コーナー1995~2000

2000年[編集]

天才・伊集院光プロデュース 音楽ユニット大ブレイクプロジェクト「プロデュる!?」

当時、つんくプロデュースによる歌手グループが大ブレイクしていたのを見た伊集院が、「自分も儲けたい」と称して『ASAYAN』(テレビ東京系)のパロディ風にリスナーから歌い手を一般公募、2000年4月17日(第236回)、ユニット「水死隊」(後に「焼死隊」→「変死隊」)を結成した。もちろん実際は売れ筋とは程遠い展開で、しかも男性陣の多くは顔の面白さでジャケット写真でのウケを狙って選ばれていた。またアイドル番組風のコーナー「ホップステップ東尋坊」「燃えろ!花火工場」なども作られた。発売されたCD「走馬燈」については関連書籍・CDを参照のこと。メンバーは前期の手焼きシングルCD発売の頃はいろいろと活動していたが、ファーストアルバムの制作に時間がかかり(呼ぶと交通費がかかることもあり)、「変死隊」と名が変わる直前あたりから近況報告されるだけで登場しなくなり、2001年5月28日(第294回)のCD完売発表後、しばらくしてコーナー自然消滅。

裏伊東家の食卓

自虐系の「だめにんげんだもの」に送られたネタの一つ「ビッグマックでご飯三杯いける裏技」から派生、当初「不細工伊東家」と呼ばれたが、後にコーナーとして独立した。『伊東家の食卓』(日本テレビ系)では放送されないような珍奇な「裏技」「大発見」「法則」「新競技」(具体的な内容ではなくそのタイトルだけ)を送ってもらう。読まれた後に鳴る評価の鐘(後にコイン)の音の回数で貰えるお尻コインが決まった。コーナー初期では「 - する裏技」という形式を無視した珍文は最後にまとめて「見せしめ」と称して紹介されていたが、後に「大発見 - 」「 - 法則」「新競技 - 」の形式で珍文を認めることになった。使われていた曲は「ジャングル黒べえ」のエンディングソング。2000年3月6日(第230回) - 2001年7月2日(第299回)。

逆世界遺産 21世紀までに消したいモノ100

フリートークとFAXでの募集から派生、新世紀に残しておきたくない物事を投稿するコーナーで、時間の都合でよくコーナーをとばされながらも21世紀に入る直前に終了した。最終回ではそれまでに採用された99個の「逆世界遺産」が披露されたが、最後の1個はギャグ抜きの「いじめ」(それ以前にも「腐敗した政治家」というのもあった)が選ばれ、伊集院は当時としても古いCMネタで「かっこ悪いからね」という「正論」を盾に押し切るというネタでしめた。逆世界遺産として認定されたものとしては、「森進一・五木ひろしのモノマネ」「西田ひかるの歌」「フミヤート」「アメリカから来るダンスソング・ダンスブーム」「中日ドラゴンズのサンデーユニフォーム」「神田うののオリジナル・ブランド」「トゥナイト発のエロ言葉」など。なおオープニングには、『世界遺産』(TBS系『THE世界遺産』の前身)のテーマ曲であった鳥山雄司の「The Song of Life」が流されていた。2000年1月17日(第223回) - 2000年12月25日(第272回)。

1999年[編集]

夏のタイムマシン(全13回)

タイムマシンに乗って過去の自分に忠告をしに行けるならどんな場面か、というコンセプトでリスナーからハガキを募集するコーナー。実際には忠告という名目で「このままだとこういう目に逢うぞ!」と言う形式のトラウマ的体験談を披露する自虐系コーナー。タイトルの元ネタは小泉今日子の「夏のタイムマシーン」、コーナー開始時にかかる曲も同曲。1999年11月22日(第215回)開始、2000年3月6日(第230回)までで自然消滅。2006年夏のスペシャルウィークに伊集院の過去を振り返るということでコーナー名が復活、ハガキ募集などはなく番組の過去を振り返るというものだった。

早押しクイズQQQのQのQ(全53回)

伊集院が早押しクイズ王を名乗るためと称し、先に決めたクイズの正解に合わせた問題を募集。当然、いつものように激しくボケたネタハガキや、有名人いじりネタが多数を占めた。タイトルの元ネタは1998年秋に放送されていた『おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ』(TBS系)。初回では無音をバックに伊集院が問題を読み上げ、それに伊集院が自分で答えを言うという非常に微妙な感じになり、伊集院本人も「このコーナーは短命に終わる」という程の物だったが、2回目以降ではスピーディーでクイズ番組っぽいBGM(『クイズタイムショック』の提供バックBGMを編集したもの)をバックに鈴木順が次々と問題を読みあげて伊集院が回答していくという形式になり、結果的に1年以上続く人気コーナーとなった。また、2回ほど鈴木が急病のため代理として小島慶子と小倉弘子が読んだこともあった。途中より進藤晶子がTBS内の女帝的キャラとなり、他の局アナをいじめまくる妄想ストーリーまで展開。スペシャルウィークでは実際に進藤と鈴木が出演しての同時収録を行い、永久保存版と称された。また終盤には電波系な「○○おじさん」をネタにするのが流行した。1999年11月8日(第213回) - 2000年12月25日(第272回)。

