【SASUKE】SSその2

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【SASUKE】STAGE 試合SSその2


 禅谷回那の故郷は山の中だ。
 陰鬱な村を一歩出れば、どこまでも広がる鬱蒼の森々。
 鬱に鬱を重ねてなおまだ足らぬほどの、胸の苦しさ。

 ――でも、その苦しさを感じたのは、自分の世界の外側を知ったから。
 テレビに映された洗練され綺羅びやかな都会が、羨ましかったから。

 だから。
 この広くて息苦しい薄暗がりが、たまらなく嫌だった。



 * * * *



 萩原セラフが咄嗟にハンドライトを消し、物陰へ身を隠したのは、そこに物陰が『できた』からだった。
 前後共に遮蔽のない、一本道の天然洞窟を歩いていたのに。

(……時刻に劇的な変化はなし。意識の連続性は保たれている)

 腕時計を確かめつつ、遮蔽と足元に触れる。地面は起毛したマットのような素材。遮蔽は紙張りのプラスチック。
 もちろん、天然の洞窟にいきなり発生するものではない。

(つまりはここが戦闘空間)

 光源といえば、空に瞬く星くらいで、自分の手元すら分からぬ暗闇だ。
 ハンドライトに甘えたくもなるが、ここが戦闘空間であれば、必ず倒すべき『敵』がいる。不用意な行動は

「ナルル~ッ!」

 不用意な行動は……

「どういうことナル!? さっきまで洞窟だったのに~!」
「……ちょっと」
「暗くてなんにも分かんないナル! セラフ、明かりをつけて……ナルッ?」

 セラフに遮蔽へ引っ張りこまれたナルナルは、頭の一点を触手で撫でる。

「なにかテープで引っ付いて……」
「!」

 言い切る前に、セラフは素早く『それ』をむしり取り、仔細確かめることなく遠くへ放り投げた。
 粘着テープの巻かれた、貨幣のような感触だった。遅れてちゃぽん、という水音。

「……不用意な行動はやめて」
「ナル……ごめんナル~」

 注意を受け、素直にうなだれるナルナル。
 基本的にナルナルは、潜入任務中に状況を介せず騒いだりするマスコットではない。時にその行動は、セラフを助けることすらある。
 しかし、今回のように突然かつ埒外の事態に対しては、動揺し、無思慮な動きを見せる場合もあった。

 セラフは全感覚を集中させつつ、先ほどの敵の行動について考える。

 貨幣。常識的に考えて危険なものではないが、敵が魔人である以上その常識には意味がない。
 あるのは何らかの意志を持って、ナルナルに貨幣を取り付けたという事実。何の意志を持って? ……攻撃と考えるのが妥当だろう。

 貨幣を投げ捨てた方角を見る。目に見えて分かる異変はない。
 こうなると放るまえに検分しておけばという気持ちも芽生えるが、魔人相手にそんな悠長なことを言えるものではない。

「ナルナル」

 クラゲの頭部分に口を近付け、こそこそと囁く。こうすればナルナルもこちらに合わせてくれる。

「今のはどっちから来たか分かる?」
「ナル~……みぎの方?」
「右ってどっち?」
「おはしを持つほう!」
「あなたどれで持つの?」
「ナル?」

 無数の触手の内一本が持ち上げられる。

「決まってるのね……」
「あれ? これだったかな? こっちだったかな?」

 決まっていなかった。

「……方角を指して。飛んできた方角」

 そう指示すれば、ナルナルの触手が一斉に一定の方向を指した。遮蔽の向こう側だ。

(相手からの動きはない。向こうもこちらの様子を伺っている……)

 あちらとしても、セラフが動きを見せなければ動き辛いのだろう。膠着状態。
 こういう時、何かオトリにできるようなものがあれば……

「ナル~?」
「…………」

 目のない頭で見上げるナルナルに、セラフは静かに溜息を吐いた。


    *


「すっ……すみません!」

 物陰から気弱そうな少女の声が上がったのは、回那の攻撃から数十秒ほど経った頃だった。

「わ、わたし……その、迷い込んじゃって……洞窟を歩いてたら、いきなりこんな所に……」
(……迷い込む)

 回那の一族が施した呪術的封鎖と、長野県庁の手配した物理的閉鎖。
 その両者を突破して、SSダンジョンに『迷い込む』ことができる存在があるか、と言えば……

(なくはないんだよなあ……)

 神秘も、文明も、絶対のものではない。両者に精通する禅谷回那は、その事実をよく知っている。

「ま……魔人なんですけど。能力も全然、弱っちくて。ほら、こんなのしか出ないんですよ?」
「ナル~ッ! こんなのってひどいナル!」

 そう言いつつ姿を見せたのは、デフォルメしたクラゲのようなキャラクターだった。子供っぽい声で、少女の言葉に反論している。
 続けて、少女も姿を現す。星明かりに照らされた姿は、伸びた前髪で片目の隠れた少女。両手を恐る恐る挙げて、降伏の姿勢だろう。

「すみません、これってどうすれば出られるんでしょう……?」
「近づかないで」

 対する回那はぴしゃりと言い放った。びくりと少女が足を止める。魔人の相手に無用の接近を許す道理はない。
 彼我距離は30メートルほどだろう。こちらには屋根がある。あちらから姿は認められまい。

「……いい? これは戦闘なんだ。勝者は先へ進み、敗者は外へ放り出される」
「ま、負ければ良いんですか?」
「ああ。それで晴れて、本物の空の下に戻れるだろう」

「分かり、ました……負けを認めます」
「な、ナル~ッ!? セラフ、そんなの」
「静かにして」

 少女――セラフとクラゲのやり取りに苦笑しつつ、辺りの様子を伺う。
 得も知れぬ構造体。戦闘参加者の片方が敗北を認めた以上、変化が出ても良いはずだが……

(……何もない?)

