【採石場】SSその2

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【採石場】STAGE 試合SSその2


Opening『Can't Take My Eyes Off of You』

 2019年、日本。清々しく晴れたある日の朝の事。
 女子高生にして連続殺人鬼の原門(はらかど)りんごは、始業時間に間に合うか否かの瀬戸際で通学路をひた走っていた。
 寝坊したのは、前日深夜に横浜市西区に出没する辻斬り・終舞鞭刀(シュウマイベントウ)鬼妖剣(キヨウケン)を探し出して殺すのに予想以上に時間がかかってしまったためだ。

 無論、担任教師にそんな言い訳が通用するはずもない。
 走りながら器用にポニーテールを結び終え、調子に乗って通販で購入した新品のサバイバルナイフもチェック。
 しかし曲がり角を曲がったところで、りんごは見慣れない男子と激突して尻餅をついた。

「ごはッ」

 なんという不幸! 男子生徒の肋骨の隙間にナイフの刃先がIN! まさに最悪の出会いだ!

「あわああああ! しっかりして、死なないで! 生きることを諦めるな!」

 これにはりんごも大慌て。
 原門一家は正義の連続殺人鬼一家。標的でもない一般人を出会い頭にうっかり殺など、憤死レベルで恥ずべき行為!
 しかもよくよく見れば男子生徒はさらりとした金髪と青い目、ちょっとそこらには居ないレベルのイケメンだ。
 二重のショック!

 男子生徒は息も絶え絶えにりんごの手を取る。。

「君、かわいいね……僕、アイルランドから日本に転校してきたアイツ・クローニンっていうんだ。よろしく」
「すごく苦労してそうな名前!」

 白目を剥くアイツをりんごはお姫様抱っこで病院に運び、なんとか一命をとりとめた。
 ……が、しかしその後りんごは、自分のクラスに転校してきたアイツの姿に頭を抱えることになった。

(アイツ、何でよりによって同じクラスに来ちゃうかなあ!?)

 そしてそれからというもの、りんごの生活は一変してしまったのだ。
 クラスにはりんごよりかわいい女子などいくらでも居る。なのに、アイツは何かにつけてりんごにばかり話しかけてくるのだ。
 朝の通学路、休み時間の教室、放課後の帰り道。学校行事の最中にまで。
 他の女子から妬みやっかみを受けて困惑するほど、アイツはりんごを構いたがる。

 それはまるでドラマや漫画の中でしか見たことのないラブコメ。
 気が付けばりんごは視界の隅にいつもアイツを入れようとして、そのくせ胸がドキドキしてまともに顔も見られないという有様だった。

(ど、どうしよう! 連続殺人鬼は普通の恋なんてできないのにっ! 助けて、神様!)

 祈れども、未だ半人前のその身に神は宿らない。かくなる上は自力救済と、原門りんごは決意した。
 巷で噂の不思議な迷宮。制覇したなら願いはかなう。
 勇気と凶器を引っ提げて、恋に憧れる女子は奮い立った!

Round 1『Keep Rollin'』

 長野県南佐野市。SSダンジョン。
 いかなる仕組みか、この大空洞に足を踏み入れた探索者は1対1の戦いを強いられる。戦いの場はランダムに決定され、明らかに洞窟の内部ではあり得ない広大な土地も舞台となる。

 今回の戦いの舞台は薄曇りの空の下、岩を切り出すために階段状になった山肌。そしてその麓に位置する場所――採石場であった。
 そして今そこには、油断なく周囲の様子を伺いながら俊敏に移動を続ける一つの影!

(中に入るとランダムに転送されるって聞いてはいたけど、こういう場所かぁ! ベストは屋内だったけど、まあ悪くないかなー!)

 原門りんご。
 太眉かわいい16歳、平成生まれのポニーテール、そして連続殺人鬼!
 殺人のプロフェッショナルである彼女は、いかにハイなテンションであっても独り言で己の所在を敵に知らせるような愚は侵さない。

(アレは使える、アレもよさそう、うんうん。いざとなればこっち方向に誘導して……うんうん、かーなり、イケそうねっ?)

 常日頃は入念な準備で確実な殺人を心掛けるりんごも、このSSダンジョンにおいては持ち込める武器が限られている。銃器や刀剣はともかく、『大道具』は現地調達に頼らざるを得ない。

 もっとも『神無側(カナガワ)』最大の都市ヨコハマには、完全即興殺(トップオブザヘッド)を信条とする即興殺人鬼(フリースタイラー)も星の数ほど存在するのだ。
 りんごが彼らを仕留めるために磨いた技術(スキル)は、この戦闘エリアで存分に発揮できるだろう。

(きっちりバッチリ()ってみせる。そしてアイツと、普通でまっとうな恋をするんだから!)

 決意を新たにするりんごの頭上に、対戦相手の最初の攻撃が迫っていた。



 時は少し遡る。

 原門りんごの対戦相手・冬知らずの魔女カレンは、採石場の上空600m地点に居た。
 箒に跨り空を飛ぶ魔女といえばメルヘンで軽やかな姿を想像するが、よろよろ、フラフラしているカレンの姿は優雅さからは程遠い。

「魔人堕ちした魔女が『箒乗り』を使えるのって、結構凄い事なんだよ」
「だからなんだよ。褒めねえぞ」

 つっけんどんな物言いに、カレンはむう、と口を尖らせる。
 箒の姿でカレンに跨られているグレイタウルはグレイタウルで、すこぶる機嫌が悪い。
 この姿に変えられてから三日間動けないカレンの世話をし、さらにドイツから日本への12時間ものフライト中は荷物扱いで貨物室に押し込められていたためだ。

「おいガキ。これ、本当にバレてねえんだろうな」
「大丈夫なはず。シアランに、敵から死角になるルートを探してもらったから」

 道しるべの悪魔シアランは、カレンの魔人能力『伏魔のリートゥス』によって緑の炎を灯すランタンとなり、炎の傾きで探し物に行きつく方向へと導いてくれる。
 カレンはこの力を頼りに敵の目を盗んで上昇し、危なっかしく揺れながらも高所を移動しているのだ。