3点ゲーム

ゲーム雑誌『ファミ通』のクロスレビューで「3点しか取れないようなゲーム」を考えて投稿するコーナー。自分で考えた架空のゲームの駄目な点を、句読点含む14文字×9行(実際のファミ通クロスレビューと同じ方式)で辛口レビューするという方法で紹介する。1999年9月13日(第205回)開始、2000年1月3日(第221回)までで自然消滅。

夢廃工場'99

タイトルはフジサンケイグループが開催したイベント『夢工場'87』のパロディ。リスナーから自分の見た夢を送ってもらう、天然の電波系コーナー。淫夢とも悪夢とも言えない夢特有のカオスなネタばかりで伊集院がギブアップ。珍しく自然消滅せずに最終回を迎えた。1999年9月13日(第205回) - 1999年10月25日(第211回)。

UP'S音頭で踊ろうよ

「♪ - てなこた忘れて踊ろじゃないか アップス音頭でソソレソレ」につなぐ歌詞をリスナーから募集。ネタが出揃うと参加者を公募して、TBS内で放送中延々と踊り続ける盆踊り大会を開催した。ちなみにできあがった曲は演歌歌手尾鷲義仁に歌ってもらい、後に自作CD「走馬燈」にカップリングされた。1999年7月19日(第197回)から1999年8月16日(第201回)の「夏休みエンジョイスペシャル・大盆踊り大会」まで。

集まれガシャポンコレクター(全13回)

リスナーが集めているガシャポンフィギュアのコレクションを披露するという建前で、実際はありもしない芸能人・有名人フィギュアを捏造してその人をからかう有名人いじり系コーナー。1999年4月26日(第185回) - 1999年9月6日(第204回)。

俺は平成のモテキング

芸能人の女性がこんなにも伊集院のことを想っていてモテモテですよ、と報告するという名目で実際はその女性に対する悪口を書き連ねる有名人いじり系コーナー。1999年5月3日(第186回)開始、1999年7月12日(第196回)までで自然消滅。

だめにんげんだもの

自虐ネタコーナー。駄目人間だなと思わせるような短文を募集。元ネタは相田みつをの『にんげんだもの』なので、初期の頃はネタが読まれた後に「みとぅを」と名前が入っていたが、後に省略されるようになった。1999年4月26日(第185回)から2002年1月7日(第325回)までと、長寿コーナーだった。
伊集院光が今、ユリ・ゲラーを越える! 史上最大の公開超能力実験 / 奇跡の石「インチキストーン」 モニターの皆様からの喜びの声
1999年1月18日(第171回)から「伊集院光が今、ユリ・ゲラーを越える〜」のタイトルで始まり、ラジオを通じて伊集院が送ったパワーの効能を報告するコーナーであったが、1999年2月8日 (第174回)から「奇跡の石『インチキストーン』 - 」に改題。今までの不幸のどん底人生が、買うと300万円はするという奇跡の石「インチキストーン」の偶然の入手で一転、いかに幸福な体験をしたかを報告する、という建前で開運グッズのうさんくささを皮肉った捏造ネタコーナーである。実物は石屋より「キロ幾許か」で購入した小石に白マジックで「インチキ」と書き込んだもので、このコーナーでハガキを読まれたリスナーにプレゼントされた。新コーナーに時間をとられ連続休止し、結局1999年5月10日(第187回)を最後に自然消滅。

芸能人選手権シリーズ

特定の芸能人( - のような、ではなく本人を)を目指すリスナー2名が電話で出演、本物かどうかを10問のチェック問題で判定するという建前で、似てない物真似とボケ回答を連発するコーナー。正解数に応じて点数を与えられるが基準は適当で、伊集院が面白いと思った方が勝者となる。3週勝ち抜くと(実際は3週のみしか行わないため、途中からのエントリーでも最終週に勝利しただけで)「本人」として認定され、幻のノベルティ「100オシリコイン」が贈呈された。当初、伊集院本人はこのコーナーにとても悲観的であったが、構成渡辺が絶対当たると猛プッシュして実現した。「勝ち抜き森進一選手権」に始まり、松任谷由実選手権、桑田佳祐選手権、谷村新司選手権、長嶋茂雄選手権と続き、その後、中には架空の人物(古畑任三郎、ルパン三世など)や人間以外のキャラクター(ドラえもん、ピカチュウ など)の回もあった。1999年1月18日(第171回)- 2000年4月3日(第234回)。

