プロローグ(禅谷回那)

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プロローグ(禅谷回那)


 朝起きたら召使いの準備した健康な朝食を摂ること。
 一日30分の昼寝をすること。
 夜寝る前に1時間の運動をすること。

 それが、禅谷回那が自らの人生に課した3つのルールだ。


    *


「健康的な食事、健康的な睡眠、っていうのは、心身の健康を保つのに必要な要素だと飽きるくらいに言われているけど」

 その日も回那は、召使いの用意した朝食を食べながら、とりとめない講釈を垂れていた。

「健康的な性交、みたいなのはあんまり言われないよね。同じ三大欲求なのに」
「……言うのが憚られるだけでは?」

 応じながら、召使いの友栄は、よくもまあ食事をしながらそんなことを口走れると、その感性に感心する。

「それもある。だがそれよりも大きいのは、性欲を満たすことが『必要ない』ということだ」
「必要ない、ですか」
「たとえ魔人でも、人間ならば眠らねば死ぬ。食わねば死ぬ。ところが性行為はせずとも死なん。
これら三大欲求は、本質的に肩を並べ得るものではないワケだ」

 ずず、と味噌汁をすすり、ほう、と息を吐く回那。

「しかし、現実として食・睡眠・そして……そういうものが三大欲求として扱われていますが」
「『かつて』はそれが真実だったのさ。食わねば死ぬ、眠らねば死ぬように、性交をしなければ死んでいた」
「……人類がそういう動物だったと?」
「死のレベルの話だよ、友栄。性交がもたらすのは種族としての死、つまり人間の滅亡の防止だった」

 音量を絞ったテレビのニュースからは、どこぞの国でテロが起きたとか、老人が子供を轢いたとか、そんな話ばかり流れてくる。

「時代は変わった。人類はよく繁栄した。種族としての滅亡は既に架空でしか語られず、人間は性欲なくとも死ぬことはない」
「……すべての人類が性欲を失えば、その時は百年と経たず滅びると思いますが」
「フフ! それはない。人類の大半は、未だ獣だ。性欲に駆られ体液まみれでまぐわう動物なのさ。あるいは私もそうだったろう」


 朝食を食べ終えると、回那は寝間着を脱ぎ、仕事着へ着替える。友栄は黙々とそれを手伝った。

「生まれ、育ち、子をなし、老い、死ぬ。生涯の定型は、種族の残存のために遺伝子へ仕組まれた呪いだ」
「それで人々が幸福を感じてもですか?」
「もたらす結果は関係ない。呪いとはすなわちコード、命令書だ。多くの者を従わせ、しかし強く意志ある者には屈する程度のね」

 回那の仕事着は、袴のようなロングスカートにブラウスを合わせた、和洋折衷の出で立ちだった。
 色々と試した結果、これが一番調子が良いのだと、友栄は聞いている。

「人類はよく繁栄した。だからその呪いに抗うこともできる。生涯の定型に沿うという生命原理を無視することができる」
「……死なず、老いず……いえ、子をなさず?」
「私は『育たず』だ。あるいはそれを、『夢を見る』という言葉で形容してもいいだろう」

 コサージュのついたカンカン帽を頭に乗せ、襟元のリボンタイの形を、鏡を見て整える。
 全ての準備を整えた回那は、満足げに笑い、召使いを振り返った。

「決めたよ。夢を見に行く時が来た」


    *


 長野県某市。
 大空洞の出現したその街の裏通りに、禅谷回那がオーナーを務める店がある。

 屋号を『五色屋』といった。

「明朝発つつもりだ」

 日課の昼寝の時間を前に、店長室でめいっぱい倒したリクライニングチェアに寝そべった禅谷は、来客と言葉を交わしていた。

「……大空洞にか」
「ああ。頃合いだ。諸々の引き継ぎは全部済ませている」
「助かる」

 回那と話す男は、きっちりとしたスーツに身を包んでいた。名を信楽 喜多郎という。
 その肩書は、長野県県庁 地盤観測課 課長。
 突如として発生した長野県地下大空洞。その初期発見から関与している者だ。