「ザコ悪魔の割にはなかなか使える能力じゃねえか」
「あんまりザコ悪魔とか言わないでね。シアランは私の初めてのお友達なんだから」
「おい……まさかと思うがお前、この俺もお友達に含めてるんじゃないだろうな」
「あ、この辺かな。一時停止」
「おい! 聞いてんのかァ!」

 シアランの炎が傾きを止めた。ということは、そこが目標の地点であり、遥か眼下に豆粒のように見えるのが対戦相手のはずである。
 カレンは、地上で拾って鞄の中に詰め込んだ拳大の石を次々と眼下へ放った。
 先ほどから飛行がフラついていたのはこの石が重かったせいである。

「えげつねえ攻撃考えやがる。クソ魔女の娘だけあるよ」
「確実な手じゃないよ。これで決まるとは思ってない」

 自由落下する物体は、速度が増すほど空気抵抗を強く受ける。
 結果、ある程度以上の高さでは落下速度が一定になる。終端速度と言うものだ。
 位置が高ければ高いほど落下の速度と破壊力が増すわけではないのである。

 カレンが地上600mからこの攻撃を仕掛けたのは、単に発見されにくく、反撃を受けにくいと考えたからだった。様子見の牽制としては悪くない手のはずだ。
 欠点としては、特別優れた視力を持つわけではないカレンが注視したところで、命中の有無を判別できないことだろう。

「一発くらい当たってるといいんだけどなあ」

 相手が移動したら多少の変化は見られるだろうと、カレンは慎重に下方を覗き込む。

「ん?」
「おい! ボケっとすんな、避けろ!」

 グレイタウルの警告を受けて素早く平行に横移動すると、落としたはずの石が上昇して次々とカレンの横を通り過ぎていった。

「……返品されちゃった」

 飛来した石は、その全てが上方から再びカレン目掛けて降ってくる。
 まるでカレンの居る場所こそが自分の定位置とでもいうように。

「ハッ。ただキャッチして投げ返した、ってワケじゃ無さそうだなァ」
「うん。作戦変更……距離をつめよう」

 カレンは箒の柄を握り締め、そのまま地上への降下を開始した。



「んー、降りてくるけど仕留められてないな? ま、そうだよね! まだまだ序の口虫眼鏡!」

 原門りんごは落下してくる少女を眺め、ニカッと笑って独りごちる。
 軽口は叩くが、連続殺人鬼はその目で死体を確認するまで一瞬たりとも油断などしない。
 反撃を警戒するのはもちろん、殺害対象を取り逃がすようなことがあればその時点で連続殺人のコンボが途切れ、(ヒラ)殺人鬼から出直しになってしまうのだ!

 それにしても、りんごはいかにしてカレンの奇襲を防ぎ、反撃に転じたのか?
 それはりんごの魔人能力――『落下置転(フォーリンアップル)』によるものだった。
 自他の「落下する方向」を変更する能力。ただし接触によって変更できる落下の方向は、視界内に「落下地点or足場」となるものが見える方向に限定される。

 頭上へ落下してくる石が地面に影を落としたのを認識したその瞬間、りんごは手近な石を拾い上げた。
 自身の能力に関連することもあり、りんごは落下物に対しては人一倍敏感!
 まずは落下してくる石を「落下地点」に設定し、地上から石を落下させてその威力を減衰!
 悠々と躱した後は、地面に落ちた石の新たな「落下地点」を、上空に豆粒のように見える攻撃手に設定するだけでいい。
 りんごは相手を視認さえできればどこからでも必中の誘導弾を放つことができるのだ。

「けど、最初の攻撃が狙撃とか爆弾とかだったらヤバかったかな! もっと気を引き締めないとっ!」

 反撃、反省が済んだらすかさず追撃。りんごの思考の切り替えは極めて早い。

「今度はもっと派手に行こう。殺すだけなら猿でもできる。どうせ殺るなら絶殺・確殺・ド派手殺っ!」

 それこそが連続殺人鬼の名門たる原門の教えだ。

「ワン、ツー、スリー、フォー! ヒア、ウィー、ゴー!!」

 リズミカルに跳ねるりんごの指が触れるたび、並んで置かれた直方体の岩石が次々と空に舞い上がる。
 これらはこの採石場で切り出された岩石。大きさおよそ1立方mにして、重量は1トン近い。
 奇しくも用途としては墓石となるべく切り出されたものであった。

 斜面に並んだ石が、次々と、ミサイルさながらに敵をめがけて落下していく。
 空へ向かっていく石を眺めていると、りんごは少しだけ落ち着かない気持ちになる。
 それは、りんごがこの力に目覚めた瞬間を思い出させるからだった。


Origin:『落下置転(フォーリンアップル)

 2007年、日本。
 ゴッドレスサイド――『神無側(カナガワ)』最大の都市ヨコハマ。

 齢4歳の原門りんごは、休日の遊園地にいた。
 みなとみらい地区の都市型遊園地、ヨコハマ超喪(コスモ)ワールドである。
 この遊園地は神無側を彷徨う不浄の魂を強制成仏させるために建設されたもので、建設後は近隣地域での霊媒事故が前年比15%減少したという実績も出ている。

「どっこかな、どっこかーな、殺―る相手ー♪ 隠れてないでー、出ておいでー♪」

 幼いりんごはアトラクションに目もくれず、鼻歌混じりに標的を探していた。
 太い眉にくりくりした瞳、あどけない顔立ちはいかにも愛らしい子供のそれだったが、その実、この時点でりんごの殺害数(キルカウント)は既に二千を超えている。

 産声を上げずに生まれたその日、りんごは原門の血を根絶やしにせんと分娩室を襲った卑劣な殺し屋を返り討ち!
 それを皮切りに、横浜の地を汚す快楽殺人鬼、闇に紛れる凶悪犯、跳梁跋扈する悪人を幾人も屠ってきた。今日もまた、りんごは誇りある殺害数を一つ増やすべくこの地を訪れているのだ!