ラジオ青春アニメ劇場 燃えろヒカル製作委員会(ラジオドラマ、全12回)

恋愛モノをベースとした珍文系ラジオドラマ。「ヒカル(伊集院)が何らかの理由で部活を辞めるが、カオリ(野村真弓)が励ますことでやる気を取り戻し、別の部に入部する」というパターンのストーリーを作っていく。しかし予算上の都合でカオリの台詞は使いまわし、ヒカル側の台詞のみを変えなければならない。終盤、「オクラホマミキサー部」(オクラホマミキサーのリズムに乗って相手の急所を的確に突く部活動)に入部してからストーリーが完全に暴走。最終回は前の回でヒカルが「金輪際部活には入らない!」と宣言するが、帰宅部も『部』がつくから部活になるんじゃないかと指摘され家にも帰られず、愛と陰謀の世紀末世界での壮大な物語となり収拾がつかなくなるかと思われたが、夢オチの亜流で一応の決着がついた。なお、最終回のみ総統閣下役として園部啓一が「2万円+出演情報の告知」という格安の報酬で特別出演している。1999年1月11日(第170回) - 1999年4月5日(第182回)。

豆知識予備校

話のネタとして使えるように、豆知識(≒うんちく)を紹介するコーナー。当時、伊集院自身がテレビなどで豆知識を披露することがあってもまだ「うんちくブーム」は始まっていなかった。1回目は伊集院が送られた豆知識を読んでいたが、2回目以降は鈴木順が豆知識を読む形になる(途中代役として小島慶子が読んだこともあった)。ブーム到来と前後してこのコーナーは終了、かわりに「ウソチクの泉」(前述)が始まる。1999年1月11日(第170回)の伊集院の例題から始まり、1999年11月15日(第214回)から2000年12月8日(第269回)までは、コーナー形式ではなくサウンドステッカーとして使われた。

かかったかな?と思ったら中二病

リスナーの、中学2年生頃にありがちな恥ずかしい言動(症状)を「伊集院(女医)」が診断する、あるある系コーナー。俗語として使われる「中二病」という言葉はここから広まったと言われている。ただし、俗語の「中二病」は、世代に関係なくある言動を「中二」的でみっともないと揶揄する言葉であり、伊集院が考えていた自虐や共感を含んだ本来の意味からは変わっている(中二病#概要を参照)。1999年1月11日(第170回)開始、1999年3月22日(第180回)までで自然消滅。
なお、「中二病」の現状について伊集院は「もう僕の作った時の意味と違うから言葉自体に興味無いです」とコメントしているが、2012年2月に意味をめぐってZeebraと伊集院がTwitterで論争せざるを得なくなったことがあり(伊集院光 深夜の馬鹿力の出来事#通常放送時の主な出来事を参照)、同年11月5日の「アレの名前を僕達はよく知らない」(前述)の前振りとして「中二病」に言及した際には「(中二病について)番組で取り上げるのは本当にこれで最後ですよ。めんどくさいから」と明言している。
1998年[編集]

番組クロストーク

1998年10月5日(第156回)から開始された、深夜1時まで放送されていた『DB』のDJである市川展丈と次の時間帯の(当時)UP'Sのパーソナリティたちによる1分ほどの繋ぎの対話コーナー。しかし月曜日は、スタジオ間の仕切りガラスのカーテンが開けられると、伊集院が全裸で尻を鞭打たれていたり、横田基地から連れて来たマッチョの黒人が座っていて「コンバンワ! イジューインデス!」としか答えなかったり、スタジオにぎっしり一般リスナーが詰めていて「そうですね!」としか答えなかったり、伊集院とスタッフによる生バンドでプリンセス・プリンセスや大事MANブラザーズバンドの曲のコピーを練習していたり、本物の水森亜土がガラスに絵を描いていたりと、ほとんど対話なしの無意味なパフォーマンスを連発、また何をやるかネタも募集された。『DB』時間枠のコーナーであるが番組自体がTBSローカルだったため、未放送地域のリスナーのために直後の『深夜の馬鹿力』内でも番組冒頭で再放送された。しかし無駄に手間と費用がかかりすぎ1回分の番組予算を放送開始前に使い果たしてしまう事態も起こったため、1999年1月4日(第169回)からは普通の対話形式で「○○スペシャル」と言ってウソスペシャルの予告と「ゲストはおなじみドロボー7」がお約束のオチとなり、再放送も無くなった。