 それとも、この空間のどこかで変化が起こったのか。そう思った回那の目がセラフから外れた瞬間、

 動いた。


    *


 口だけの降伏は意味を持たないという、安保局からの情報は得ていた。
 降伏のサインの両挙手は駆け出すと同時に後ろ腰の銃へ。相手の姿は定かでないが、声で位置は特定できる。
 瞬間に詰める3メートル。まだだ。相手は戦い慣れていないという確信があった。即応はできない。

「っ……!」

 気付いた。動作に入る間に3メートル。シルエットが見える。腰から提げられているのは刀か。
 そして3メートル。相手が腕を振るった。先のように貨幣のようなものを投げてくるのだとして。

(私が速い)

 散弾じみた複数の飛翔物を左腕で受け、踏み込みながら右手を突き出す。対魔人弾を装填されたそれの引き金を、引く。

「ッ!!」

 瞬間、ぐらりと身体が揺れた。銃口は星空を差して咆える。反動にもたついた? 否。

(……重い!)

 それは腕に貼り付いた青い貨幣の影響であった。『光子1.5bit』。禅谷回那の呪術能力!
 そしてその、何も撃ち落とせなかった銃撃に加えて、もう一つの情報があれば、回那もまたその確信へ至れる。

(蠱毒数えのカウントがゼロってことは……『カードキーを受け取ってる』ってことじゃないか! カマトトを!)


 セラフが左手の貨幣を払い落とし――粘着テープの扱いには慣れている!――回那が接近する。
 距離を詰めるまでに銃撃を二度。しかしながら、回那はそれを最低限の動きで回避する。
 銃弾なぞ所詮は直線運動。魔人の身体能力があれば、正面から躱すことはさしたる問題ではない。

(実戦はともかく、戦闘経験はあるか)

 内心評じるセラフは、銃撃を止めて左手にナイフを構えた。対する回那はまたも貨幣を弾いてくる。
 複数の硬貨を握り込み、指先の動きだけで散弾めいて弾き飛ばす『ぜになげ』は、商人たれば当然の技術だ。

 受ける側のセラフはそれをナイフで弾き、あるいは右手で受け、すぐ左手で払う。
 その貨幣に『重量を増す』効果があるとしたら、それを投擲する=重量が重くなれば落下する、という都合上、
接触と効果発動までにはラグがあるとセラフは見ていた。
 事実、その読みは当たっていた。貼り付けに用いる粘着テープは、熱と電撃を受ければ焼けてしまい、使えるのは青だけだ。

 セラフの銃は的中あたわず、回那の銭投げは対処可能。
 必然、両者は接近戦にもつれこむ。

「やると見た!」

 刀を抜き払う回那が。セラフが応じるようにナイフを構え……否、投げた!
 回那は身をよじって躱し、そのままの勢いで踏み込み、斬りつける。対するセラフは更に踏み込み、その手を押さえ、掴む。

「は……っ!」

 投げ倒す。合気道を軸としたマーシャルアーツ。ナイフの投擲も、この超接近状態に持ち込むための布石でしかない。
 回那は投げられる過程で刀も落とし、セラフに抑え込まれた。そのまま後ろ手に腕をねじ上げる。

「……ッだだだ……!」
「そちらは、人間を斬るのには慣れていなかったようね」

 腕足をじたばたさせているが、時間の問題だ。抵抗が落ち着き次第、銃で頭を撃ち抜く。それで終わる。

「フフ……実際そうさ。こんな事態は想定していなかった」
「…………」
「ダンジョンに潜って、魔人と戦い、勝てば願いが叶うなんてなあ。時に、一体君はどんな願いを……っだだだっ!」
「……ない」

 願い。
 当然それは、萩原セラフがこのダンジョンに挑む動機ではない。
 任務ゆえに挑み、任務ゆえに勝つ。それが工作員・萩原セラフだ。

「ナルナルは~、ほんとにお願いごとがかなうなら、おいしいご飯をいっぱい食べたいナル!」
「……」
「みんなでご飯を食べて、楽しくおしゃべりして、それで……ナルッ? セラフ、怖い顔にナッてる!」

「そのナルナル言ってるのは君の本音の代弁者か?」
「まさか」
 抵抗が弱まってきた。予定通りに銃に手をかける。
「工作員はそんなこと考えない」
「否定するとは、それを肯定しようという圧力に抗うということだ。銃撃一つで決着できるこんな時でも、君は抗わずにいられないんだね」
「あなたこそ、銃撃一つで死ぬと分かってるのによく口が回るのね。詐欺師?」
「いや、商人だ」
「なら詐欺師みたいなものね」
「そして呪術師でもある。これは……詐欺じゃない」

 セラフが後頭に銃を突きつけると同時、全身に電流が走るような感覚を覚え、身体が跳ねた。

(何っ……!)