 ほどなくして、りんごはターゲットの男を発見した。
 全裸の母がりんごに示した写真と特徴が一致する。
 中肉中背のどこにでもいる中年に見えるが、その男は依存性の高い薬物で中毒患者を意のままに操る悪徳医師。
 大手政治家や警察官僚も顧客に持っており、まさに法で裁けぬ腐った悪人なのだ。

 男はヘリウムガスの入ったバルーンを手にしていた。
 ふわふわと浮かぶ、赤くて丸い風船。
 実のところそれは取引の目印だったのだが、りんごはただ、まるで林檎のようだ、と思った。
 りんごは自分と同じ名を持つその果実が好きだった。赤くて、まあるくて、かわいい!
 だから、林檎そっくりな風船が欲しくなった。
 標的を殺したらりんごが貰ってもいいものだろうか、と思案する。

「別に、いいよね!」

 背中から心臓を一突きすれば、それで仕事は終わり。
 メリーゴーラウンドが賑やかなBGMと共に回り出すのに紛れて、りんごは男の背後に立った。

「南無三! おじさん! ご苦労さんっ!」

 男の警戒心が高かったせいか。それとも、りんごに気の緩みがあったのか。
 口上の後に突き立てたナイフは、わずかに急所を外れた。

「ありゃ? 即死してない、情けない」

 血まみれになった男は恐怖におびえながら這いつくばり、後ずさる。

「た……頼む、やめてくれ。許してくれ。俺には小さな子供がい……げひゃああ!」

 こうした悪党の命乞い発言は、時間稼ぎか反撃狙いの二択。一切信用してはならない。
 案の定拳銃を取り出そうとした男の腕をりんごは素早く踏みつぶした。

「クソッ、何なんだ、イカレてんのかこのガキは!!」
「あ、言ったね? 私がイカレてるなら、おじさんはそれ以下ね!」

 正面から再度の刺突で、りんごはようやく標的を仕留めた。
 今日に限って、ひどい手際の悪さだった。急いでこの場を離れなければならない。
 そう思った瞬間、事切れた男の手から、風船についた紐が離れた。
 あ、と小さく声をあげてりんごは跳躍したが、あと一歩というところで捕らえそこねる。

 そして、りんごは見た。

 林檎が(・・・)空に落ちて(・・・・・)いく。そういう事もあるのか。

 ぞわりと全身の皮膚が泡立った。
 頭では分かっている。
 あれは、ただの風船で――だから、下から上に登っていく。
 普通ならばそんなことは起こらない。

 けれど普通って何だろう。
 男は、りんごがイカれていると言った。男の家にも子供が居て。きっとその子供は殺しなんてしない。
 自分は普通ではないのだろうか。
 悪党の言う事など聞き流せばよかったのに、りんごはそれをきちんと考えてしまった。

 普通のりんごでないものは、空に吸い込まれて消え得るのかもしれない。

 この時、りんごの中で一つの常識が壊れた。
 『落下置転』は、そうして生まれた。



 飛来する岩石群に対し、カレンはわずかに軌道を変えて空中ですれ違う。
 ゴウ! と岩石が空気を裂く音が耳にまで届く。
 地上へ向かうカレンと地上から襲い来る岩石の相対速度は350㎞/h以上、一歩間違えば潰されてミンチになる速度だ。

 カレンはシアランの炎の傾きだけを注視していた。攻撃そのものを目で追っても回避は間に合わない。
 故に、シアランの示す、「攻撃が命中しない道」を通るのみ。
 ゴウ! ゴウ! ゴウ!
 致死の弾丸をすり抜け、航空機のアクロバット飛行さながらに縦横の旋回を行いながら、カレンは真っ逆さまに落下していく。

 みるみるうちに高度が下がり、今や敵の全身、その挙動まで目視できる。
 もう地面からこちらへ飛ばす岩石はなくなったようだった。
 カレンは無意識に緊張を解き、縮こまっていた背筋を僅かに伸ばして息を吐いた。
 シアランから目を離した、まさにそのタイミングで。どす、と胸に何かが突き刺さる。

「……え」

 ダメージは即座に「なかったこと」にされる。
 カレンの黒いとんがり帽子に、ぱっちりと一つ目が開いた。

「残り二回です」

 自ら能力の残数を告げるのは、日に三度まであらゆるダメージを打ち消してくれる甘やかしの悪魔、フェリテ。
 今は帽子に姿を変え、カレンを保護する従僕となっている。

「……おお、おお、カレン。なんということ。やはり馬鹿狼では当てになりません! きちんと避けさせてあげればいいものを!」
「アア!? 甘やかすにも程があんだよ! 今のはガキの油断だろうが!」
「二人ともケンカしないの。シアランが怖がってるでしょ」

 箒の柄に吊るしたランタンがキイキイと震え、不安げな音を出している。

「ごめん。もう気を抜かないから」

 カレンはたった今自分の胸に突き刺さったものを手に取る。
 それは何の変哲もないボールペンだった。

 軽い物体でも、空気抵抗が少なければ落下速度は飛躍的に上昇する。
 例えばそれは鋭い切っ先を向けた文房具。
 大きな石による攻撃を繰り返し、全て掻い潜ったと思わせておいてからの奇襲だ。
 しかも凶器が敵の手元に残っても武器としてまともには使えないという、まさしく殺しのプロの犯行(しごと)

「相手……かなり、強いかも」

 いつの間にか、背後を追ってきていた岩石群は次々と軌道を変えて地面に落下している。
 時間切れなのか、誘導性能を攻撃に利用されると見て能力を解除したのかは判別できない。

 カレンは再び最大限の警戒を強いられながら下降し、やがて箒から飛び降りて着地した。
 この戦場に誘われた二人の少女が、ようやく互いの顔が見える距離で相対した瞬間だった。

Round 2『インファイト』

 原門りんごは無造作に歩いて斜面から離れる。カレンもそちらへ近づく。
 互いの距離は残り10m……6m……4m。
 そこで、二人は立ち止まった。

「私、原門りんご! 16歳の連続殺人鬼! よろしくね!」
「カレン。魔女。よろしく」

 ごく短い自己紹介の後、二人は互いに得物を構えた。

「待てやァー!?」

 耐えきれずに割り込んだのはグレイタウルである。

「おかしいだろうが何だその挨拶はァアア! 何が連続殺人鬼だ!」
「えっ、箒が喋った! メルヘンもしくはファンシー! かわいい!」

 思いもよらない乱入者にりんごは感激している。

「そんなとこに驚いてる暇があったら、まず自分の肩書に疑問を持ちやがれ!!」

 この怒号にはりんごが言い返すよりも先に、カレンの方が口を挟む。

「それを言ったら、グレイタウルさんだって『皆殺しの悪魔』だよ」
「い、一緒にすんな!!」
「一緒だよ。何も変わらないよ。人も、悪魔も、それ以外も」

 さらりと言い放つカレンが、気負った様子も気取った様子もないのがりんごは気に入った。
 殺したことがないタイプの女子だ。

「いや、つってもお前、あれだろォ……連続殺人鬼が野放しはマズいだろ……」
「あ、それなら大丈夫! 私、四戦勝ったら連続殺人鬼じゃなくしてもらうつもりだからさっ!」
「今すぐやめろやァアアア!!」