ど忘れ日本語博士

自称「語学博士」の伊集院が、リスナーがど忘れした言葉を即座に解説するという建前で、「おとり太郎」「予知ゲロ」「学級汁」などの珍奇な造語の意味を即興で考えて解説する珍文系コーナー。伊集院は毎回無駄話で考える時間を稼ぐなど、いっぱいいっぱいな様子だった。1998年12月14日(166回)では番外編として、リスナーから送られてきた適当な落語の題名から即興であらすじを解説する「ど忘れ古典落語辞典」が放送された。1998年7月27日(第146回) - 1998年12月28日(第168回)で自然消滅。
伊集院光のUP'Sドキュメンタリー企画 その時マイクは見た
リスナーから送られてきたカセットテープの中の、録音していることを意識していない日常の素の対話に含まれるイイ味の部分を抜粋して取り上げるコーナー。長い録音の中から面白い部分を切り出す手間がかかりすぎたためか、1998年5月18日(第136回)から間をおきながら数回やったのみで自然消滅。採用者には100お尻コインが贈られた。

おしゃれ大戦 / ネオおしゃれ大戦

オシャレさん達により居場所を失いつつあるブサイクさんを自認するリスナーによる、オシャレな物から浴びせられる罵倒(被害妄想による幻聴)に対し宣戦布告。オシャレな物をブサイクに貶めることを宣言する、やや自虐+電波系なコーナー。1998年5月4日(第134回)の「帰ってきたあそび」から派生し、1998年5月11日(第135回)開始、1998年11月2日(第160回)までで、以降はブサイクなものをオシャレ風トークでPRする「ネオおしゃれ大戦」に模様替えしたが1998年12月7日(第165回)で終了した。

過剰接待の現状

真剣な口調で会社における過剰な接待営業を告発するコーナー。もちろん、実際はおおげさな内容の馬鹿ネタを考えるもの。大手都市銀行が当時の大蔵官僚をノーパンしゃぶしゃぶなどで接待していた汚職事件が元ネタ。1998年3月30日(第129回)開始、1998年5月4日(第134回)までで自然消滅。

栄冠は君に輝く

電波歌系コーナー。「栄冠は君に輝く」の替え歌を募集し、それを男声合唱で歌う。当初は伊集院やスタッフが合唱(「あきる野市立関東ローム層大学」という架空の大学の合唱部が歌っていることになっているが、参加していないときは「(実際にありそうにない理由を付けて)欠席」となっていた)していたが、後にスタジオで実在する大学のコーラス部などに協力してもらって収録され、最終回はTBSホールで全参加者での大合唱が行われた。また、始まるやいなや大学のコーラス部で評判になり、「是非ウチで」とオファーが殺到。参加したコーラス部同士で交流が始まるなどほほえましい光景もあった。1998年2月16日(第123回) - 1998年5月25日(第137回)。

人生ゲームネガティブ版

人生ゲームでの人生のコースを、主に子供・学生時代のネガティブな思い出風に作るコーナー。他の自虐系と異なり、基本的に実体験が元となっている訳ではない。1998年1月12日(第118回) - 1998年5月25日(第137回)。
1997年[編集]

三行革命

三行(20文字×3行=60文字)で珍奇な文章を作るコーナー。「日本一短いデブへの手紙」での珍文系ネタに字数制限を加えたもので、珍文系コーナーの極みといわれた。1997年10月6日(第104回) - 1998年7月13日(第144回)。