「『五色屋』はできる限り経営を続けて欲しい。一応、生きて帰る予定だからね」
「勿論だ。県としてもその方が都合が良い」
「私がいなくなることで、隠しの結界が綻ぶということもない。まあもしその辺りのことで問題があれば、
今でも私ではなく大老婆にご連絡差し上げてほしいんだが」
「それはお前がいなくなった後でも変わらず、ということだな」


 ――大空洞の出現。
 ある日突然に発生したその異常事態に蓋をするため、長野県庁が頼ったのは、山間系の古呪術師魔人たちであった。
 現在、大空洞周辺には『隠しの結界』が展開されている。その一帯に足を踏み入れた者の認識から、大空洞の存在を消し去る結界。
 これにより、この町は外部との交流を維持しつつ、大空洞への侵入を防ぐことができていた。

 ……だが、呪いというのは得てして不完全なもの。
 神聖なる力か、強靭な意志か、はたまた体質的な偶然か。
 ともかく、何らかの要因で結界の効力を弾き大空洞を認識から消されなかった者たちの二次的な対処が必要だった。
 彼らに『大空洞はどこだ』なぞと内側から騒がれることは、結界の維持を危うくすることだったからだ。

 そこで、五色屋である。
 情報封鎖に協力する山間系古呪術師魔人の血と技を継ぎながら、東京の大学を卒業し、現代社会への理解が深い禅谷回那。
 彼女がオーナーを務めるこの店は、概念的な関所である。周囲の店や公共施設、宿泊施設では、大空洞がどうとかいう
(隠しの結界の下においては)意味不明な発言をした者には、この五色屋を案内せよというお触れが出されている。
 そしてこの五色屋に大空洞を求めてやってきた者には、大空洞周辺の物理的封鎖を越えるための黒いカードキーと、
大空洞への地図が渡される。

 かくして、県は大空洞の存在を大半においては隠匿しつつ、例外分子を最低限の接触により大空洞へ誘導することに成功していた。


「実際、割と儲けは出ているんだよ」

 回那は首を横に向け、机の上に転がっている色とりどりの石飾りを見た。

「村から送られてくる護石の効果はホンモノだ。ダンジョンから放り出された探索者が、お土産代わりに買って帰ることもある」
「それがお前の策の一つだと知らずにな」
「人聞きの悪い。少なくとも今日この日までは、純粋に探索者のためになったはずだ」

 ……色とりどりのそれらには、すべて回那の『光子1.5bit』により、呪いがかけられている。
 回那がいつか大空洞に赴いた時、この店に立ち寄った者と交戦することを想定してのことだ。

「まあ、経営面で何か問題があれば友栄に聞いて。他に何かある?」

 昼寝に入ろうとする回那だが、信楽は呼び止める。

「興味本位だが、これが最後になるのかも知らんのだから聞く。結局、カードキーの色を黒にこだわったのはなぜだ?」
「…………」
「お前の呪いは色に基づくものなんだろう」
「……それ、口に出さないで。本当に最低限の相手にしか教えてないし、誰にも聞かれたくない」
「つまり、黒には何の意味がある?」

 話してやる必要は、回那にはなかった。だが、はねつけるのも面倒だし、根に持たれても馬鹿馬鹿しい。

「191枚」
「……今まで配られたカードキーの数か」
「つまり191人が大空洞に入った。
カードキー配布の施策はかなり初期からやっていたから、この店を経由しないごく一部の例外を除けば、これがすべて」
「それで?」
「おかしいだろ? 大空洞を制覇し、願いを叶えるまで必要な交戦は最大でも四度ほどと見られている。
単純計算で、16人に1人は願いを叶えられる」
「……概算すると、これまでに約12人が」

「おかしいだろ?」

 回那は薄く笑う。

「それだけの人間が願いを叶えて、どうしてこの世界は平穏そのものなのか」
「それは……」
「ああ待て、分かっている。いくつもの仮説が立てられるだろ。
願いが叶うなんてのがウソで、手に入るのは精々100万円くらいだとか、自分が望む夢を見るだけだとか、
平行世界に飛ばされるとか……そもそも嘘八百だとかね」
「……お前の考えは違うのか」
「違うと考える、なんて理性的なハナシじゃない……ただそれじゃあ、『つまらない』。
折角生まれた荒唐無稽の中から出てきた荒唐無稽が、ウソだった。あんまりにも夢がないじゃないか」