 グレイタウルの悲痛なツッコミ絶叫が、遠く山あいまでこだました。

「そんなもんお前、お前の心がけ次第だろうがああ! くだらねえ願いかけてんじゃねえ! こっちは世界の命運かかってんだぞコラァアア!!」
(世界の、命運? ホントかなあ。ホントだとしても)

 それでも一言、これだけは言い返しておこうとりんごは口を開く。

「「くだらない願いなんかじゃないよ」」

 声を発したのは、一人ではなかった。
 予想外の同調(シンクロ)に、りんごとカレンは顔を見合わせ、思わず笑いあう。

「カレンちゃんだっけ。いいねえ何だか気が合うねえ」
「そう、かも」
「ええ……な、何だよこれ。なんで俺がおかしいみたいになってんだよォ……」

 哀れなグレイタウルはもはや会話に入り込む気力はない。
 心なしか、箒の穂先が叱られた犬の尾のように垂れている。

「ねえ、カレンちゃん。私は連続殺人鬼をやめるつもりだけど、世界の命運がどうこうって話が本当なら、うちの家族で何とかできるかもよ」
「家族?」
「そそ! 連続殺人鬼の名門、原門一家。たいていのものなら殺せるよ? 世界の危機みたいな話なら、何回も対処してきたし。頼っていいよ!」

 酔狂で言っているのではない。りんごの表情は真剣そのもの、本気で力になろうとしてくれている。
 しかしカレンはその誘いを断った。

「ううん。それじゃ意味が無いの。私がやるべきことだから」
「そっかー。うん、残念だけど、それじゃあ仕方ないね」

 りんごは、あくまで陽気な笑顔で再び凶器を握り直す。
 部活動か何かでも始めるような気安さで、剣呑に、物騒に宣戦布告する。

「じゃあ、死合(しあ)い。始めちゃおっか?」
「うん。お待たせ」

 互いに願いを譲るつもりは毛頭ない。ならば、やるべきことは一つ。
 りんごは腰を叩いて一度大きく伸びをし、大型のサバイバルナイフを手に。
 カレンは箒を振りかぶって、激突した。

 ガギン!

 甲高い音が鳴る。
 その最初の一撃で、連続殺人鬼の観察眼は魔女カレンの槍術(箒術と言うべきかもしれない)が素人臭いことを見抜いた。
 体重移動、筋肉の使い方、武器の重量制御。
 何もかもが、明らかに武術の訓練を受けた人間の動きではない。素人を装っている動きですらない。

 踏み込み、振り下ろす。
 屈みこみ、斬り上げる。
 躱して薙ぐ、逸らして突く。
 りんごの斬撃は極めて鋭い。
 自分自身に『落下置転(フォーリンアップル)』を用いた運動制御の賜物だ。
 自身の落下地点を数m後方に設定して飛び下がれば即座に攻撃圏外へ退避できる。逆に数m手前に設定すれば踏み込みの距離は延び、遠間より懐へ入り込む。

(……なのに、なんでさー!?)

 それでもりんごの攻撃はことごとく箒の動きによって阻まれている。
 箒そのものが意思を持って動き、受け止めているように見えた。

(っていうか、え? 私と斬りあってこんなに保ってる魔人って、初めてじゃない? ひえー!)

 箒などでナイフの刃を受け止められていることについては、それほど驚きはしない。喋る箒、それも魔人が振るう武器である以上、どんな効果を発揮してもおかしくない。
 りんごが驚いているのは別のことだ。

「うわうわ。ちょっとどうしようかな! これって、私!」
「なに?」
「たっ、たっ、楽しいんだけど!」

 恋のときめきとは違う。けれど、りんごは確かに高揚していた。

 無理もないことだった。
 連続殺人鬼を殊更に否定しない相手。
 そして、連続殺人鬼でなくなりたいという夢も否定しない相手。
 そんな風に肯定してくれた相手に、鍛えた技を存分に振るい、必殺の攻撃がかち合う。

 何もかも、りんごにとっては初めてのことだ。
 圧倒的な力を持って対象を殺すばかりの連続殺人鬼だからこそ、味わったことのない感動だった。

 根底に敬意(リスペクト)を持つ殺意など、理解できる者の方が少ない。
 だからこそ刃が鳴るたび心が躍る。
 ただの殺しに愛は無い。でも、殺し合いには愛がある。
 互いの(スキ)を伺い合い、切り結ぶ二人の少女(ガール)
 しかしそれは逢瀬にも似て――つまり、永久には続かない。

 リーチに優れる箒の一撃がりんごのナイフを遠くへ弾き飛ばした。
 カレンはそのまま返す穂先で胴を狙う。
 決着を付けられる間合いだ。

「それで勝てると思ったら甘すぎ注意!」

 うっかり乗ったそれは誘いの一手!
 りんごの手は自身の背後に回り、拳銃を手にしている。
 腰を叩く動作に紛れさせて、スカートに挟んであった拳銃だ。
 すかさずカレンの眉間を撃つ!

 力量の不明な相手に対して、りんごはこれ見よがしに銃を出したりはしない。
 相手の運動能力を見極め、銃弾を避けるほどの力は無いと確認してから、至近距離で唐突に撃つ。
 経験則に裏打ちされた確実な攻撃!



 しかし。カレンが魔人能力によって従えている悪魔の一人は、初見殺しの能力や罠に対して特に有効な防御手段を持つ。
 カレンの額に穴は開かず、カレンの帽子に目が開いた。甘やかしの悪魔、フェリテ!