紀ちゃん日記

当時、裏番組『Across The View』(J-WAVE)に出演していた加藤紀子の日記を考えてもらう有名人いじり系コーナー。後の「番長日記」や「勝手にブログ」と違い、加藤1人のキャラクターをいろいろでっちあげるという制限もあり短命に終わった。1997年10月6日(第104回)開始、1997年11月3日(第108回)までで自然消滅。
スターQ&A
スターへのファンレターを、前もって伊集院へ送り添削をしてもらうという設定だが、ファンレターと称しながら有名人への悪口を婉曲的に書き連ねたり、その有名人に関する認識がほとんどデタラメだったり、なめきった態度の手紙だったりする有名人いじりネタを送るコーナー。1997年10月6日(第104回)開始、1997年12月1日(第112回)。
自ギャグの詩(うた)
リスナーが過去に経験したトラウマ的な思い出(親の財布からカネを盗んだ経験など)を募集し、その思い出を自分の持ちネタとして昇華する自虐系コーナーの元祖。必ず最後に「伊集院さん、こんな僕は大丈夫なんでしょうか?」というフレーズが入り、伊集院が無理矢理にでもどんな人にもありがちな思い出だと誘導し「大丈夫です」と言う。1998年11月からは「頭血(ズヂ、頭部からの出血の意味)」をした経験を募集した。1年半弱継続した人気コーナーであり、「全国自ギャグ甲子園」としてスペシャルウィーク企画にもなった。後の「夏のタイムマシン」「ミスチョイ」「思エロ、セピアエロ」「イジュパパの子育て日記」の原点となる。コーナーのテーマ曲は杉田かおるの「鳥の詩」。投稿を読み上げる時のBGMは映画「禁じられた遊び」のテーマ曲「愛のロマンス」。1997年7月21日(第93回)開始、1998年12月7日(第165回)までで自然消滅。
UP'Sウィークリーブックメーカー(全17回)
次回放送までの間にあるイベント等で起こりそうな出来事を予想して投稿してもらうコーナー。その様子を現場で録音した「正解」を発表する、という建前で一番面白かった投稿をわざわざドラマ仕立てにして放送していた。後半、次回テーマ発表時に伊集院が「来週辺り爆発するんじゃないか〜?」とお約束のコメント=次回も爆発オチ希望ということで、ほとんど爆破オチで終わっていた。1997年5月12日(第85回) - 1997年9月29日(第103回)。
オナラ・スペシャル(オナラ・オーディション '97 〜 ツユ)
オナラのスペシャリストである伊集院のオナラの音を公開。また、リスナーからいろいろなシチュエイションでのオナラの音の録音を募集するコーナー。すばらしい音の投稿の数々をまとめてCD化を計画。1997年5月12日(第85回) - 1997年6月16日(第89回)。
漢師匠かく語りき(全16回)
リスナーの悩みに「漢(おとこ)とはどうあるべきか」ということで自称、漢師匠の伊集院が答えるコーナー。1997年5月5日(第83回)にはピエール瀧が師匠としてゲスト出演。悩みの内容が漢らしさとは程遠い物が大半だった。1997年4月28日(第082回) - 1997年9月29日(第103回)。
サウンドノベルツクーレ
サウンドノベルを自分達で作ってしまおうという、株式会社 アスキーとのタイアップ企画コーナー。プロローグと3つの選択肢を発表し、それらの続きの話と、そこからの3つの選択肢を募集。次回にうち一つが採用され、同じ繰り返しでストーリーを作っていく。番組内で選ばれなかった選択肢の続きは、没投稿や番組スタッフからのアイデアを元に伊集院自身が執筆したが、膨大な量となりゲームの発売を遅らせてしまった。完成したストーリーの内、「卒業証書」はプレイステーション版の、「ユキピーの最短3分下手すりゃ3世紀クッキング」はセガサターン版のサウンドノベルツクール2にサンプルゲームとして実際に収録されることとなった。両サンプル収録作の完成後は「風が吹く〜桶屋が儲かる」までの間の展開を考えるコーナーとして継続。この内、「卒業証書」は他のサンプルゲームと比して突出したボリュームを誇り、全27のミニシナリオへと分岐。展開はそれぞれ全く異なっている。ギャグ一辺倒のシナリオもあれば、シリアス一辺倒の悲恋譚や活劇もある。恋愛ゲーム風のマルチシナリオにもかかわらず、ヒロインと結ばれてのハッピーエンドやそれに準ずる結末は極めて少ない。27のシナリオの内の大半は悲劇的末路(失恋、逃避、遭難、事故死、他殺、ヒロインが病死、ヒロインが主人公に殺される等)。冒頭では凡人として描かれる主人公だが、シナリオの展開次第では、深刻ないじめの被害者や人間不信の塊といったネガティブな側面が強調される。1997年3月10日(第75回) - 1997年7月14日(第92回)。
ジャッジオブゴッド 〜神の判断〜
リスナーの個人的な趣味や好み、性的嗜好等の正常・異常を判断するコーナー。伊集院は投稿内容が正常であるように弁護し、陪審員役のディレクター池田、AD柳沢、アルバイト見習松上(当時の役職)ら「神」たちが判断を下す。1997年2月17日(第72回)の放送では内田有紀と松本ハウスが「神」としてゲスト出演した。また、1997年3月10日(第75回)の放送ではTOKIOの城島・長瀬・山口の3人が「神」としてゲスト出演した。1997年1月6日(第66回) - 1997年3月24日(第77回)。