 夢。
 その単語を聞き、信楽の顔が苦み走る。

「すべて真実だとしたら」

 対照的に、回那の表情は楽しく歌うようだ。

「つまり、大空洞の中では本当に人間同士の戦闘が強要され、4度勝てばどんな願いも叶い、
今まで191人もの探索者が足を踏み入れ……しかし今まで、そこまでの願いが叶えられていないとしたら……」
「……」
「いるはずなんだよ。迷宮の中に、願いを叶えることが目的ではない――他人の願いを奪うことを至上とするものが。
『願いを刈り取るもの』が」

 回那は懐から、黒いカードキーを取り出す。

「こいつにかけた呪いは『蠱毒数え』。
このカードキーを持つ者が、同じくこのカードキーを持つ者に勝利した時、カウントが一つ加算される。
そして私は、このカードに接近すれば、そのカウントを認識することができる」
「……その、『願いを刈り取るもの』を、お前は認識できる?」
「そう。私はそいつに会いたい。そして」


「――そいつが『欲しい』」


    *


 夜。
 回那は実家から届けられた荷物の封を、呪いを抑制する結界が機能する寝室で、丁寧に解いていた。

「……祖母様。祖父様」

 感嘆の溜息が漏れる。
 そこにあったのは、金属にも浸透する塗料で表面を塗られた貨幣に、琥珀や紅玉といった宝石。
 一様に古く、金銭的価値はほぼないだろうが。

「素晴らしい……」

 回那がうっとりと呟くくらいには、申し分ない呪物である。どれもこれも、聞くに堪えない怨嗟と報復の血に濡れた品々だ。

 回那はそれらを丁寧に懐へ仕舞い、裏庭へ出る。そこには巫女のような服に着替えた召使いの友栄が、一本の刀を携え待っていた。

「友栄」
「はい」

 回那は刀を受け取り、それを抜く。
 月夜の下、刀身は背筋が凍りつくほどの鮮やかな赤色に煌めいていた。
 謂れの知れぬ無銘の刀。分かるのは、これもまたおぞましく血に穢れた一振りであることのみ。

 回那は意識を集中させる。刀の重さを意識する。刀の幅を意識する。刀の歴史を意識する。

 意識を刀から、眼前の林へ。正眼の構えを保ち、摺るような足取りで、前へ。一抱えもありそうな、杉の樹の前へ。

 刃をわずかに傾げ、右から左へ振り下ろす。

 チリ、と火花が散った。
 遅れて、焦げ臭い匂い。
 ズズズ、と見上げても足らぬ高さの樹が、斬撃の軌跡にそって崩れ落ちる。
 自重に耐えられずメキメキと枝を自折する音が鳴り、ずしんと倒木の音。


「……こいつの調子も良い」
「では、明朝には発ちますか」
「ああ。友栄、式獣を林に放て」

 式獣とは、呪いに似て異なる原理によって生まれる獣のことである。友栄は眉をひそめた。

「もし負傷などなされば、出発に悪影響を……」
「もしそうであれば、そこまでの人間だったということだよ。それよりもいつもどおりに済ませたい」
「承知しました」

 友栄は折り紙を十枚ほど取り出すと、空へと放り投げた。それらは自ら何らかの獣の形に折られつつ、林の奥へと消えていく。

「一時間、あなたを走らせられれば良いのですが」
「ふ。初めの君は、一時間で片をつけられるかと意気軒昂だったのにな」
「……その頃の話は止してください」


 楽しげに笑い、林の中へ消えていく主を、友栄は静かに見送っていった。
 いつもと変わらぬ調子だった彼女。
 それは、いつものようになんてことなく、地下空洞も踏破してやろうという、彼女の意気込みの表れなのだろうが。

(……どうか)
(その願いが届きますように)

 友栄にできるのは、誰知れず祈ることのみだ。


    *


 朝起きたら召使いの準備した健康な朝食を摂ること。
 一日30分の昼寝をすること。
 夜寝る前に1時間の運動をすること。

 それが、禅谷回那が自らの人生に課した3つのルールだ。


 そして、彼女がそれを捨てるのは、己の夢と願いのためだけと決めていた。



 挑戦が始まる。


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