「残り、一回です。おお、おお、カレン。気を付けてくださいね。そして駄目狼、さっきからなんという体たらくです! 一撃もまともに当たっていないではありませんか!」
「うるっせえ! 今頑張ってんだろうが! 向こうのガキは隙がねえんだよ!」

 喧々諤々の内輪もめを前に、りんごは目を丸くしている。

「マジ信じらんない、無敵持ちー!? っていうか帽子も喋るの、賑やかでズルくない!? こっちは一人なんだけど!」
「……多分ズルくないと思う。追い出されてないから、有効」
「それ、結果論だし!?」

 ぶーぶー文句を言いつつ、りんごは先ほど弾き飛ばされたナイフが手元に戻ってくるのをキャッチした。手を離れる前に、『落下置転』であらかじめ戻ってくるよう設定してある。

「おお、おお。敵が再び来ますよ。備えなさい!」
「わかってるっつうの!」

 内輪の口論が中断され、再びりんごとカレンは得物を構えてにらみ合いとなる。
 りんごの武器は一つ増え、右手に拳銃、左手にナイフ。

(さっきの発言がブラフでなきゃ、攻撃を無効にできるのはあと1回ってことだよね)

 りんごは突然無造作に跳躍して距離を詰めに行った。
 振り下ろされるナイフの一撃に合わせるように、カレンも箒を下から振り上げる。
 しかし。

 前方に跳んだはずのりんごが、その迎撃を突如真横(・・)に平行移動して避けた。
 先ほどまでは『落下置転』を前後の移動量調整にのみ使用していたが、本来は足場となる場所を自由自在に設定できる。動きの軌道はまさしく変幻自在!
 迎撃を完全にすかされたカレンの上体が流れるのを見逃しはせず、すかさず銃口を突きつける。

(この距離、このタイミングなら二発撃てるっ!)

 心臓狙いで、引き金を二回引く。それで終わる。
 終わるはずだった。連続殺人鬼は油断などしない。

 しかし、結果的に銃声は一発しか鳴らなかった。
 何故なら、二発目の引き金を引こうとするりんごの指は、拳銃と一緒に箒の穂先にあったからだ。
 高速で振り下ろされた箒の穂は狼の牙を備えており、咥えたものをかみ砕き、ぺっと吐き出す。

「ケッ。マズいもん食っちまったぜ」

 グレイタウルが不快そうに唸る一方で、一発目の銃弾からカレンの心臓を守り力を使い切ったフェリテの目がゆっくり閉じていく。

「残り、ゼロ回です。おお、カレン。ご武運を……」
「ありがとう。フェリテ」

 血が噴き出す自分の指先を見つめながら、りんごは高速で分析していた。
 相手がここまで実力を隠していたとは思えない。ならば、何故敵の間合いと攻撃速度を見誤ったか。
 考えられる原因は一つ。

 武器と使い手の動きが、今ようやく噛み合い始めたのだ。
 おそらくは魔人がひしめいているであろうこのダンジョンに、まさか急造のコンビで挑んでくる者が居るとは思わなかった。
 しかし急造ゆえに、戦いの中のわずかな経験値で成長していく。
 魔人同士の戦闘に常識は通じないということを、りんごは改めて実感した。

 そしてこの時、もう一つ予想外の出来事が起こった。

「グアアアアアアーッ!?」

 指が三本ほど飛んでも、その程度でりんごは泣いたりしない。
 大きな悲鳴を上げたのは、意外にも先ほどりんごの指を食いちぎったグレイタウルの方だった。

「グレイタウルさん、大丈夫? なんか……煙出てる」
「で、出てねェ!」

 心配そうなカレンを前に、もうもうと白煙を上げながらグレイタウルは強がる。

「いや、めっちゃ出てる……」
「うるせェ! 誰だってメチャメチャ頑張ってる時は煙くらい出るだろうが!」
「いやいやー、それはないよ。無茶言ってるよ箒ちゃん」
「うるせェーッ! てめえまで会話に参加してんじゃねえッ!!」

 フレンドリーに口を挟んだりんごに対し、グレイタウルは猛然と吠えかかる。
 といっても今の姿ではビクンビクンとのたうつ箒にしか見えない。

「クソがァ。お前、そのナリで聖職者だったのかよ……!」

 りんご自身も、内心目の前で起こったことに驚いていた。
 知識として知ってはいたが、自身の血が悪魔に対して効果を発揮するのは初めて見たのだ。

「そうだよ! いやー、原門の家に生まれたことに感謝しないとねえ!」

 原門(はらかど)は本来、原門(バラモン)と読む。
 元をたどれば、神無き大地・神無側に蔓延る魑魅魍魎を鎮めるためインドより遣わされた、密教系の流れを汲む聖職者の一族なのだ。
 故に、その血は洋の東西を問わず邪なるものを祓い清める。

 こうして思わぬ形で互いに負傷し、状況は五分五分となった。
 次の局面で勝負が決まるだろうということを、二人の少女はひしひしと感じ取っていた!

Round 3『Sky is the Limit』

 剣戟は続く。しかし、終わりが見えない。

「終わらない、ね……」 グレイタウルがりんごのナイフを噛みに行く。
「カレンちゃん、ギブアップするぅ?」 すばやく下がり、変則軌道で斬りつける。
「ううん、しない。りんごちゃんは?」 バトンを回すように箒を円形に回し、身を守る。
「いやあ、するわけないんだよね!」 小刻みに突きを放ち、牽制する。

 りんごは銃を、カレンは防御手段を失った。
 互いの動きが慎重になり、状況を打破する決め手がない。
 膠着状態の戦いの中でりんごには一つの懸念が生まれていた。

(脱ぐべき、なのかな)

 原門の一族は、厳しい修行によって古代インド神の力を引き出すことができる。
 「りんご」という名も元は「五輪」からきており、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪……五つ合わせて宇宙全ての構成要素を現す聖なる名だ。

 りんごの母・裸婦(らふ)騎乗槍(らんす)に至っては、長い修行の末に女神ドゥルガーの力を引き出すことに成功した。
 ドゥルガーは聖獣ドゥンに跨り、シヴァより授かった三叉の槍(トリシューラ)を振るう激しい戦いの女神。アスラ親族のコータヴィーとも同一視され、コータヴィーは「裸の女」を意味する言葉である。

 名とは呪。生まれながらにして「裸婦」であり、「騎乗」して「槍」を用いることを因縁付けられた裸婦騎乗槍が、半ばヤケクソになって求め、得た力。
 その力は受け継がれ、りんごの中にまで息づいている。
 故に、全裸になればりんごの戦闘能力は飛躍的に上昇する!