1996年[編集]
DK95.4(ダイエットキング95.4、全20回)
ニッポン放送のオーディションを受けた時、"体重を同局の放送周波数(1242kHz)に合わせて124.2kgに調整したという伊集院がTBSに来たのだから、当時の144.6kgからTBSの周波数である954kHzと同じ95.4kgにすべきではないか"という事から発生したコーナー[4]。二部構成で、第一部は伊集院の体重測定が行われた。先週より体重が増えた、または全く変わらない場合は即企画終了して伊集院が罰金5万円となる。さらに、測定前に減少量を(1.5〜1.8kgというように)いくつかのブロックに分けてスタッフが選択しておき、見事的中させてしまったスタッフはリスナー考案の過酷な罰ゲームを受けることになる。なぜかこの賭けにも伊集院が巻き込まれており、最も減少量が少ないブロック(1kg未満が多い)は減量に成功していても伊集院が罰ゲームとされた。第二部では様々なコンプレックス解消ビジネス(例:ハゲに朗報!(内容)、喜びの声 - など)のネタの募集を行っていた。フィナーレではリスナーを集め、全員が見守る中測定するが95.4kgを割る94.6kgだったため、その場で「ジャム牛丼」(吉野家の牛丼にアヲハタのイチゴジャム)、「ジャムうどん」(うどんにソントンのピーナッツバター)、「ウーロン酢」などを摂取し調整し、見事95.4kgを達成。しかし、企画途中に映画へ太った役で出演のため減量されては困るとのクレームがあり[5]、また激しいリバウンドもあり結局元の体重より増えてしまった。タイトルは、当時話題になっていたバーチャルアイドル「DK-96」こと伊達杏子にちなむ。コーナーBGMはスネークフィンガー(電気グルーヴ)。1996年11月11日(第58回) - 1997年3月31日(第78回)。
輝け! 紅白電波歌合戦
「日本一短いデブへの手紙」や「つよいロボ」でも扱われていた馬鹿歌、電波歌系の初の専門コーナー。リスナーから脈絡のない珍文で構成された電波歌の歌詞を募集、それを伊集院が歌ったりリスナーの歌ったものが流される。年末のスペシャル(1996年12月16日・第63回)では優秀な歌詞を集め、特に『また逢う日まで』の替え歌は尾崎紀世彦本人に熱唱してもらう予定であったが、企画説明のミスにより突然キャンセルされてしまい、代わって尾崎の事務所の社長が熱唱した。なお当時からのリスナーで、コーナーでも一番人気であったポアロはこのコーナーへの投稿時にラジオネームを決め、今でもそのまま使用している。1996年10月21日(第55回)- 1996年12月16日(第63回)。
声を弱にして言いたい
気弱なキャラクターによる、言ったからといって何がどうなるということも無いのだが、オドオド、ビクビクしながらちょっと言ってみたかった一言の後、気弱さを強調する一言で締めるコーナー。1996年10月7日(第53回)開始、1996年11月11日(第58回)までで自然消滅。
ポメラニアン助リバの俺なりの正義
「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川風に、電話でリスナーの悩みに答えるコーナー。タイトルもドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!のパロディ。しょうもない悩みとメチャクチャな回答、伊集院もリスナーもボケたり小芝居を入れたりして演じるコーナーだった。冒頭に電波現代詩の朗読(伊集院とスタッフによる『叫び』)あり。1996年9月2日(第48回)開始、1996年9月30日(第52回)までで自然消滅。
ちょちょしびりのコーナー
伊集院(当時28歳)自身の「20歳以降、6回くらいウンコを漏らした経験がある」というトークから暴走して、突然コーナー化。コーナー名の由来はアントニオ猪木と異種格闘技戦で戦ったショータ・チョチョシビリ(柔道家)より。リスナーが脱糞体験を告白、特に便意や脱糞シチュエーションの比喩表現(例:『銀河鉄道が尻穴星に到着』『バーバパパがお出かけ』等)が笑いの肝であった。関連のスペシャル企画「青春の過ち・うんこもらスペシャル」ではゲストの宮川賢とバカルディ、真心ブラザーズがそれぞれの体験を披露。1996年7月8日(第40回) - 1996年8月26日(第47回)。
つよいロボ(ラジオドラマ、全29回)
スーパーロボットアニメ風の馬鹿ラジオドラマ。伊集院や声優志望の専門学校生により演じられたが、学生たちの交通費に予算を喰われ自然消滅。リスナーはストーリーや必殺技の名前の他、毎回「つよいロボ」のテーマ(『マジンガーZ』の替え歌)の珍奇な歌詞を考えて送る電波歌系コーナーでもある。1996年5月20日(第33回) 開始、1997年2月3日(第70回)までで、ドラマが完結しないまま自然消滅。
あそび / 帰ってきたあそび
