プロローグ(原門りんご)

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プロローグ(原門りんご)


 ここは、神の目すら届かぬ不夜の城。
 ゴッドレスサイド――『神無側(カナガワ)』最大の都市、ヨコハマ。

 退廃の薄暗い裏路地を、一人の男が闊歩する。
 夜の横浜西口地区(ハマニシ)は、男の狩場だ。

 屈強な肉体、悪辣な思考、そして、何より、男の悪性が生んだ異能。
 これらを駆使して、彼はハマニシに住まう人の営みを餌にしてきた。

 敵は多かった。
 横浜東口(ハマトン)の年寄り、『浜星(ハマスタ)』の分倍河原。
 みなとみらいの気鋭、『ランドマークバベルNo1』のケント。
 平沼橋の重鎮、トニー吉浜。
 数え上げればきりがない。
 そのすべてを、男はその人脈と暴力で退けてきた。

「ハァイ! お兄さん。ご機嫌ねっ! なんか臨時収入でもあった?」

 だから、高架橋の下でたたずむ女子高生を見た瞬間、男は即座に戦闘態勢を取ることができた。

 見た目は、ただの小娘だ。
 無造作に束ねられたポニーテールに、緊張感のない笑顔。太い眉毛と大きな目以外、特に特徴のない顔立ちだ。
 服装は、短いスカートに半袖の古臭いセーラー服。仕事柄このあたりの学校の制服は把握しているが、そのどれでもない。地元の人間ではないのだろう。
 外見からすれば取るに足らない「獲物」でしかない。
 それでも、男は警戒を崩さなかった。

 男には確信があった。相手は、ただのロリでもウリでもラリでもない。
 自分より何周りも大きな男相手にまったく気負うことなく声をかけられる。
 このJKは、こちら側の人間だ。

「アァ!? ンだこのガキィ! ■すぞラァ!!!」

 男の表情が豹変し、怒声が響き渡る。
 地の底すら揺らすような叫び。
 屈強な成人男性でも失禁しかねない威嚇であった。

 瞬間、女子高生の全身が不自然に硬直する。
 まるで、無形の鎖に縛られたように。

 これが男の扱う魔人能力、『怒鑼眠愚(ドラミング)』。
 威嚇対象に強烈なプレッシャーを与え、心身の動きを鈍化させる異能である。
 その効果は、対象が男に抱いた恐怖心に比例し、最悪心停止で死に至る。

「……『怒鑼眠愚』の五里雷蔵(ごり・らいぞう)。このカッコでも、私への警戒解かないかー。やるねえいいねえ元気だねえ!」

 周囲をうかがう。
 ほかに伏兵はいないようだ。
 つまり、この娘は一人で、男……雷蔵を何とかしようとしていたということになる。

「冴えない辞世の句だな」
「そっちこそ、一句詠むのをお勧めするけど! 具体的には1分以内!」

 絶対絶命の状況にあるはずにもかかわらず、女子高生の笑顔とテンションは崩れない。
 策があるのか? その可能性を、男は否定する。

 たとえ女子高生が雷蔵に恐怖をほとんど感じない猛者だとしても、『怒鑼眠愚』のプレッシャーによって、数十秒は戦闘ができるほどまともには動けまい。

「誰の差し金かは知らねえが。殺すぞ」
「あら、宣言してからなんて、やさしいの! ねっ! ゴリラさん!」

 雷蔵はおもむろにJKへと拳を突き出した。
 非魔人なら回避不能、一撃即死の豪拳。
 それを、

「――『落下置転(フォーリンアップル)』」

 少女は「上方向に」避けた。
 跳躍か? だが、そこまでできるほど、女子高生の足は自由を取り戻していない。
 そもそも、男の魔人視力は、女子高生の足が全く動いていないのを視認している。

「なん……だと?」

 女子高生の姿を追って上を見上げた雷蔵の視界を最期に埋め尽くしたのは、

「……時間切れー! 字足らず過ぎる辞世の句(ひどいオチ)……ねっ!」

 自分目掛けて落下してくる大型車が、/銃声。/頭上で爆発する光景だった。


 ◆  ◆  ◆


「かんぱーい!」
「はいはい」

 横浜市西区南幸。
 横浜駅の間近でありながら雑多な路地裏の風情を残した一角のラーメン屋台で、二人の女の二人連れが麺を啜っていた。

 一人は原門りんご。先ほど、五里雷蔵と大立ち回りを演じた女子高生だ。
 もう一人はサチコ。南幸で働く風俗嬢で、りんごと付き合いのある情報屋でもある。

「りんごちゃん、よく仕事(ころし)明けに食えるわね」
「そう? 私、仕事明けの一杯のために生きてる!」
「オヤジか! この現役JKが」
「マジマジ! うちの一家じゃ普通の感覚よ?」
「……あのラフランス(おやご)さんを普通基準にするなし」

 りんごは屋台の主人から受け取ったコショウをたっぷりとどんぶりの中身に振りかけ、手狭な手元に一瞬だけ逡巡した後で、

「『落下置転(フォーリンアップル)』」

 せりだした棚の「底面」にコショウの瓶を下から、さかさまにして置いた。
 すると、本来ならば下に落ちるはずの瓶は、磁石でもついているように棚の底面にぴたりとはりついた。

