フルヌゥド

フルヌゥド(亜語:Hul-Nuudo)はハダカンボ王国の首都。人口は7616年現在13,3617人で、西タヴェリアで最大の人口を有する。

歴史

その歴史は古代ヤード帝国にまで遡る。3561年ダハーカ属州の軍事都市ヴィラシルヴァ(森の街)として建設され、ヤード帝国の西タヴェリア統治の拠点として多くの軍団兵とその家族が移住した。この時代に建設されたヤドリアヌス劇場を始めとするヤード式建築物やヤード式水道などのインフラは現在も一部ハダカンボ人によって利用されている。
その後500年にわたって繁栄を続けたが、4198年のアガルタ島大噴火の影響でヤード帝国が衰退し、また北方の異民族との戦いにその国力が振り向けられるようになると、タヴェリア統治も徐々にその重要度を失い都市は次第に放棄されていく。
4700年代にはすでにヤード人はほとんどいなくなり、代わって北上してきたキサバシリ山付近に住んでいた南方のダハーカ人たちが居住するようになった。現在のスッパダカ族はこの残留ヤード人との混血であると言われており、肌の色も他の部族に比べて若干薄い。
5000年代以降は神の都という意味のフルヌゥドと呼ばれるようになったと言われており、狩猟採集民であるダハーカ人たちによる本格的な集住が始まった。
7600年にはハダカンボ10世による都市整備構想が出され、次代のハダカンボ11世により本格的な計画へと発展した。この都市計画の区画割りはスルガの水面院を参考にしたと言われている。なお、都市計画責任者であるテイ・オーにより歓楽街だらけにされるということになったが、「世界で唯一の都にしたい」という彼の熱意によってハダカンボ11世はこの計画を裁可することになった。

地理

南のキサバシリ山地から流れるマソ川と西のエドラ山地から流れるイナ川の合流湖であるマソ湖の北岸に位置している。都市全体は平地に存在しているが南端にある王宮は岩山になっており、人工的に掘削されていることから古代にはさらに大きな岩山があったと言われている。マソ湖からは北東に向かってビリア川が流れており、中央海に流れる。


交通

フルヌゥドを起点として東西北に比較的大きな軍事用道路が整備されている。また、マソ湖から南に抜けることもできる。北の道路は完全に軍事用であり、通常はシュインとの往来はビリア川を利用する。シュインから荷揚げされた貿易品はビリア川を通じてマソ湖に登り、マソ湖から湖岸に設置されたフルヌゥド湖に荷揚げされ、市場で取引される。

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最終更新:2019年11月30日 00:18