お金をかけずに脳内の想像・妄想だけで楽しめる遊びを送ってもらうコーナー。「○○は実は××」だと仮定してみる、など。最初は「日本一短いデブへの手紙」への投稿として登場し、後に独立したコーナーとなった。1996年4月22日(第29回)開始、1997年4月28日(第82回)までで「飽きた」と言って一度終了したが、「帰ってきたあそび」で復活(ただし、タイトルに「帰ってきた〜」と付いたのは初めのうちだけで、後に「あそび」に戻る)。1997年10月13日(第105回)- 1998年12月7日(第165回)。
夢の町 俺City
伊集院の心の中にある街の一角、例えば寂れた喫茶店、近所の公園、縁日の情景、小学校2年生の教室など、その場所にありそうな風景を募集するあるあるネタ系。場所だけでなく「俺の心の中の佐々木」、「いいお父さん」など、人物像も募集されたが、続けるか終わるか曖昧なまま保留され、結局スペシャルウィーク後に消滅していた。1996年3月18日(第25回) - 1996年6月3日(第35回)。
私はマインドコントロールされていたんでしょうか?
リスナーが過去に体験した、まるで誰かにマインドコントロールされていたかのように何かにハマっていた自分や、どうかしていた行動を紹介してもらうコーナー。初回募集の時のタイトルは「僕はマインドコントロールされていたんでしょうか?」。次回募集をかけたままスペシャルウィーク後に自然消滅。1996年1月15日(第15回) - 1996年4月1日 (第26回)。
マジカル無脳パワー
『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)の番組中でこんなことがあった、というウソの報告をする有名人いじりコーナー。1996年1月8日(第14回)の1回きりで終了。
アン・ルイスコーナー
タイトルだけ発表され、リスナーがこんなコーナーだと予想してネタを考える有名人いじりコーナー。「アン・ルイスの家に盗聴器をしかけたらこんなことを言っていた」などのネタが送られてきたが、1996年1月8日(第14回)の1回きりで終了。同時期に「良い子悪い子プルプル星人」「俺は髭もじゃピーターバラカン」「ガンダムコーナー」など、構成渡辺がタイトル先行ででっちあげたコーナーが募集されていたが、大半が当日中に募集打ち切り、「私はマインドコントロールされていたんでしょうか?」コーナーのみが生き残った。
馬鹿ニュース(不定期)
鈴木順・鈴木史朗・小島慶子などTBSアナウンサー(鈴木史朗・小島は当時)たちに馬鹿でくだらないニュースを淡々と読ませるコーナー。ヒントになったのは昔の『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の「NHKつぎはぎニュース」という、真面目なニュースをMAD化して電波文風にしたものだが、このコーナーでは珍文をいかに真面目なニュース風に読み上げるかが肝であった。特にスペシャルウィークには、最も多く馬鹿ニュースを担当し、かつNGを出さない鈴木順にNGを出させるために朗読中色々邪魔をする1997年8月18日(第97回)に「夏休み恒例! ドキッ! 丸ごと背広 局アナだらけの毒ニュース大会 ポロリもあるよ」を企画、鈴木史朗なども参加させたが、NGゼロの結果に終わった。近年ではこのコーナーの音素材を流用したフラッシュアニメが作られ、ネットに流れているのが見受けられる。1996年1月1日(第13回)に松宮一彦により読まれた「ウソニュース」が最初で、次いで1996年4月8日(第27回)にコーナーとして鈴木順によって読まれた。以降数回不定期に放送されて以降、長い間休止していたが、伊集院が入院して出演できなかった2006年10月2日(第572回)の放送では、久々に鈴木順による新作のニュースが読まれた。
東京毒名所めぐり ラジオ史上初・ひとり20元中継
1996年2月19日(第20回)放送のみの特別企画。東京の名所を、現地からのリレー中継を装って紹介する。ゲスト出演に緒方恵美とキャイ〜ン・天野ひろゆき。
1995年[編集]
日本一短いデブへの手紙
ゆったりとしたBGMをバックに送るフリーネタコーナー。当初『電気グルーヴのオールナイトニッポン』における「平成新造語」初期タイプの珍造語・電波文コーナーを目指したようだが、電波歌・小噺・川柳・「 - だったらイヤなもの」等のお題物などネタに広がりをみせ、後の様々なコーナーの雛形となった。長寿コーナーではあったが、放送時間が90分に短縮されていた時期に新コーナーに時間をとられたせいか自然消滅。1995年10月23日(第3回) - 1997年4月28日(第82回)。
珍肉番付
リスナーの身近に存在した、頭は悪いが体力だけはある通称珍肉君にまつわるエピソードを紹介してもらうコーナー。横綱、大関、関脇といった相撲の格付けで伊集院がその珍肉ぶりを判定する。1995年10月23日(第3回) - 1996年7月1日(第39回)。
金持ち(正式なコーナー名なし)
一般的に「金持ち」と思われる人物像、持ち物、生態を投稿してもらうコーナー。