 少し遅れ、比喩でなく電流が発生したのだと気付いた。否応なく全身が痙攣する。
 誤魔化すように撃った銃弾は、回那の頭の横の床を貫くに終わった。

「セラフ~~!」
(発生源、はっ、)

 回那はセラフを振り払い、銃を奪おうとする。そうはさせまいとセラフが身体を離せば、電流は弱まった。つまり、回那自身。
 ……セラフの与り知らぬことだが、正確には回那の羽織る淡黄のサマーコートが発生源であった。
 会話で時間を稼いだのは、即席で呪いをかけるため。呪い同士の相互干渉を防ぐため、着衣には呪いを施さないのが基本である。

 距離を取る双方。回那の手には再び赤い刀があり、セラフは拳銃のみである。ナイフの予備を抜く余隙はなし。
 即ち、刀の前に弾を当てるか、弾を凌いで刀で斬るかの一合。
 片やセラフの神経には電流の残滓が残り、片や回那の腕には極められた痛ましい痺れが残る。
 思考の暇もない、肉体の反射と本能による決戦は、



「おい止めろ、どっちも止めろって!」
「「!?」」

 白い照明の起動。照らし出される構造物――SASUKE。
 そこに現れた、Tシャツ姿のスタッフと、その中心に立つ筋骨隆々の中年男性により、止められた。

「一体何してんだ! 明日にはここで収録があるんだぞ!」
「「……あなたは……」」

 君の名は――

「「……ミスター・SASUKE!!」」

 山田勝己。
 初回SASUKEより挑戦を続ける男。筋肉の極限祭典、SASUKEを象徴する男であった。





Dangerous SS Dungeon 2-1
禅谷回那 VS 萩原セラフ
戦場 ―― SASUKE
SASUKE……それは狂的筋肉のアトラクション。地獄の障害物競走
全4ステージからなる激烈な苛みの道程を駆け抜け、勝利の頂点を目指せ!






 禅谷回那、萩原セラフ。
 二人はSASUKE運営の設営したテントで、共に余りの仕出し弁当を食べていた。

「何があっても不思議なことはないと思っていたが」

 回那は苦笑する。

「よもやこんなことになるとはね」
「……」
「ナルとはね~」
「……静かに、ナルナル」



 ……両者は戦闘を止めなかった。
 ミスターSASUKEの制止に与えられた僅かな休息により、双方の身体への痺れ、痛みが和らいだからだ。
 だからセラフは引き金を引いて弾丸を命中させたし、回那は必殺の斬撃を放っていた。

 そしてそのどちらも、戦いを決着することはなかった。
 有り体に言えば、無効化されたのだ。

 その後、二人はSASUKEスタッフに取り押さえられ、ミスターSASUKE・山田勝己から諸々の説明を受け、今に至る。
 曰く――二人はSASUKE本戦参加者としてエントリーされており、参加者である以上、SASUKE以外で双方の決着はつけられない。
 至極単純、至極明快なルールが、この空間を支配していた。



「しかし君、セラフだったか。ミスターSASUKEを知っていたんだね」
「……別に。昔、テレビで見かけただけ」
「私もだ。子供の頃、娯楽なんてテレビくらいしかなくてね……ん、やっぱ唐揚げは美味しいな」
「味が濃いわ」

 回那は足を伸ばす。

「普段はNHKしか見れなかったが、大きな番組だと放送局が調整してくれてね。オールスター感謝祭とか」
「クイズとマラソンの」
「そうそう! それでSASUKEも見られたんだ。懐かしいな……」
「あんなことが起こって、SASUKEはもう収録されなくなってしまったナルからね~」
「第30回大会のニュースは信じ難かったな……つい最近だよな?」
「2014年5月。1年前よ」


 ……読者の皆様には信じ難い事実かもしれないが、この世界で、SASUKEは既に『終わっている』。
 委細は伏せられており、国家安全保障局の一エージェントであるセラフすらその真実を知ることはできない。
 ただ、その第30回大会で魔人による凄惨な事件が発生し、SASUKEは今後一切開催されなくなったというニュースだけは知っている。
 これにより日本全体に吹き荒れる反魔人の風潮が強まったのは、言うまでもない。


 回那は弁当をつつきつつスタッフから渡された資料を弄ぶ。
 書いてあるのは、SASUKEに挑戦するにあたっての注意事項に、各エリアの解説。

「結構禁止事項多いんだな。ベルトコンベアの停止部品をとっかかりにするなとか……」
「何だか複雑ナルね~。でもワクワクにナル!」
「同意だよ。……ん? どこに行くのかな、セラフ?」

 その場を立ち去ろうとするセラフは、振り向くことなく言った。

「身体を休めるの。魔人とはいえ、私がSASUKEを勝ち抜くことは容易じゃない。せめて備えないと」
「へえ、乗り気だね」
「乗る以外ないからでしょ」
「待ってセラフ~! まだひじきが残ってるナルよ~!」
「回那にあげるわ」
「いやいらないよ」