「便利よねー、それ」
「でしょー!」

 原門りんごもまた、五里雷蔵と同じ、異能の保有者、魔人である。
 彼女の魔人能力は、『落下置転』。
 触れたものの落下方向を、下方向以外に変更することができる異能だ。

「この前、効果切らして瓶割ったけどね、このドジりんご」
「おっちゃんごめんてー! もうやらないからさあ!」

 応用すれば、このように、物の下に別の物を「置く」こともできる。
 効果時間は3分間。
 異能の効力が切れれば、物体は即座に正しい方向へ落下する。

 先ほど五里雷蔵を押しつぶした自動車は、この能力で事前に高架橋の底面に『置いて』あったものだ。

 異能の効果切れによって自由落下する車両の質量で相手を押しつぶし、同時にガソリン漏れをしていた車に発砲、爆破して殺す。
 派手かつ念入りな殺人だった。

 原門りんごは、連続殺人鬼である。

 本人曰く、弱者を蹂躙し、法に裁けぬ悪を排除する、正義の連続殺人鬼であるらしい。

 それはどちらかというと、暗殺者や、掃除人、仕事人という表現の方がしっくりするような気がするのだが、彼女は頑なに自分のことを「連続殺人鬼」と言い張る。
 その言葉には、彼女なりのこだわりがあるようだ。

 原門の家族は代々、横浜の治安を殺人で守らんとする人々であるという。
 バカらしいと笑い飛ばしたいが、サチコが情報屋として集めてきた情報が、その与太めいた設定が事実であると告げている。

 しかし、見れば見るほど、このポニーテールのハイテンション太眉少女が、屈託なく人を殺す連続殺人鬼だとは思えない。

「で、サチコちゃん。あの話、どーだった?」

 小首を傾げる少女の言葉に、サチコの意識は目の前で湯気を立てるラーメンに引き戻された。

「あ、ごめん。南佐野のダンジョンよね。信憑性はかなり高そう。本当に「願いをかなえた」としか思えない結果も確認できたわ」

 サチコがりんごから依頼されていたのは、長野県南佐野に突如発生した地下迷宮、通称、『South Sano Dungeon……”SSD”』についての情報の確認だった。

 曰く、製作者不明。階層数不明。
 曰く、侵入者は必ず、何者かとの戦闘を強要される。
 曰く、一定回数の戦闘に勝利すると、「何でも願いを叶えることができる」。

 出現から数か月して、そんなうわさ話がwebを中心に広がった。
 それに、りんごは興味を持ったようなのである。

「……そっか。……やっぱり、そうかあ」
「りんごちゃんも、叶えたいこと、あるの?」

 屈託なく悪党を殺し続けるりんごはいつだって緊張感のない笑顔で、サチコから見れば、危険を冒してまで叶えたいような願いなどないように思える。

 だから、そんな疑問がサチコの口をついて出てしまった。

「……あー。その」
「言いたくないなら、いいよ。込み入ったことなら、情報屋なんかに伝えちゃダメだよね。ゴメン」
「違う違う! サチコちゃんなら信じてるから! そうじゃなくて……恥ずかしくてさっ!」

 そう言って、りんごは空になったラーメンどんぶりを下げながら、目をそらして呟いた。

「ちょっとね! 恋しちゃって!」

 あまりにも年相応すぎる理由に、サチコは吹き出しそうになった。
 が、年下の少女への対応としてはあまりに不誠実だと思いなおし、真剣に聞き返す。

「……その相手と、両想いになりたい?」
「ち、違う! そんな大それたことじゃなくて! その。私、ほら。連続殺人鬼でしょ? 普通じゃないでしょ? ずっとそうやって育ってきたでしょ? だから、そんな相手に好かれても、アイツも迷惑だと思うから!」

 3分経過。正しく下に落下するコショウ瓶を受け止め、りんごは笑った。

「だから……私は私の心を普通にしたい。人の命を大切だと思って、失われたら悲しんで、だからこそ誕生は尊くて……そんな風に、心から思えるようになりたい。ものが上から下に落ちるような――」

 サチコにはりんごの笑顔が、どこか泣いているように見えた。

「――そんな当然の法則(ルール)に、落ち着きたいんだ……!」


 ◆  ◆  ◆


 ここは、神の目すら届かぬ不夜の城。
 ゴッドレスサイド――『神無側(カナガワ)』最大の都市、ヨコハマ。

 退廃の薄暗い裏路地を、一人の女が闊歩する。――全裸で。
 夜の横浜西口地区(ハマニシ)は、女の散歩道だ。

 警察も、不埒な男たちも、誰ひとり彼女の歩みを遮ることはできない。
 だから、女が足を止めたのは、彼女自身の意志に他ならない。

「『私は私の心を普通にしたい。』……ねえ?」

 物陰から返ってきた言葉に、女は嫣然と微笑んだ。――全裸で。

「違うでしょ? あなたは、普通の女の子として生きたいんじゃない。『殺人鬼の自分を、殺したい』だけ。あなたには、殺すことしか思いつかないから。私が、そう育てたから」

 女の名は、原門(はらかど) 全裸騎乗槍(らふらんす)
 当代の原門の長にして、『神無側』の女王。

「さあ、かわいい私の毒りんご。神無き庭の禁忌の果実。あなたはどこに堕ちるのかしら」

 女は、愛娘(りんご)を乗せて神無側の地(ゴッドレスサイド)を旅立つ電車を、視界から消えるまで見送った。

 ――全裸で。



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