 ただし母からは、この力は18歳になるまで使用するなと言われている。
 法に触れるからだ。

 りんごは思い直した。
 たとえ戦いに勝ったとしても、後味が良くない。連続殺人とはわけが違うのだ。

(着たままで、勝たなきゃっ!)

 決意と共に、りんごの中にあるアイディアが浮かんだ。
 そこらの岩石、相手の全身を落下地点にするのはそろそろ見切られている。
 生半可な飛び道具や斬撃には箒が対応してしまう。

 ならば、もっと小さく。あるいは、大きく力を使う必要がある。
 りんごはカレンに背を向け、山の斜面に向かって走り出した。



 その行動に一瞬虚を突かれたカレンだったが、りんごが逃走ではなくさらなる攻撃のために行動に移ったことは明白だ。

「おい、何かまずいぞ! 距離を取られんな!」
『風渡り、秘儀の枝、エーテルを掴め』

 『箒乗り』のごく短い詠唱。カレンは猛然と飛翔してりんごの背を追った。
 りんごはロングスパンの跳躍を繰り返し、山の斜面を駆け上がる。
 時々屈みこんで触れた石を後方に飛ばすが、それ自体は当てる意思の感じられない散発的な攻撃。

(何を狙ってるの?)

 訝るカレンは、山の中腹に到達し振り返ったりんごと目が合った。
 箒に乗って接近しながら、カレンはその時、何かぞくりとするものを感じた。
 ここまでの戦いで、既にりんごの能力の多彩さには恐れ入っている。
 しかし、まだ底が見えていない。そんな予感がする。

「おい、ありゃ何だ」

 グレイタウルが怪訝そうな声を上げたのは、細い糸のようなものが宙を舞っているのを認めたからだ。
 りんごはまだ足を止め、こちらを見ている。
 何を見ているのか。カレンと「目」が合っている……

「りんごちゃんの、髪……?」

 斜面に立つりんごの後ろ髪はナイフでばっさりと切られ、太眉ポニーテールJKが太眉ショートカットJKに早変わりしていた。
 これはこれで良いが、その意味するところは!

 空中を舞ってゆったりと飛び来たる細いものは、原門りんごのポニーテールだったもの!
 狙い通りに、『落下置転(フォーリンアップル)』により落下地点をカレンの「目」に限定して!

「ううっ……!」

 カレンは必死に抵抗するが、人は異物が入った目をそのまま開けていることはできない。それは反射であり、根性や努力で解決する次元の問題ではないのだ。
 指で引き剥がしても、次々と新たな髪の毛がカレンの眼球に向かってくる。

 そして髪の毛が原門りんごの一部である以上――接触により『落下置転』発動の媒介となる。
 視界を奪われた上で落下地点が横方向へ修正され、飛行中のカレンは上下の感覚を狂わされる!

「おい、避けろ! 上だ上!」

 グレイタウルの口頭の指示にも従うことができない。
 錐もみ状態で回転している所に飛来した岩石の一つが激突し、カレンは地面に墜落した。



(髪をばっさり切るなんて、失恋の予行練習みたいで縁起悪―っ!)

 なんだか泣きたくなってしまう。しかし、これもまた恋のため。
 りんごは当然ここから三分以内に決着をつけるつもりだ。
 岩肌に手を着く。必要なのはもう、ちまちました岩の攻撃ではない。

(為せば成る。やったらできる、できるはず。今までやったことが無いだけ!)

 不思議な確信がある。無限の勇気が湧いてくる。

「頑張れ私! 恋のためなら山だって、川だって、動かしてみせる……落ちろぉおおーっ!!」

 りんごの意思はついに()()()()(キャ)の五輪と接続!
 過去最大級に発現する『落下置転』!
 ばきん、ごきん、と音がする。
 なりふり構わないりんごの叫びと呼応するように、大地が鳴動する。
 バリバリと地面が割れ爆ぜて、眠りを妨げられた巨獣の吠え声のような轟音を生む!

 りんごは横倒しになって落下(・・)を始めた岩山の頂点付近を目指して駆けた。
 ほとんど垂直に近い岩壁であっても、自身の落下地点を操作すれば駆け上がることは容易!

「よーし、行ってみようか天王山! 決めるぞトドメのクリティカルーっ!」

 おお、見るがいい!
 勇猛果敢に大山を駆るその姿、まさに水無き海をも進む船の舳先の女神像。
 後悔なき恋心の航海に向かい、あらゆる障害を蹂躙せんと進みだすのだ!


Origin:『伏魔のリートゥス』

 ビャウォヴィエジャの森。
 ポーランドとベラルーシの国境付近にまたがる、ヨーロッパに残された最後の原生林。
 その中に、人の目に触れぬ封印を施された魔女の住処がある。

「退屈だなあ。夜のお散歩にでも行きたいなあ」

 ぼやくカレンの話し相手は、この家でたった一人……というよりも、一匹。
 今は観葉植物の枝にぶら下がっているコウモリの悪魔、シアランだけだ。
 そのシアランが、キイ、と小さな声で返事をする。

「わかってるよ。今日みたいに月の無い晩は、明かりが無いと危ないもんね」

 家の中にランプや懐中電灯の類は置いていない。大魔女はなんでも魔法で済ませるせいで、そのあたりの道具の用意が疎かになっているのだろう。

 それに、シアランはこの家に封印されている悪魔なので外に出ることができない。
 カレンが出かけて一人ぼっちになるのはかわいそうだった。

 カレンは以前に一度、大魔女ヴェナリスがシアランをランタンに変えて結界の外に持ち出すのを見たことがある。
 しかし、そのやり方がわからない。
 カレンが使える魔法は『箒乗り』と『九つの薬草の魔法』。
 そしてたった一つの使命、大魔女ヴェナリスが帰還した時に使う『再統合』の魔法だけなのだ。