 セラフの去ったSASUKE運営テントで、回那は残った弁当を掻っ込むと、パイプ椅子に横座りする。

「そう、乗るしかない……乗るしかないんだが」

 その視線は、闇の中のSASUKEステージに向けられていて。

「……その前に、できることはある」


    *


 翌朝。
 どこからともなく集まってきたSASUKE挑戦者に紛れて、スタッフによる事前の説明を聞く回那とセラフの姿がそこにはあった。

「わぁ~! 何だか見たことある人がいっぱいナル~!」
「……そうね」

 適当な参加者を捕まえて会話を試みたが、皆一様に『SASUKE参加者である』という自認を持っている。あのミスターSASUKE、山田勝己と同じく。
 この全てがSSダンジョンの造り出した幻影だとしたら、それを駆動するものは狂気としか表現しようがない。

「や、おはよう」
「おはようナル~!」
「……おはよう」

 気楽に声をかけてきたのは回那だった。セラフと同じく、動きやすいジャージを身に着けている。色は青。

「昨晩は何をしていたの?」

 間髪入れず、待ち構えていた問いを投げかける。

「宿泊キャンプに入るのが随分遅かったようだけど」
「……別に? 少しミスターSASUKEと話していただけだよ」
「そう」

 納得の態度と内心は裏腹で、セラフはその言葉を少しも信じていない。
 回那の横顔がくたびれていることに気付いているし、身なりも昨日ほど整っていない。
 有り体に言って、疲労し、気が抜けていた。

(……やはり)

 セラフは眼前のSASUKEステージを見る。障害物となる各エリアはもちろん、そこを繋ぐルートまで、そこは『色』で満ちている。
 昨晩回収しておいた貨幣が不自然な青色だったことから、回那の能力が色に起因するものではないかという予測は立てられていた。
 そして、回那を抑え込もうとした時に発生した電撃から、その種類が複数にわたることも。
 さらに厄介なことに、それらの効果は回那の任意で発動・中止できるらしいことも。

(たとえば、あの動くヘッジホッグが青い硬貨で急停止したら?)
(しがみつく丸太の手すりが黄色く塗られて呪われていたら?)
(あの2連そり立つ壁は……何もしなくても頭がおかしいけど……)

 考えを巡らせ巡らせ、目を閉じる。キリがない。
『セラフ、今日は何を作るナル?』
『テレビリモコンを使った夜間赤外線動体探知機よ』
『やっ……夜間赤外線動体探知機!?』
『ナルナル、語尾』
 もちろんセラフも夜間警戒していたが、まさか休まない訳には行かないし、夜闇を単独で監視するには限界がある。

「よう、お二人さん」

 そんな二人に声をかけてくる男があった。ミスターSASUKE、山田勝己である。二人は自然に頭を下げた。

「お疲れさまです」
「大丈夫か? 参加できそうか?」
「はい。昨夜はご迷惑をおかけしました」

 二人の参加姿勢を確かめると、山田勝己は大きく頷く。

「それじゃあ、頑張って。まあ、SASUKEは男の祭典とか言われるけど、最近はジェンダーがなんとか言うし」
「ありがとうございます」
「若い子のさ、頑張ろうって気持ちは応援したいから」
「はい」

 それだけ言葉を交わすと、山田勝己は去っていく。他にも声をかけたい相手がいるのだろう。セラフもすぐに、コースの検討に戻る。

 だから、回那がその男の背に視線を注いでいることに、彼女は気付けなかった。


    *


 SASUKE1stステージ、通称『SASUKEの森』を、セラフは制限時間ギリギリで突破した。

「お疲れ様ナル~!」
 ゴール地点から降りてきたセラフを、ナルナルが迎える。差し出されたタオルも飲み物も、今はありがたかった。
 そして、出迎えるのはナルナルだけではない。

「お疲れ。間に合ってよかったね」

 先立ってゴールした、禅谷回那である。

「……ええ」
「2連そり立つ壁、やばくない?」
「かなりやばかった。けど想定通りに抜けられたわ」
「勢いをつける以上に、跳躍の踏み切り点が大事なんだよね」
「あと方向。成功者はみんなちゃんと、斜めの足場から垂直に跳ぶことができてる」

 何ということのない風を装いながら、セラフは胸中の疑問を抑えこんでいる。
 すなわち、なぜ能力での妨害を行わなかったのか――もちろん、聞いたところで意味はない。

(1stステージだと効果が薄いと思われた? けれど後になれば、禅谷回那もそのステージを突破しなければ『勝ち』にならない……)
「ナルル~……セラフ、嬉しくないナル?」
「……嬉しいわ」

 真意を隠す、なれどまったくの虚飾でもない言葉を口に、セラフは1stステージに背を向けた。


 ミスターSASUKE・山田勝己は、そり立つ壁でタイムアップとなった。


    *


(スワップサーモンラダーの掴み棒は緑のプラスチック……)
(水中を泳ぐバックストリームゾーンを泳いでいる最中に電撃を受けたら……)
(壁を持ち上げるウォールリフティングの上に青いスポンジ……!)