チケット入手(正式なコーナー名なし)
人気が高くてチケットの入手の困難なアーティストのライヴのチケットを入手する悪戦苦闘を報告。
豚頭麗香の少しだけメランコリー
伊集院自身が演じる不気味なアイドル豚頭麗香(ぶたがしら れいか=愛称「ブタレイ」、身長183cm、体重約120kg、挨拶は「ばわ〜ん」)のコーナー。ファンレター、質問、曲のリクエスト(伊集院による即興電波歌)を送ってくれた人には麗香のサインつきブロマイドが贈られた。『SURF&SNOW』にゲスト出演した時の録音という設定で松宮一彦を相手にサウンドステッカーも使用して番組のパロディを収録した回もある。リスナーを呼んでのファンクラブ結成記念イベントで、「バナナの皮で滑って豆腐の角に頭をぶつけて死亡」となり終了。提供会社として、架空の「トータル・アミューズメント・カンパニー、風小僧グループ」という会社の名前が読み上げられ、同社の架空CMも放送された。同社のキャッチコピーは「あしたはきのうの2日あと」。1995年10月9日(第1回) - 1996年4月1日(第26回)。
次第に豚頭麗香のプロフィールが明らかになり、ブルガリア出身、元・グリーンベレーに所属、スカウト・キャラバンのローマ大会でグランプリ獲得、親友は上原さくらなどが本人の発言によって知られている。上原さくらがゲスト出演した対談企画あり。
テーマ曲は映画『小さな恋のメロディ』のBGMである、リチャード・ヒューソン・オーケストラの演奏によるビージーズの『メロディ・フェア』のインストゥルメンタル。
イジュウインターネット
リスナーの疑問に対し、伊集院自身が独自の情報網(電話など)を駆使して調査するコーナー。しかしあまりにも取材に時間と手間がかかりすぎ、何者かにスタッフが暗殺されていくドラマをでっち上げて続行不可能ということにして終了。1995年10月9日(第1回) - 1996年3月11日(第23回)。
コーナー呼びかけ
バナナの皮で滑って転んで死んだ人は何人いるのか?(堀内のホクロは何? 食べられるのか?)
「ギャランドゥ」とは何ぞや?
日本で一番売れなかったCDは?
ショッカーの中の人は誰? - 調べていくうちに『仮面ライダー』のスーツアクターや『仮面ライダーV3』でヨロイ元帥を演じた中村文弥に電話をかけることになったが伊集院は、上記の経歴は知らず「ショッカーにとても詳しい人」として電話したため、経歴を知りかなりテンションをあがっていた。
男性器の映像での修正基準
つのだ☆ひろの「☆」は何星? いらないのならください。
樋口薬局の目標が「1327店」と言うハンパな数字なのはなぜ?&その薬局のCMの象の行方&マツモトキヨシの社長の声が聞きたい。:調べていくうちにマツモトキヨシの社長・松本清は故人で、松戸市の元市長でもあったことが判明。
ヒグマとツキノワグマ、えらいのはどっち?
映画の原題と邦題がテキトウなのは何故?
「フルーツ味」は何の味?
この声は誰?特集 「―Yes,TBS.」(当時のTBSテレビ・ラジオのキャッチコピー)のサウンドロゴの声の持ち主は誰(スタッフ名義…)?&カーナビの声は誰?&バックします機能はどうやって付ける?(トラック野郎キャラで話)&歌舞伎町にあるテレクラ「リンリンハウス」の呼び込みの声の持ち主は誰?
CMの料金
(グラビアアイドルやモデルなどで体の一部分に保険をかけることが話題になったことから)おっぱい等の保険のかけ方は?
薬のCMの審査は厳しいらしいが、どんな基準がある?(トークのみで調査なし)
美味しいカレーの作り方を教えてください。
スタッフが暗殺されて全滅するでっち上げドラマを放送し、コーナー終了。
みんな悩んで大きくなった
伊集院がアニキとして質問にアドバイスするコーナー。『UP'S』共通の悩み相談コーナー…だが、この番組では勝手に悩みも回答も共にボケたおすネタコーナーになっていた。オープニングナレーションは鈴木史朗。1995年10月9日(第1回) - 1996年1月8日(第14回)。
ニュースの林
タイトルは当時TBSで放送されていた『JNNニュースの森』のパロディ。伊集院が今週1週間でおきた事件の中から適当にコメントしていくコーナー。1995年10月9日(第1回) - 1996年1月8日(第14回)。
バーチャファイター7
格闘ゲーム風の複雑なコマンドを町のいろいろな生き物に設定していくコーナー。例: 犬なら「Aボタン:鼻が湿る」「Bボタン:歩くとチャカチャカ音がする」「Cボタン:自分のしっぽをいいものと間違えてぐるぐる回る」など。1995年10月9日(第1回)開始、1995年12月11日(第10回)までで自然消滅。
プライス オブ プライド
「〜円貰えるなら〜をやってもいい」という自分の価値観を募集するコーナー。伊集院が自信満々で提示したコーナーだったが、1995年10月9日(第1回) に開始し、翌週10月16日(第2回)であっさり終了。

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最終更新:2017年03月25日 20:34