「ねえ、シアラン。じゃんけんしようか」

 不意にカレンはそんな気持ちになった。
 じゃんけんは二人でできる簡単な遊びで、シアランもお気に入り。
 シアランが大きく両羽を広げたら紙。片羽を広げたら鋏。きゅっと丸まったら石だ。
 シアランは動作が遅いので、たまにおまけしてあげないと大抵カレンが勝つ。

「私が勝ったら、シアランが明かりになって、一緒に外に出ようよ」

 理解しているのかいないのか、シアランはぶら下がったまま首を傾げている。

「いくよ。じゃん、けん」

 この時のカレンは、自身が魔人化することなど予想できていない。
 なにげない遊びのつもりだった。

 だがしかし、『伏魔のリートゥス』は生まれた。
 それが、全ての歯車を狂わせたのだ。



 カレンが気絶していたのは時間にしてほんの5、6秒程度。
 すぐに現実の、現在の音が耳に戻ってくる。
 断続的な地響き。何か、巨大なものが接近してくる気配。

 先ほどの衝突で頭部が割れているのか、ぬるりとした感触と痛みがある。
 そして相変わらず視界は塞がれたまま。
 飛んで逃げようにも方向がわからない。状況はまさに最悪だ。

「おいガキ、やべーぞ! 敵が山ごとこっちに来やがる。何か手はねえのかァ!」

 カレンは奇跡というものを信じていない。
 奇跡があったとしても、それは気まぐれに、残酷に、人を選ばず降る。
 思いの強さや願いの強さに呼応して奇跡が起きるのならば、そもそもカレンはこの戦場にいない。

 だから勝つためには、自分の手の中にあるものを積み上げ、時には捨てて。それで戦うしかない。
 魔女はフラつきながら立ち上がった。

「……ねえ。グレイタウルさん」
「なんだ! チンタラ話してる時間はねえぞ!」

 話している間にも巨大な岩山がこちらを押しつぶそうと迫っている。

「自分の生まれた意味がはっきり分かっている人って、世の中にどれくらい居るのかな」
「アア!? こんな時に何言ってんだおめーはッ!」

 もしかして血を流し過ぎたのかと、グレイタウルは案じる。
 カレンの呟きは朦朧とする意識の中の戯言にしか思えない。

「私には分かるんだ。生まれた時から決まってたから」

 魔女は帽子を外し、胸に抱いた。

「自分が何のために居るのか知ってる。たった一つの生き甲斐だから、絶対に役割を果たす」

 カレンの顔に、緑色の炎が宿っていた。
 シアランを目元に寄せて、自ら燃え移らせた炎。視界を塞いでいた髪の毛が焼き切れる。

「お前……!?」
「大丈夫。勝てば治る」

 焼け爛れた瞼が開き、深い緑の瞳が現れる。
 カレンの言葉は間違っている。
 勝てば治るのではない。SSダンジョンでは勝敗に関わりなく傷は癒える。
 ただこの少女が、勝つことしか見えていないだけだ。

『風渡り……秘儀の枝……』

 青白い顔で、息も絶え絶えに詠唱する。

『……エーテルを、掴め!』

 三度、カレンは空へと舞い上がる。
 どんなに傷ついても、魔女は空を恐れない。
 自重で崩れる岩山から、剥落した巨大な岩石が次々とカレンの上に降り注いだ。
 ギリギリのところで回避し、時に肌を削り取られながら高速で山頂へと飛ぶ。

「それだけ覚悟決まってんなら、俺も付き合ってやる。けど、あいつが居ねえぞ!」

 山頂付近からりんごの姿が消えている。
 カレンの視界が戻ったことを確認したのならば、当然黙って待っていてはくれない。
 かといって、カレンが力尽きるまでただ逃げ隠れているとも思えない。
 落下してくる巨石のいずれかに身を隠し、確実なとどめを刺しに来るはずだった。

 それはもはや信頼。必ず、直接会い(ころし)に来てくれる。
 わずかに言葉と刃を交わしたに過ぎない相手でも、それだけは信じられる。

「シアラン」

 呼びかける前から、ランタンの炎はカレンの斜め後、45度の上方を示していた。
 それが敵の位置。シアランの、道しるべの能力だけは敵に露見していない。
 タイミングを知らせるために、炎は一際明るく輝いた。

「ありがとう」

 カレンは片手で箒の柄、その先端を握りしめ、飛び降りて振り向きざまに振るった。
 狼の牙を宿す箒の穂先が、ナイフを手にカレンの背後に迫っていたりんごの首筋を撫でた。
 鮮血が噴き出した。



(ああ、やっちゃった。ここぞの場面で大失敗)

 りんごは落下する石の一つに着地し、そこを足場とする。
 首を押さえても出血は止まらない。ならばもう、流れるに任せる。

(でも、まだ……まだ終わりじゃない。脱げば勝てる!)

 全裸になればりんごの戦闘力は一気に上昇する。失血死する前に逆転できる。
 りんごはスカートのジッパーに手をかける。

 追り来るカレンの姿はもはや目前。箒からは煙が上がっている。
 カレンが斬撃を行うためには、先ほどのように箒を降りて手で振るう必要がある。
 ならば、そこに僅かなタイムラグが生じる!

(間に合う!)

 ギリギリで、脱衣が間に合う、

 はずだった。

 カレンは箒を降りずにそのまま突っ込んだ。
 箒の柄、その先端がりんごの心臓を打った。
 高鳴る乙女の鼓動を止める――苦く、切ない心臓破り(ハートブレイク)

「あ」

 一声を吐き出したきり、呼吸が止まる。
 指先一つも動かす事ができないままりんごは吹き飛ばされ、その途中で落石に激突した。
 自然落下する岩を、抱きかかえるようにして共に落下する。

 落ちていくりんごは全裸ではない。
 衣服は身に着けたままだった。

 最後の最後で、りんごは服を脱ぐことができなかった。
 なぜかアイツの顔が頭をよぎってしまったから。
 恋に憧れる、16歳の乙女。
 意中の人にも見せていない裸体を、他人の前で晒すことはできなかった。
 それを誰が責められるだろうか。

(なんで私、ずっと怖がってたのかな)