 2ndステージ『鋼鉄の廃墟』も、セラフの警戒は甲斐なく、一切の妨害は入らなかった。

「セラフ、お疲れ様ナル~!」
(どういうつもりか知らないけど……)

 差し出されたタオルで汗を拭き、乳酸の溜まった全身の筋肉をアイシングしながら、萩原セラフは3rdステージを睨む。

(……おそらく妨害は『来ない』。魔人能力の制約か何かが理由で)

 禅谷回那の姿はない。彼女も2ndステージの突破はつらそうだった。肉体を休めることに専念しているのだろう。

「セラフ、3rdステージの自信の方はどうナル~?」

 ナルナルがマイクを模したと思しき棒を顔に突きつけてくる。セラフは溜息混じりに答えた。

「制限時間はなくなったけど、2nd以上に筋肉をいじめるエリアが揃っているわ」
「ナルほど~。具体的にはどの辺りが危ないナル?」
「どれも、と言いたいけど、最大に注意しなきゃいけないのはクレイジークリフハンガー……ねえ、それ何の真似事?」


 そして、3rdステージ。
 静かに準備運動をしていたセラフの耳に、観客のどよめきと実況・初田啓介の言葉が届く。

「禅谷回那選手、ここで脱落! またもクレイジークリフハンガーが挑戦者を一人奈落へ突き落としたーッ!」



 クレイジークリフハンガー。
 足場のない空間を、わずか3cmの突起に指をかけて、横に体をずらしながら渡っていくエリアである。
 たった3cmの指先に全体重をかけ、傾斜を、段差を移り、挙句の果てに、後方の別の突起へ『飛び移る』ことを強いられる。
 まさに狂気。実況の通り、ただでさえ少ない3rdステージ挑戦者を容赦なく飲み込んで行く魔のエリアである。

(……そもそも、SASUKEの『勝負』というのが分からない。ルール上でそんなものは規定されていないけれど)

 手指に滑り止めのパウダーを着けながら、セラフは思う。

(少なくとも、ここを越えれば……禅谷回那には『勝った』と言えるはず)

 指先に全神経を集中しつつ、動く。ここまでのステージで、既に身体は疲弊しきり、腕には乳酸が溜まっている。

(ッ……だから……このまま、ここを越えて……)

 血中酸素が欠乏し、魚が喘ぐように息をする。

(越えて……越えて)

 突起の終端へ来た。だが、終わりではない。
 ここを跳び越え、反対側の突起に捕まらなければならない。

(……越えて、私は……)

 意を決し、指で壁を突く。身体が浮揚し……

(どうするの……?)

 指が、かかる。
 かかった、はずだった。


    *

 夜。
 ついぞ手が届かなかったFINALステージ、栄光の尖塔を禅谷回那は見上げている。
 突破者による最後のチャレンジも終わり、あとは全ての終幕を待つばかりだ。

「結局、私たちの勝負はどうなるのかしら」

 背後から声をかけてきたのは、着水の濡れを乾かした萩原セラフである。

「さあ、勝ち負けを決めるということであれば……私の勝ちだろうけど」
「……何故?」
「私は飛び移ったあときちんと指がかかったからね。君は滑って落ちた」
「そのあと動く前に滑って落ちたのだから、あなたも変わらないじゃない」
「でも私の方がちょっとマシさ」
「私の方がタイムは速かった」
「落下までの速度が?」
「前エリアを突破するまでの速度がよ」

 何となく始まった不毛な言い争いは、どちらともなく黙り込んで終わった。二人並んで、夜闇の中照らし出される塔を見上げる。

「……聞いても良い?」
「何かな」
「どうして妨害をしなかったの? あなたの能力なら、誰にも気付かれず妨害工作をすることができたはず」
「するつもりだったさ」
「……ミスターSASUKEに止められた?」
「君が思っているような形ではないけどね。そう――」

 フ、と回那は息を吐く。自嘲のように。

「私は願いを失ってしまったのさ」


    *


 そもそも違和感があった。
 この戦闘空間が再現されたSASUKE空間だったとして……

(なぜ『挑戦者』であるミスターSASUKEが、運営と行動を共にしている?)

 禅谷回那はその疑問を解消すべく、夜動いた。
 セラフが去るのを待ったのも……あるいは、早く去るようにあれこれと声をかけたのも、そのためだ。
 回那はすぐさまミスターSASUKEの元へ向かった。彼は宿泊用テントの前で筋トレをしていた。

「精が出ますね」
「こうしてないと落ち着かなくってな」

 筋トレが終わるのを待ち、回那は声をかける。

「確認をしたいんですが」
「うん?」
「あなたは元々、SASUKEの運営側の人間じゃあないはずだ」
「ああ」

 ミスターSASUKE、山田勝己は頷く。そして、こう続けた。

「だけど今、ここに来てからははSASUKEをやってる」
「……ん?」

 その言葉の真意を、一度では掴み損ねる。『ここに来てから』。こことは? SASUKE会場……のことではない。

「……まさか、あなたは」



「SSダンジョンを攻略し……願ったんですか」
「この空間を。SASUKEに挑戦できる……それだけの空間を!」



「そうなるね」

 山田勝己は笑う。

「あんな事件があって、SASUKEは終わっちまった。だけど俺は、諦められなかった。だってほら、俺には……SASUKEしかないから」

 涙まじりの名台詞として知られるその言葉を、山田勝己ははにかむように口にした。

「そしたら何か、運営側の人間になっちまって。まあ実際俺が運営してますし、挑戦できれば何でも良いのだけど」
「……それで、挑戦を?」
「そう。もう5回目になるかね」
「5回目!?」
「挑戦して、失敗したら一年くらい修行して……で、今回は5回目。ん、4回で次が5回目だったっけ?」

 回那は立ちくらみした。
 この山田勝己は、SSダンジョンを攻略して、願ったのだ……『無限にSASUKEへ挑戦できる世界』を!

