要とする魔力と時間は比例して大きく長くなってゆく。

  補足1:神は下穿きを身につけない
  この宝具の効果は芸術的観点により衣服を纏うとその効果を発揮しない。
  具体的には上下の衣服を着ていると効果は0。下穿きだけならおよそ8割から9割。全裸で10割となる。

  補足2:テオゲネス
  ミケランジェロが愚地独歩の中に見出したのは、ヘラクレスの子とも呼ばれた古代ギリシャの格闘者である。
  ボクシングやパンクラチオンの試合でオリンピアを始めとする4大大会において常勝無敗の記録を更新し続けた。
  まさに武神と呼ばれるべき存在だといえるだろう。


【人物背景】
 イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家であり、画家でもあり建築家でもあり詩人でもある芸術家。
 西洋美術史のあらゆる分野に多大な影響を与えたことから万能人とも呼ばれるが、
 本人は彫刻こそが芸術の極みであり、他はそれに付随するものか次元の低いところに位置するものでしかないと言っている。

 存命中に伝記が出版されており、現代において評価される芸術家の中では珍しく当時から多大な評価を受けていた。
 そして、そのルネサンスに終着をもたらしたという評価は今も昔も変わらない。ミケランジェロこそが究極の芸術家である。

【特徴】
 襤褸を纏った老人。
 自身の見てくれには構わず、常に作業着姿で昼夜を過ごしていた為、英霊としても同じ格好をとっている。

【サーヴァントとしての願い】
 より芸術に身を捧げる時間と機会を得る。

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【マスター】 愚地独歩@グラップラー刃牙シリーズ

【能力・技能】
 空手及び空手家として勝利する為に身につけたあらゆる技術と知識。

【人物背景】
 世界最大の勢力を誇る空手道(フルコンタクト空手)団体・神心会の総帥。
 若かりし頃は地下闘技場の正闘士であり生ける伝説とまで言われた空手家である。
 仇敵である範馬勇次郎と対戦する為に地下闘技場へと復帰してからは、その後の様々な戦いに顔を出している。

【マスターとしての願い】
 “地上最強の空手家”になる。

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最終更新:2016年09月24日 23:33