 逆さまの景色。
 空が離れ、大地が近づいてくる。

(私も、ちゃんと……地面に落ちるじゃん)

 実体のない恐怖に憑りつかれてから、実に12年の歳月を経て。
 ようやく、りんごは地に落ち(フォーリンアップルは)終わった。



 赤い雫をぽたぽたと垂らしながら、カレンはゆっくりと飛行を続けていた。
 激痛と疲労で、もはや軌道を変更して地面に降りる事さえ煩わしい。

「……グレイタウルさんの言った通りだったね」

 傷だらけの魔女が、どこか夢を見ているような表情で呟く。魔女の箒はそれに応じる。

「ア? 何が俺の言う通りだって?」
「ほら、あれ……メチャメチャ頑張ると、誰でも煙が出るって」

 前髪と眉毛が焼け、焦げ臭い匂いをさせているカレンが大真面目にそんなことを言うので、グレイタウルは唖然として言葉を失った。ボケているわけではないらしいと分かると、逆にじわじわと笑いがこみあげてきて、とうとう我慢できなくなった。

「フッ……ククク。ハハハハハ。今、言う事かよ?」
「おかしい?」
「ああ、おかしい。おかしいよ。お前、どうかしてるわ。ハハハハハ!」
「……そうなのかも。どうかしてるのかも」

 戦いの終わった戦場に、思い出したように風が吹く。

「どうかしてても構わない。普通じゃないから、できることがあるんだもの」

 満身創痍のカレンは、どこか清々しい表情でその風を受けた。


【STAGE:採石場】
勝者……冬知らずの魔女、カレン

Ending 1『愛のままに』

 横浜市西区、南幸。
 連続殺人鬼でなくなりたい、という夢が叶わずにこの地へ戻ったりんごを、風俗嬢のサチコはいつものラーメン屋台へと誘った。
 しかし湯気が立つラーメンを前にしても、りんごの箸はちっとも進んでいない。

「サチコちゃん。私、普通になれるって思ったんだけどさ。ダメだった。失敗しちゃったよ」

 りんごは終始俯いたまま、ぽつりぽつりと呟くばかり。
 サチコは手を止めてその言葉を聞く。

「私、きっと、ずっとこのまま、連続殺人鬼のままなんだろうね」

 ラーメンの器に雫が落ちる。それは乙女心から落ちる悲しい涙雨だ。

「あのね、りんごちゃん」

 何と声をかけたらいいものか迷っていたサチコだが、ついに意を決して切り出した。

「恋する女の子って、どうせ普通じゃいられないのよ」
「え……?」

 サチコは、戦いに向かうりんごを止めなかった。
 夢に向かって突っ走るのは若者の権利。大人が訳知り顔で止めるものではない。
 でも、もしも若者が夢破れて帰ってきたとしたら
 その時は、再起するための言葉をかけてあげるのが大人の義務だ。
 少なくともサチコはそう思っている。

「何度も、同じ人の夢を見て……何をしててもうわの空で。赤くなったり青くなったり、泣いていたり、キラキラしてたり。信じられないような無茶しちゃったりね。もう、毎日メチャクチャなんだから」

 りんごは、信じられない思いでいっぱいだった。
 そんなのは。
 それは、アイツと過ごしている日々そのものだ。
 それが普通の恋ならば、りんごはもうとっくに恋に落ちている。

「だって。だってえ。私、連続殺人鬼なんだよ。人の命だって、簡単に壊しちゃうんだよ? 普通に恋することなんか、できるはずが……」
「りんごちゃん」

 慌てふためくりんごの肩に手を置いて、サチコは優しく諭す。
 自身もまた甘い恋、苦い恋をいくつも経てきたからこそ、その言葉には力が宿る。

「連続殺人鬼が恋をしちゃいけない、なんて決まりはないの。誰が誰を好きになったって、自由なのよ」
「ホントに? でも、迷惑じゃない?」
「そのくらい許されちゃうの。これは確かな話。私の情報、疑う?」

 りんごは顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。
 人前でそんな風に泣くのは初めてで、みっともないけど止まらなかった。

「信じるぅ……」

 サチコはもう何も言わず、そんなりんごの頭を抱えて胸に抱く。
 自分を変えたいと願うのは、つまらない願いなどではない。少女がその願いを強く抱き続けるならば、奇跡など起きなくとも、いつか呪いにも打ち勝てるはずなのだ。

 原門りんごの物語は、これにて一件落着、というにはまだ少し時間がかかる。
 彼女の恋の物語はまだ始まったばかりなのだから。

Ending 2『DOUBT』

 戦いを終えたカレンは、静かに次のステージへの転送を受けていた。
 衣服を含め、すべてが試合前の状態に復元されている。カレンの身体には、すり傷一つ残っていない。

「ああ、そうだ。そういえばよォ」
「なに?」

 協力して一仕事を終えたせいか、グレイタウルの口調も少し明るく気安い。

「あのガキ、りんごとかいうのが名乗った時。お前、年言わなかったな。今いくつだよ」
「十……四歳」

 唐突な質問に、カレンは何故か言い淀む。そこには不自然な間があった。

「ハッ。確かにそのくらいの年に見えるが、ちと勉強不足だな」

 グレイタウルの声音が変わり、カレンは自分が致命的なミスを犯したらしい事に気が付いた。

「十四年前つったら、クソ魔女は俺とアフガンを周ってる真っ最中だ。前後二年ほど居たが、クソ魔女はその間に子供を産んだりしてねえよ」

 あたりは不気味なほど静まり返っている。次のフロアへの転送は、まだ終わらない。

「……意外とアドリブの効かねえ奴だな。記憶違いだったとか、血は繋がってねえとか言えばいいものをよ。お前、俺に会った時の第一声からして嘘だったんだろ?」

 なおも沈黙を続けるカレンに、グレイタウルは核心の疑問をぶつける。

「お前は、誰なんだ?」

 さきほどの倍以上の、長い沈黙が続いた。
 それから、ようやく小さな魔女は口を開いた。

「……思ったより、ずっと鋭いね。グレイタウルさん」

 カレンはくすりと笑った。
 それはグレイタウルの知る大魔女の微笑みによく似ていた。

【大魔女ヴェナリス 地球到着まであと四日】

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