「だ、だからってそのためにSSダンジョンを攻略するなんて……信じ難い」
「願いが叶う、っちゅうたらな。いてもたってもいられなかったんですよ」
「そして、攻略して……いや、いや。そのことはもう良いんだ」

 回那は首を振る。山田勝己がSSダンジョンの攻略者であるなら、確かめなければいけないことがあった。

「……私は、SSダンジョンの真の制覇者はほとんど少ないと考えています」
「そうなんですか」
「あなたの戦った中に、恐ろしいまでの強さを持った、何か異常な……魔人を殺し慣れた魔人はいませんでしたか」

「いた」

 即答。

「恐ろしく黒くて強い……鉄パイプみたいなもんを何本も持った奴がおった。何だったんかな。阿修羅みたいだった」
「……それも、倒した?」
「倒しましたよ。したらそいつ、黒いゴミ、灰っていうんですか。みたいになって、消えてしまって」
「跡形もなく?」
「ええ。残ったもんといったら、俺もお店屋さんで貰った黒いカードくらいで。いつか弔おう思って、部屋に置いてありますけど」

 見ます? と山田勝己が言った瞬間には、回那はその情報を受け取っていた。
 勝利数4。これは山田勝己のカード。
 そしてもう一枚の……山田勝己が手にしたカードの勝利回数は、

(30)

 ……その『撃破者数』の異常な多さは。
 禅谷回那の仮説した『願いを刈り取る者』の存在が真実であると同時、
 それが既に山田勝己に斃され、この世にいないことを示していた。


    *


「……願いが絶たれたと思った」

 回那の目は、FInalステージの塔の、その先の空を見ている。

「実際にそう言ったんだ。そうしたらミスターSASUKEに言われてね。『本当にそんなのが願いだったのか』って」
「違ったナル?」
「違いやしない。数多の願いを刈り取る存在の持つ武器なら、極上の呪物になるはずだ。私はそれを求めてきた」

 けれど、と回那は言葉を続ける。

「そんなん願いじゃない、と言われてね。そんな、人を傷つけるようなことが願いかと」
「そうナルよね! お願いっていうのはもっと幸せなものナル!」
「いいや。呪術師が呪い多き呪物を願うのは当然だ。私もそこに間違いはないと思ってる。……でも、人としてはどうか」

 人として。
 興味なく聞いていたその言葉に、萩原セラフの意識はにわかに引っ張られた。

「私のもっと根本的な願いっていうのが、もしかしたら何かあったんじゃないかって思ってしまってね。ミスターSASUKEを見て」
「……思いもするかもね。すべてが叶う願いを使って、こんなことをするなんて」
「だろう? なんて馬鹿馬鹿しい! ……だが、それは本当に山田勝己が願ったことだと感じたんだ」
「本当に、願う……ナル」
「極上の呪物を手にした所で、何となるか。結局それは呪術師として上位の存在になれるだけだ。……君は『洗濯の魔法』の寓話を知っているか」

 セラフは首を振る。

「魔法使いの国の話だ。彼らは洗濯をするのが面倒だと言って、どんな汚れも落とす魔法を編み出した」
「すごいナル!」
「ところが、ある魔法使いが気付いた。『最初から服に汚れを弾く魔法をかければ良いんじゃないか』。そして洗濯の魔法はいらなくなった」
「で?」
「また別の魔法使いが思いつく。『そもそも汚れない服を作れば良い』。そして別の魔法使いは『服を着なくても恥を感じない世界なら良い』」
「エ、エッチナル~!!」

 触手で顔(らしき部分)を押さえるナルナルの頭を、回那が撫でる。

「表層の願いを叶えても、本当に満足できるとは限らない。だから願いは掘り下げなければいけない……だけど、私は私の願いが分からなくなった」
「……だから妨害をしなかったっていうの?」
「ただ一点の願い。頂点に手をかけるという、願いに挑む大きな流れに身を任せれば、何か分かるんじゃないかと思ってね」

 やがて、夜の空に花火が上がった。色とりどりなものではない。余った演出火薬の処理である。
 遠くの方から、SASUKE収録の終わりを告げる声が聞こえる。セラフは少し笑って、手を差し伸べた。

「お疲れ様」
「……セラフ」
「何はどうあれ、回那。あなたとSASUKEに挑めて良かった」

 その言葉に、回那の表情も明るくなる。その冷たい手をしっかりと握りしめた。

「私こそ。この先どうなるかは分からないけど、こうしてSASUKEに挑戦できたことは、大事、なっ」

 瞬間、セラフはその手を、回那の身体を引き寄せて。

「セ……セラフ~~!?」

 ナイフを深々と突き立てた。



 * * * *



 萩原セラフの故郷はアパートの一室だ。
 いつも疲れた表情の両親は滅多に帰って来ず、独り。
 家族での団欒などあり得ないという失望に充ち満ちた、暗い匣。

 ――でも、その苦しさを感じたのは、自分の世界にない幸福を知ったから。
 工作番組の垣間に見える、美しく幸せな家族像が、羨ましくて、妬ましくて。

 だから。
 その広くて息苦しい薄暗がりが、たまらなく嫌だった。



 * * * *



「が、ハバっ」

 刺突の衝撃で血を吐く回那を、蹴り飛ばす。ナイフが抜け、鮮血が噴き出した。

「今、今すごく良い話だったナル! どうしてこんなことにナルナル!?」
「静かにして」

 ……回那の話から分かった重大な情報は二つ。
 この空間がミスターSASUKEの願った結果であること。
 ミスターSASUKEはSASUKEとSASUKEの間に、修行の時間を取っていること。
 そして、自分たちを拘束した時に言われた、『参加者である以上、SASUKE以外で双方の決着はつけられない』という言葉。

(つまり、一度一度のSASUKEには『終わり』がある)
(SASUKEが『終わった』以上……私たちは参加者ではなく、)

(SASUKE以外で決着を着けられる!)

 そうして放った一撃は、見事にセラフの仮説を証明してくれた。回那の身体から血がどくどくと流れる。致死量――

「っきゃあっ!?」

 突如、激しい熱がセラフの肌を襲った。返り血を浴びた服が、手が、首筋が焦げるようだ。
 何事かと確かめる前に、眼前の回那がゆっくりと立ち上がるのが見えた。激しい蒸気と噴煙を上げながら。

「なっ……」
「……血。髪。その他なんでも良いが。人間から落ちた『人間であったもの』も、また良い呪物なんだ」

 自らを襲った、そして眼前の現象を説明できる要因は一つしかない。

(赤色は、熱量……彼女自身の血も含めて!)
「……自分の血を焼いて致命傷を塞ぐ、なんて、できるもんだな……いや死ぬほど痛いんだが……」

 ふらつきながら立つ回那へ、セラフは銃撃する。しかし回那はそのまま地べたに転んだ。
 銃弾を回避するためではない。血を撒き散らすために。必然、セラフはそれに当たらないため大きく動かざるを得ない。

(……左手に火傷。痛い。多分自由には動かせない)
 セラフは冷静に状況を改める。
(傷を塞がれたのは……大動脈を斬ったから。狙うなら心臓か、脳。これなら塞がれても、『止まる』ことで死ぬ)

 対する回那も、ふらつく足で距離を取った。不意打ちに対する咄嗟の反撃には成功したが、危機的状況に変わりはない。

(油断してたな……武器がない。呪物はいくつかあるが、それも本当に、お守り代わり程度だ)

 せめて武器を。あの刀を。回那は身体の調子を把握すると、自らの居室めがけて駆け出す。

「どっ、どうするナル? 追わなくて良いナルか?」
「……追いはするけど。逃がしてあげる」

 言葉通り、数発の銃弾を追撃に放ったのみで、セラフは止まった。そして遠隔信管の起爆スイッチを手にする。

「な、ナル~っ! それは~!」
「仕損じた時のために回那の部屋に設置した爆弾よ。全部読みどおり」

 必死に走る回那は、宿泊テントへ飛び込んだ。それと同時に、セラフはスイッチを押す――


「やめといた方がええで」

 背後から声がすると同時に、ドサリ、と何かが足元に置かれる音。
 設置したはずのプラスチック爆弾。

「……なぜ」
「あんたがそのえらい物騒なのを仕掛けたのは、SASUKEの開催中やったからな。分かった。ここそういう場所らしいんで」
「でもSASUKE期間中に起爆はしなかった。……なぜ関わるの? これは私と彼女の戦いよ」

 声の主……ミスターSASUKE、山田勝己。この空間の主たる男は、その問いに対し頭を掻いた。

「勝負ならSASUKEでつければええんや。どっちが先に優勝するか。修行期間も、設備も用意する」
「ふざけないで」
「若い人らにはな、そういう斬った張ったじゃなくて、もっとひたむきになれるまっすぐな願いを持って欲しいんや」

「……願いなんて!」

 セラフは声を荒げる。そして、その感情の発露を恥じるように奥歯を噛みしめる。

 やがて、セラフは駆け出す。
 ミスターSASUKEはもはや何も言わなかった。


    *


 SASUKEスタッフはいつの間にか撤収していた。跡には忘れ去られたSASUKEステージのみが残る。
 その支柱の一つが、熔断されて倒れ落ちた。連鎖して、SASUKEのステージ全体が軋み、捻れる。

「危ないナルーッ!」
「黙って!」

 ミシミシと襲い来る鉄の構造を躱し、飛び込み、安全圏へ。誘導されたということは承知の上。動きを止めない!

「よく動ける……!」
「そっちこそ」

 セラフはシトリン――すなわち電撃を帯びた鉱物の弾雨を躱し、赤い刀を構えた回那を銃撃する。ギリギリの所で躱す回那。
 SASUKE前の相対とは違う。負傷の深い回那は十全には動けない。しかしセラフは左手をやられている。
 苦しいのは回那だが、セラフも攻め手に一歩欠ける戦いだ。

「一つ聞いて良いかな!」

 互いに制覇した障害物を遮蔽とした膠着状態で、声を上げたのは回那だった。

「さっき、君が私を見逃した時、私は罠かもしれないと思って、死を覚悟したんだが……何もなかった。それは何故だろう」
「……『あった』のよ。でもジャマをされた」
「ミスターSASUKEに?」

 ……かつて。
 遠いかつて、テレビだけが唯一の心の寄す拠だった頃、その中で輝いていた男。
 努力と希望の象徴だった男。
 そんな彼が、巡り巡って邪魔になる未来なんて、考えたこともなかった。

「……下らない!」

 もはやセラフの感情は、自戒しても止められぬ程に沸き立っていた。
 苛立ちだ。ことあるごとに願い、願いと言い募る者への煩わしさだ。

「願いなんて、下らない。どうせ何も叶わないくせに……!」


 かつて。
 大好きな工作番組を見ながら、これを両親とやりたい、という思いによって目覚めた魔人能力『Doubt in Yarborough』。
 これで願いが叶うと喜び……次の夜に警察から伝えられた、両親が自分を捨て失踪したという絶望の報せ。
 その日から、萩原セラフにとって、願いとは叶わないものと決まっている。


「そんなものはいらない……私は、工作員は、ただ任務をこなし続けるだけ」
「……辛い人生だ」
「そうかもね。でもそんな感情、工作員の私には存在しない」

 人間らしい感情。少女らしい情動。
 それらは全て、工作員の自分から取り外し――傍らのナルナルに預けている。
 ナルナルの発言は、すべて『人間としての』萩原セラフのものなのだ。

「だとしても辛い。何も願えず生きていくなんて、現代の人間には辛いだろう。ただ生きているだけでは充足できない現代だ」
「分かった口を……!」


 動いたのは回那だった。またも刀を振るい、構造を熔断する。バキ、バキン、と連鎖し、セラフが潜んでいる地点の頭上の照明が落下した。
 当然、セラフはそれを察し、飛び出ている。

(蹴りをつける……!)

 苛立っていた。願いを口にする者、そんな者に感情を波立たされる自分に。
 だから手早く終わらせる。現実、時間をかけると山田勝己に介入される危惧すらあった。そうなれば状況はあちらに傾くだろう。

 銃撃しながら回那の元へ迫る。SASUKEで疲労した片腕での射撃で、簡単に命中できるとは思っていない。相手の動きを射竦める威嚇だ。
 回那もまた、刀を収めて両手に呪物を構えていた。片手には大きな青い水晶玉。もう片手には黄色の数珠。
 黄色の珠が襲い来る。SASUKE前の戦いとは違い、常に電流を帯びている。触れれば痺れ、足が鈍り、そこへ集中攻撃を受けて終わりだ。
 だから狙わせない。

「……!」

 セラフに珠が命中した、と思った瞬間、煙幕が広がった。石灰の煙幕! SASUKE設営作業に使われた、白線引きを元に作り出したものだ。
 一瞬怯んだ回那だったが、攻撃を続けた。しかし命中の手応えはない。ポチャンポチャンと、後方の水溜りに落ちる音ばかりが響く。
 珠が残り一つになると同時、煙幕側面からセラフが飛び出した。その手には銃。

「っなら!」

 回那は青い水晶を投げ、呪いを発動させた。
 その床は構造の都合上、中央を支えとしてシーソーのように上下動する仕組みになっている。床の端は今まさにセラフが立っている箇所だ。
 ガタン、という音と同時に、勢いよくセラフの細い体が跳ね上がる。吹っ飛ぶ先は、先ほどまでの黄珠が落ちた水の中!

 だが、同時に。

「え」

 四角い包装が回那の目の前に放り投げられていた。
 セラフが吹っ飛ぶ直前に投げたそれは、プラスチック爆弾。一度は仕掛け、ミスターSASUKEに取り外されたもの。

(狙った通り……)

 あとは着水前にスイッチを押せば良い。爆発により、回那は吹っ飛ぶ。先の負傷もある。生きてはいまい。

(「やめといた方がええで」)
(「もっとひたむきになれるまっすぐな願いを持って欲しいんや」)

(下らない)
(私は勝つ)
(勝って……任務を果たして……)

 フラッシュバックしたミスターSASUKEの言葉を努めて冷笑し、スイッチを――



 * * * *



 そして、現在。

「一、ニ……」
「ナル! ナル!」

 萩原セラフは、ミスターSASUKEによるトレーニング空間により、次のSASUKEに向けて身体を鍛えていた。
 強いられてのこと――ではない。戻った所で失敗の責を負うことになる。鉄砲玉のような扱いを受けるということだ。

(ならばそれまでに、せめて……身体を鍛えるのも、悪くはない)



 セラフは結局スイッチを押し損ねた。ミスターSASUKEの言葉によってではない。
 この場を越えて、任務を終えて、どうするか。
 今まで敢えて考えなかったこの命題に答えられなかった時、ナルナルの言葉を思い出してしまったのだ。

(「ナルナルは~、ほんとにお願いごとがかなうなら、おいしいご飯をいっぱい食べたいナル!」)

 ……その言葉が、セラフにとって一端の真実であるという認識が、最後にセラフを引き止めた。
 美味しくもない仕出し弁当を共に食べた。ただそれだけの相手を殺すということに。

(……下らない)

 結局スイッチは押されず、爆弾は起爆せず、セラフは帯電した池に落ちて、負けた。
 禅谷回那は先へ進むのだろう。本人も見失った願いを探して。


「ナル~! この唐揚げ美味しいナル!」
「……味が濃いし、栄養バランスが悪いわ。衣はがしなさい」
「な、ナル~!?」


 こうして、萩原セラフの、願いに向き合う日々が、始まった。

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